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夫の運命の人を名乗る女性が、新聞社に現れました。なお、会ったことはないそうです。  作者: さんけい


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8/16

第八話 その女は、レーダ・カモンではありません

 公会堂での講演会から一夜明け、王都中央通信社は続報を出した。

 見出しは、前の記事より少し小さい。


 ――エイデット侯爵、精神的弟子を否定。


 その下には、講演台に立つレーダ・カモンの写真が載っていた。

 記事を掲げ、客席へ何事か説明している横顔である。髪はきちんとまとめられ、背筋も伸びている。原稿の束を前にした姿だけを見れば、よく準備をしてきた女性講師にしか見えない。

 記事には、フリートが弟子関係を否定したこと、レーダへ私的な手紙を送っていないこと、記事の入稿日が彼女の手紙より前だったことが記されていた。

 最後に、サミュエル・ペインの署名でこう続いている。


 ――カモン女史は、侯爵本人から繰り返し否定された後も、自らの解釈を変えなかった。

 ――本人の言葉を、本人以上に知っていると考えることが、理解と呼べるかは甚だ疑問である。


 *


 中央通信社の編集室で、サミュエルは刷り上がった紙面を見ていた。


「ずいぶん削ってくれましたね……」

「お前が自分だけは途中で正気に戻ったように書くからだ」


 編集長は次の新聞へ目を移す。


「戻りましたよ!」

「起こされたんだ」

「……はい」


 反論しなくなっただけでも、前の記事を書いた頃よりはましだった。


「王都新報社にも、校正を見せたそうだな」

「事実関係の確認です」

「ブリッジ夫人に頭を下げたか」

「下げました」

「それならいい」


 編集長は紙面を畳んだ。


「……しかし、この写真はよく撮れているな」

「講師らしく見えますね」

「だから厄介だ」


 吐き捨てるように編集長は言う。サミュエルも写真を見る。

 昨日、あれほど話が通じなかった女には見えないのが不思議だ。落ち着きがあり、知的で、堂々としている。

 記事を読まず写真だけを見た者なら、何か不当な扱いを受けた女性だと思うかもしれなかった。


 *


 翌日の午後、王都新報社には問い合わせが相次いだ。


「エイデット思想研究会へ入りたいのですが」

「こちらでは扱っておりません」

「では、どちらへ?」

「主催者ご本人へお尋ねください」

「カモン女史の住所は?」

「お教えできません」


 受話器を置いた若い事務員は、机へ額をつけた。


「また入会希望です」

「一人研究会の人数が増えるのね」


 校正紙へ目を落としたまま、オーレリーがくすくすと笑う。


「笑い事ですか」

「笑うしかないでしょう」

「先日の講演を聞いて、どうして入ろうと思うんでしょう」

「侯爵の読者が皆、侯爵と同じように考えるとは限らないわ」


 オーレリーは赤い鉛筆を置いた。


「それに、記事になったものは、記事になったというだけで本当らしく見えるものよ」

「うちの記事もですか」

「当然でしょう」


 若い事務員は少し姿勢を正す。そこへ受付から、別の事務員が顔を出す。


「ブリッジ夫人。地方から長距離通信が入っています」

「どちらから?」

「ボルネ男爵家です」


 オーレリーの手が止まった。覚えの無い名だった。


「カモン女史について、確認したいことがあるそうです」


 *


 その日の朝、王都から離れたボルネ男爵領へ新聞が届いた。

 鉄道駅までは定期便があるものの、そこから男爵家までは馬車で半日かかる。王都の騒ぎが新聞になる頃には、現地では二日が過ぎていた。

