第9話:『さようなら、沈みゆく泥船の王太子殿下』
アルテマ王国の最果て、かつては魔物と荒野以外には何もないと蔑まれていた『ロスタール辺境領』。
ですが、帝国の国境と接するその場所は今、大陸中のどの都市よりも眩い光を放っていました。
私が帝国の皇帝アラリック様と共に馬車を降りると、そこには見渡す限りの白亜の建物と、魔法銀で舗装された美しい並木道が広がっていました。
空には、帝国の最新鋭魔導船が荷物を満載して行き交い、港には世界中の商船が、私への謁見を求めて列をなしています。
「……ふん。エレノラ、君が数年前から極秘に進めていた『辺境開発』、これほどまでの規模だったとはな。帝国としても、この都市を無視するわけにはいかなくなったぞ」
アラリック様が、感心したように街を見渡します。
私は、シエルが差し出した日傘を受け取り、優雅に微笑みました。
「あら、陛下。王国にいた頃、あの方々が私の予算案を『無駄遣い』だと一蹴してくださったおかげで、浮いた私費をすべてこちらに注ぎ込むことができましたの。……彼らが『不毛の地』だと思い込んでいたこの場所は、今や大陸最大の『金融特区』ですわ」
この都市には、王国の古臭い法も、重税も、無能な貴族の横槍も存在しません。
あるのは、私が定めた『契約』と『信用』という名の絶対的な法だけです。
「お嬢様、王国側から入国を求める者が後を絶ちません。騎士、文官、そして……かつてお嬢様を『悪役令嬢』と呼んだ貴族たちです」
シエルが、冷徹な口調で報告します。
私は、手にした扇をぱたりと閉じました。
「……追い返しなさい。私の国に入って良いのは、自らの『価値』を数字で証明できる者だけですわ。過去に不敬を働いた者たちの居場所など、この黄金の都には一平方インチもございません」
一方、その頃。
アルテマ王国の王宮では、耐え難いほどの沈黙と、絶望が渦巻いていました。
「……セドリック様。わたくし、どうすればいいの? もう、お腹が空いて動けないわ……」
リリアナ様が、薄汚れたドレスを握りしめ、冷え切った部屋の隅で震えていました。
王宮の給仕たちは全員去り、薪を買う金すらない王室では、かつての栄華など見る影もありません。
そこへ、セドリック殿下が、顔を真っ赤にして怒鳴り込んできました。
「リリアナ! 貴様のせいだ! 貴様が『肖像権』とやらを売る契約に私がサインしたせいで、街中の見世物小屋にお前の絵が張り出されている! 『国を滅ぼした偽聖女』と笑い者にされているんだぞ!」
「ひっ……! わ、わたくしは知らないわ! セドリック様がサインしたんでしょう!? あなたが無能だから、エレノラ様に逃げられたんじゃないの!」
「なんだと……っ! 貴様、この私に向かって!」
かつての『真実の愛』は、今や醜い責任の擦り付け合いへと成り下がっていました。
二人の愛には、飢えと寒さを凌ぐほどの強度はなかったようですわね。
そこへ、ボロボロの正装に身を包んだ伝令が駆け込んできました。
「で、殿下! 吉報……いえ、凶報です! 帝国の辺境に、エレノラ様が築かれた『新都市』が完成したとの情報が……! そこには溢れんばかりの食料と金があり、我が国の民が……数万人規模で、国境を越えて逃げ出しております!」
「……何だと? エレノラが、そんな都市を作っていた……?」
「さらに、ベルグ王国の軍勢が王都の間近まで迫っております! ……彼らは、こう叫んでおります! 『エレノラ様の借金を返さない王族を、我々が代わりに処刑してやる』と!」
セドリック殿下の膝が、ついに崩れ落ちました。
彼がかつて『冷酷な女』と呼び、追い出した少女。
その少女の背中が、今や一国の存亡を左右するほど巨大で、あまりに遠い存在になっていることに、彼はようやく気づいたのです。
窓の外を見れば、遥か遠く、北の空には眩いほどの光を放つ魔導船の灯りが見えます。
それは、エレノラがいる『黄金の都』の輝き。
セドリック殿下は、その光を縋るように見つめ、血を吐くような声で叫びました。
「エレノラァッ! 戻ってこい! 頼む、謝るから……っ! 君がいないと、私は……私は……!」
その叫びは、夜の風にかき消され、誰の元にも届くことはありませんでした。
……さようなら、セドリック殿下。
あなたは最後まで、『価値』というものの本当の意味を理解できませんでしたわね。
泥船は、もう沈むだけ。
わたくしは、新しい世界の玉座で、あなたたちの最後を――「数字」として、見届けさせていただきますわ。
第9話、お読みいただきありがとうございます。
ついに「黄金の都」と、崩壊する王宮のコントラストが描かれました。
かつての愛が「醜い罵り合い」に変わる瞬間……まさに絶望の解像度を上げた描写、楽しんでいただけましたか?
「泥船」を捨て、真の女王として君臨し始めたエレノラ。
ですが、彼女の復讐はまだ終わりではありません。
「社会的抹殺」の仕上げ、そして皇帝アラリックとの契約の「先」を読みたい方は、ぜひ【ブックマーク】をお願いいたします!
あなたの応援が、王都を包む炎をさらに赤く染めることでしょう。
次回、第10話は『一晩でゴミと化した王国の通貨』。
経済崩壊の極致、紙屑を抱えて泣き喚く貴族たちの姿をお届けします。
どうぞお楽しみに!




