第三話 精神的な弟子なのです
レーダ・カモンが王都新報社を出たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
そしてその日の夕方、彼女は王都中央通信社の受付にいた。
「エイデット侯爵閣下について、お話ししたいことがございます」
受付係は最初、よくある売り込みだと思った。
「寄稿のご相談でしたら、こちらの用紙へ」
「寄稿ではありません」
レーダは原稿の束を受付台へ置いた。
「侯爵様とわたくしの交流についてです」
受付係の手が止まる。
「……交流、と申しますと?」
「精神の交流です」
その言葉だけで、近くにいた若い記者が顔を上げた。
「少し、お話を伺っても?」
レーダは静かに微笑む。
「そのために参りました」
通された小部屋で、彼女は切り抜きを一枚ずつ並べた。フリートの連載記事。講演録。短い随筆。社交界向けの雑誌に載った書評。
その横に、自分の手紙の写しを置く。
「こちらをご覧ください」
若い記者は身を乗り出した。
「この手紙を出した翌週、侯爵様は領地の学校についてお書きになっています」
「確かに」
「こちらは白い花について。そして、この次の記事では」
「侯爵が白い花について書いている」
「ええ」
レーダはうれしそうにうなずいた。
「わたくしの言葉を受け取ってくださったのです!」
記者は記事の日付と手紙の日付を見比べた。
「こちらの記事は、手紙より前に出ていますが」
「心が通じているからです」
「なるほど」
若い記者はそう答えた。納得したわけではない。ただ、話が面白くなってきたと思ったのだ。
「侯爵とは、直接お会いになったことが?」
「本日、初めて」
「本日?」
「ええ。けれど、それまでにも何度もお話ししていました」
「手紙で?」
「《《文章で》》、です」
レーダは胸元へ手を置いた。
「侯爵様は、万人へ向けて書いておられるのではありません」
「と申しますと」
「《《理解できる者へ向けて》》書いておられるのです」
記者のペンが動く。
「ほほう、それであなたは、その理解者だと」
「ええ、そう…… 弟子、と申し上げた方が近いかもしれません」
「侯爵は、あなたを弟子に?」
「ご本人は、まだその言葉をお使いになっていません」
「では、自称ということになりますが」
レーダは少し考えた。
「本当の師弟というものは、名乗って始まるものではございません」
記者は紙へ書きつけながら、口元を隠した。
「な、なるほど。深いですね」
「ええ。侯爵様のお考えは、普通の方には少し難しいのです」
「夫人にもお会いしましたか?」
レーダはそこで初めて、声を落とした。
「奥様は、お優しい方でした」
「それだけですか」
「立派な方だと思います。侯爵夫人としても、母親としても。ですが、侯爵様の思想を理解できる方ではないでしょう」
記者のペン先が止まる。
「どうして、そうお思いに?」
「お側にいることと、理解することは別ですもの」
レーダは淡々と答えた。
「奥様は、侯爵様の生活を知っていらっしゃる。けれどわたくしは、侯爵様の言葉の奥を知っています」
「では、あなたは侯爵夫人から侯爵を奪いたいと?」
「まさか!」
レーダは驚いたように目を見開いた。
「侯爵夫人というお立場は、奥様のものです。お子様もいらっしゃいますし」
「ならば、あなたは何を求めているのです」
「侯爵様が、ご自分の本当のお気持ちを認めてくださることです」
「あなたへの愛を?」
「いえ、愛という言葉だけでは、軽すぎます」
記者は一度、隣に座る先輩記者を見た。先輩は黙って、もっと聞けと目で促した。
「あなたの原稿には、何と?」
「《《出会う前から始まっていた》》、わたくしたちの交流について書きました」
レーダは原稿の表紙を見せた。
――エイデット侯爵とわたくし。言葉から始まった、真実の愛。
「掲載していただけますか」
「拝見してからになりますが」
「もちろんです」
レーダは原稿を差し出し、若い記者が受け取る。ずしりと重かった。
「か、かなりの枚数ですね」
「いえ、まだ途中です」
「途中?」
「本日、初めてお会いしましたので」
レーダは笑った。
「これから、続きを書くことができます」
*
翌朝、マルンナは食卓で新聞を広げた義父ハイエスの横顔を見ていた。
いつもなら朝食の席で政治欄までじっくり読む人が、一面を見たまま動かない。
「お義父様? どうなさいました?」
「おい、フリート」
ハイエスは新聞を畳んだ。
「今日は読むなよ」
「あら、もう遅いわ」
向かいに座る義母のマドリーが別の新聞を持ち上げる。そこには大きな見出しが載っていた。
――文化人侯爵を陰で支えた、精神の弟子。
マルンナは息をついた。
「載せたのね。あの方何軒回ったのかしら……」
フリートは新聞を受け取り、記事を読み始めたが、顔色は変わらない。
「なあ、内容は?」
ハイエスが尋ねる。
「彼女の話を並べているだけですよ。断定は避けている」
「なるほど、社としては逃げ道は作ったということね」
マドリーがパンをちぎった。
「それにしても、ずいぶん意地の悪い記事だこと」
記事には、レーダの言葉が丁寧に紹介されていた。
――侯爵は文章を通して自分を導いた。
――自分は思想を受け継ぐ弟子である。
――侯爵夫人は立派な女性だが、侯爵の精神まで理解しているとは限らない。
――そして二人は、本人達にしかわからない形で語り合ってきた。
「おとうさま?」
隣の椅子で、モネが首を傾げた。
「おとうさま、おししょうさまなの?」
「違うよ」
フリートは新聞を折った。
「父様には弟子はいない」
「じゃあ、このひとは?」
「知らない人だ」
モネはそれで納得したらしく、蜂蜜を塗ったパンへ戻った。マルンナは娘の髪を撫でる。
「あなた、どうするの?」
「抗議文を出す」
「それだけで止まるかしら」
「止まらないだろうな」
フリートは家令を呼んだ。
「王都新報社と中央通信社へ使いを。あと、同様の記事を載せたところを調べて抗議しておいてくれ。新報社では記事の初出と入稿日、彼女の手紙が届いた日をすべて照合させる」
「かしこまりました」
「あと、講演録もだ。該当箇所があれば、いつ、どこで話したものか確認を」
家令が下がる。
ハイエスはやっと新聞を卓へ置いた。
「お前、一つずつ潰す気か」
「一つずつしかないでしょう。こういうのには」
フリートはマルンナを見る。
「君のことまで書かせて、本当にすまない」
「あなたが書かせたわけではないわ」
「それでも、だ。君に嫌な思いを少しでもさせるのは嫌だ」
マルンナは少し考え、それから夫の袖を引いた。
「じゃ、今夜は早く戻ってきて」
「わかった」
「モネを寝かせたあと、続きがあるの」
フリートの眉がわずかに上がった。
「どんな?」
「夫婦の話よ」
向かいでマドリーが咳払いをし、ハイエスは黙って新聞を開き直した。フリートはマルンナの手を一度だけ握る。
「必ず戻る」
*
その日の午後。
中央通信社では、若い記者、サミュエル・ペインが上機嫌で増刷の数字を眺めていた。
「いやあ、反響がありますね~」
「おい浮かれてるな! 侯爵家から使いが来ているぞ」
先輩記者が原稿束を机へ落とす。
「抗議ですか?」
「それだけじゃない」
「では?」
「証拠を持ってきた」
若い記者は笑ったまま、最初の紙を取った。
そこには、レーダの手紙が届く三週間前の日付で、白い花の記事の入稿記録が残されていた。




