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夫の運命の人を名乗る女性が、新聞社に現れました。なお、会ったことはないそうです。  作者: さんけい


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3/16

第三話 精神的な弟子なのです

 レーダ・カモンが王都新報社を出たのは、昼を少し過ぎた頃だった。

 そしてその日の夕方、彼女は王都中央通信社の受付にいた。


「エイデット侯爵閣下について、お話ししたいことがございます」


 受付係は最初、よくある売り込みだと思った。


「寄稿のご相談でしたら、こちらの用紙へ」

「寄稿ではありません」


 レーダは原稿の束を受付台へ置いた。


「侯爵様とわたくしの交流についてです」


 受付係の手が止まる。


「……交流、と申しますと?」

「精神の交流です」


 その言葉だけで、近くにいた若い記者が顔を上げた。


「少し、お話を伺っても?」


 レーダは静かに微笑む。


「そのために参りました」


 通された小部屋で、彼女は切り抜きを一枚ずつ並べた。フリートの連載記事。講演録。短い随筆。社交界向けの雑誌に載った書評。

 その横に、自分の手紙の写しを置く。


「こちらをご覧ください」


 若い記者は身を乗り出した。


「この手紙を出した翌週、侯爵様は領地の学校についてお書きになっています」

「確かに」

「こちらは白い花について。そして、この次の記事では」

「侯爵が白い花について書いている」

「ええ」


 レーダはうれしそうにうなずいた。


「わたくしの言葉を受け取ってくださったのです!」


 記者は記事の日付と手紙の日付を見比べた。


「こちらの記事は、手紙より前に出ていますが」

「心が通じているからです」

「なるほど」


 若い記者はそう答えた。納得したわけではない。ただ、話が面白くなってきたと思ったのだ。


「侯爵とは、直接お会いになったことが?」

「本日、初めて」

「本日?」

「ええ。けれど、それまでにも何度もお話ししていました」

「手紙で?」

「《《文章で》》、です」


 レーダは胸元へ手を置いた。


「侯爵様は、万人へ向けて書いておられるのではありません」

「と申しますと」

「《《理解できる者へ向けて》》書いておられるのです」


 記者のペンが動く。


「ほほう、それであなたは、その理解者だと」

「ええ、そう…… 弟子、と申し上げた方が近いかもしれません」

「侯爵は、あなたを弟子に?」

「ご本人は、まだその言葉をお使いになっていません」

「では、自称ということになりますが」


 レーダは少し考えた。


「本当の師弟というものは、名乗って始まるものではございません」


 記者は紙へ書きつけながら、口元を隠した。


「な、なるほど。深いですね」

「ええ。侯爵様のお考えは、普通の方には少し難しいのです」

「夫人にもお会いしましたか?」


 レーダはそこで初めて、声を落とした。


「奥様は、お優しい方でした」

「それだけですか」

「立派な方だと思います。侯爵夫人としても、母親としても。ですが、侯爵様の思想を理解できる方ではないでしょう」


 記者のペン先が止まる。


「どうして、そうお思いに?」

「お側にいることと、理解することは別ですもの」


 レーダは淡々と答えた。


「奥様は、侯爵様の生活を知っていらっしゃる。けれどわたくしは、侯爵様の言葉の奥を知っています」

「では、あなたは侯爵夫人から侯爵を奪いたいと?」

「まさか!」


 レーダは驚いたように目を見開いた。


「侯爵夫人というお立場は、奥様のものです。お子様もいらっしゃいますし」

「ならば、あなたは何を求めているのです」

「侯爵様が、ご自分の本当のお気持ちを認めてくださることです」

「あなたへの愛を?」

「いえ、愛という言葉だけでは、軽すぎます」


 記者は一度、隣に座る先輩記者を見た。先輩は黙って、もっと聞けと目で促した。


「あなたの原稿には、何と?」

