77 本当に持ってきた
77 本当に持ってきた
糸尾防具店へ戻ると、店内にはまだ明かりがついていた。
「よかった。まだ開いてる!」
扉を開くと、カラン、と小さな鐘が鳴った。
カウンターの奥で、イトーさんが何かを夢中になって書いていた。
スーツのジャケットは椅子の背に掛けられ、白いシャツの袖は肘までまくられていた。
書きかけの紙が何枚も重なり、その周りには丸めた紙くずが転がっている。
「戻りました!」
紙の上を走っていたペンが、ぴたりと止まった。
イトーさんは私を見ると、一番上の紙をさっと裏返した。
「……お戻りになったのですか」
「はい!」
私が戻ることを分かっていたから、店を開けたまま待っていてくれたんだ。
さすが予言者。
「第一試練、突破しました!」
「何のお話でしょうか?」
私はポケットから硬貨を取り出した。
カウンターの上へ、一枚ずつ並べていく。
「1、2、3……」
何度も数えたから、間違いない。
「50ゴールド!」
両手を広げた。
「どうですか!」
イトーさんは黙ったまま、カウンターに並んだ硬貨を見つめていた。
次に、私を見た。
もう一度、硬貨を見た。
「本当に、持ってきたのですか?」
「はい! 本日中です!」
「どのようにして、このお金を?」
「持っていた石ころを売りました」
「石ころを売って、こんな大金が? いったい、どんな石なんですか?」
「青くて、透き通っていて、ちょっとだけ光るやつです」
「名前は?」
「えーと……なんだっけ。750倍メガネ!」
「それは、石の名前ですか?」
「あ、違う。売った人」
「では、石の名前は?」
「えーと、忘れました」
イトーさんは眼鏡を外し、眉間を押さえた。
「その石が、いくらで売れたのですか?」
「45ゴールドです。本当は1万5000ゴールドらしいけど」
「1万5000ゴールドなのに、45ゴールド?」
「はい。言いくるめて買わせました!」
イトーさんは苦い顔のまま、カウンターの硬貨を見つめていた。
やがて眼鏡をかけ直す。
「これで弟子になれますね!」
「なぜ、そうなるのですか?」
「第一試練を突破したから。50ゴールドを持ってきたら、えーと……」
「確かに、特別に一着お売りいたしますとは言いました」
「じゃあ、布の服をください!」
「お売りできません」
「え?」
「そのお金も受け取れません」
「約束したじゃん」
「……申し訳ございません」
イトーさんは、50ゴールドを私の方へ押し戻した。
「どうして?」
「ですが、それが全財産だと知った以上、受け取ることはできません」
「じゃあ、なんで50ゴールドなんて言ったの?」
「それだけ必要だと申し上げれば、諦めてお帰りになると思ったからです」
「え、じゃあ、最初から私には用意できないと思ってたの?」
「はい」
即答だった。
「試練じゃなかったの?」
「違います」
「私ならできるって、信じてたんじゃないの?」
「本当に用意して戻ってくるとは、まったく思っておりませんでした」
「がんばって……すごくがんばって……ここまできた。さらにがんばって50ゴールドまで作った。それなのに、なんで?」
声が震えた。
目の奥が熱くなる。
カウンターの上の硬貨を、じっと見つめる。
「私、何がいけなかったの?」
「いえ、いけないというより……」
イトーさんは、困ったように眼鏡を押し上げた。
「家出してきたんでしょう?」
「違うよ。破門」
「やはりそうでしたか。家出だと思っていました」
破門だと思うんだけどなぁ。
家を出たから家出といえばそうなるのか。
「うん」
「わかります。いろいろあったのでしょう」
やっぱわかるんだ。
さすが予言者。
「うん」
「でしたら、そのお金をわたくしへ渡したら、シェリィ様はこれからどうやって暮らすのですか?」
はっ!
「今夜の宿は? 食事は? これから必要になるお金は?」
私、どうやって暮らすんだ?
考えていなかった。
「あ、でも、このお店を出るとき、笑って見送ってくれたじゃん! あれは私を応援してくれていたんでしょ?」
「笑って?」
「店の前で、ずっとこっちを見ながら、フフッて。あれは『頑張れ』って意味だったんじゃないの?」
「……ようやくお帰りくださったので、安心しただけです」
「やっぱり応援してくれてた!」
「違います」
「私なら試練を突破できるって、信じてたんでしょ?」
「試練ではありません。それに、ただ単に一人で怪我をせず帰れるか、心配していただけです」
「つまり、ずっと見守ってくれていた?」
「まあ、そうです」
「じゃあ、私は期待のホープ?」
イトーさんは、大きく息を吐いた。
「とにかく、その50ゴールドは大切なお金です。この時間でしたら、まだ泊まれる宿もあると思います。今夜の宿と食事のためにお使いください」
「布の服は?」
「お売りできません」
「弟子入りは?」
「できません」
「不合格?」
「そもそも、試験なんてしておりません」
全部、駄目だった。
結局、弟子にはしてもらえなかった。
「……分かりました」
私は50ゴールドをリュックへ戻し、店を出た。
扉が閉まる。
店を出る前に、イトーさんは宿屋の場所を教えてくれた。
でも、そこまで歩く気力すら湧かなかった。
私は店の壁へ背中を預け、その場へしゃがみ込んだ。
膝を抱え、顔をうずめる。
しばらくすると、扉が開いた。
「……何をしているのですか?」
顔を上げる。
イトーさんが、呆れたように私を見下ろしていた。
「三角座り」
「それは見れば分かります」
「こんなところにいたら危ないですよ。知らない人に騙されでもしたら、どうするのですか?」
「騙されないよ。750倍メガネには勝った」
イトーさんは、深いため息をついた。
「シェリィ様。……とりあえず、今夜はお入りなさい」
「いいの?」
「二階の物置を少し片づけます。立派な寝床とはいきませんが、外で眠るよりはよいでしょう」
やっぱり、見捨てるつもりはなかったんだ。
「つまり、弟子? やったー!」
「違います」
「じゃあ、師匠って呼んでもいい?」
「……お好きにどうぞ。ただし、弟子にしたわけではありません」
「やったー! あと、私に様をつけなくていいよ。呼び捨てで」
店に入ると、イトーさんは私を二階の物置へ案内した。
部屋の中には、木箱や古い布が積み上がっている。
「シェリィさん。一つだけ約束してください」
「何ですか?」
「どれほど苦しくても、人を騙してはいけません」
「はい!」
「さっき誰かを騙したのではないのですか?」
「あれは、あっちが詐欺師なのでいいの」
「駄目です」
「でも、師匠も私を騙したよ?」
「騙したのではありません。演じたのです」
「何が違うの?」
「自分の利益のために人を欺くのが詐欺です。演じる者は、観客のために嘘を真実へ変える。そして幕が下りるまで、最後まで騙し切る。それが演者の責任です」
きた。
なんかすごい言葉。
きっとこれは師匠の戦術指南だ。
私は急いで紙と鉛筆を取り出した。
詐欺。
最後まで。
騙し切る。
「覚えました!」
私は紙を折り畳み、ポケットへしまった。
「じゃあ、私も片づける!」
「ありがとうございます。では、そちらの箱を部屋の隅へ寄せてください。ただし――」
急に、イトーさんの声が低くなった。
「一階の奥にある倉庫には、絶対に入らないでください」
「どうして?」
イトーさんは、人差し指で眼鏡の中央を押さえた。
「絶対に、です」




