第十六話 始まり
最初の報告が入ったのは、十一月の終わりだった。
アルテミアの外交筋が掴んだ情報として、ザイルのもとへ届いた。エルカリナ王国の王都北区画で、複数の街灯が一斉に消えた。翌朝には復旧したが、同じ現象が一週間で三度起きていた。原因は調査中、と王国側は発表していた。
ルミナはその報告を聞いて、羊皮紙を取り出した。
「先月から感じていた乱れと、一致します」
「場所も、ですか」
「王都の北区画。父が最後の点検で歪みを感知した場所と、同じです」
ザイルが地図を広げた。アルテミアの情報収集網が描いた、エルカリナ王国の王都概略図だ。主要街路と区画の境界が書き込まれており、北区画が赤い線で囲まれていた。
「街灯の一斉消灯は、魔力供給の瞬断を意味します。地下の基幹魔法陣が、定期的に不安定になっている」
「現時点での深刻度は」
「まだ軽度です」とルミナは言った。「今のところ、一時的な瞬断で復旧しています。しかし周期が短くなっています。最初の感知から今日で一ヶ月。乱れの強さは三倍近くになっています」
「このペースで進むと」
「三ヶ月以内に、自力での制御が不可能な段階に達します。そこから先は連鎖反応です。北区画の基幹陣が崩れれば、隣接する中央区画の陣にも影響が出る。最終的には王都全域の魔力供給が止まります」
「止まれば」
「冬です」
短い言葉だった。しかし十分だった。
アルテミアにいるルミナには、冬の都市が何を意味するかがわかっていた。この大陸の冬は厳しい。王都の生活魔法陣は、暖房から水の凍結防止、食糧の保存まで、生存に直結している。それが止まれば——。
特に子供や老人が危ない。
ルミナは頭の中でそこまで計算して、その先を止めた。今は計算の時間だ。
「王家は、まだ気づいていないはずです」とルミナは続けた。「街灯の異常を単純な魔法陣の老朽化として処理している。根が地下の基幹陣にあることを、現在の技術陣は感知できない」
「警告を送ることはできますか」
「父と相談して、技術的な文書を作ります。アルテミア王家を通した公式ルートで送れば、王国側も無視しにくくなります」
それからルミナは少しの間黙った。
「ただ」
「何ですか」
「王家が受け入れるとは思っていません」
「理由は」
「認めれば、過去の判断の誤りを認めることになります。コスト削減のために外注化した決定を。エルカリナ家の技術を不要と切り捨てた判断を。今の王家にそれができるとは思えない」
ザイルは静かに言った。
「それでも、送るべきだと思います」
「はい。送らなかった場合、後で問題になります。送ったという記録が必要です」
「——人のためでなく、記録のために送る」
「両方です」
父とともに三日かけて文書を作成した。技術的な詳細を丁寧に記し、修復の方法論の概要を示した。エルカリナ家がいかに早い段階から問題を認識していたかも、時系列で記録した。
アルテミア経由で送った技術的警告は、王国の魔法局に「参考として受領した」という返答が来ただけで、その後は沈黙した。
予想通りだった。
十二月に入ると、王都北区画で再び異変が起きた。
今度は街灯だけではなかった。
北区画全体で、一時間にわたって暖房用の魔法陣が停止した。真冬の夜の、暖房なしの一時間。王国の公式発表は「局所的な魔法陣の老朽化による一時的な不具合、修繕対応中」だった。しかしアルテミアの外交網が拾った実態では、その夜に複数の怪我人と、高齢の市民一名が体調を崩して搬送されたという。
その情報が届いた夜、ルミナは書庫の窓から北西の空を見た。
星が冷たく輝いていた。
遠くで、何かが限界に向かって動いていた。それをルミナは感じていた。感じながら、今すぐ動くことができないもどかしさも感じていた。
動けない理由がある。動くための条件がある。それを整えなければ、動いても解決にならない。頭ではわかっていた。しかしこの夜ばかりは、それが重く胸に乗った。
「あと二ヶ月、かもしれません」
ルミナは呟いた。
誰もいない書庫で、羊皮紙に日付と予測を書き加えながら。
母国の空の下で、今夜も人々が生きている。彼女がかつて歩いた石畳の上で。知っている顔の人々が、今夜の寒さの中にいる。
それを知りながら、ルミナは筆を止めなかった。
その情報が届いた夜、ルミナは書庫の窓から北西の空を見た。
星が冷たく輝いていた。遠くで、何かが限界に向かって動いていた。
コンコン、と扉が鳴った。
「ルミナ、起きているか」
父だった。
「どうぞ」
オスカルが入ってきた。手に温かい飲み物を持っていた。ハーブの香りがした。
「夜遅くまで灯りが見えていた」
「すみません」
「謝らなくていい」父は椅子を引き寄せ、ルミナの隣に座った。「私も眠れなかった」
「父上も感じていますか、北西の乱れを」
「感じる才はお前ほどではないが……ある程度は。それよりも、考えていた」
「何を」
「王都の北区画に、今夜暖房なしで過ごしている人々がいる。私が長年知っている顔の人々が。エルカリナ家と一緒に仕事をしていた魔法陣師が北区画に住んでいた。去年、子供が生まれたと聞いた」
ルミナは黙って聞いた。
「乳飲み子のいる家で、今夜は暖房が止まった。それを思うと眠れない」
「……父上の警告が通っていれば」
「通らなかった。そしてその後悔と、今できることをやるべきだという気持ちが、この二ヶ月ずっと交互に来ている」
ルミナは飲み物を受け取り、一口飲んだ。温かかった。
「父上は、私が動くべきだと思いますか」
「動くかどうかを決めるのはお前だ」父は静かに答えた。「しかし一つだけ言う。お前の才は、お前のものだ。王家への怒りとは別の話として、その才をどう使うかを、お前が決める権利がある」
「ザイルに委ねていいですか」
「委ねたいと思っているなら、いいと思う」父はルミナを見た。「あの方は、お前を守るために動いている。それは本物だ。私の目には、はっきり見える」
ルミナは窓の外を見た。
「あと二ヶ月、かもしれません」
父が頷いた。
「準備をしておこう。使うかどうかは、その時に決める」
今できることをやる。
いつか動けるときのために、今は準備をする。
それがルミナにできる、今夜のすべてだった。




