11.謎の部屋
「…人間らしいんだな。」
潤は磯女の姿も思い浮かべていた。人間らしい姿をしていたものの、水死体の様相をしたあの姿はとてもではないが、生気を持った生身の人間には見えなかった。
しかし、目の前にあるイラストは、ボスが誇張していたにしたって、人間らしく、まるでコスプレのようにしか感じない。
この違いは何だろうか、その疑問を察したのか、彩羽は少し苦笑して、貼り紙から潤へと顔を向けた。
「妖はね、まだ私もボスもよく分かってないんだけど……強くなればなるほど知能があって、知能があればあるほど人間らしくなるんだ。皮肉にも…ね。上辺だけだけどね。」
「ふぅん……能ある鷹は爪を隠すって奴か?そりゃまあ厄介だが……強ければ強いほど見た目がとんでもない異形になるとかじゃないってんなら、その点だけ見りゃプラスか。」
潤は無理矢理、自分の良い様に取ることにした。
最悪を想定して行動するのはとてもポジティブなことであると、昔潤が読んだ哲学書でも言っていた。
なんにせよ、あの時見た磯女のような水死体の見た目が追いかけてきて、殺そうとしてくるのはトラウマになりかねなかった訳だが。
「そして妖として強い個体であるほど、殺人衝動や殺人願望が強くて…それが妖術の練度なんだろうって考察が出てるよ。もちろん妖への適応力とか……妖になる前の素の身体能力とかの影響もあるだろうけどね。」
「……妖術、か。嫌な響きだ。あの女のせいかもしれないが。」
思わず顔を顰めてしまう。忘れようと脳で警鐘を鳴らしていた磯女の存在がだんだんと浮き彫りになっていく。
そもそも妖を暗殺する組織に入るなら、これから何度も思い返す羽目になるのだろう。
しかし、なんせ潤にとっては妖との出会いと命の危機が苛烈すぎた。
忘れかけていた腹の傷を抑えつつ、ただし着実に治癒が進んでいることを確認して、少し安堵する。
「妖術はまあ経験しての通りで……っていうか、これ本当は極秘情報なんだからね!今までのもそうだけど…本当は正式に入るとも決まってない人に言うことでもありません!」
「お前が話してくれたんだろ最初に。」
「信用、してるからね!でもなんか一気に不安になってきた……だから今日はおしまい。」
突然、きっぱりと言い切って腕を組み、ふんすと鼻をならした。漸く兄の前の妹ではなく、幹部としての自覚が帰ってきたようだ。
しかし幹部にはなったばかりなのか分からないが、あまり威厳らしきものは感じない。
磯女戦での彩羽といえば、自分の知っている彩羽ではないとさえ思ったほどだったのだが、変わっていないようで潤はホッとしていた。
「ひとまず、その辺の説明はきっと試験の日に詳しくなされる……と思うから、きっと、恐らく…多分。Maybe。」
「それ好きだよな彩羽……って、不明瞭にして逃げてんじゃねえ。」
「ご、ごめんごめん、ボスのこと完全に分かってるわけじゃないけど…少し心配になってさ。ま、とにかくそういうことだから…ここで潤に初任務を与える!」
ビシッと潤に指差したかと思うと、にやりと口元を綻ばせ、なにやら乗っかった方が良い雰囲気を醸し出した。
「なんだよ……」
「ちゃんとその右手と顔とお腹の怪我治すことに注力すること!試験は二日後で…奏さんの《ハイルムジークドラート》があるから、それだけあれば完治まで持っていけると思う。」
「ハイルム…?なんだって…?」
「そのお腹を縫ったり巻き付いてる糸で回復するやつのこと!」
どうやら、妖術と同じようにその不思議な能力には名前が付けられているらしい。
よく分からない長い横文字で管理するより、もっと初見でも分かりやすくてコンパクトな名前を付けた方が良いと感じてしまうのは、潤の悪いところだろう。
「まあ何でもいい……ただ明日は多少は挨拶だとか施設回りをやっておきたい。それくらいは許してくれ。」
潤は両親がやらずとも、初めて引っ越してきたときは隣人や近隣の住民に挨拶回りを一人でも決行したほどだ。その時は結局彩羽も着いてきたんだが。
後々くるトラブルや、備えのためにその辺はきちんとしておきたいという思いからである。
「うん、それは大丈夫。ちゃんと私が見てるから、私が案内するね。」
「はは……ずっと思ってはいたが、この世界に来てから俺、あんま兄っぽい事言えてないよな…立場もあるが。」
「…?別に潤は潤だし!元々割と対等だったでしょ?」
そう言う顔は太陽のように眩しかった。今の潤では更にその光は眩しさを増している。
