第15話:『無能な伝統に支払う予算(コスト)は、一銅貨たりともございませんの』
ヴァレリウス大公と『取引』を交わしたあの日から、帝都の空気は一変いたしました。
帝国最強の武人が、潰されるのではなく、私と手を組んで国防会計の下に入った。その報せは、伝統を誇る貴族たちにとって、剣で脅されるよりもよほど恐ろしい報せだったようです。
ですが――大公のように、賢く膝を折る者ばかりではございませんわ。
シエルが率いる調査チームが隠し口座や資産逃避を摘み取っていく一方で、中堅貴族たちは屋敷に閉じこもるのをやめ、ある日、徒党を組んで帝国議会の議場に集結したのです。
本日、私はアラリック陛下と共に、その帝国議会の演台に立っておりました。
「異議あり! エレノラ顧問、あなたの提案はあまりに急進的だ! 我ら伯爵家が代々受け継いできた『森林採伐権』を国庫に返還するなど、言語道断! これは帝国憲法第九条、貴族財産不可侵の条項に反する略奪だ!」
声を荒らげたのは、中堅貴族のリーダー格、ロドリゲス伯爵ですわ。
彼は王国の貴族のように一人で吠えるのではなく、あらかじめ法典を手に、条文を突きつけてきました。周りに控える十数人の貴族たちも、我が意を得たりとばかりに机を叩いて同調します。
「左様だ! 大公は取り込まれたかもしれんが、我ら議会は数で勝る! 顧問、あなたの査定とやらは、議会の三分の二の同意なくして執行できぬはず。それが帝国の法だ! 女一人の独断で、帝国の法が曲げられてたまるか!」
あら。……感心いたしましたわ。
剣ではなく、法と数で来る。王国の貴族たちより、よほど賢い戦い方ですこと。
私はゆっくりと扇を開き、彼らの罵声を涼やかな風として受け流しました。
「略奪、ですって? 伯爵、言葉には気をつけなさいな。……わたくしが行っているのは、単なる『契約の正常化』ですわ」
「何が正常化だ! 採伐権は帝国憲法に保障された我が家の正当な権利だ!」
「ええ、百年前の契約書にはそう記されておりますわね。……ですが伯爵、その対価として貴家が義務付けられていた『帝都への防衛木材の無償提供』。ここ三十年、一度も履行されておりませんわ。……シエル、未納分の市場価値を計算して」
シエルが、指先で計算機を弾くような速度で書類を提示します。
「はい。未納分およびその延滞利息を現在の市場価値に換算いたしますと、金貨一万二千枚。……伯爵家の現在の総資産を三倍にしても足りませんわね」
議場が、一瞬で凍りつきました。
ロドリゲス伯爵の顔が、怒りで赤かったのが、一気に土を被せたように灰色に変わります。
「な、何を馬鹿な……。そんな昔の話を今さら……!」
「あら。権利は永久に不滅で、義務は時効で消えるとお思い? ……そんな虫の良い帳簿、わたくしの世界には存在いたしませんの。ついでに申し上げれば、憲法第九条の財産不可侵は、『適法に取得した財産』にのみ適用されますわ。三十年、義務を踏み倒して得た利得は、はたして適法かしら?」
私は演台の上から、議場に並ぶ貴族たちを、冷徹な瞳で見下ろしました。
「皆様、勘違いなさらないで。わたくしは皆様の『伝統』に一銅貨の価値も認めておりませんわ。……帝国が支払うべきは、未来を創る『投資』であって、過去の遺産に寄生する『維持費』ではございませんの」
私はアラリック陛下に目配せをしました。
陛下は愉悦に満ちた笑みを浮かべ、重厚な声を響かせます。
「議会の三分の二、か。よかろう。ならば教えてやる。ヴァレリウス大公家、および大公と国防会計を共にする北方五領――合わせて議席の三分の一が、すでにエレノラ顧問の査定に同意しておる。残る貴様らが束になっても、否決には届かぬ。……エレノラ顧問の査定に従わぬ者は、即刻、債務不履行による『爵位の公売』に掛けることを許可する」
悲鳴に近いどよめきが議場を支配しました。
大公を味方につけた時点で、議会の数の理屈は、すでに私の側に傾いていたのです。彼らは法で来た。ですが、その法を動かす『票』を、私は三日前の取引で押さえておりました。
「……ま、待ってください、陛下! エレノラ様、どうか……! 我々にも再建のチャンスを!」
「チャンス? ええ、差し上げますわ。……ただし、これからはわたくしが定めた『帝国会計基準』に従っていただきます」
ロドリゲス伯爵は、がくりと膝から崩れ落ちました。
――ですが、その時。彼の唇の端が、絶望の中でわずかに歪んだのを、私は見逃しませんでした。
「……ふん。今日のところは、従いましょう。ですが顧問殿。あなたの数字が支配できるのは、この『大陸のルール』の中だけだ。……そのルールごと、外から吹き飛ばす力があるとしたら、あなたの帳簿は、どうなさる?」
捨て台詞にしては、妙に含みのある言葉でしたわ。
私は扇を閉じ、崩れた伯爵の背後――彼が今朝、誰かと密会していたであろう議場の裏口へと、視線を送りました。
帝国議会は、実質的に私の支配下に置かれました。
武力でも魔法でもなく、ただの『数字』によって、帝国の骨組みが作り変えられていく。
……けれど、伯爵が最後に残した「外から吹き飛ばす力」という一言が、小さな棘のように、私の胸に刺さって残りました。
その頃。
帝都のスラムの地下では、あの謁見の間を抜け出した貴族が、一人の青年に頭を下げておりました。
異世界の奇妙な図面を広げ、黒い火薬の匂いを纏った、転生者ショウ。
「ご安心を、ショウ殿。伯爵も、他の同志も、資金は用意する。……あの女の『経済』とやらを、あなたの『現代兵器』で吹き飛ばしていただきたい」
「へえ。数字で威張ってる令嬢、ねえ」
ショウは、不敵な笑みを浮かべ、黒い粉を指先で弄びました。
「いいぜ。中世のルールなんざ、俺の火薬の前じゃ紙屑だ。……そのお貴族様、拝んでおくといい。じきに世界の『ルール』が書き換わるからよ」
第15話、お読みいただきありがとうございます。
「伝統に支払う予算はありませんわ」
エレノラ様の容赦ない一言で、帝国貴族たちは実質的な「給料制のサラリーマン」へと格下げされましたわね。
ですが、物語はここからさらに複雑に絡み合います。
ついに現れた第二の転生者、ショウ。
彼はエレノラの「経済支配」に対し、どのような「現代兵器」で対抗しようというのでしょうか?
そして、その裏で暗躍するリリアナの姿も……。
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皆様の応援が、エレノラ様の「特許権の刃」を研ぎ澄ます力になりますの。
次回、第16話は『隣国の「発明王」サマ。その火薬の配合、すでに私の特許ですわよ?』。
知略と技術、どちらが世界を制するのか……どうぞお楽しみに!




