第十二話 信じる
その日の午後、使者が来た。
エルカリナ家の家紋入りの封書だった。父からの手紙は月に一度届いていたが、今回は様子が違った。封書が二通あり、一方は父の手紙、もう一方は見知らぬ紋章だった。
書庫から下り、客間で封書を受け取ったルミナは、父の手紙を先に開いた。
「ルミナへ。
近況を知らせる。エルカリナ家は変わらず平穏だ。研究も続けている。
ただ、一点お前に伝えておくべきことがある。王家からの調査が入った。名目は魔法研究の成果報告だが、実態は家の財産状況と研究内容の把握が目的だろう。応対した結果、特に問題はなかった。ただ、また来ると言っていた。
白薔薇がよく咲いている。お前も元気でいなさい。
父より」
短い手紙だった。父らしい、無駄のない文章。しかし行間に、書かれていないことが多くあるとルミナは感じた。「特に問題はなかった」という言葉の、微かな強調。「元気でいなさい」という、いつもは書かない一文。そして最後の薔薇の話。父は普通、花については書かない。
ルミナは深呼吸し、もう一通の封書を手に取った。紋章を確認し、眉を寄せた。
王家の紋章だった。
しかし差出人の名前が、見知らぬものだった。王家の文官か、あるいは——
「どうかしましたか」
書斎の扉が開き、ザイルが入ってきた。今日の調律の時間には少し早い。ルミナの顔を見て、何かを察したのだろう。
「父からの手紙と、もう一通。王家の紋章がついています」
「開けましたか」
「まだです」
「私がいない方がよければ」
「いてください」
言ってから、少し驚いた。自分でも考える前に出た言葉だった。しかし撤回しなかった。
封蝋を割った。
便箋一枚の、簡潔な文章だった。
「エルカリナ伯爵令嬢ルミナ殿へ。
先日の式典の件に際し、王家として申し上げることがあります。当該の出来事については既に内部での検討を経ており、適切な処置がなされました。
つきましては、令嬢が異国において不適切な活動に従事されないよう、ご配慮を願います。エルカリナ家が今後も王国内において安定した地位を保つためには、令嬢の行動が王家の利益に反しないことが重要です。
なにとぞ、ご賢察のほど」
署名は王家の文官名だったが、内容を書いたのは文官ではないとルミナにはわかった。脅しにしては遠回しすぎる文体が、逆に意図を明確にしていた。
「……読みますか」
ルミナはザイルに手紙を差し出した。
ザイルは受け取り、読んだ。一度読んで、もう一度読んだ。それから静かに便箋を折り、ルミナに返した。
「エルカリナ家への脅しです」
「私もそう読みました」
「令嬢の行動が王家の利益に反しないよう、という部分が肝です。アルテミアで実績を積むことを、王家は恐れている」
「父への牽制です。私を母国に戻すか、少なくとも動けなくするための」
ルミナは手紙をもう一度見た。
「適切な処置がなされました、とありますね。式典の件の」
「処置、とは」
「おそらく、シェラ・ノインの王太子妃への格上げでしょう。式典で婚約破棄を行い、その直後に新しい婚約者を発表することで、あの場の出来事を『王家が主体的に行った刷新』として整理しようとしている」
「……冷静に分析できますね」
「怒りがないわけではありません」ルミナは便箋を畳んだ。「ただ、今更怒っても意味がない。それよりも、今何をすべきかを考えます」
「戻るつもりはありますか」
ルミナは便箋をテーブルに置き、窓の外を見た。
アルテミアの秋の空が広がっていた。少し前までは夏の青さだったが、今は薄く白みがかっている。木々が色づき始めていた。
「戻りません」
はっきりと言った。そこに迷いはなかった。
「しかし父が心配です。王家の調査が入ったということは、もう動き始めている。家の財産調査から、研究内容の没収、最終的には家の取り潰しまで、王家がやろうと思えばできます。エルカリナ家は名門ですが、軍事力を持っているわけではない。王家に本気で狙われれば、防ぐ手段がない」
「わかっています」
ザイルの声が、静かだが確固とした質を帯びた。
「そのことについて、私に考えがあります。今すぐではなく、しかし近いうちに。よろしいですか」
「……はい」
「それまでは、手紙への返答は保留にしてください。父上への手紙は書いても構いませんが、王家への返答は私の考えが固まってからにしていただきたい」
「何を考えているのですか」
「エルカリナ家を、丸ごと守る方法です」
ルミナはザイルを見た。
銀灰色の目が、真っすぐにルミナを見ていた。
揺らぎがなかった。三ヶ月前から変わらない、あの目だった。言葉は少なく、表情は静かで、しかし何かを言うときは必ずその通りに動く人だとルミナはもう知っていた。
「……わかりました」
ルミナは父への返信を書き始めた。心配しないでほしいとは書けなかった。代わりに、こちらは問題ないと書いた。必ず解決すると書いた。薔薇がきれいとのこと、嬉しいと書いた。もう少し待ってほしいと書いた。
便箋を封じながら、ルミナは母の指輪を見た。
この指輪を父はずっと持っていた。母が逝って十五年、手放さずにいた。それを娘に渡した。
必ず解決する。
父がそれを信じているから渡したのだと、今になってわかった。解決する見込みのない娘に、形見は渡さない。父なりの、信頼の示し方だった。
窓の外の空を見た。
必ず解決する。それは確かだと、思えた。




