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夫の運命の人を名乗る女性が、新聞社に現れました。なお、会ったことはないそうです。  作者: さんけい


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2/16

第二話 わたくしたちは、もう何度もお話ししています

 マルンナ達が入ると、女はすぐに立ち上がった。


「フリート様!」


 弾んだ声が飛んでくる。フリートは足を止める。


「その呼び方を許した覚えはない!」


 鋭い彼のとっさの言葉に、女は一瞬だけ目を丸くし、それから小さく笑った。


「まあ…… やはり皆様の前では、そう仰るのですね」

「初めて会う失礼な相手には、普通そう言う」

「初めてではありませんわ」


 レーダ・カモンは胸元に手を置いた。


「わたくしたちは、もう何度もお話ししています」


 マルンナは夫の隣に座る。

 向かいにはレーダ、その横には新聞社の編集長と記者が控えている。家令と弁護士は、少し離れた席についた。


「ですからカモンさん、先ほどから申し上げているでしょう」


 編集長が困ったように口を挟む。


「侯爵閣下は、あなたに個人的な返事を出しておられないと」

「ええ。お手紙という形では」

「では何をもって、話をしたと?」


 弁護士が尋ねた。

 レーダは待っていたように、膝の上の鞄から新聞の切り抜きを取り出した。


「こちらです」


 広げられたのは、先ほど侯爵家で見たものと同じ記事だった。


「わたくしが、領地の子供達へ文字を教えているとお伝えしたあと、フリート様は学校についてお書きになりました」

「偶然だ」

「いいえ。フリート様は偶然で文章を書く方ではありません」


 レーダは嬉しそうに夫を見る。


「何を書くにも、必ず理由がおありです」

「理由はある。領内の学校を視察したからだ」

「それも、わたくしへのお返事でしょう?」

「何がどう返事になるんだ」

「わたくしの仕事を認めてくださったのです!」


 ……会話が一歩も進まない。

 だがレーダの口調は穏やかで、声を荒らげることもない。むしろ聞き分けの悪い相手へ、丁寧に説明しているようだった。


「こちらも」


 次に出したのは、白い花についての記事だった。


「わたくしの名は、春に咲く白い花に由来すると以前お伝えしました。すると、その翌月に」

「その記事は、君の手紙が届く前に入稿している」

「存じています」


 編集長が顔を上げた。


「存じている?」

「ええ。ですから、驚きました。わたくしがお手紙に書く前から、フリート様には伝わっていたのですもの」


 マルンナは膝の上で指を組み直す。

 思っていたより、ずっと厄介だ。日付を示しても意味がない。順序が逆なら、心が通じた証拠になってしまう。


「あなたは、夫のどこをご存じなの?」


 マルンナが尋ねると、レーダは初めて彼女を正面から見た。

 敵意はない。そのことが、かえって嫌だった。


「たくさんございます」

「聞かせてくださる?」

「朝は早くお目覚めになります。原稿は夜より朝に書かれる方です。甘いものはあまり召し上がりませんが、焼いた林檎はお好き。長く考える時には、右手で机の端を叩く癖があります」


 どれも合ってはいる。


「雨の日には古い傷が痛むことも」


 マルンナは夫を見た。


「それは記事に書いていないわね」

「一昨年の講演録にあります」


 フリートがすぐ答えた。


「確かに、領地で落馬した話はした」

「よく覚えていらっしゃいますのね」


 レーダは微笑んだ。


「わたくしのためにお話しくださったことですもの」

「講演には百人以上いた」

「けれど、その中で本当に理解したのは、わたくしだけでしょう?」


 フリートの指が、一度だけ肘掛けを叩く。レーダの顔が明るくなる。


「ほら」


 室内の全員が、その指を見た。


「今も、そうなさいました」

「苛立っているだけだ」

「わかっております。素直に認められないご事情がおありなのでしょう」

「事情などない」

「奥様の前ですものね」


 そこで初めて、マルンナの腹に小さな棘が刺さる。だが夫を疑ったのではない。ただ腹が立ったのだ。

 この女は、夫の言葉を聞いていない。聞く必要すらないと思っている。


「レーダさん?」

「カモンとお呼びくださいませ」

「では、カモンさん。あなたは夫と一緒に食事をしたことは?」

「まだございません」

「馬車に乗ったことは?」

「これからですわ」

「病気の時に看病したことは?」

「いずれ、その機会も」

「娘を抱いたところは?」


 レーダの口元が、わずかに止まった。


「お子様のお話は、存じています」

「名前は?」

「アネモネ様」

「呼び名は?」


 答えがない。マルンナはそれだけで少しほっとする。


「モネよ」

「愛称までは記事にありませんでしたから」

「ええ。書いていないこともあるのよ」


 レーダはすぐに笑顔を戻した。


「けれど、これから知ってまいります」

「知る必要はない!」


 フリートが言った。


「私は妻と娘と暮らしている。君と親しくなるつもりはない。個人的な手紙も送らない。今後、私の記事を君への返事だと言い触らすことも認めない」


 一つずつ彼は、区切るように言う。

 レーダはしばらくフリートを見ていた。


「わかりました」


 驚くほど素直な返事だった。編集長が、ほっと肩を下ろす。

 だがレーダは続けた。


「《《今は》》、そう仰るしかないのですね」

「違う!」

「大丈夫です! 急ぎませんから」

「何を待つつもりだ……」

「フリート様が、ご自身のお気持ちを受け入れられる日を」


 フリートは立ち上がった。


「話は終わりだ!」

「はい」


 レーダも立ち上がる。


「今日は、奥様にもお会いできてよかったです」

「わたくしに?」

「ええ。思っていた通り、お優しそうな方でした」


 褒められているのに、背中をいきなり羽根で撫でられたような、ぞっとする気持ち悪さが残った。


「わたくし、奥様から何かを奪うつもりはございませんの」


 レーダはマルンナへ向かって、深く頭を下げた。


「ただ、フリート様のお心まで縛ることはなさらないでくださいませ」


 フリートが家令を見る。


「馬車を呼べ! 彼女を駅まで送れ」

「必要ございません」


 レーダは鞄を抱えた。


「まだ王都に用事がございますので」

「どこへ行く」

「せっかく参りましたから、幾つかここ以外に新聞社を回ろうと思っております」


 編集長の顔色が変わった。


「何のために?」

「わたくし達のことを、正しく知っていただくためです」


 家令が扉の前へ回った時には、もう遅かった。レーダは鞄から、何枚もの原稿用紙を取り出していた。

 そして表紙には、丁寧な文字で題が書かれている。


 ――エイデット侯爵とわたくし。言葉から始まった、真実の愛。



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