第十話 その意味を、もう一度お願いします
王都新報社の応接室で、レーダ・カモンの三杯目の紅茶の入ったカップは空になっていた。
向かいにはオーレリー・ブリッジ未亡人が座り、膝の上へ原稿を置き、少し離れた机では、若い記者が紙とペンを前に待っていた。
「最後まで拝見しました」
「ありがとうございます」
レーダは嬉しそうに微笑んだ。
「先日の講演について、できるだけ正確に記しました」
「その正確さについて、幾つか確認したいことがあります」
「もちろんです」
オーレリーは原稿の最初の頁を開いた。
「まず、表題です。『公開講演を経て、深まった師弟の絆』」
「はい」
「どの出来事から、絆が深まったと判断なさったの?」
「フリート様が、わたくしの講演へ自ら足を運んでくださいました」
若い記者のペンが動く。
「侯爵は、講演を止めるために来たと仰っていましたね」
「ええ。初めは、そのように」
「初めは?」
「ですが、最後までわたくしへお言葉をくださいました」
「最後まではいらっしゃいませんでしたが?」
若い記者の手が止まりかけ、オーレリーが見る。
「続けて」
「はい」
またペンが走る。
「侯爵夫妻は、講演の途中で退席しています」
「ご夫妻は二人でお話しになる必要があったのでしょう」
「何について?」
「わたくしの言葉についてです」
「侯爵夫妻が、そのように仰ったの?」
「仰らなくとも分かります」
「では、ご本人達へ確認した事実ではないのね」
レーダは少し考えた。
「直接の確認より、行動の方が多くを語ることもございます」
若い記者のペン先が紙を引っかいた。オーレリーは次の頁をめくる。
「こちらには、侯爵が一時間近く、あなた一人へ語り掛けたとあります」
「ええ」
「講演には他の聴衆もいました」
「ですが、先生のお言葉の多くは、わたくしへのものでした」
「内容は?」
「わたくしの読み解きについて、細かくご指導くださいました」
「侯爵は、あなたの読み方が間違っていると指摘していました」
「弟子へ考えさせるためでしょう」
若い記者が顔を上げ、オーレリーに目で問いかける。
「そのまま書いて」
「はい」
レーダは記者の手元を見て、さらに姿勢を正した。
「とても丁寧に記録していただけるのですね」
「ええ。後から意味が変わらないように」
「大切なことですわ」
オーレリーは返事をせず、原稿へ目を戻した。
「侯爵夫人についても伺います」
「奥様も、ずいぶんお考えを改められました」
「どこで、そうお思いに?」
「わたくしへ『人の言葉をよく読んでいる』と仰ってくださいました」
「その後に続いた言葉は?」
レーダはすぐには答えなかった。
「夫人は、少し動揺しておられましたから」
「何と仰ったか、覚えていない?」
「大意は覚えております」
「では、正確な言葉ではないのね」
「本質は同じです」
若い記者が一度、瞬きをした。オーレリーは原稿を机へ置く。
「あなたは、都合の悪い出来事を省いているのではないのね」
「もちろんです」
「書いたうえで、意味を変えている」
レーダの眉がわずかに動く。
「変えているのではありません。出来事の本質を読み取っているのです」
「本人が否定しても?」
「本人が、自分の心をすべて理解しているとは限りません」
「それでは、あなたの読み方が間違っている可能性は?」
「ございません」
返事は早かった。
「どうして?」
「ここまで、すべてが繋がっているからです」
「何と何が?」
「わたくしの手紙と、先生の記事。講演と、先生のお言葉。奥様の戸惑い。新聞社の方々の関心」
オーレリーは若い記者を見る。
「今のところ、書けた?」
「はい」
「続けましょう」
応接室の扉が開き、事務員が菓子皿を運んできた。
「失礼いたします」
「ありがとうございます」
レーダは勧められた焼き菓子を一つ取った。
「それにしても、ここまで丁寧に扱っていただけるとは思いませんでした」
「長くなりそうですから」
「ではわたくしも、できるだけ詳しくお話しいたします」
「ぜひ」
