第61話:番外編『陛下。あなたという「個人資産」、生涯にわたって黒字を計上していただきますわよ?』
全次元・完全完結、誠にありがとうございました。
本編のその後――新婚一月目の「決算」を、ほんの少しだけ。
エレノラ様の帳簿は、今日も一点の曇りもございませんわ。
全次元統合より、ひと月。
わたくし――エレノラ・フォン・ロスタール。いえ、今は皇妃エレノラと申し上げるべきかしら――の一日は、決算から始まりますの。
執務室の窓の外では、かつて「魔法」と呼ばれた虚飾の代わりに、人々が自らの手で積み上げた実体ある営みが、星々の間にまで広がっておりました。
わたくしは扇を、パチン、と閉じました。
その乾いた音が、整然と並んだ帳簿の背表紙の間に、心地よく響きます。
「シエル。新婚一月目の、統合決算ですわ。読み上げてくださる?」
「……はい、お嬢様。いえ、皇妃陛下」
侍女シエルが、相変わらずの事務的な声で、書類を繰りました。
「……まず、不良在庫の処理状況。元王子セドリック、および元聖女候補リリアナ。下水清掃部門、本日も無断欠勤ゼロ。……ただし作業効率は依然として最低値を更新中。過失利益の返済完了まで、試算で残り二百九十九年と十一ヶ月ですわ。……なお、レガリア元女帝の鍬振りも、目標耕作面積に対して順調に未達ですわ」
「あら。ひと月で、きっちりひと月ぶん減りましたのね。……勤勉なこと。労働とは、かくも人を誠実にいたしますのね」
わたくしは満足げに、次の頁をめくらせました。
復讐は、もうとっくに終わっております。今のわたくしの帳簿には、あの者たちのような「負債」を書き込む余白すら、残っておりませんもの。
「それから――技術顧問のショウ様が、また『新しい奇跡』を持ち込んでいらっしゃいましたわ」
「……あの方、まだ懲りていらっしゃらないの?」
言い終わるより早く、執務室の扉が、無遠慮に開け放たれました。
黒髪の青年――かつて『発明王』を名乗り、火薬の配合を一昨日のうちに特許で押さえられた、転生者ショウですわ。
「よう、皇妃様。今日こそ俺の勝ちだぜ。聞いて驚け――『蒸気機関』だ。馬も魔法もいらねえ。水と火さえありゃ、全次元の物流が十倍速になる。さすがのあんたも、もう先回りはできねえだろ。なんせ昨日思いついたばかりだからな!」
ショウが、得意げに武骨な鉄の図面を広げました。
まあ、相変わらず、お元気なこと。
「あら、ショウ様。素敵な発想ですわ。……ところで、その蒸気をお沸かしになる『燃料』。大陸の――いえ、全次元の石炭鉱区の採掘権は、先々月のうちに、わたくしの商会が九割九分、買い占めておりますの」
「……は?」
「ですから、ショウ様の蒸気機関が一台動くたび、燃料代という名の『配当』が、自動的にわたくしの帳簿へ流れ込んでまいりますのよ。……どうぞ、存分に発明なさって? あなたが優秀であればあるほど、わたくしが、黒字になりますわ」
ショウが、がっくりと、その場に膝をつきました。
「……くそッ……地球の技術で、地球の資本主義に負けるとか……どういう因果だよ……」
「ふふ。ようこそ、わたくしの経済圏へ。……次の発明も、楽しみにしておりますわよ。わたくしの、優秀な『集金装置』さん」
「集金装置て言うな!」
シエルが、無言で、ショウの背を押して退室させていきます。
彼の「地球知識無双」は、この経済圏では、いつだって最高の利回りを生む優良投資先ですの。本人の意思とは、無関係に。
さて。
わたくしが、ふと顔を上げますと――いつのまにか、窓辺に、一人の男性が立っておりました。
ドラクロワ皇帝。いえ、今は共同統治者アラリック様。
あの白銀の波に記憶を洗われ、それでもなお、わたくしを思い出してくださった、わたくしの唯一の「計測不能な資産」ですわ。
「根を詰めているな、エレノラ。新婚の妻が、初月から徹夜の決算とは」
「あら。怠けて赤字を出すより、よほど健全ですわ。……それに、いちばん大切な監査が、まだ一件、残っておりますの」
「ほう。何を監査する」
わたくしは席を立ち、彼の元へ、ゆっくりと歩み寄りました。
扇を、もう一度、パチン、と閉じて。
「あなたですわ、陛下」
「……私を?」
「ええ。わたくしの『個人資産』のうち、唯一、誰に許可も取らず、勝手に複利で増え続けている項目。……愛、という名の、ね。本日の評価額を、確認させていただこうと思って」
アラリック様が、低く笑われました。
そして――あの戴冠の日以上に深く、熱く、わたくしの手の甲に、誓いの口づけを落とすのです。
「で。監査の結果は」
「……計測不能、ですわ」
わたくしは、ほんの少しだけ、視線を逸らしました。
「桁が、足りませんもの。わたくしの帳簿の、どの欄に書いても」
わたくしは、心の中の帳簿に、新しい一行を書き加えました。
――新婚一月目。純利益、計測不能。
不条理を買い叩き、絶望を資源に変え、神すらも監査の対象としてきたわたくしですけれど。
この方の隣で計上する「しあわせ」にだけは、いまだに、適正な評価額がつけられませんの。
……まあ、よろしいですわ。
値のつけられない資産こそ、生涯をかけて、ゆっくりと、何度でも、監査してまいりましょう。
わたくしは扇を開き、口元の、隠しきれない微笑みを、そっと隠しました。
「準備は、すべて整っておりますわ。……これから始まる、永い永い決算期も。……どうぞ、よろしくお願いいたしますわよ。陛下」
番外編、お読みいただきありがとうございました。
本編完結後、新婚一月目の「決算」でございました。
エレノラ様の不敵さも、ショウ様の(報われない)地球知識無双も、相変わらずでございますわね。
値のつけられない資産を、生涯かけて監査していく――そんなお二人の「黒字」の続きを、これからも見守っていただけましたら幸いですわ。
「この二人のその後を、もう少し読みたい」と思ってくださいましたら、【ブックマーク】や【評価】で、次の物語の『資本』をいただけますと、朝比奈ミナにとって何よりの配当となりますの。




