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妖 - 暗殺計画  作者: 弱みつる。


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3/12

3.不完全な決着

「劣勢だ、ナ……諦めたらどうか、ナ……」


「私は……たくさんのものを背負っているから。磯女、あなたに立ち向かうこの手は緩めたりなんてしないよ。」


 彩羽は拳銃を構え、磯女はそれを弾速よりも速く動くことで避ける、もうしばらく弾丸は命中していなかった。

 磯女が激しく動く度に散る水滴は、その化物の特性からなるものなのだろう。それがきっと汗であれば、どれだけ良かったかと思うのは潤も彩羽も同じようで、両者唇を噛み締めていた。

 しかし、いざ現実を見れば、磯女は息も切れていないまま棒立ち、対して彩羽は浅く呼吸を繰り返して、平穏を保とうと拳銃を構えていた。


「そろそろか、ナ。十分足掻いたから、ネ。」


 それに対し、磯女は片腕で宙に小さく水を浮かせ、その水を刃のような形へと収縮させた。

 刃は一つではなく、一つ、また一つと増えて、創造されていく。

 彩羽が歯を食いしばる、その攻撃に備えるように。


 磯女と彩羽が交戦している最中、潤はそれをただ座して傍観しており、彩羽も随分と動きづらそうにしていた。

 それもそのはずだ、潤はここを動いて、あの化け物から逃げるのでさえままならない程。

 この場において場違いであることは、本人すらも自覚していた。

 今はただ、妹に守られる兄という形がそこにあって。


「……なんて、それは兄として良いのか?倉吉 潤。俺は…何のためにここへ…?」


 磯女は時間と共に着々と彩羽を仕留める準備を進めているようだった、彩羽はそれに対してどうにか隙を探すように、間合いを決めていた。

 この膠着状態を崩せるとしたら、磯女の盲点、意外性をつかなければならない。

 潤は掌を握りしめる。それは、現実を直視しようとして震えた手の動きを止めたかったからなのだろう。

 前を向く。それは、下を見続けたくなかったからなのだろう。


「違う…俺は俺を今、否定しなくちゃならない…!」


 瞬間、潤は足で地を蹴り、磯女に一直線に飛び出す。

 そんなエゴと可能性と、彩羽だけが今潤を動かした。

 音か、気配か、勘か…磯女はすぐに潤の方へと振り向き、心底不思議といった顔を毛髪の間から覗かせながら、顔を90度右へ傾けた。


「悲しい行為、理解したくもない行為だ、ネ。」


 そのように潤を一点に見据え、先程精製した水の刃を一つ一つ潤の方へと向けた。

 潤の額に冷や汗が伝う、ただし、迷わずに立ち向かうのだ。


「潤……。潤……やめてッ!!!」


 潤が聞いたことのないほど大きな声を彩羽は放ち、潤の方へと走り出した。

 その言葉は潤の足に今までで一番の迷いを見せる…が、決して止まることはなかった。

 自身の足を叱咤し、確かに磯女との距離を詰めていった。

 彩羽がそうすぐに到達できない時を、潤は狙ったのだから。


「磯女…って言ったな!戦えよ、俺と!!」


 この極限状態の中、潤は必死に笑ってみせた、妹を前にしているからか、ただ単に自分を騙すために強がったか。


「驚いた、ナ。でも……勝てない、ヨ。それを教えてあげる、ネ。」


 意外にも磯女は慈愛の瞳を潤へと向ける、とはいえ、腕は水の刃を操作するように宙を舞わせ、向かってくる潤に臨戦態勢を取っていた。

 刃を確実に命中させるためか、間合いを計算して潤の方へと狙いを定めている。


 それが、潤にとっては隙になり得た。

 深呼吸をして、磯女の方を鋭く見据える。一瞬でそれをこなしたと思えば、咄嗟に地面を蹴り、爆発的な推進力を出した。

 潤は無駄のない動きで、抵抗を感じさせないポーズで、もう長らくやっていなかった本気の走行を、目の前の磯女に見せつけてやらんと、必死に駆けた。


 唯一の自慢はいつだって足だった。それさえも彩羽に敵うことはなかったが…それでいい、今彩羽のためにここまで動けるのなら、良かったなんていくらでも思える。


「なに、ヲ…?」


 ただの人間だと思っていた、今まで動いてすらいなかった者が、突然速度を出した。

 いつもであれば対応出来ていたのかもしれないが、不意を突かれ間合いを見誤り、間を置かずすぐさま放ってしまった磯女の刃は、潤の頬に赤一文字を付けるのみだった。


「油断……したな!!」


 残った水の刃は空を切り、その合間に体をなんとか捻じ込んだ潤は、磯女を強く抱きしめ、拘束する。

 それに安堵しきらず、彩羽へと声を出そうとする。


 …が、潤が次に感じたのは、死の匂い。

 それは感覚的な話ではなく、生乾きになってそのまま腐ってしまったような、そんな強い匂いの中に酸性の鼻を刺激する臭いも混じっている、最悪の香りだった。

 脳が警鐘を鳴らし、一瞬で吐き気が込み上げて声が出ない…が、まさかこの手を放すわけにはいかない。


