第四話 若い記者は、事実まで売れたと思っている
中央通信社の応接室へ、オーレリー・ブリッジ未亡人が入ってきた時、サミュエル・ペインはまだ笑顔を残していた。
「これはこれは、王都新報社の――」
「ご無沙汰しております、ペインさん」
オーレリーは濃紺の外套を脱ぎ、同行した事務員へ渡した。灰色の髪は後ろできっちりとまとめられ、帽子を取っても一筋も乱れていない。手には、革の書類鞄が一つ。長年この道に携わっている者の風格がうかがえる。
サミュエルは立ち上がり、向かいの椅子を勧めた。
「記事をご覧になったそうですね」
「ええ。ずいぶん売れたそうで」
「おかげさまで」
「それはよろしゅうございましたね」
祝っている口調ではなかった。サミュエルは座り直す。
「ですが、こちらは本人の証言を掲載しただけです。侯爵閣下とカモン嬢の関係を断定したわけではありません」
「存じています」
「見出しにも疑問符をつけています」
「それも拝見しました」
「でしたら」
オーレリーは革の鞄を開いた。取り出した紙を、一枚ずつ卓上へ並べる。
「まず、こちらがエイデット侯爵の白い花についての記事です」
「ええ。カモン嬢が自分への返事だと」
「掲載は五月十二日。入稿は四月二十八日。校正を終えたのが五月二日」
次の紙を重ねる。
「こちらがレーダ・カモンを名乗る女性から届いた手紙です。受領日は五月十九日」
サミュエルは日付を見た。
「その件なら、本人も承知していました」
「心が通じているため、手紙を書く前から伝わったと?」
「本人は、そう考えているようです」
「あなたは?」
「私は、本人がそう語ったと書いただけです」
オーレリーは次の紙を出した。
「では学校の記事。入稿は前年の十一月。掲載は年明け一月。これは侯爵領で新しい校舎が完成したことを受けて書かれたものです」
「カモン嬢の手紙は?」
「二月です」
さらに一枚。
「雨の日に古傷が痛むという講演録。これは三年前、農業組合の会合で、悪天候時の巡回について話したものです。彼女のためでも、弟子へ向けたものでもございません」
「それも記事には」
「書かれていませんね」
はた、とサミュエルの口が止まる。
「あなたの記事には、彼女が何を根拠にそう考えたかは書かれている。ですが、その根拠がいつ作られ、いつ公になったかは書かれていない」
「紙面には限りがあります」
「では、なぜ侯爵夫人が夫の思想を理解していない、という話にはあれほど場所を割いたのです?」
彼は椅子の背へ寄りかかった。
「そ、そこは本人の意見です」
「侯爵夫人に取材は?」
「していません」
「侯爵本人には?」
「……していません」
「王都新報社には?」
「必要があるとは思いませんでした」
「そうでしょう、ね」
オーレリーは手袋を外し、膝の上へ置いた。
「必要がない方が、記事は面白いでしょうから」
「ブリッジ夫人……」
「オーレリーで、結構です。私はあなたのお母様より、少し若い程度でしょうし」
サミュエルは一度、咳払いをした。
「私どもは、世間の関心がある話を扱っています。新聞とはそういうものでは?」
「ええ。関心のある話を扱う」
オーレリーはうなずいた。
「ですが、話が売れたからといって、事実まで売れたと思ってはいけません」
応接室の扉が開き、中央通信社の編集長が入ってきた。五十を過ぎた、小柄な男だ。
「失礼。話は聞かせてもらった」
サミュエルが立ち上がる。
「編集長」
「サム、お前は座っていろ」
編集長はオーレリーの横に置かれた書類を見た。
「すべて写しですか」
「原本は社と侯爵家で保管しています」
「なるほど」
「もう一つございます」
オーレリーは最後に、薄い便箋を出した。
「侯爵が読者へ送った礼状の控えです」
短い文章だった。
――記事を読んだことへの礼。
――意見を寄せたことへの感謝。
――今後も王都新報を楽しんでもらいたい、という挨拶。
「はあ…… カモン嬢は、これを個人的な手紙だと?」
「ええ、そう言ったそうです」
「ちなみに、侯爵は他の読者にも同じ文面を?」