だが、同時に彼女の表情の節々や声のトーンから、兄ならでは分かってしまうことがいくつかあった。
今の彩羽は無理をしているし、潤を見る度に一瞬悲しそうな顔をするのだ。
その真意を問い質しても、きっととぼけるだけで、もっと言うのであれば、彩羽が自覚しているかすら危うい。
この世界で初めて彩羽と邂逅した時に放った一言、それが二人の間にずっと渦巻いているような感覚が潤の中では、少なくともしていた。
潤は気にしないようにしながら気にかける、という一見矛盾したような対応を取っていた。
「そうだな……。」
一言、そう、ともすれば見透かされてしまうような返事をして。
「さ、もう随分夜も更けてきちゃったけど…そろそろ寝ないと回復しないよ。潤は起きてからそんな時間たってないかもしれないけど……気合で寝ること!」
「ああ、そうだな。色々あったから一回寝てもまだ疲れて眠いから…大丈夫そうだ。」
潤は漸く席を立ち、数歩出口の方へ歩いた。
「月世は今まで寝てた場所使っていい、って言ってたよな。お言葉に甘えさせてもらうよ。まあ…彩羽に言っても仕方ないけどな。」
「うん、じゃあおやすみね。私も…予期せぬ戦闘あって疲れたし。」
お互い同じタイミングで欠伸をする。それにも慣れてしまっているのか、二人の間にそれに対しての言及はない。
「明日は…8時くらいに起きるよ。迎えに来てくれ。幹部さんに挨拶しに行きたい。とはいえ、もちろんそれ以外の人たちにもだ。」
「…あー。それは良いんだけど…幹部は幹部でも、第二幹部とは会えるか怪しいなー…。ていうか、会わない方が良いよ。」
彩羽は人を毛嫌いするようなタイプではないので、会わない方が良い、なんてぶっきらぼうな返答に少し潤は疑問符を浮かべる。
外へ出ようとする足が止まった。
「それはなんでか…聞いても良いか?」
「なんでも、だよ。まあ変な事しないで、気難しい人だから…守れるか分からない。」
「何だよそれコワ…!?」
半ば脅しのようなその言葉は、彩羽が言っているというだけで現実味を帯びていて、怖さを増幅させていた。
冗談を言わない人がするマジの目は鬼に金棒なのだから。
「…肝に銘じておく。おやすみ。」
そう言われると、一度会って話したい気持ちもある。
しかしまあ一先ず、体に疲れが溜まってしまっている今、一度部屋で休息を取る事にした。
扉を閉め、来た道を戻る。来た時は胸が一杯であったため気付かなかったが、廊下が長く続いており、月光の届かない場所はほとんど何も見えない程の暗闇に包まれていた。
見れば、壁は継ぎ接ぎになっており、もとあるものに部屋や廊下が増設されたのであろう印象を受けた。
それが何回か行われたと推察できるこの建物は、立派な豪邸と言っても差し支えないほどの大きさになっていた。
そうして潤は順調に道を戻っていたのだが、暗闇で辺りが良く見えないのもあり、記憶が曖昧なのもあり、いくつか並ぶドアのどれが元居た場所なのか分からず首を捻った。
「どこだったっけか……まあ、開いたりノックすりゃ良いか…」
適当に目の前にあった部屋を三回ノックする。
しかし、返事がなかったため、目的の場所かと思い扉を開く。
見えたその部屋は、目を疑ってしまうほど何もなかった。
まるで遺品整理をしてしまった後、引っ越し直前の部屋のように感じさせるそのあからさまな空き部屋には、これまたあからさまなほど中央に大きな戸棚のようなものがあった。
なんだか言いようもない恐怖感に襲われ、反射的に扉を閉める。
「なんだあれ…?…いや、見なかったことにしよう。今は部屋に帰らねえと……」
そそくさとその場を離れ、横にあった部屋を先程よりも早くノックをし、扉を開けて覗けば、そこは元居た寝室のような、診療所のような部屋であった。
「ここ…だな。惜しかったな。」
ため息をついた後に入り、誰も居ないことを確認すれば、徐に床へとついた。
あの戸棚しかない部屋を見た時の、禁忌に触れたような心のざわめきは消えなかった。
同時に、恐怖と共に好奇心さえも湧き上がってくるようで、本来ならまるで寝れる精神状態ではなかった。
……だが。磯女に気絶させられてから、どれくらい寝ていたのか正確には分からないが、恐らく一日は経っていないのだろう。夜から夜までの睡眠という短い睡眠時間。
それを補うように眠気がやってくる。
その正体が気になりつつも、今日は微睡の中へと身を落とした。




