12.謎の部屋に住まうモノ
朝7時。窓の外から鳥の声は聞こえず、朝という心地はまるでしなかった。
窓からは強い日差しが差し込み、潤は長い長い夜を超え、この世界での初めての朝の経験をする。
だが、潤はそこで、磯女の襲撃に次ぎ第二の試練が待ち受けていたことを悟る。
「クソ……暑……。」
起きて真っ先に、気温と陽射しが潤を襲った。
目覚ましも無いのに、約束の時間である8時よりも早く、早朝に起きることが出来たのはこの暑さによる寝苦しさのせいだろう。
無意識に布団を隅へと追いやっており、真夏の猛暑日のような感覚が蘇る。心做しか陽の光も眩しい。
この世界に来る前は秋だったはずだが……。
しかし実際、この世界へ来た時は夜だというのに暑さを感じた。
この部屋は辺りを散策しても冷房や扇風機らしきものは見当たらない。
汗を流しながら部屋を右往左往し、その行為は更に体温を上げるだけの無駄足になる。
「この部屋には居れねえな……暑すぎる。」
結局、一度その場を去ることにした。
廊下に出れば少しはマシだろうか?と即断即決でベッドから立つ。
彩羽とは部屋で合流する予定だったが、これ以上ここに居てしまえば、熱中症になって入社試験どころではない。
そして出入口の扉に手をかけ、開く。
いつしか腰に縛っていた上着は、就寝前に外して棚の上に置いておいていたが、それをその場に置きざりにして。
廊下からは幾分か涼しい空気が入り込むが、それは部屋と相対的に、という話である。
「確かに今思えば…月世も彩羽も奏も、皆腕が見える半袖っぽい服着てたな……にしたって、あの生地は分厚いだろ…?」
思い返してみれば、彩羽と奏は似たような、一番潤にとって身近なもので例えるのであれば軍服のような服装をしていて、月世はフリルの付いたお嬢様のような服装を象っていた。
リターンの制服として用意されたもの、と考えるのであればきっとそうなのだろう。
それに反して潤は秋に着るような私服で、向こうも生地の関係で暑そうとはいえ、潤は更に拍車をかけて地獄だった。
潤はその後、自分の身体を見回し、臭いを確認する。
「風呂も入りたいし…着替えが欲しいな。半ば居候の形の今、あまり過ぎたことは言えないんだが……。」
ひとまず、この暑苦しさと、若干漂う浮浪者のような臭いに顔を顰めながら、その二つの解決に望まなければいけないと、潤は一歩足を踏み出す。
だが、その時に目に入ったのは、就寝前に見たあの隣の部屋であった。
棚が中央にあり、かなり物々しい雰囲気を感じさせたその部屋は、日が出てるうちに見ればまた違うのかもしれない。
とはいえ、そもそもこの建物自体見ていない場所だらけであるため、その部屋が特別かどうかなど、潤には分かるはずもないのだが。
「……まあやっぱ、ちょっとは気になるよな。」
彩羽と会うまで後一時間、これだけ時間もあれば棚を調べることは出来る。
ただ、何も入っていなかったら入っていなかったでそれはそれで肩を落としてしまうだろう。
とにかくまずは見なければ何も分からないということだ。
なにも見てはならないと誰かに咎められた訳では無いのだから。
そう思いつつも、少しの引っかかりと背徳感を覚えながら、その部屋の前に立つ。
潤は固唾を飲み、昨日のように自然と扉を開いた。
昨日と同じ古さを感じさせるような開閉音が鳴った後、昨日と同じ光景が目の前に広がった。
そう、同じ光景だ。廊下の光で少しは見えるようになってはいるものの、相も変わらずその部屋は真っ暗だった。
というのも、間取り自体、潤が先程まで居た部屋と何ら変わりないため、その部屋には窓が存在するはずなのだ。
しかし、そこにあった窓は、木の板に杭をされ一切合切の光を遮断しており、その割には熱気が籠って蒸し暑いという最悪の場所であった。
「ここもか……」
本当であればその様相と蒸し暑さで一歩引きたいところなのだが、好奇心には勝てず、そのまま一歩をさらに踏み出すことになる。
少し辺りを見て、やはり部屋には棚以外何も無いことを確認する。
目の前の棚に視線を配れば、一つの扉が付いていて、中の様子が伺えないようになっている。
ますますミステリアスさを増し、潤の額には嫌な汗が浮かんだ。肝だけが冷えていく。
「……ここまで来たら、見ねえってのはないよな。」
嫌な予感を振り切り、その好奇心にも似た覚悟で、扉を開いた。
……しかし。意外にもそこにあったのはただの紙切れ一枚。
パッと見何も書いていない紙がひらりとそこにただあるだけだった。
「なんだ…?紙?こんな仰々しく飾っておいてなんなんだ…。」
拍子抜け、といった表情を見せた潤。
しかし、突然潤の頭に鋭い少量の電撃を流し込まれたかのような衝撃と痛みが走る。
痛みに頭を押さえて一歩後ずさった潤の脳裏に一言言葉が浮かんだ。
"紙を裏返せ"
潤は途端に使命感に駆られた。その言葉が脳に直接伝えられたかと思えば、その紙を裏返さなければならないという命令が脳内で反復する。
顕著に辛さも無いが、朦朧としていてふわふわとした不思議な感覚に陥る。
「な……んだ……?」
そしてその命令通りに、いつの間にか潤の手は紙へと伸びていた。