「《《出会う前から始まっていた》》、わたくしたちの交流について書きました」


 レーダは原稿の表紙を見せた。


 ――エイデット侯爵とわたくし。言葉から始まった、真実の愛。


「掲載していただけますか」

「拝見してからになりますが」

「もちろんです」


 レーダは原稿を差し出し、若い記者が受け取る。ずしりと重かった。


「か、かなりの枚数ですね」

「いえ、まだ途中です」

「途中?」

「本日、初めてお会いしましたので」


 レーダは笑った。


「これから、続きを書くことができます」


 *


 翌朝、マルンナは食卓で新聞を広げた義父ハイエスの横顔を見ていた。

 いつもなら朝食の席で政治欄までじっくり読む人が、一面を見たまま動かない。


「お義父様? どうなさいました?」

「おい、フリート」


 ハイエスは新聞を畳んだ。


「今日は読むなよ」

「あら、もう遅いわ」


 向かいに座る義母のマドリーが別の新聞を持ち上げる。そこには大きな見出しが載っていた。


 ――文化人侯爵を陰で支えた、精神の弟子。


 マルンナは息をついた。


「載せたのね。あの方何軒回ったのかしら……」


 フリートは新聞を受け取り、記事を読み始めたが、顔色は変わらない。


「なあ、内容は?」


 ハイエスが尋ねる。


「彼女の話を並べているだけですよ。断定は避けている」

「なるほど、社としては逃げ道は作ったということね」


 マドリーがパンをちぎった。


「それにしても、ずいぶん意地の悪い記事だこと」


 記事には、レーダの言葉が丁寧に紹介されていた。


 ――侯爵は文章を通して自分を導いた。

 ――自分は思想を受け継ぐ弟子である。

 ――侯爵夫人は立派な女性だが、侯爵の精神まで理解しているとは限らない。

 ――そして二人は、本人達にしかわからない形で語り合ってきた。


「おとうさま?」


 隣の椅子で、モネが首を傾げた。


「おとうさま、おししょうさまなの?」

「違うよ」


 フリートは新聞を折った。


「父様には弟子はいない」

「じゃあ、このひとは?」

「知らない人だ」


 モネはそれで納得したらしく、蜂蜜を塗ったパンへ戻った。マルンナは娘の髪を撫でる。


「あなた、どうするの?」

「抗議文を出す」

「それだけで止まるかしら」

「止まらないだろうな」


 フリートは家令を呼んだ。


「王都新報社と中央通信社へ使いを。あと、同様の記事を載せたところを調べて抗議しておいてくれ。新報社では記事の初出と入稿日、彼女の手紙が届いた日をすべて照合させる」

「かしこまりました」

「あと、講演録もだ。該当箇所があれば、いつ、どこで話したものか確認を」


 家令が下がる。

 ハイエスはやっと新聞を卓へ置いた。


「お前、一つずつ潰す気か」

「一つずつしかないでしょう。こういうのには」


 フリートはマルンナを見る。


「君のことまで書かせて、本当にすまない」

「あなたが書かせたわけではないわ」

「それでも、だ。君に嫌な思いを少しでもさせるのは嫌だ」


 マルンナは少し考え、それから夫の袖を引いた。


「じゃ、今夜は早く戻ってきて」

「わかった」

「モネを寝かせたあと、続きがあるの」


 フリートの眉がわずかに上がった。


「どんな?」

「夫婦の話よ」


 向かいでマドリーが咳払いをし、ハイエスは黙って新聞を開き直した。フリートはマルンナの手を一度だけ握る。


「必ず戻る」


 *


 その日の午後。

 中央通信社では、若い記者、サミュエル・ペインが上機嫌で増刷の数字を眺めていた。


「いやあ、反響がありますね~」

「おい浮かれてるな! 侯爵家から使いが来ているぞ」


 先輩記者が原稿束を机へ落とす。


「抗議ですか?」

「それだけじゃない」

「では?」

「証拠を持ってきた」


 若い記者は笑ったまま、最初の紙を取った。

 そこには、レーダの手紙が届く三週間前の日付で、白い花の記事の入稿記録が残されていた。



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