 朝食の席で新聞を広げたボルネ男爵は、記事の途中で動きを止めた。


「これは」


 夫の声に、向かいに座る夫人が顔を上げる。


「どうなさいました?」


 男爵は写真へ指を置いた。


「ドナだ!」


 夫人が新聞を引き寄せる。

 髪型も服装も、普段とは違っている。だが顔立ちは間違えようがない。


「ええ」


 夫人の声が低くなる。


「これはドナ・サドンデスです」

「何がレーダ・カモンだ!」


 男爵は記事を最初から読み直した。


 ――エイデット侯爵の精神的な弟子。

 ――言葉を通じた長い交流。

 ――侯爵夫人には理解できない思想。

 ――公会堂での講演。

 ――そして、侯爵本人による否定。


「家令を呼べ!」


 ほどなく、ドナの父親も食堂へ呼ばれた。男爵の従弟で、領内の小さな館と農地を預かっている。


「なあ、これはお前の娘だな」


 新聞を差し出され、父親は写真を見たまま固まった。


「……ええ、これは間違いなく、ドナです」

「あれは今、何をしている」

「先月、少し旅へ出ると……」

「少しとは何日だ?」

「十日ほどで戻ると聞いておりました」

「いつ出た?」

「三週間ほど前です……」


 男爵夫人が記事へ目を落とす。


「王都で、地方から出てきた家庭教師と名乗ったそうですよ」

「教師であることは間違いありませんが……」

「そんな話をしているのではない」


 男爵は家令へ向き直った。


「学校へ確認を。正式に休みを取っているか」

「ただちに」

「それから、レーダ・カモンという名について調べろ」


 父親がためらいがちに口を開いた。


「その名なら、以前から使っておりました」

「知っていたのか」

「地方紙へ教育について投稿する時の筆名として」

「本名ではないことを、先方は知っていたのか」

「おそらくは……」

「王都では本人の名として使っているぞ」


 父親は口を開いたまま、何も答えられなかった。男爵夫人が新聞の写真をもう一度見る。


「そう言えば、ドナはこの自分の名を好んでいませんでしたね」

「はい、古い、響きが重い、と昔から……」

「だからといって、別の名になれるわけではありませんわ」


 しばらく食堂では誰も席を立たなかった。やがて入ってきた家令は、手に数枚の書き付けを持っている。


「旦那様、学校へ確認いたしました」

「どうだった」

「休暇は取っておりません」


 父親が顔を上げる。


「では、どうして」

「母親が重い病に倒れ、急ぎ看病へ戻ると伝えたそうです」

「え? わたくしは元気ですが」


 この時食堂には、その母親もいた。男爵夫人が額へ手を当てる。


「家には旅! 学校には母親の病気! 王都では家庭教師!」

「職業だけは同じだな」


 皮肉げな男爵の言葉に、気弱な父親はますます小さくなった。


「学校では、何か問題を?」

「これまで大きな問題はなかったそうです。子供達へ熱心に教え、通えない者の家へも足を運んでいたと」

「だから余計に信用されたのか」

「はい」


 男爵はしばらく黙り、やがて新聞を畳んだ。


「カストル家へ知らせろ」


 父親が息をのむ。


「あ、あの…… 婚約者のお家へは、まだ」

「新聞に顔まで載っている」

「ですが、事情をもう少し」

「事情を確かめるために知らせるのだ」


 男爵は立ち上がった。


「それから、エイデット侯爵家と王都新報社へ長距離通信を」

「中央通信社へも?」

「まずは侯爵家と、普段侯爵の原稿を扱っている新聞社だ」


 家令が通信文をざっくりと作る。


「記事の女性は、当家の縁者ドナ・サドンデスと思われる。現在、身元と経緯を確認中。本人が訪ねた場合は、可能であれば所在を知らせていただきたい――でよろしいですか?」