それを、全く正しいことであるという意識が芽生えて……紙は裏返されたのだ。
その瞬間、朦朧とさせられていた意識が一瞬にして戻ってくる。
引き剥がされていた感覚が全て戻ってきて、目の前の視覚情報を必死に取り入れる。
そうすれば、裏返されていた紙に何か記載があることに気づいた。
その記述は、顔を近付けなくてもよく見えるほど大きく書き殴られている文字、名前だった。
その名前は────
その、名前を目にすれば───
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……ん…。」
潤の意識は、不意に覚醒した。
目を開けばそこは真っ暗で、未だ瞼が降りてしまっていると錯覚してしまうほどだった。
だが、目を擦り、目が慣れてくるとそこが完全な暗闇ではないことが明らかになる。
そこはどうやら広めの部屋のようで、紫の光と装飾が怪しさ満点の雰囲気を漂わせており、占い師や、そのようなオカルティックな印象を受けた。
「……っ…!?どこだ……ここ!?…彩羽!!」
潤がそのように声を出せば、その声は暗闇へと消えていった。
反響が少なく、本当にどこかの部屋の真ん中に取り残されてしまったような感覚に陥る。
「とにかく出ないと……さっきの部屋…じゃ、ないよな。」
せめてリターンのアジトのどこかしらの部屋であって欲しいとそう願う。
そう思いながら前に手をつき、壁や扉を探す。
しかし、先に働いたのは潤の目ではなく、耳であった。
わりかし近いところから、大きく子供や犬がドタバタと暴れるような物音が聞こえてくる。
それ以外の一切が無音で不安感を煽りながら音が近付いてきたと思えば、視界の端に、その音の正体がハッキリと映った。
光を全て飲み込みそうな程の黒髪をした少女。
彼女は顔に複数の痛々しい古傷を付け、何より黒髪からは犬のような耳を生やしていた。
そして、何より恐ろしいのは、こちらに構えられた手に長く鋭い爪、半開きになった口から鋭い八重歯を生やしていることだ。
凡そ人間らしいが、しかしところどころが人間ではない。
恐らく、妖なのだ。
ふと、指名手配のように並べられた貼り紙を潤は思い出す。
あの中にはこのような姿の人物は居なかったが、人間に近しい化け物ほどヤバいというのは彩羽から聞いていた。
あれが、これに該当するのであれば、と余計なことを考えたことにより、余計に足がすくみ上がってしまった。
「ばっ……化け物…妖か…?なんでこんなとこに…!!」
咄嗟に出たその一言に、目の前の妖は耳を傾け、チッと舌打ちを零した。
「てめぇに何言われる筋合いもねーよ……どうやら、死にたいらしいなクソ野郎。」
蛇に睨まれた蛙の意味が今であれば存分に理解出来る。
見た目だけで言うのであれば磯女よりも遥かにマシであるはずなのに、威圧感と覇気は明らかにこちらの方が上であった。
ぎり、と歯を食いしばり、退路を探す。
まさか、相手にすることなど出来るわけもない。傷口が開いてしまう心配などしてもいられないだろう。
「逃がすかよ。てめぇが何もんなのか、こっちは何一つとして聞かされちゃいねぇんだわ。ただでさえイラついてるとこにてめぇみてえなやつが来て、正直我慢なんねぇんだよ。」
「はあ……?俺はなんでここに居るのかも分かんねえんだよ…起きたらここに──」
「問答無用だよ。」
不意に駆け出してきた妖、突進のように見えたその攻撃を、潤は一度横にズレて回避する。
「埒があかねぇ…話通じねえのか…?ぐっ……!?」
しかし、更に成長したように爪が伸びた妖は、潤の方に方向転換し狙いを定めて、足を掠めた。
少量だが鮮血が飛び散り、思わず体勢を崩す。
潤は膝をついて痛みに耐えながら、困惑と恐怖を顔に滲ませた。
しかしそんな様子を見て、妖も怪訝な表情を見せる。
「…てめぇ。なんか奥の手あんだろ?弱すぎる。変にもったいぶったりしてっと死ぬぞ。私にカマかけんのなんて10億年はえーよ。」
長く変形した爪は、潤の目の前に突きつけられ、向こうが少しでも力を入れれば頭を貫通、脳髄を晒して死亡する直前であった。
「…馬鹿にしてんのか、それともマジなのか分からないな。ともかく命乞いのチャンスをくれ。俺は彩羽見つけてこんなとこで死ぬ訳にはいかねぇんだ。今日約束もしてるしな……」
「はぁ?彩羽?んであのクソ女の名前がここで出んだよ?あぁ?」
「なんだと…?」
彩羽を侮辱するようなその言い草に、状況が状況だと言うのに潤のこめかみに青筋が浮かんだ。
決断力が鈍り、妖を真っ直ぐと見据える。
「撤回しろ……誰の妹バカにしてんのか思い知らせてやる、化け物。」
「……妹…あぁ……クソ。そういう事かよ。こんな時期に来んなよ。」
潤が敵意を向けた瞬間、意外にも目の前の妖は爪をすっと引っ込めたかと思うと、潤に背を向けた。
そして、奥の椅子に偉そうに大きく脚を開いて座った。
頬杖を付いて潤を見下すその目と表情、足で地面をトントンと一定のリズムで踏むその仕草全てが、彼女のイラつきを優に表していた。
「……は?」
今度は敵意を剥き出しにしている者が簡単に逆転してしまい、潤はその様子と状況に、一言で最大限遺憾を示すのだ。




