第十一話 確認いたします
応接室の扉が開いた時、最初に入ってきたフリートとマルンナを見て、レーダは立ち上がった。
「お越しくださったのですね」
その声には、隠しようもない喜びがあった。
だが二人の後ろからボルネ男爵夫妻が入り、さらに父親の姿が見えたところで、レーダの笑みが止まった。
「……お父様?」
父親は答えない。そして最後にベルナーが部屋へ入った時、レーダは目を見開いた。
「まあベルナー様まで。どうして、皆様がこちらに?」
オーレリーが立ち上がる。
「あなたについて、確認したいことがあるからです」
「確認?」
レーダは父親とベルナーを見比べた。
「それでは、新聞をご覧になったのですね」
驚きは、ほんのわずかな間しか続かなかった。
「それで王都まで。わたくし達のことを、きちんとお知りになりたいと思ってくださったのですね」
「違う」
ベルナーの返事は短かった。
「まずはお掛けください」
オーレリーが言った。
応接室へ追加の椅子が運ばれ、向かい合うように並べられる。若い記者達は壁際の机へ紙を広げた。
レーダは席へ戻りながら、もう一度父親達を見た。
「皆様、ずいぶん早くいらしたのですね」
「お前の顔が新聞に載ったからだ」
父親が答えた。
「まあ……」
レーダは少し困ったように笑った。
「写真まで載せてくださったので、皆様にも伝わったのですね」
「そのためではない」
「では、あとでゆっくりお話しいたしましょう」
「今、話すのだ」
オーレリーが全員を見回す。
「記録を取ります」
若い記者達は一斉にペンを持った。
「本日は記事のための取材ではありません。これまで公に語られた内容と、実際の事実を確認するためです」
レーダは穏やかにうなずいた。
「ええ。皆様にも、正しく知っていただく必要がありますもの」
オーレリーは一枚の紙を卓上へ置いた。
「では始めます。お名前をお願いします」
「レーダ・カモンです」
「ドナ」
父親は再びその名を呼んだ。レーダの顔から笑みが消える。
「……お父様」
「ドナ」
「その名は、もう」
「捨てたつもりか? お前の名だ」
父親は一歩も引かなかった。
「家で付けた名だ。お前が生まれてから、ずっと使ってきた」
「けれど、わたくしは」
「ドナ」
三度目だった。レーダは父親を見たまま黙る。
オーレリーが口を開いた。
「確認いたします。出生時のお名前をお願いします」
「今は、レーダ・カモンとして」
「今の名乗りではありません」
「ですが」
「出生届に記されたお名前です」
レーダは少し視線を落とした。
「……ドナ・サドンデスです」
若い記者達のペンが一斉に動く。カリカリという音だけが、しばらく応接室へ続いた。
「現在、王都ではレーダ・カモンと名乗っておられますね」
「はい」
「理由は?」
「その名が、本当のわたくしだからです」
ボルネ男爵夫人ははあ、と小さくため息をつくと目を閉じた。
「では、ドナ・サドンデスという名前は偽りだと?」
「偽りではありません。過去の名前です」
「戸籍上は現在もドナ・サドンデスです」
即座にボルネ男爵が言った。
「ですが戸籍が、わたくしの本質を決めるわけではございません」
「本質の話はしておらん」
男爵は卓上の紙を指した。
「公の場で名乗る者が、誰であるかという話だ」
レーダは少し考え、やがて微笑んだ。
「皆様は、名前からお知りになりたいのですね」
若い記者の一人が顔を上げかける。オーレリーが目だけで制した。
「続けます。職業は?」
「教師です」
「これは事実ですね」
父親が答える。
「領内で子供達や、読み書きを望む者へ教えております」
「勤務先へは、どのように休暇を申し出ましたか」
「母の看病です」
「実際に、お母様は病気でしたか」
「いいえ」
父親が答えた。
「向こうに残してはありますが、妻は元気です」
「では、虚偽を伝えたのですね」
オーレリーが尋ねる。
「急いで王都へ来る必要がございましたので」
「質問に答えてください。病気ではない母親の看病をすると伝えた。それは事実と異なりますね」
レーダは少し黙った。
「はい」
またペンが走る。
「家族へは、何と?」
「旅行に行くと」
「目的地は?」
「特には……」
「王都へ来ることも?」
「知らせておりません」
「理由は?」
「止められると思いましたから」
「なぜ止められると?」
「皆様には、まだわたくし達の関係を理解していただけないと思いました」
父親が息を吐いた。
「理解していなかったのではない。何も知らされていなかったんだ」
「ですから、まずはわたくしが」
「お前は勝手に出てきたんだ」
「必要な行動でした」
オーレリーは次の紙へ目を移した。
「あなたが先生と呼んでいるのは、エイデット侯爵ですね」
「はい!」
「侯爵から、弟子として認められたことは?」
「正式には、まだ」
「認められていないのですね?」
念を押す。少しだけ間が空いて、レーダは答えた。
「言葉にされていないだけです」
「侯爵閣下」
オーレリーがフリートを見る。
「この方を弟子として認めたことはありますか」
「ない」
答えは短く、そして鋭いものだった。
「今後、認める予定は?」
「ない」
「この方へ、個人的な手紙を出したことは?」
「読者への定型の礼状を一度。それ以外はない」
「面会の約束は?」
「ない」
「王都へ来るよう勧めたことは?」
「ない」
「講演を依頼したことは?」
「ない」
続く端的な否定の言葉の間も、レーダはフリートを見ている。
「先生は、今も皆様の前で」
「今も、二人きりでも同じだ」
「それでも、あの日は一時間近く」
「君の話を訂正しただけだ」
「細かくご指導くださったのです」
「指導ではない」
「それをどう受け取るかは、弟子に任されることも」
「君は弟子ではない」
若い記者達のペンはカリカリカリカリと止まることを知らない。オーレリーはレーダへ視線を戻した。
「あなたは今のやり取りを、どのように受け取りましたか」
レーダは少し姿勢を正した。
「先生は、まだ公にお認めになる時ではないとお考えです」
「侯爵は、そう言っていません」
「ですが、否定を繰り返すということは、それだけ慎重でいらっしゃるのでしょう」
「……では、何を言われれば、侯爵があなたを弟子に《《していないと理解できますか》》?」
レーダは答えなかった。オーレリーは少し待ち、言葉を変えて重ねて訊ねる。
「あなたは、どのような言葉なら、否定として受け取ることができるのですか?」
「言葉だけでは、真意は分かりません」
「つまり、どのような言葉も、あなたの考えを変えるものにはならない」
「出来事全体を見る必要がございます」
オーレリーは若い記者を見る。
「皆、今のところまで、書けました?」
「はい」
「では、次へ進みます」
ちら、とオーレリーが視線を移すと、ベルナーが椅子から立ち上がり、レーダの前に立った。
「俺との婚約の件だ」
レーダは驚いたように彼を見る。
「ベルナー様?」
「俺との婚約は、今も続いているのか」
「形式としては」
部屋の空気が変わった。
「形式?」
ベルナーの声は大きくも低くもない。それでもこの場では、誰よりもよく通った。
「ええそうなのです。わたくしも、貴方にそのことをお話ししなくてはと思っておりました」
ベルナーは彼女を見たまま、ゆっくり椅子へ座り直した。
「そうか、じゃその話とやらを、俺もじっくり聞いてやろうか」
若い記者達が、新しい紙を手元へ引き寄せた。




