第9話:『さようなら、沈みゆく泥船の王太子殿下』
アルテマ王国の最果て、かつては魔物と荒野しかないと蔑まれた『ロスタール辺境領』。
ですが今、帝国の国境と接するその地は、大陸中のどの都市よりも眩い光を放っていました。
白亜の建物が立ち並び、魔法銀で舗装された並木道が伸びる。空には荷を満載した帝国の魔導船が行き交い、港には世界中の商船が、私への謁見を求めて列をなしています。
数年前から極秘に進めていた『辺境開発』――王国の方々が私の予算案を『無駄遣い』と一蹴してくださったおかげで、浮いた私費をすべて注ぎ込めた、私の『金融特区』ですわ。
その都の正門。私が視察に立つと、衛兵に縋りつく、みすぼらしい身なりの一団がございました。
絹であったはずの上着は泥に汚れ、宝石を売り払った指輪の跡だけが白く残る、かつての貴族たち。
その先頭で地に額をつけているのは――見覚えのある顔でした。
「エ、エレノラ様……っ! お久しゅうございます。デルフォード伯爵にございます。どうか、どうかこの都へ、入城のお許しを……っ!」
デルフォード伯爵。
卒業パーティーの夜、私を『氷の令嬢』『没落した傲慢女』と、誰よりも大きな声で嗤った男です。
「あら、伯爵。あの夜、私を見て『王太子の寵愛を失えばただの女だ』と仰っていた方が、わざわざこんな辺境の門まで。……足をお運びいただいて、光栄ですわ」
「あ、あれは……っ! あれは座興でございました! どうかお忘れを……っ! 帝国の通貨さえ、わずかでもお恵みいただければ、私は、私はなんでも――」
「おやめなさい」
私は、扇を一つ、ぱちりと閉じました。その音だけで、伯爵の言葉は止まります。
「この都に入って良いのは、自らの『価値』を数字で証明できる者だけですわ。伯爵、あなたはこの都に何を差し出せまして? 領地はもう帝国の管理下、商才もなく、信用もない。……『元・伯爵』という、額面ゼロの肩書きだけでしょう?」
「そ、それは……っ」
「私、慈善事業はいたしませんの。あの夜、私を嗤ったあなた方が教えてくださったことですわ。――『価値のない者に手を差し伸べても、一銭にもならない』と。……ご自身の言葉、よく覚えていらっしゃいまして?」
伯爵は、声もなくその場に崩れ落ちました。
私は衛兵に短く告げます。
「お引き取りいただきなさい。……この黄金の都に、過去に不敬を働いた者の居場所は、一平方インチもございませんの」
――その頃、アルテマ王国の王宮。
薪を買う金もなく冷え切った部屋の隅で、セドリック殿下とリリアナ様が、醜く罵り合っていました。
「貴様のせいだ、リリアナ! 貴様の肖像権を売る契約に私がサインしたせいで、街中の見世物小屋にお前の絵が貼り出されているのだぞ!」
「わたくしは知らないわ! サインしたのはあなたでしょう!? あなたが無能だから、エレノラ様に逃げられたのよ!」
かつての『真実の愛』は、飢えと寒さの前に、責任の擦り付け合いへと成り果てていました。
そこへ、ボロボロの伝令が転がり込みます。
「で、殿下! 凶報です……っ! 帝国の辺境に、エレノラ様の『黄金の都』が完成し、我が国の民が、数万人規模で国境を越えて逃げ出しております! さらにベルグ王国の軍勢が、王都間近まで……っ!」
セドリック殿下の膝が、崩れ落ちました。
かつて『冷酷な女』と呼んで追い出した少女の背中が、今や一国の存亡を左右するほど巨大であったことに、彼はようやく気づいたのです。
窓の外、遥か北の空に、黄金の都の灯りが眩く瞬いています。
その光に向かって、セドリック殿下は血を吐くように叫びました。
「エレノラァッ! 戻ってこい、頼む、謝るから……っ!」
ですがその叫びは、夜風にかき消され、誰の元にも届きません。
……さようなら、セドリック殿下。
あなたは最後まで、『価値』というものの意味を理解できませんでしたわね。
泥船は、もう沈むだけ。私は新しい世界の門の前で、あなたたちの最後を見届けさせていただきますわ。
第9話、お読みいただきありがとうございます。
今回は、エレノラを嗤った伯爵が「黄金の都」の門前に跪く回。遠くから眺めるのではなく、かつての侮辱を本人に突き返す――その「見返し」の手触りを込めました。
「価値のない者に手を差し伸べても一銭にもならない」。伯爵自身の言葉が、伯爵自身に返っていく皮肉、味わっていただけましたか?
「泥船」を捨て、真の女王として君臨し始めたエレノラ。
ですが彼女の清算は、まだ終わりではありません。続きを読みたい方は、ぜひ【ブックマーク】をお願いいたします!
次回、第10話は『一晩でゴミと化した王国の通貨』。
エレノラが、大陸中の商人たちの前で、ある「布告」を読み上げます。
どうぞお楽しみに!




