僕は初デートで浮かれてしまうハーレム高校生。
「……」「……」「……」
動けない僕と、動かない瑠美。彼氏らしき男も「やってしまった……」とばかりに青ざめていた。三人がほぼ同時に沈黙する。
瑠美は制服のカッターシャツを着用していた。白の長袖だ。今はもう白ではないが。
白シャツと黒のプリーツ。そのどちらもがびっちょりと湿っている。肩からは水滴がこぼれて、彼女の胸の中央は暗い模様が濃く映し出されていた。
妹の髪はパサパサに乱れていた。頭にも水を浴びていたのか。なんという悪運。彼女がらんまだったら男体化しているに違いない。
「……大丈夫かよ、瑠美ちゃん」
彼氏さんがピンポーンとベルを鳴らした。立ち上がって声をかけるも、彼女に反応はない。
「……」
瑠美は動かない。ずっとびしょ濡れになった服と、滴り落ちた雫を眺めながら、拳を強く握っている。
俯いているせいか、表情は見えない。
「わ、悪い」
……ヤバい、ヤバい、ヤバい。なんとかしないと、なんとかしないと、なんとかしないと。助けて、善えもん〜!
テーブルに一旦コップを置く。彼氏さんがベルを鳴らしたので、店員さんはすぐに来ることだろう。ええっと、まずは紙ナプキンで、拭き取って……いや、量足りない!!
「タオルが必要だな……! ちょっと、待っててくれよ!?」
タオルなら明希が持っていたはずだ。前も借りたので今回も貸しを作ってしまうのは申し訳ないけれど、致し方ない。
即座に動き出そうとしたのだが、今度は瑠美に腕を掴まれてしまう。
「タオルは?」
「要らない」
「……大丈夫か」
「平気そうにみえる?」
口調が荒い。爆弾が今にも爆発しそうな勢いだ。ハッキリと言って、怒ったときの瑠美はチョー怖い。その恐ろしさはウチの姉貴を凌駕するレベルでだ。
「……落ち着け。お前の怒りはよくわかる。でもな、ここはサイゼだ。家に帰ってから話をしよう。な?」
「むり」
彼女が顔をあげる。目と目が合う。少女の瞳はジュースではない液体で濡れて、赤くなっていた。
言い訳をしよう。これは単なる事故だ。二人のデートを邪魔したかったワケではない。もし彼らが付き合っているのであれば、温かい目で見守りながら祝福しているところである。本当に、本当に、邪魔をするつもりはなかった。
瑠美が怒るのは無理もない。楽しいデート中に急に自分の兄が現れて、偶然の事故とはいえ、水をぶっかけられたのだ。行き場のない感情を誰かにぶつけたくてしょうがないのだろう。
だが、ココではない。
せめて、やるのなら家で──。
「クソおにぃーさぁ……なんで、ほんと、ほんと、ほんと、ほんと、ほんとにもぅッ」
瑠美がボサボサになった髪を片手でグチャグチャに掻き毟りながら、言葉にならない感情を表現していく。どうやらゲームオーバーらしい……。
せっかく髪をセットしてたのに、ごめんな。バカな兄貴だと思うよ、マジで。
「最っ……低っっっっ!!!!!」
大きく振りかぶった瑠美の掌が、僕の頬をクリーンヒットでえぐっていく。避けることはできたけど、しなかった。彼女の怒りをほっぺで全て受け止める。
怒声と共に、パチンと大きな音がなった。視界がグラついたので見えなかったが、きっと他のお客さんの視線を集めていることだろう。
「……瑠美、先に帰る。ごめん、祐希くん。またね」
近くにあった鞄を手に持って、濡れた服のまま、彼女は去っていく。
僕に呼び止めることはできなかった。あんな涙目で「キッ」と一瞥されたら、言葉なんて出てきやしない。
「え? 瑠美ちゃん! ちょ、待てよ!」
祐希と呼ばれた彼を置いて、奥の緑のドアを開けて、瑠美は店外へと出て行く。
テーブルの下の小さな水溜りを見つめる。ジンジンと鼓動する頬の痛みを堪えながら、グッと奥歯を噛み締める。
瑠美、お前の言う通りかもしれないな。
……僕は、最低なクソ兄貴だ。
※ ※ ※ ※ ※
「テメェ、なんなんだよ! ふざけんじゃねェーよっ!」
「僕のことはいいからさっさと追いかけた方がいいんじゃないのか? 声が響くぞ」
「偉そうに言うんじゃねェーよ!? テメェは誰だよ!」
「新垣 善一、アイツのお兄ちゃんだ」
胸ぐらを掴まれたので振り払う。殴られてもしょうがないとは思った。だが、大人しく左頬を差し出してやるほど、機嫌はよくなかった。なぜ、殴られなきゃいけないのか。
元はといえば、コイツにも責任がある。僕が何もないところで躓いたのならまだしも、ジュースを持っていたのに、引っ張ってきたのは彼だ。彼に怒られる筋合いはない。
「兄?」
「おう。……悪かったな、水を差して」
一応、謝ってみせた。感情がグチャグチャになってきているのを抑えて、紙ナプキンで床を拭く。しばらくして、ようやく店員さんがやって来た。
× × ×
「初デートだったってのによ! 兄かなんか知らねェーけど、邪魔すんなよ……」
