9.あの日、あの場所で
──一年前。その時訪れたことは、一つの街に起きた中規模の災害だった。
午後四時、学生が帰り支度を進める程度の時間。今日はなかなか類を見ないほどの大雨であったため、部活がある学生も早帰りとなっていた。
午後五時ちょうど、その街に住んでいた者たちは皆、小さな揺れを感じた。
軽い地震かとも思い、住民たちが一様に震度を確認するためにスマホを手に取った。
途端に、地面が大きく揺れた。地震なんて言葉では説明がつかないほど、爆発のような音を響かせ、身体が宙に一度浮くほどの縦の衝撃が全員を襲った。
すぐに辺り一帯は停電し、一瞬のうちに辺りの地面が陥没、その街に立っていた学校も多大な被害を受けた。
その後しばらく、中規模程度の揺れは収まらなかった。
そこら中で泣き喚く稚児の声、甲高い悲鳴を響かせながら身を抱き寄せ合ってその揺れの終息を待つ女子高生たち、そして、いつも冷静だった大人が何もできず地面に這い蹲り、汗と絶望を顔に滲ませている。
それほどまでにこの揺れは前例を見ず、恐怖感を与えるものだったのだ。
下校中、そんな災害に見舞われ、共に帰っていた友達が蹲っている姿を見て、倉吉彩羽はとある声を聞いていた。
その声は不思議なもので、くぐもったような、曖昧な音声を囁かれ、そのたびに彩羽をリラックスした気持ちにさせていた。
そして、彩羽はとある森の中へと招かれたのだ。
自身でも一体何をしているのかわからないといった意志はある。しかしそれはあの森の奥へ行かなければならないという感情で支配され、自然と歩みが進んだ。
この揺れで混沌とした中、そんな彩羽の行動を咎める余裕がある者など、存在しなかった。
歩きはいずれ走りへと転じていき、その足は目的地まで異常な速度で距離を縮めていった。
走り始めたころには、既に揺れは収まっており、周りの大人たちは事態の収拾に大忙しといった様子であった。
しかし、彩羽は足も脳内の声も止まらない。ぼんやりとした中、足だけが忙しなく動き、大雨の住宅街を駆け抜けていった。
どれだけ駆け抜けたか、彩羽の足では数分も経てば、3、4km走ることができ、常人よりも遥かに速い速度で目的の森へと辿り着いた。その街の端くれ、一度も足を踏み入れたことなどない森。
もう少し学校に近ければ、最高の心霊スポットにでもなっていたのだろうといった風貌だ。
彩羽はそんな森の中を、自分の中の声に走らされる。
さすがに、これほどの距離を全力で走らされれば、息も切れ、汗も額に滲んでいた。
酸欠で意識が遠くなる、このままでは、走りに恵まれたまま、走りに殺されてしまうのではないか、そう心の中で彩羽が思ったその時、漸く足が止まった。
自分の意志で動けるようになってまず、彩羽は膝と手をつき、口の中に濃い血の味を感じながら、肩で呼吸をした。
そうして盛大に咽せる。視界からは色が消失し、大きな負荷を体全体で感じた。
なんとか独自の呼吸法で回復を図ったのちに、遂に彩羽は身を起こし、走行後の激しい腹痛に見舞われながらも辺りを見回そうとする。
だが、周囲を確認する前に、まず目の前に大きな建造物があるのが目に入った。
彩羽の身長では、その建造物を視界に入れるのに、何歩か下がって見上げる必要がある。
そうやってそれを見れば、信じられない、そう言葉に出てしまうほどにはそれはこの森の中で異質な存在であることに気づく。
そこに佇んだ荘厳な雰囲気の建物は、祠であった。
淡くぼんやりと青い光を纏いながらも、その悠然と建っている祠にはところどころに土が付着していた。
「嘘……でしょ、これ、祠…?」
彩羽は目を見開き、圧倒的な存在感に気圧されるようにさらに一歩後ずさった。
恐怖と何かが入り混じったような感情の中、彩羽はとある考えを頭に浮かべていた。
「…まさか。」
昔からあった、というには、こんな光った祠がここに存在していれば、少しは有名になっているし、耳にしたことくらいはあるのだろうと思う。
それでも、この祠が見つからずにここまでこれたのは、こんなに土が付着しているのは、今ここにあるのは…先ほどの地鳴りは、これが出現したことによるものなのではないか、と思い至った。
もしそうであるのならば、と、彩羽は自身のスマホを取り出した。
真っ先にこの事態と真実、この祠について大人に知らせなければならないと連絡を取ろうとする。
「もし私の考えが本当なら……何か嫌な予感が……」
その瞬間、視界が白に埋め尽くされ、スマホの画面は見えなくなってしまった。
突然の発光に痛みすら感じて思わず強く目を瞑り、顔を逸らして、光の収束を待った。
彩羽は薄目で前を確認して、光の原因を探り、やっとその光が祠から放たれたものなのだと理解した。
薄く開いてぼやけた視界の中、白の中でとある後ろ姿の人影を目にした。
まさか、同じようにしてこの祠へと招かれてしまったのではないかと、目が慣れないまま手を伸ばし、声をかけた。
「待っ…て…!そこの人!」
しかし、目の前の人物の歩みは止まらない。
よく見えなかったが、少なくともその人は、知っている人ではないと彩羽は思った。
目を擦り、やっと光も収まったことで、完全に目を開けることはできる。
ただその頃には、見たはずの人影すら、そこには存在していなかった。
その大きな祠には内部があるらしく、その中へ入って行ってしまったのだろうか?というのは想像に難くなかった。
見た時から嫌な予感のしていた祠だったので、その中に入ることは酷く悍ましいものに感じ、助けなければという意志へと変化してしまう。
危険なのは彩羽も同じことであるというのは承知の上で、後先考えずに、まず足が動いたのだ。
こうして彩羽は、同じように祠へと入り……妖の跋扈する異世界へと転移してしまったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「──覚えてるでしょ。一年前の災害。こうやって、私は失踪したの。」
月世の部屋の中、月明かりだけがこの部屋内を照らす薄暗い空間の中で、一つ、また一つと彩羽が語った真実。
それは潤が経験した事柄とも酷似している、災害の真相、失踪の原因……その全てを物語った、嘘とも偶然とも思えない、あの日、あの場所で起こった、確かな真実であった。