「昨年だけで四十七通」
編集長が目を閉じた。サミュエルが口を開く。
「しかし、礼状が本物であることに違いはありませんよね?」
「ええ、それ自体は本物です」
オーレリーはすぐに答えた。
「だからこそ厄介なのです。偽物なら、侯爵家が否定すれば済みます。ところがあの方は本物の紙を並べ、そこに自分の話を足している」
「……それを我々が記事にしたと」
「ええ」
編集長がサミュエルを見る。
「おいサム、カモン嬢は今どこにいる」
「……社で用意した宿に」
「わざわざそこまでしたのか」
「取材中でしたので」
「本人には、侯爵家が関係を否定していると伝えたのか」
「伝えました」
「何と答えた」
「今は認められない事情があるのだろう、と」
編集長は両手で顔を撫でた。
「おい、サミュエル・ペイン」
「はい」
「お前は昨日、この話を持ち込んだ時、何と言った」
上司の勢いに、サミュエルは黙った。
「侯爵家の醜聞になる。王都新報より先に出せば売れる。そう言ったな」
「事実です」
「醜聞になったのは、侯爵家ではなく我々かもしれんぞ」
「で、でもまだそうと決まったわけでは」
「決まっている!」
「そうです」
編集長の言葉をオーレリーが引き継ぐ。
「あなた方は、あの女性に信用を貸してしまったのですよ」
サミュエルが彼女を見る。
「信用?」
「中央通信社が話を聞き、宿まで用意した。まあ、あの方は次にこう言いますよ。ああ、新聞社も自分達の関係を認めてくださった! と」
サミュエルの顔から、すっと血の気が引いていく。
「え…… そんなことまでするんですか、彼女」
「こんなことする方が、なさらないとお思いで?」
答えは返らなかった。
オーレリーは書類をまとめ直す。
「王都新報としては、中央通信社に訂正記事を求めます。侯爵家からも、正式な抗議が届くでしょう」
「記事を取り消せと?」
「いいえ」
オーレリーは革鞄の留め金を閉じた。
「続きをお書きください」
編集長はそれを聞き、眉を上げる。
「続き?」
「エイデット侯爵は彼女を弟子にしていない。私信も送っていない。記事は手紙より先に書かれている。それを、前の記事と同じ大きさで」
「それでは我が社が」
「間違えたとわかりますね」
サミュエルが立ち上がった。
「まだ間違いと決まったわけではありません。彼女が侯爵の思想を理解していることまで否定はできないでしょう」
オーレリーは初めて、少しだけ笑った。
「では、あなたはエイデット侯爵の思想をご存じなの?」
「記事は読んでいます」
「どの記事を?」
「領地経営や教育について」
「侯爵が、読者に最も伝えたいことは?」
言いながら、オーレリーは椅子から立つ。
「難しいことではありませんよ? 答えられませんか?」
サミュエルは憮然とした顔で答える。
「自分で確かめること、です」
彼女は革鞄を事務員へ渡し、外套を受け取る。
「人の話をそのまま信じず、土地を見て、帳簿を見て、当人に聞く。侯爵は毎回、同じことを書いています」
サミュエルの前には、入稿日と受領日の並んだ紙が残っていた。
「なるほど、ずいぶん熱心に記事は読んでいらしたのね」
オーレリーは外套の襟を整えた。追いかけるようにサミュエルは答える。
「仕事ですから」
*
その日の夕方、サミュエルは宿へ向かった。レーダに追加の取材をするためだった。
宿の主人は、彼を見るなり帳場の下から封筒を出す。
「ああ、記者さんですか? カモン様なら、先ほどお出かけになりましたよ」
「どこへ?」
「さあ。こちらを渡すようにと」
封筒には、サミュエルの名が書かれていた。
中には短い手紙が一枚。
――ペイン様。
――わたくしたちの真実を信じ、世に伝えてくださったことに感謝いたします。
――あなたもまた、フリート様のお心を受け継ぐ方なのですね。
サミュエルは最後の一文を、目を皿のようにして二度読んだ。
宿の主人が帳場の向こうから尋ねる。
「何か?」
「いや」
何ともいえない顔で、彼は手紙を折り戻す。
「何でもない」




