7.暗殺結社のボス
「ど…どうしてここに居るの…!?え、なんで…!?」
彩羽は膝を立てて立ち上がり、取り乱した様子で潤を見ていた。
何より驚いていたのは、その彩羽の瞳に映る潤の姿であるのだが。
潤はここへ来る第一の目標である彩羽を見る前に、相対しているもう一人の人物が目に入る。
その姿はまさしく少女であったが、口から出づる芯のある深い重さを持った威圧感のある声だけが、只者ではないと思わせた。
同じ空間に居るだけで底冷えのするような気配は、今まで会ってきた誰よりも異質である。
かろうじて、少女の額に滲む汗と、困惑したような表情がこの部屋の空気を軽くさせた気がした。
「奏に見張り番を頼んでいたはずだけれど…逃げてしまったの?全く…話をややこしくさせたわね。」
面倒臭そうな表情が潤へと一点に注がれた。その姿を見て、この状況を全身に浴びたことによって漸く自分のやったことを冷静になって振り返り、少しだけ反省する。
気持ちだけが先行してしまったが、しかし後悔はしていなかった。
振り返ったことにより目的を思い出し、一瞬止まった足を動かして改めて彩羽の元へと歩く。
「抜け出してきたの…?もう、奏に迷惑かかるから変な事しないでよ。」
そう叱るようなことを言いつつも、彩羽は笑っていた。
そんな顔を、潤は実に1年ちょっとの間振りに見て、足を早め、彩羽の前へと立った。
彩羽の表情を見て安堵のあまり顔が綻び、鏡写しのような微笑みを潤も浮かべる。
「心配してきたんだぞ、その言い草はなんだ。…無事でよかった。本当に…心配してきたんだ。一年間。」
彩羽の肩を両手で強く掴み、はぁ、と一つため息をついた。それが安心から出たものであると、お互い気付いているようだった。
その肩に置かれた手に、彩羽は手を重ねる。そして──
「ん゛っん゛!」
忘れたころに、ボスと呼ばれる少女の咳払いが響き渡る。
潤と彩羽は同じく肩をビクつかせ、居心地が悪そうにしている少女の姿を横に確認した。腕を組み、トントンと指先で腕をつついている。
その咳払いに反応して潤は一度肩に置いた手を降ろし、彼女の方へと体を向ける。
「なんだよ…一年振りに再会した俺の気持ちが、まるでわかっちゃいないな?」
「そっちこそ、私たちが話をしているのに勝手に入ってきて……状況ってのがまるで分かっていないようね。」
素早くそう返す彼女の気迫に潤は少し後ずさる、それに慣れているのか彩羽は引かず、むしろ一歩前へ出た。
「す、すみません…潤、昔からこういうところあって……」
と、まるで子供の代わりに謝る母親のような対応を見せる。
納得がいかないが、向こうの反論にもかなり一理があったので、気まずそうにただ押し黙ることしかできなかった。
少女は「やれやれ。」と両手をあげて首を振る。やはり、思っていたよりは厳しい人ではないらしい。
「ちゃんと彼を躾けておいてよね、全く。それで、私たちは極秘のお話をしていたの。一般人に聞かせるわけにはいかないわ。ここは一度、引いてくれるかしら?」
彼女はそう言って先程入ってきた出口へと促した。潤からすれば、考え無しの行動ではあったものの、ここで引くわけにもいかないと感じている。
……潤の中では未だ微かな怒りが燻っていた。
「…んな、訳にはいかねえだろ。お前、彩羽に何言ったんだよ?取り逃がした?状況見てから言って欲しいもんだね。あの場では俺ってお荷物も居た上に、多分…お前の想像よりも強い奴が相手だったんだ。」
「ふーん?貴方みたいな素人が、敵の強さを語れるのかしらね。それに、自分が邪魔だったってそんな簡単に認めるのね?…そこが、弱さよ。貴方の一番のね。」
潤と彼女の間には火花が散った。
こちらを睨む彼女の瞳、そして口から紡がれる言葉の数々が、それでも確信めいたことを真っ直ぐに潤へと向けられる。
冷静な彼女は、その場から一歩と動かずに潤を気遅れさせる。それは、心から言われたくない言葉の一つであったから。
それが今会ったばかりの少女に見抜かれて、少し顔を青ざめさせた。
「…っ……俺は……」
「…ちょ、ちょっと待って!」
突然、彩羽は右手を二人の前に伸ばし、潤と少女に静止をかけた。
それを見た少女は息を一つ吐き、彩羽を見て、次に潤と視点を移動させた。
「ま、こんなもんかしらね。…ちょっと虐めすぎたわ。悪かったわね。」
少女は彩羽の言葉を聞けばあっさりと潤への威嚇をやめ、部屋の中央に設置されていた会議用かと思われる大きなテーブルの一角の椅子に座り込む。
頬杖をつき、彩羽と潤のことを見ていた。
彩羽は潤の方へと近づき、何やら焦った様子で口を開けた。
「えーと…な、なにを聞いて、知っているのかは分かんないけど…別に私、ボスに怒られたりはしてないよ?今後の対策とか……まあ後、潤のこととかを屡々……」
彩羽は潤の発言にまごつきながら説明した。最初はそれも何か嘘の可能性だって潤は考えたが、何より…自分の早とちりであったと考える方が納得感があった。
え。と声を漏らして少女の方を向く。利かせていた睨みが、謂れのない冤罪についての抗議の目であったことに今更ながら気づく。
突然の潤からの敵意に言い返してみたくなったのだ、と。
「あー…その、なんだ。……悪い。」
「別に~…?こっちも言いたいこと言えたし、良いのよ。むしろ感謝したいくらいだわ?」
台詞とは真逆に、全く許したような表情をしていなかった。