「近日中に王都へ参上し、正式にお詫び申し上げる、と付け加えろ」

「承知いたしました」

「近日中とは?」


 男爵夫人が尋ねる。


「明朝出る」

「鉄道駅まで半日ですよ」

「分かっている」


 王都まで鉄道と馬車を乗り継ぎ、早くとも三日はかかる。それでも、これ以上遅らせるわけにはいかなかった。


 *


 同じ頃、カストル男爵家にも記事は届いていた。

 若い当主代理のベルナー・カストルは、写真入りの紙面を机の上へ置いたまま、家令の報告を聞いている。


「ボルネ男爵家から連絡です。記事の女性は、ドナ嬢で間違いないだろうと」

「そうだろうな」


 ベルナーは写真から目を離さなかった。


「男爵一行は王都へ向かうそうです」

「いつ?」

「明朝」

「俺も行く!」


 家令がわずかに眉を動かす。


「先方からは、まだ正式な同行の依頼は」

「待っていれば、これはまた話が増えるぞ」


 昨日から、知人や親戚から問い合わせが来ていた。


 ――婚約者を侯爵に奪われた男。

 ――運命の恋のために身を引かされる気の毒な男。

 ――政略結婚の片割れ。


 どれもベルナーが口にしたことではない。


「若様とドナ嬢の婚約は、現在も」

「続いてはいるんだ」

「では、記事は」

「俺の知ったことか!」


 ベルナーは机の引き出しを開けた。中には、ドナから届いた最後の手紙がある。


 ――少し旅へ出ます。戻ったら婚礼の日取りを決めましょう。


 それだけの、ごく普通の手紙だった。


「俺との婚約まで、侯爵との物語に使っているのか」

「まさか」

「今のあいつに、まさかがあるか」


 家令は答えられなかった。


「ボルネ男爵へ同行を申し入れろ。それから王都の宿を手配してくれ」

「かしこまりました」


 ベルナーは新聞を折った。


「本人の口から聞く」


 ――何を考えている。自分との婚約を、何だと思っていたのか!


 ベルナーの中で怒りがふつふつと燃えたぎる。

 王都へ着くまで、まだ何日もある。

 その間にも、ドナは新しい話を作り続けているのだろう、と彼は思った。


 *


 ボルネ男爵家からの通信がエイデット侯爵家へ届いたのは、その日の夕方だった。

 フリートは執務室で読み、マルンナのいる居間へ持っていった。

 マルンナはモネの隣で、青い刺繍の糸の絡まりをほどいている。


「何か分かったの?」

「あの女の身元だ」


 通信文を渡す。


「本名は、ドナ・サドンデス」

「やはりレーダ・カモンではないのね」

「ボルネ男爵家の縁者。教師をしていることは本当らしい」

「家出?」

「家には旅と言い、学校には母親の看病と伝えた」


 マルンナは通信文を読み直した。


「王都へ来るそうね」

「早くとも四日後だ」

「その間、あの方はどうするのかしら」

「また何か書くだろう」

「おとうさまー」


 モネが顔を上げた。


「これ、ほどけない」


 フリートは娘の隣へ座り、絡まった青い糸を受け取った。


「少し待ってくれ」

「うん」


 マルンナは通信文を卓へ置く。


「男爵家の方々は、ずいぶん驚いているでしょうね」

「婚約者もいるそうだ」

「まあ」


 今度ばかりは、マルンナも言葉を失った。


「あの年頃では、夫がいてもおかしくないと思っていたけれど」

「まだ婚約者だ」

「その方は何も知らなかったの?」

「記事で知ったらしい」


 フリートは器用に糸を一本ずつ緩めていく。


「では、その方まで勝手な話へ入れられたのね」

「ああ」


 糸がほどける。モネは嬉しそうに受け取り、また刺繍枠へ向かった。


「おとうさま、ありがと」

「どういたしまして」


 マルンナは娘の頭を撫でる。

 外では、知らない女が夫との長い交流を語っている。

 その女にも、本名があり、家族があり、仕事があり、婚約者までいた。

 記事の中には、一つも出てこなかったものばかりだ。


「四日ね」


 ふう、とマルンナはため息をつく。


「少なくとも」

「それまでは、少し普通に暮らしましょう」


 フリートは妻を見る。


「暮らしているつもりだ」

「あなた、朝食の最中まで証拠の一覧を読んでいたでしょう」

「仕事だ」

「けど、モネが蜂蜜をこぼしたのにも気付かなかったわ」

「こぼしたのか?」

「ほら」


 フリートは娘を見る。モネは知らない顔をして、刺繍枠へ顔を近づけている。


「わかった。今日はもう書類を持ち込まない」

「約束よ?」

「ああ」


 マルンナは通信文を折った。

 ボルネ男爵家が王都へ着くまで、まだ時間がある。

 騒ぎが終わったわけではない。

 けれど、その日の夕食には、新聞も手紙も持ち込まれなかった。



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