第10話:『一晩でゴミと化した王国の通貨』
アルテマ王国の中心、かつては吟遊詩人の歌声が絶えなかった噴水広場は今、地獄の底を覗き込んだような阿鼻叫喚に包まれていました。
「ふざけるな! 昨日はこの銀貨十枚でパンが買えたはずだぞ!」
「昨日の話などするな! 今は百枚積んでも足りんわ! お前の持っているその紙屑など、尻を拭く役にも立たん!」
怒号、悲鳴、そして略奪の足音。
私が去り、隣国ドラクロワ帝国が『アルテマ王国の通貨取引停止』を宣言した瞬間、この国の経済は物理的な心停止を迎えました。
人々は、昨日まで『価値がある』と信じていた金属の円盤が、ただの重いゴミに変わった現実に直面し、正気を失っていたのです。
その混乱の渦中に、一台の豪奢な、だが泥にまみれた馬車が突っ込んできました。
王家の紋章を隠すことも忘れた、セドリック殿下とリリアナ様の馬車です。
「道を開けろ! 私は王太子だぞ! 不敬であろうが!」
馬車の窓から顔を出し、セドリック殿下が叫びました。
ですが、かつてなら平伏したはずの民衆の反応は、予想だにしないものでした。
「王太子だと……? こいつだ! こいつがエレノラ様を追い出したせいで、俺たちの金がゴミになったんだ!」
「偽聖女を出せ! 奇跡でこの腹を満たしてみせろよ!」
一人が石を投げると、それは連鎖的に雨となって馬車を襲いました。
窓ガラスが砕け、リリアナ様の悲鳴が響き渡ります。
「やめて! やめてください! わたくし、聖女なのよ!? あなたたちのために、石鹸を作ってあげたじゃない!」
「石鹸など食えるか! その石鹸のせいで油が買えなくなったんだ! この疫病神め!」
暴徒と化した民衆が、馬車を取り囲み、横倒しにしようと揺さぶり始めました。
護衛の騎士たちは、自分たちの家族を救うために、すでに武器を捨てて逃亡しています。
セドリック殿下は、震えながらリリアナ様を突き飛ばし、自分だけが助かろうと反対側の扉から逃げ出そうとしました。
「わ、私は関係ない! すべてはこの女が、リリアナが私を唆したのだ!」
「セドリック様!? ひどい、愛しているとおっしゃったじゃない!」
泥の中で繰り広げられる、愛の成れの果て。
その光景を、私は帝国の黄金の都から、魔導の水晶越しに静かに見つめておりました。
「……エレノラ。あまり見ていて気持ちの良いものではないな。そろそろ、引導を渡してやったらどうだ?」
私の背後から、皇帝アラリック様が温かなブランデーのグラスを差し出してくださいました。
私はそれを受け取り、氷のように冷ややかな微笑みを浮かべました。
「あら、陛下。これは単なる復讐ではありませんわ。『市場の自浄作用』と呼んでいただきたいものです。……価値のないものが、無価値として扱われる。ただそれだけの、至極当然な帰結ですもの」
私は、手元の端末に最後の一打を加えました。
それは、ロスタール公爵家が密かに保有していた『王国の全不動産担保権』を、ドラクロワ帝国へ一括譲渡する手続きの完了を意味します。
「これで、あの国に王族の土地は一寸も残りませんわ。……セドリック殿下。あなたが今立っているその地面も、今日から私の……いえ、陛下の領土ですわよ?」
画面の中では、ついに王宮の門が民衆の手によって破られました。
リリアナ様は髪を振り乱し、かつての美しいドレスを泥に染めながら、かつて自分が蔑んでいた『汚れた民衆』に引きずり回されています。
セドリック殿下は、自分の彫像が引き倒されるのを、ただ膝をついて眺めることしかできませんでした。
「……準備はすべて整いましたわ。さあ、次は誰が、この『更地』を買いたいと名乗りを上げるかしら?」
私はグラスを傾け、沈みゆく王国の空へ向けて、静かに乾杯を捧げました。
すべてを清算した後に残るのは、計算通り、清々しいほどの虚無だけでしたわ。
第10話、お読みいただきありがとうございます。
一晩で紙屑となった通貨、そして「愛」という名の幻想が泥にまみれる瞬間……。
スカッとしていただけましたでしょうか?
「数字は嘘をつかないけれど、人は平気で嘘をつくわ」
そんなエレノラの格言が、王太子の心に深く刻まれたことでしょう。もっとも、それを反省する時間すら、彼らには残されていないかもしれませんが。
いよいよ物語は、真のエンディングへと向かいます。
エレノラが掴む「本当の幸せ」と、敵たちの「最終的な行き着く先」を見届けたい方は、ぜひ【ブックマーク】をお願いいたします!
あなたの応援が、エレノラの新しい帝国にさらなる繁栄をもたらしますわ。
次回、第11話は『辺境の不毛の地? いえ、ここは私の「新帝国」ですわ』。
ついに王国を買い叩いたエレノラが、凱旋という名の「最後の手続き」に赴きます。
どうぞお楽しみに!