 「俺じゃ勝てないって…言ったな……?勝つのは俺じゃねえよ…!!彩羽!!拳銃を……ッ!!」


 あまりの臭いに苦しみながらも、声を張り上げ、彩羽を見据える。

 その時にはもう、彩羽はどこから取り出したか、随分大きい長物、スナイパーライフルを構えていた。

 潤が拘束しているから、磯女にだけ当てるというのは中々難しいのだろう、照準を合わせながら、彩羽は呼吸を乱れさせて、磯女を一点に見つめていた。


 …普通は、こんなことできやしないだろうな。けど、彩羽は銃の扱いに……手慣れているみたいだった。なら、どんな才能でもある彩羽なら…きっと。


「これは…まずい、ネ。」


 磯女は身を捩らせ、どうにか拘束を解こうと力を込めていた。一般人の潤じゃ、それを完璧に押し込むことは出来ず、時間の問題でしかなかった。

 この拘束が解けるとすれば、それはきっと、潤の手が吹き飛ぶことを表すのだ。

 それでも、むしろ潤は腕に力を込めていった。


 彩羽にもその状況は理解できているようで、プレッシャーを浴びて顔は強張る。しかし、いつしかライフルを構える手は震えておらず、黒鉄が磯女を捉えていた。


 磯女が次に力を込めようとしたその時、彩羽からより一層大きい銃声が鳴り響く。

 その瞬間、潤の近くで大きなものが破裂したかのような音がしたかと思えば、潤の顔に多量の液体が降りかかった。

 その液体がなんなのか、というのは潤にとっても考えるまでもなく、両手の袖ですぐに拭う。

 それは想像とは違い、案外サラサラとしていた。


「ぐっ………」


 潤は小さく呻き声を鳴らして、拭った液体を目視する。

 その違和感に、すぐに気付く。その液体は、水だ。


 破裂したであろう場所を瞬時に確認した。血液という血液がそこにない、まるで水風船を割ったかのように、その磯女の頭はただ、水と共に破裂しただけだった。

 それは人ではなく化け物の類であったのだから、このようなことも、もしかしたらあり得てしまうのかもしれないとそう思ったのは束の間。


「潤……!潤…!何かおかしい!!離れて!!」


 彩羽の悲痛な叫び声が、事態の異常さを表し、潤の鼓動を早めた。


「窮すれば通ず……なんて言うもん、ネ。頑張った、頑張った、ヨ。感動した、ナ。」


 もう二度と聞くことのなかったはずの不快な声が脳を揺らした。

 潤は咄嗟に拘束していた磯女の体を押し、離れようとする。


「妖術……≪水毒(すいどく)≫。」


 聞こえるはずのない磯女の声が、聞こえるはずのない方角から聞こえたかと思えば、倒れていく磯女の体から多くの水が排出され、潤へとまとわりつく。

 そうすれば、潤の視界はぐらりと眩暈を起こし、平衡感覚を失った。


「な…んだ……クソ……」


 上が下で、下が上で……今、一体、自分の体がどうなっているのか想像もつかないまま、鈍い音と共に地面に額を強打した。

 割れるような痛みが走ったと同時、頭痛と吐き気、とてつもない寒気に襲われる。

 なんとか酸素を取り入れようと口を何度か動かすも、上手く呼吸が出来ておらず、息苦しさに悶える。


「凄く強かった、ネ。乾いた場所、やっぱり嫌いだ、ナ。」


 潤の視界の端で、破裂し散乱した水が寄せ集まっていく。

 それはだんだんと形をなしていき、もはや随分と見慣れた、磯女の姿へと変わる…いや、戻っていくのだ。

 なんとか潤は顔を上げる。磯女の後ろでは、横たわった潤と戻っていく磯女に驚愕の表情を浮かべながらも、未だにライフルを構え続ける彩羽が居た。

 それらを目撃して、再び磯女は髪の間から三日月形の口を覗かせた。


「時間を、かけすぎた、ネ。バイバイだ、ヨ。」


 潤の顔を覗き込むその姿はやはり、どこからどう見ても化け物としか言いようがなく、まさしく、女の死に損ないであった。

 磯女はニタリと笑った後、潤に背を向け、彩羽にも背を向け、水音を鳴らしながら歩き去って行く。


 その姿を目撃できぬまま、脅威が去って行く音を聞いていた潤は、安堵すら許されないまま意識を遠のかせていく。

 瞼はもうほぼ開かず、顔の節々が浮腫んで張り上げるような痛みに襲われているにも関わらず、口からは小さく呻き声を漏らす事しか出来なくなっていた。


 その時、大きなものが地に落ちる音が聞こえた。


「潤!……潤!大丈夫…?…毒……!!」


 彩羽は潤の顔を覗き込み、腕で潤の体を支える。

 しばらく焦って潤の体を揺さぶった後。決心したように、潤の浮腫んだ肌を、彩羽は腰に取り付けていたナイフで切りつけた。

 痛みが腕の中を走る、しかし、彩羽はこの期に及んで無駄なことをするはずがない。

 それを分かっている潤はただ身を任せていた。


「……どうして。」


 彩羽は潤の顔を見ながら、表情を歪めていた。


 ……ああ、苦しそうなお前の姿なんて、もう、見たくなかったんだ。


 潤は彩羽の顔を眺め、腕の中で意識を深海へと落としていく。

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