第11話:『辺境の不毛の地? いえ、ここは私の「新帝国」ですわ』
一月前まで、この国で最も神聖とされた王宮の、玉座の間。
略奪に壁飾りは引き剥がされ、ステンドグラスは砕け、隙間風が吹き抜けています。その冷たい床に、泥にまみれた二人の男女が膝をついていました。
セドリック殿下と、リリアナ様。
かつて卒業パーティーで断罪劇の主役を演じた二人が、今や罪人のように、私の足音を待っています。
規則正しい軍靴の響きと共に、扉が開かれました。
帝国の精鋭騎士に左右を固められ、その中央を、汚れ一つないドレスで私が歩んでいきます。あの夜、扇を閉じた音から始まった物語に、今、私自身の足で幕を引くために。
「……エレノラ」
セドリック殿下が、ひび割れた声で私の名を呼びました。その瞳に宿るのは、救いを求める浅ましい期待。
「戻ってきてくれたのか……。そうだ、君ならこの状況をどうにかできる。財務を立て直し、暴徒を鎮め……ああ、君を追放したのは間違いだった! 謝る、何度でも謝る、だからまた私を支えてくれ!」
私は、彼の数歩手前で足を止め、扇を優雅に広げました。そして、心底から不思議そうに、首を傾げてみせます。
「あら、殿下。お言葉ですが、わたくしは『ボランティア』ではございませんのよ? 一度損切りした不良債権を、わざわざ買い戻す投資家が、どこにいて?」
「投資家……? 何の話だ! 私は王子だぞ、君が愛した婚約者ではないか!」
「いいえ」
私は、あの夜と同じ角度で、扇の先を彼へ向けました。
「あなたは、わたくしに金貨三万枚の負債を負わせたまま逃亡し、挙句に国家を破産させた、ただの『無能な経営者』。……婚約破棄を宣言なさったのは、殿下、あなたですわ。わたくしはただ、その日付で『契約の解除』に応じただけ。一括返済をお願いしたあの夜から、すべては帳簿通りに進んだだけですのよ」
セドリック殿下は絶句し、魚のように口をぱくつかせました。
すると、その隣で伏せっていたリリアナ様が、突然、狂ったように叫びました。
「待ちなさいよ……っ! エレノラ様、あなた、わたくしが誰だか分かっているの!? わたくしは、この世界の住人じゃないのよ! 別の世界から来たの! あちらには、この世界にはない素晴らしい知識が溢れて――」
「ええ。存じておりますわ」
私は、彼女の言葉を、静かな一言で遮りました。
リリアナ様の目が、見開かれます。
「……え?」
「あなたが、ここではないどこかから来たこと。出会ったあの頃から、察しておりましたわ。原価も、暦も、人の世の道理も知らぬまま、結果の甘い実だけを当たり前に語る。レシピの切れ端だけを、どこかから盗んできたような知識。……ええ、第四話のあの席で、いずれ出処を伺いたいと申し上げたでしょう?」
「な……っ、なんで、そんな……」
「申し上げましたわよね、リリアナ様。あなたの『未来の知識』が本物なら――どうして、自分が飢えるという未来を、ただの一度も予見できなかったのかしら?」
リリアナ様の顔が、真っ白に凍りつきました。
「知識とは、富を生み、それを守るためにあるもの。他人の財布を空にして、自分も泥を啜る。それが、あなたの世界の『知性』ですの? ……わたくし、ずっと不思議でしたのよ。せっかく『答え』を知って生まれてきた方が、なぜ、こうも見事に身を滅ぼせるのか」
「ちが……っ、わたくしは、ヒロインで……っ」
「物語の主役は、舞台の上で一番賢く立ち回った者がいただくものですわ。配役で決まるのではございませんの」
私は、リリアナ様から視線を外しました。それ以上、言葉を費やす価値もない、ただの『誤算した投資先』として。
「陛下。……清算の書類を」
背後のアラリック様が、無言で一枚の羊皮紙を差し出します。
ドラクロワ帝国がアルテマ王国の全債務を肩代わりし、引き換えに王国の全主権と不動産を買い取った、その売買契約書。
「セドリック殿下。この王宮は、すでにわたくしの個人所有となっておりますの。……不法占拠者にお貸しする部屋は、わたくしの帳簿には、一行たりとも計上されておりませんわ」
「な……私を、追い出すというのか……っ!?」
「いいえ。……『強制執行』と、呼んでいただきたいものですわ」
私の合図で、帝国騎士が二人の腕を掴みました。
「エレノラァッ! やめろ、離せ! 私は、私は王なのだ!」
「嘘よ、こんなの嘘よ! わたくしがヒロインのはずなのに……っ!」
見苦しい絶叫が、荒れ果てた広間に虚しく響きます。
二人はそのまま、かつて自分たちが見下していた泥濘の街角へと、放り出されていきました。
静まり返った玉座の間を、私はゆっくりと見渡しました。
無能な血統が支配する王国ではなく、知性と信用が価値を決める、私の秩序が、ここから始まります。
「お疲れ様、エレノラ。……これで満足か?」
アラリック様が、私の腰をそっと抱き寄せました。
「満足、ですって? ……いいえ、陛下。これはわたくしたちの『共同事業』の、ほんの序章に過ぎませんわ」
窓の外、朝焼けが黄金の都を照らしています。
あの夜、扇を閉じる音から始まった一括返済は、今ようやく、最後の一枚まで回収を終えました。
準備は、すべて整いましたわ。……次の頁を、めくりましょうか。
第11話、お読みいただきありがとうございます。
第1話で「金貨三万枚、今すぐ一括返済を」と突きつけたあの舌戦の、最後の決済回です。扇を閉じる音から始まった物語を、同じ扇の先で締める――そんな対の構図を込めました。
そして「転生者」のカードを切ったリリアナ様。ですがエレノラにとっては第四話で見抜いていた「誤算した投資先」でしかありませんでした。「答えを知って生まれて、なぜこうも見事に身を滅ぼせるのか」――痺れていただけましたか?
王宮を追われ、泥濘へ放り出された二人。彼らの本当の「地獄」は、これからです。
続きを見届けたい方は、ぜひ【ブックマーク】をお願いいたしますわ!
次回、第12話:『跪いて乞うが良い、金の滴一突きまでな』。
第1部の結びと、エレノラが次に見据える、もっと手強い舞台を。




