78 時代が追いついていない
翌朝、目を覚ますと、見慣れない天井があった。
「どこだ、ここ?」
体を起こす。
部屋の隅には、木箱が積まれていた。
壁には古い布や、何に使うのか分からない木の棒が立てかけてある。
そうだ。
ここは、糸尾防具店の二階だ。
昨夜、師匠が物置を片づけ、私が眠れるようにしてくれた。
「弟子として、初めての朝だ!」
私は飛び起きた。
階段を下りると、店の奥からいい匂いがしてきた。
小さな机の上に、焼いたパンと野菜のスープが並んでいる。
「おはようございます、師匠!」
「あ、シェリィさん。おはようございます」
師匠は、昨日と同じ白いシャツを着ていた。
眼鏡の下には、うっすらと隈ができている。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「うん!」
「それはよかったです。こちらをどうぞ」
師匠が、朝ごはんを私の前に置いてくれた。
「師匠の分は?」
「わたくしは、朝は食べないことにしておりますので」
「そうなの?」
「はい。どうぞ、お気になさらず」
いただきます、と手を合わせる。
そのときだった。
ぐぅぅぅぅ。
低い音が、向かい側から聞こえた。
「師匠、お腹鳴ったよ」
「気のせいです」
「でも、いま――」
「鳴っておりません」
師匠は眼鏡を押し上げた。
なるほど。
大先生は、修行のために朝ごはんを食べないのかもしれない。
私はパンを半分にちぎった。
「半分いる?」
「いりません」
ぐぅぅぅ。
「やっぱり鳴ってるよ」
「店を開けます」
師匠は立ち上がり、なんだか逃げるように売り場の方へ行ってしまった。
朝ごはんを食べ終え、私も売り場へ向かった。
床は昨夜より少しだけきれいになっている。
曇ったショーケースには、昨日と同じ布の服が3着並んでいた。
師匠は入口の札を裏返し、開店の準備を終えた。
私は背筋を伸ばし、最初のお客さんを待った。
誰も来ない。
しばらく待った。
来ない。
店の前を何人も通り過ぎていくのに、こちらを見ようともしない。
お昼を過ぎても、客は一人も入ってこなかった。
「本当に人が来ないね」
「お静かに」
「1日3人までなのに、まだ一人も来てないよ」
「分かっております」
「いつもこうなの?」
師匠は答えず、眼鏡を押し上げた。
流行っていないとは聞いていた。
でも、ここまでとは思わなかった。
しばらくして、師匠がスーツのジャケットを羽織った。
「少々、外へ出てまいります」
「どこへ行くの?」
「用事です。夕方までには戻ります」
「私も行く」
「来なくて結構です」
「じゃあ、お店は任せて!」
「任せません」
師匠は、入口で振り返った。
「誰か来ても、出なくて構いません。奥で静かにしていてください」
「分かりました! 静かに待つ修行ですね?」
「はい、それでいいです」
「ラジャー!」
うーん。
なんか怪しい。
きっと、私にはまだ教えられない極秘の任務に違いない。
さすが師匠。
とりあえず。
座って瞑想しよう。
それからしばらくして、扉を叩く音がした。
ドンドンドン!
「糸尾! いるんだろ!」
誰か来た。
でも、出なくていいと言われている。
私は店の奥で息を潜めた。
ドンドンドンドンドン!
「出てこい! 今日こそ払ってもらうぞ!」
うるさい。
これでは修行に集中できない。
私は扉を開けた。
「はい!」
外には、帳面を抱えた小柄で太ったおじさんが立っていた。
後ろには、髭もじゃの大男が二人いる。
「……おめぇ誰だ?」
「弟子です」
「弟子?」
「まだ正式ではないけど、だいたいそんな感じです」
おじさんは店の中をのぞき込んだ。
「糸尾は?」
師匠に対してえらい失礼な奴だな。
「極秘の任務中です」
「なんだそりゃ? それよか金払えよ。出ていってもらうぞ!」
こいつら、師匠から、この店を奪おうとしている。
なんて悪い奴らだ。
「帰ってください。師匠は、どんなに大金を積まれても、魔王には売らない人です!」
「え? 何を言っている、このチビ」
「このお店は渡しません!」
「だから家賃を――」
「お待たせしました」
男たちの後ろから、聞き慣れた声がした。
見ると、師匠が立っていた。
髪は乱れ、額には汗が浮かんでいる。
白いシャツは、朝に見たときよりもしわだらけだった。
「糸尾。今日こそ払ってもらうぞ!」
「はい。こちらを」
師匠は、握りしめていた袋を差し出した。
小柄なおじさんが中身を数える。
「……足りんぞ?」
「残りは月末までにお支払いいたしますので、今日のところはどうかこれで」
「ふん。忘れるなよ」
3人が立ち去る。
師匠は扉を閉めると、その場で壁へ手をついた。
「師匠、大丈夫?」
「問題ありません」
そう言いながら、ひどく疲れた顔をしている。
「もしかして、悪い奴らと戦っているの?」
「……何のお話ですか?」
「さっきの人たち。師匠からお金を奪っていった」
「奪われたのではありません。滞納していた家賃の一部を支払っただけです」
「たいのう?」
「支払うべきお金を、期日までに払えなかったということです」
それは、かなり危険な状態なんじゃないだろうか。
師匠は乱れた襟を直した。
「見られてしまった以上、正直にお話しします。お恥ずかしながら、わたくしにはお金がありません」
「大賢者なのに?」
「大賢者ではありません」
「予言者なのに?」
「予言者でもありません」
「でも、すごい人なんでしょ?」
「どなたから、何を聞いたのですか?」
「このお店、なくなるの?」
師匠は少し黙った。
「家賃も滞納しております。このままでは、来月にはここを出ていかなければならないでしょう」
「そんな……」
「ですが、シェリィさんが心配することではありません。どこか受け入れてくれる場所がないか、わたくしから頼んでみます」
いやいやいや。
私はいい。
どこからともなく転がりこんできたノームだ。
こんなのほっとけばいいんだよ。
でも、師匠は違う。
大賢者で、予言者で、すごい戦術指南もできる。
私のお金も心配してくれた。
泊まる場所も、朝ごはんも用意してくれた。
そんなすごい人が、どうしてお金を持っていないんだ?
はっ。
そうか!
時代が、まだ師匠に追いついていないんだ。
店の中を見回す。
曇ったショーケース。
積もった埃。
同じ形の布の服。
外からでは、店が開いているかどうかさえ分かりにくい。
たしかに。
ぱっと見、ほかの店より流行りそうにない。
ルクルクルのノームでも、もう少し商売は上手な気がする。
違う。
師匠は困っている人を助けることばかりで、儲けようとしていないんだ。
だめだよ、師匠。
ちょっとは儲けないと。
その辺のノームだって、結構がめついよ?
「わかりました! 師匠、私に任せてください」
「何をですか?」
「私が、このお店を流行らせてみせます!」
「え?」
「大丈夫です。私には商才があります」
私は胸を張った。
「ノームですから!」
師匠は、ゆっくりと眼鏡を外した。
そして、両手で顔を覆った。




