第65話:『銅線の銅は、三年前のうちに買い占めておりますの』
夕刻、荷馬車は約束どおり広場に着きました。
黄金の都の備蓄倉庫から、パンと乾燥豆と薪炭を積んだ荷馬車が十二台。並んだ順に渡す、と申しましたので、人々は本当に並びましたの。押し合いも怒鳴り声もございません。飢えた街の列というのは、静かなものですわ。
シエルは荷台の脇に小机を据えて、渡した包みの数だけ正の字を書いておりました。名簿は取らないと申しましたけれど、数は取りますの。今日この広場に何世帯が来たかは、明日の査定の最初の数字になりますもの。夕暮れまでに正の字は二百を超えました。
その最後の一台から、黒髪の青年が飛び降りてまいりました。
「よう皇妃様。呼ばれてねえのに来たぜ」
「あら。ショウ様。宇宙の技術最高責任者が、荷馬車の御者台に」
「帝都で聞いたんだよ。皇妃が電気の通ってねえ街に行ったって。……俺は灯りのねえ街ってのが、この世でいちばん嫌いなんだ」
ショウ様は肩の鞄から図面を引き出して、荷馬車の荷台に広げました。黄金の都の発電所から国境を越えて、この街まで一本の線。
「電線だ。銅線を引く。半日の距離なら、電柱二百本で足りる。発電所の余力は俺が知ってる。……今度こそ先回りできねえぜ。なんせこの街には、銅の一本もねえんだからな」
「そうですわね。この街には」
わたくしは、扇で図面の一点を指しました。街の北、小さな丘。
「この丘の下の銅山。採掘権は、三年前にロスタール商会が買っておりますの。黄金の都の配線に使う銅を、外から買うより安かったものですから」
「……は?」
「ですから、ショウ様の銅線一本につき、銅の代金という名の配当が――」
「言うな! その先は聞き飽きた!」
ショウ様は荷台に突っ伏しました。列に並んだ人々が、何事かと振り返ります。
わたくしは、少しだけ笑いました。それから扇を閉じて、真面目に申し上げましたの。
「ただし、ショウ様。銅はございますけれど、電柱二百本ぶんの予算はまだございませんわ。この街への支出は、査定が済むまで一銅貨も動かさないと決めておりますの」
「じゃあ、俺の持ち出しだ」
ショウ様は顔を上げて、こともなげに言いました。
「CTOの給料、宇宙一なんだろ。あんたが払ってんだから知ってるよな。……電柱くらい、自分で立てる」
わたくしは、答えませんでした。扇を開いて、口元を隠しましたの。こういうときに開く扇は、隠すためではございません。
夜になりました。
この街の夜は、本当に暗いのですわ。石畳の継ぎ目は雑草で持ち上がり、崩れた壁の石は誰も運び出さずに道の端へ積まれたまま。黄金の都の空は電球で白く濁っておりますけれど、ここでは星が見えます。星が見える街は、貧しい街ですの。
わたくしはアラリック様と、広場から帳場まで歩きました。馬車を使わなかったのは、この街の石畳を一度、自分の足で踏んでおきたかったからですわ。三年前、わたくしはこの街を馬車の窓からしか見ておりませんでしたもの。
角を曲がったところで、蝋燭の灯りが途切れました。
「エレノラ」
アラリック様が、わたくしの手を取られました。剣を握る手ですわ。硬くて、温かい。
「灯りがないなら、これで足りるだろう」
「……道案内としては、少し大きな手ですわね」
「文句を言うな。閉じた時間を数えているところだ」
わたくしは、帳簿を持っておりませんでした。今日は一度も開いておりません。荷馬車と広場とショウ様で、数字を書く暇がございませんでしたの。
「今日は、何分ですの」
「十二分だ。角を曲がってからここまで。……お前が帳簿のことを考えていなかった顔をしていた時間だけ、数えている」
「あら。顔で数える計器は、精度に問題がございましてよ」
「私の精度だ。妻の顔なら、宇宙でいちばん正確に読める」
わたくしは、その先を言い返しませんでした。言い返さない時間も、たぶん数えられておりましたわ。
帳場の手前で、老いた女が一人、わたくしたちを待っておりました。荷馬車の列で見た顔ですわ。パンの包みを胸に抱えたまま、もう片方の手で紙を一枚差し出してまいりました。
「あんたに、見せておこうと思って」
王国債。額面、金貨一枚。褪せた紙に王家の印章が押され、その下に印刷された署名が一行。
ロスタール公爵令嬢、エレノラ。
「うちの人が死んだときの見舞金で、これを三枚買ったんだ。王家なんか信じちゃいない。あんたの名前だから、買ったんだよ」
わたくしは紙を受け取って、署名を指でなぞりました。印刷ですわ。王国が、わたくしの許しも得ずに刷った署名。ですが、わたくしが引き抜いたのも、この署名ですの。
「……ええ。わたくしの名前ですわ」
それ以外に言葉はございませんでした。老女は紙を取り返して、パンと一緒に胸に抱えて、帰っていきました。
帳場に戻ると、シエルが綴りを開いて待っておりました。
「お嬢様。王国債の発行原簿について、帝国の接収記録を確認いたしました」
「それで」
「旧財務省の火事で焼失、と記録にはございます」
記録には、ね。わたくしは扇を閉じました。燃えた帳簿ほど、都合の良いものはございませんもの。
老女が差し出した一枚に胸が詰まった方へ。【評価】の★は、この街の灯り一つぶんですわ。
次回、第66話『財務卿。あなたの帳簿は、まだ生きていらして?』。
役場の奥に、わたくしの予算案を破った老人が座っております。




