第十三話 さらなる知らせ
次の知らせが来たのは、一週間後だった。
今度は手紙ではなく、人だった。
見知らぬ若い男が、エルカリナ家の家紋を縫い込んだ小袋を持ってヴェルナード邸を訪ねてきた。父が信用する商人の息子で、王都の様子を急ぎ知らせに来た、と言った。
その内容を聞いて、ルミナは立ったまま動けなくなった。
王家がエルカリナ家に研究資料の「国家管理」を通達した。理由は「魔法研究の国家的重要性に鑑みた適切な管理のため」。実態は、百年分の研究成果を王家が接収するということだった。すでに役人が屋敷を訪れ、研究室の目録を作成しているという。さらに屋敷の抵当評価が突然引き上げられ、伯爵家の財政を圧迫する布石が打たれていた。
「オスカル様は、役人の対応をされながらも、表情は変えておられませんでした。ただ」と若い使者は続けた。「書斎の鍵だけは渡さなかった、と聞いています」
書斎の鍵。
そこには、父が本当に大切にしているものがあるはずだった。
使者が去った後、ルミナは書斎の椅子に座り、しばらく動けなかった。
父の研究が。エルカリナ家の百年の積み上げが。祖父が命を懸けて書き留めた知識の体系が、王家の「国家管理」という名の下に消えていく。使いこなすこともできない者たちの手に渡り、形式的に保管され、意味を失っていく。
しかし、と思った。
使いこなせない者たちが管理する研究資料には、実用上の意味がない。それは接収でなく、ただの略奪だ。形だけを奪うことで、エルカリナ家が王国の魔法を支えてきたという事実も消せると、王家は思っているのかもしれない。
消せない。
ルミナの中に、百年分の研究がある。祖父のノートがある。そしてこの三ヶ月で、その知識は更に深まった。奪えるものと、奪えないものがある。
「ルミナ」
ザイルが入ってきた。使者の来訪は彼のもとにも報告されていたのかもしれない。ルミナの顔を見て、何も聞かずに向かいの椅子に座った。
しばらく沈黙が続いた。
秋の庭で、風が木の葉を揺らす音がした。
「父が、抵抗しているかどうか、わかりますか」
ルミナが口を開いた。
「していないはずです」ザイルは静かに言った。「オスカル伯爵は賢明な方だ。無駄な抵抗で家を傷つけることはしない。役人に逆らえば、それ自体が新たな弾圧の口実になります」
「研究資料を渡したら」
「あの方が本当に大切にしているものは、渡していないはずです」
ルミナは机の上のノートを見た。祖父の六冊のノート。持ってきた、最も大切なものを。
父はきっとわかっていたのだ。あの夜、行きなさいと言ったとき。ルミナが出ていくことで、最も大切なものが守られると。ルミナの中に生きている制御の才と、胸に刻んだ知識と、この六冊のノートがある限り、エルカリナの本当の研究は失われない。
「前に、エルカリナ家を丸ごと守る方法があると言っていましたね」
「はい」
「教えてください」
ザイルは一度だけ、深く息を吐いた。何かを決断するときの、ルミナにはもう見覚えのある仕草だった。
「エルカリナ家をアルテミアに迎え入れます。正式な外交手続きを経て、オスカル伯爵をアルテミア王国の客員研究者として招聘する。これにより、エルカリナ家はアルテミアの庇護下に入り、一方の国が手を出せば二国間問題になります」
ルミナは黙って聞いた。
「名目はアルテミアの魔法陣老朽化問題への技術協力です。エルカリナの制御理論が必要だという事実があるので、名目だけではありません。アルテミア王家も利益があると判断すれば、手続きは速く進む」
「父が、来るでしょうか」
「来てもらいます。こちらからの正式招聘であれば、拒否するための口実が父上に生まれる。王家の圧力に対して、外国からの公式招聘を受けていると言えば、簡単には動けなくなります」
「来ない場合は」
「こちらから迎えに行きます」
ルミナは目を細めた。
「アルテミアの筆頭魔導士が王都に乗り込むのは、外交的に問題になります」
「なりません。正式な訪問として手続きを踏めばいい。王家は迎えざるを得ない。そして私が直接、オスカル伯爵の身の安全を保証すれば、王家はそれ以上手を出せなくなる。アルテミアと事を構えることの代償は、今の王家には払えません」
その言葉の重さを、ルミナは知っていた。ザイル・ヴェルナードという名前が、アルテミアでどれほどの抑止力を持つか。そして今の母国の王家が、どれほど内部から弱体化しているか。
「……あなたはそこまで」
「当然のことです」
ザイルの声は変わらず静かだった。しかしその言葉の芯に、揺るぎないものがあった。
「あなたの大切なものを守ることは、私にとって当然のことです」
ルミナは視線を落とした。
母の指輪が、窓の光を受けていた。
「わかりました。お任せします」
それから少しの間、また沈黙があった。
「もう一つ」
「はい」
「手続きを進める間に、あなたに考えておいてほしいことがあります」
ルミナはザイルを見た。
「エルカリナ家がアルテミアの庇護に入るための、最も確実な形を。外交的な保護は、関係の深さによって強度が変わります。最も強い保護を得るための形について、今は言いません。ただ、考えておいてください」
その言葉の意味を、ルミナはすぐに察した。
回りくどいが、ザイルにしては珍しく直接的だとも思った。
何も言わなかった。ただ、翡翠色の目が、わずかに熱を持った。
「……考えます」