これ以上口を開くのも、更にバツが悪くなるだけで良いことなんて一つもないと悟り、潤は再び無言の時間が訪れた。
「謝れたのは偉いけど、そうやって私のために早とちりするの悪い癖だからね!今回で身に染みたならいいけど!」
彩羽は腰に手を当て、少し怒っているようだった。彼女だけでなく、彩羽からまでも潤へ正論をぶつけられる。この場に潤の味方をしてくれるものは居ないようだった。
まあ、自分が悪いと自覚はしている。気を取り直して。潤は座っている少女に対して近づいていき、少しでもと誠意を見せる。
「…改めてだ。いくつか聞いてるかもしれないが、俺は彩羽の兄、倉吉 潤だ。」
そう言って出そうとした右手が包帯でぐるぐる巻きであることに気付き、すぐに引っ込めた後に左手を彼女に差し出した。
「…はあ、エスコートの真似事でもしてるつもりかしら。要らないわ、その手は取らない。」
「なっ……ば、場の雰囲気とかそういうのもあるだろう?あと…お前の恰好がそういうのだったから、合わせたんだよ。交友の証みたいな感じだ。」
「私からすれば貴方はただの通りすがりの一般人よ。馴れ馴れしくするつもりなんてない。」
少し意地っ張りなのか、彼女は不愛想にそう言い放つ。潤も少女の、綺麗に仕立てられているお嬢のような服を見て行動を選んだが、どうやらあまり好みではなかったらしい。
彼女はそっぽを向いて、興味がないように振舞われてしまった。
「…まあ、自己紹介されたものね。礼儀としてそれくらいは返すわ。けれど、もうそういう変な事はしないことよ。慣れていないというのも分かるもの。」
「そりゃ悪かったな。」
トーンで遺憾の意を表すが、そんなものは露知らずとしながら、彼女は立ち上がり、数歩歩いたかと思えばこの部屋の唯一の窓の前で足を止めた。
そうして、華奢な体を潤の方へ向き直す。
「…私は暗殺結社の長をやってるわ。夜之 月世よ。ボスなんて呼ばれているけれど……好きに呼んでちょうだい。」
いつの間にか夜が更けていたのか、窓の外から見える月明かりが月世の体を照らし、その名にふさわしい美しさを纏わせていた。
名は体を表すとはよくいったものか、名付け親は将来のこの姿まで見据えてその名を付けたのかと簡単に思わせる。
ずっと張りつめていた表情は、その月下では少しだけ微笑んでいた。
「じゃあ……月世。」
「好きに呼びすぎよ!ちょっとは敬意ってものがないのかしらね……まあ良いけれど。」
笑みを見せていた月世の顔がムスッとした表情へと変わるが、気づけばすぐに表情は明るい微笑みに戻っていた。
あまり下の名前で呼ばれる機会がないのか、月世は過剰に反応しているように見えた。恐らくは、相対してから最も取り乱した瞬間だったのかもしれない。
とはいえ、邂逅してから然程時間が立ってもいないのだが。
「さ!最低限の礼儀はしたわよ!私たちはもう少し大切なお話があるから、貴方は部屋に戻って治療に専念しなさいな。」
「最低限の礼儀が終わったら礼儀かなぐり捨てて部屋追い出しても良いのかよ…?」
「そもそも最初の礼儀がなってなかったのは貴方の方だもの。次からちゃんとノックして入るのよ。」
彼女はもう、完全に追放モードに入っていた。このままではきっと聞く耳も持たないだろう。
潤は彩羽の方を見て、目が合ったと思えば、彩羽は潤の方へと手を合わせ、お願いといったニュアンスのジェスチャーをし、ウィンクを一つ。潤もそれを察する。
…彩羽が無事であることを確認した以上、出ていってしまっても良いのだが。
しかし潤は一つ……前から少し思っていたことがあった。
これを言えば、きっと彩羽を困らせてしまうだろうというのは明らかであったが……彩羽が幹部、なんて言葉を聞けば、いつの間にか引くに引けなくなり、潤の脳内でその考えが固まってしまったのかもしれない。
俺は…彩羽の近くで…もう失いたくない。
見ないふりなんて、できないだろう…!
「月世、一つ……良いか?」
「何…?手短にお願い出来るかしら。貴方、何考えてるか分からなくて怖いのよ。」
月世はかなり怪訝そうな表情をしており、何を言い出すんだと警戒されているのはすぐに分かった。
潤は一歩ずつ月世へと足を進める。相手を跪かせる側のような雰囲気を纏った彼女が、その瞬間一歩引いたことが分かった。
警戒も迷惑も、今はあれこれ心配を思うより、試しに言ってみた方が良いだろう。
簡潔に、一言、潤は息を吸って、そして吐くように言った。
「この暗殺結社……リターンに。俺を入社させてくれ。」
………
「「はぁ…?」」
綺麗に月世と彩羽の声が重複する。どちらも同じ高音である…という惜しい点はあるが、透明感のあるハモりだ。潤にとってはこの反応が予想通りすぎて、これを言うその時だけは、未来が見えた気さえした。
そして、月世は自分のペースを取り戻すようにして下を向き、「…コホン。」と咳をした後、再び潤の方を見た。
「この後の処遇についても、彩羽と考えてもらうつもりだったけれど……成程ね。」
意表をつかれた月世は、その場で数秒考える、この考える時間があればもしかすればと潤は期待に胸を躍らせる。
この沈黙は少なくともどうするか迷っているということだ。ならば……
「無理ね。諦めなさい。」
「えっ……」
想像を全て裏切られる返事に、思わず潤も口から勝手に声が出る。
……これは、意表突き対決じゃないんだぞ……
そんなことを思いつつ、形勢をどうにか立て直すため、潤は次に紡ぐ言葉をどうにか考えるのだった。