事務員は空になった茶器を下げながら、オーレリーと一瞬だけ目を合わせた。
使いはすでに、侯爵家と中央通信社へ出た。が、戻るまでには、まだ時間がかかる。
「では、聴衆について」
オーレリーは原稿の後半を開いた。
「あなたは、皆が笑いと拍手で理解を示したと書いています」
「はい」
「笑われているとは思わなかった?」
「初めは、緊張なさっていたのでしょう」
「途中からは?」
「場が和らぎました」
「あなたへ、理屈がおかしいと声を掛けた方もいましたね」
「率直に疑問を示してくださいました」
「褒められたとは思っていない?」
「反論は理解への第一歩です」
若い記者のペンは止まらない。
「途中で帰った方々については、『それぞれ考えを持ち帰った』と」
「その通りです」
「話に飽きて帰った可能性は?」
「ございません」
「なぜ?」
「最後まで聞けないほど、多くのことを考えさせられたのでしょう」
若い記者が小さく息を吐いた。
「何か?」
レーダが尋ねる。
「いえ」
「疲れましたか?」
「少し」
「思想を理解するには、時に疲労も伴います」
若い記者は紙へ視線を戻した。
「あの~ 今のも書きますか」
「書いて」
「はい」
オーレリーは眼鏡を外し、目頭を軽く押さえた。
「もう一つ伺います」
「何でしょう」
「侯爵は、あなたが送った手紙を一通しか読んでいないと話しましたね」
「そのように仰っていました」
「それでも、記事が返事だという考えは変わらない?」
「はい」
「読まれていない手紙への返事が、どうして書けるの?」
「心が通じているからです」
「では、手紙を送る必要は?」
レーダは少し黙った。
「先生が、ご自身のお心に気付くためです」
「あなたの手紙は、侯爵へ何かを伝えるためではないの?」
「伝えることも、気付いていただくことも、同じでしょう」
「同じではないと思うわ」
「まあ! ブリッジ様は、まだその段階なのですね」
若い記者がとうとう咳き込んだ。オーレリーは黙って水差しを指した。
「飲みなさい」
「すみません」
レーダは心配そうに記者を見る。
「無理をなさらないでくださいね」
「お気遣いどうも」
水を飲み、またペンを取る。廊下の向こうで、次第に足音が増えていた。
「最後に、今回の原稿を掲載したい理由を」
オーレリーが尋ねる。
「皆様へ、先日の出来事を正しく知っていただくためです」
「中央通信社は、すでに講演の記事を出しています」
「あれは、ペイン様がまだ戸惑っておられる頃の記事です」
「侯爵の否定も載っています」
「表面上のことだけを記したのでしょう」
「では、あなたの原稿だけが真実?」
「わたくしが、最も近くで先生のお心を感じていますから」
「侯爵夫人より?」
「奥様は生活をご存じです」
レーダは穏やかに答えた。
「わたくしは、魂を存じています」
若い記者のペン先が止まった。今度はオーレリーも、すぐには次を聞かなかった。
「何か?」
「いいえ」
オーレリーは原稿を閉じた。
「充分伺いました」
「掲載していただけますか」
「その前に、あなたのお話を確認していただく方々がいます」
「確認?」
「その原稿に書かれた方々です」
レーダの顔が明るくなる。
「フリート様も?」
「お見えになるでしょう」
「奥様も?」
「おそらく」
「まあ!」
レーダは胸元へ手を置いた。
「正式に話し合う場を設けてくださったのですね」
「あなたの話が正しいか、確認する場です」
「ええ。皆様にも、直接お分かりいただく必要がありますもの」
オーレリーはそれに対しては何も答えなかった。
――その時、玄関の方で扉の開く音がした。
複数の声と、急いで歩く足音。若い記者はペンを置く。
「お見えになったようです」
レーダは立ち上がり、帽子の位置を直した。
応接室の扉が開く。最初に入ってきたのは、フリートとマルンナだった。
「皆様がお集まりくださるのですね。まあこんな大勢――」
後ろから、ボルネ男爵夫妻、ドナの父親、ベルナーが続く。ドナの父親が、一歩前へ出た。
「ドナ」
その名が落ちた瞬間だけ、レーダの笑みが止まった。