掃除を済ませている間も、彼はテーブルの上で動こうともしなかった。頭を抱えたまま、文句ばかりを並べている。
瑠美が最近朝早くに誰かと登校しているのは知っていた。その相手が彼なのだろうか。同級生っぽいし、可能性は大かもな。瑠美も青春しているとは。
とはいえ、随分と親しい間柄のように思えたが、初デートということはまだ付き合ってはいないらしい。水を差してしまって、申し訳なく思う。
今まで以上に嫌われてしまうかもな。暴言ならまだしも、デートを無茶苦茶にしたんだから。さっきのビンタなんて、いつもの毒舌よりはるかに胸にきたぞ。
「なんなんだよ……」
残された男子学生は机に肘をついている。早く行ってやれ、待ってるぞ。
「……追いかけろって。僕が言える立場じゃないけど、きっと外で待っていると思うぞ」
「うるせェーよ! テメェには関係ねェーだろっ! 聞いただろ。『帰る』って言ったんだよ。追いかけても、意味ねェーよ……」
「そうか」
それ以上、かける言葉は見当たらなかった。あまり首を突っ込むとまた瑠美にビンタをされてしまうからな、聞くに聞けない。
大人しく、この場を去ろう。
「悪かった。もし家に来ることがあれば、何かご馳走するよ。……ごめんな」
もう一度だけ謝罪をしておく。空のコップを握ったまま、立ち去ろうとしたのだが、そのとき背後から呼吸音がした。
「が、ガッキー! どうしたの? 今のるーちゃん? 誰か走っていくの見かけたんだけど……」
明希が背中にタッチしてくる。空になったコップを眺めながら、テーブルの方に目を向ける。そこに座っていた男を見て「ハッ」と息を呑んだ。僕と彼を交互に見返す。
「ゆ、祐希!?」
「……バカ姉貴もいんのかよ」
なるほど、彼が噂の「弟」さんか。
※ ※ ※ ※ ※
柳葉祐希というらしい。前々から明希に弟がいるとは聞いていたが、ここまでタイプが違うとはな。遠慮なく物申す辺り、普段の瑠美によく似てる。
よくよく観察してみると、顔も明希そっくりだった。目元と鼻の造りは同じだな。
「バカって……。お姉ちゃんに向かって、なんて口の利き方!」
「黙れバカ。テメェは帰れよ……。なんでいるんだよ」
「どこにいたっていいんじゃん。お姉ちゃんの自由なんだし! というか、祐希って、るーちゃんと付き合っていたの!? 初耳なんだけど!」
「……付き合ってねェーよ。もうウゼェから帰れよ」
チッと舌打ちを鳴らして、姉に反抗的な祐希くん。ポケットに手を突っ込んでいる。嫌われているという話は事実らしい。
「上から物を言っちゃダメだって、お母さんにも言われてたじゃん! その髪、なに!? また染めたの?」
「マジでウゼェー。てか、なに? テメェら揃いも揃って、俺を邪魔しにきたわけ?」
祐希くんが僕を睨む。誤解が生じている。
「邪魔をするつもりはなかったんだ。事故だよ。二人が仲良くしていたのも初耳だった」
「嘘つけよ! じゃあ、なんでテメェらがいるんだよ!? 俺らをおちょくりたくて、ずっと付けていたんじゃねェーのか?」
「こら、祐希! ガッキーにそんな口答えしたらダメでしょ!」
「バカはすっこんでろよ!」
考えれば考えるだけ、最悪の接触だったと気付く。なんて弁解しようか。
「おい、こら。わざとだろ? 聞いてんのかよ」
「なに言ってんの祐希! そんなことするわけないじゃん!」
「なら、なんでいんだよ?」
「偶然だって! お姉ちゃんの目を見てよ。ウソ言ってないでしょ? ほら、ココ!」
いつの間にか、言い争いにまで発展している。
「テメェは黙れって! そういう喋り方がバカだって言ってんだよ。いちいちシャシャってくんなよ!」
「なにぃ~!?」
ヒートアップする姉弟喧嘩。さっきからお店に迷惑をかけてばかりだ。一旦、クールダウンを図ろう。水でもかけておくか?
「……二人ともその辺にしといた方が」
「元と言えばアンタが悪いんじゃねェーか! 瑠美ちゃん怒って帰っちまったし、台無しだよ!」
正論である。台無しにしたのは僕だ。
だけど、今ここで怒りを撒き散らしても何にもならない。そのことはわかって欲しい。
事態の収拾の為、再び頭を下げる。
「その事については謝る。本当に悪かった。 だけど、今はそれより瑠美の所に行ってあげてくれ。君のことをきっと待っていると思うから。 お願いだ!!」
祐希くんが怒る理由はよくわかる。大切な人との時間。それを邪魔されて苛立っているのだろう。
僕を罵るのは自由。しかし、瑠美はきっと彼の事を待ち望んでいる。実の妹だ。それくらいの事はわかる。
「……ガッキー」
不安げに見つめる柳葉(姉)と、目を逸らす柳葉(弟)。彼はまだ何か言いたそうにはしていたが、領収書を握りしめ、レジまで走っていった。一先ずは一件落着だろうか。




