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制御者の令嬢は隣国の大魔導士に溺愛される  作者: まる
第二章 アルテミア

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第十話 目覚め

翌朝、ルミナは約束通り書庫に向かった。

三階の書庫は、想像以上の規模だった。天井まで届く本棚が三十列以上並び、魔法陣の設計書、魔力理論の論文、各国の魔法研究の記録が所狭しと詰まっていた。一日では読み切れない量だと、最初の列を一瞥しただけでわかった。

制御理論のコーナーを探すと、確かに充実した文献が揃っていた。しかし一冊を手に取り、数ページ読んで、ルミナは眉を寄せた。

「アプローチが根本から違う」

アルテミアの制御理論は、魔力を外側から抑制する、いわば「蓋をする」アプローチだった。過剰な魔力を封じ込める呪式、暴走を防ぐための抑止陣、魔力量を一時的に減衰させる薬剤の配合。どれも、力そのものを制御しようとするのではなく、力を小さくすることで問題を回避しようとしていた。

エルカリナ家の理論とは、根本的に異なる。

「問題がわかりましたか」

背後からザイルの声がした。

振り返ると、彼が書庫の入り口に立っていた。今日は礼装ではなく、動きやすい仕立ての服を着ていた。

「いつからいたのですか」

「今来ました。毎朝この時間にここへ来る習慣があります」

「邪魔をしてしまいましたか」

「いいえ。あなたがどの本を手に取るか、見ていました」

ルミナは手の中の本をザイルに示した。

「アルテミアの制御理論は、魔力を押さえ込む方向です。流れを整えるという発想がない。それがここに並んでいるすべての文献に共通しています」

「だから効果が限定的だと、私自身も感じていました」

「限定的どころか、強い魔力に対しては逆効果になります。押さえ込もうとすることで、魔力は歪む。歪みが積み重なれば、より制御しにくくなる。悪循環です」

ザイルが静かに言った。

「……それが、私の状態の説明になりますか」

「おそらく。子供の頃から抑制の方法を教えられてきたとすれば、それがむしろ問題を悪化させてきた可能性があります」

沈黙が降りた。

長い沈黙だった。

窓から朝の光が差し込み、本棚の背表紙を照らしている。ルミナは手の中の本を本棚に戻し、ザイルを見た。

「実験室を貸してもらえますか。あなたの状態を直接確認したい」

「今日でも構いません」

書庫の隣に、実験室があった。もともと魔法陣の研究に使われていたその部屋は、広い石造りの空間で、床には様々な実験用の魔法陣が刻まれている。窓が大きく、光がよく入った。

「中央に立ってください。動かなくて構いません」

ルミナはザイルに部屋の中央に立つよう促した。自分はその周囲を、ゆっくりと歩きながら観察した。近づいたり離れたりしながら、空気の質の変化を感じ取る。

ザイルの周囲の魔力の流れが、少しずつ見えてきた。

「見える」というのは正確ではない。目で見るのではなく、皮膚で感じる、あるいは空気の密度として察知する、そういった感覚に近い。しかしエルカリナ邸ではぼんやりとしか感じられなかったものが、ザイルの近くでは異様なほど鮮明だった。

川のように流れるはずの魔力が、乱流を起こしていた。渦を巻き、方向を失い、互いにぶつかり合っている。その規模が、想定を遥かに超えていた。

「……これほどとは」

思わず声が出た。

「問題がありますか」

「問題というより、規模が想定以上です」

ルミナは立ち止まった。

「あなたの魔力量を、どれほどのものだと把握していますか」

「アルテミアの魔導士の中では、計測できる上限を超えている、とは言われています」

「計測できる上限を超えている、ではわかりません」ルミナは真剣な目でザイルを見た。「私がこれまで感じてきた魔力の中で、比べ物にならないほど大きい。あの乱流が完全に解放されれば、おそらく街一つが消えます。それはわかっていますか」

ザイルは表情を変えなかった。

「わかっています」

「長年、それを知りながら抑え続けてきた」

「ええ。限界もわかっていました」

「限界とは」

「いつか、抑えきれなくなる日が来る。それが何年後かはわからない。しかし来る」

静かな声だった。諦めでもなく、恐怖でもなく、ただ事実として述べるような口調だった。

ルミナはその言葉を聞いて、初めてザイルの重さの正体がわかった気がした。

この人は、自分の力と二十年以上、孤独に向き合ってきた。誰にも制御できず、近づけば傷つけてしまい、それでも国のために力を使い続けてきた。

「やってみます」

ルミナは言った。

目を閉じた。

意識を、自分の内側に向ける。魔力制御の才とはどういうものか、ルミナは言語化が難しかった。空気の流れを感じるのに似ている、と思っていた。しかし今日は違う感覚があった。もっと直接的な、触れるような感覚。

ザイルの魔力の乱流に、意識を向けた。

巨大な渦だった。

しかしその渦の中心に、揺るぎない力の核があった。乱れているのはあくまでも流れであり、力の本質は純粋だった。歪んでいない。汚れていない。ただ行き場を失っているだけの、圧倒的なほど美しい魔力だった。

ルミナはそれを抑えようとするのではなく、ただ流れを観た。

どこが淀んでいるか。どこがぶつかっているか。

本来の流れはどこへ向かおうとしているか。

そっと、触れた。

押すのではなく、なだめるように。水面の波紋を指で静めるように。

乱流が、わずかに落ち着いた。

「……っ」

ザイルが小さく息を吐いた。

ルミナはさらに意識を向けた。焦らず。急がず。流れを整える。あるべき形に戻す。

祖父のノートの言葉が、初めて、頭の理解ではなく身体の感覚と一致した。

――制御とは調律である。抑圧ではなく、本来の姿への回帰だ。

どれほど時間が経ったかわからなかった。

目を開けると、室内の光が移動していた。朝の直射が、午前の柔らかな光に変わっていた。二時間ほど経っていたようだった。

ザイルが静かに立っていた。

「……どうですか」

「静かだ」

ザイルの声が、初めて感情の色を帯びていた。

「ずっと、轟音の中にいるような感覚がありました。眠っていても、目が覚めても、頭の奥でずっと鳴り続けているような。それが、今は、ない」

「完全ではありません」ルミナは言った。「私が意識を向けている間だけです。離れれば、また乱れは戻ります。それに、私にもまだ限界がある。今日で解決できるものではありません」

「わかっています」

「ただ」

「ただ?」

ルミナは真っすぐにザイルを見た。

「方向性は正しい。あなたの魔力は制御できます。時間と積み重ねが必要ですが、不可能ではない」

ザイルはルミナを見た。

長い間、見ていた。

「……ありがとうございます」

その三文字が、どれほどの重みを持っているか、ルミナにはわかった。二十年以上、誰にも言われなかった言葉なのだろうと。

「これは私のためでもあります」ルミナは静かに言った。「あなたの魔力を整えることで、私自身の才がどこまで伸びるか。それを知りたい。エルカリナの研究を、完成させたい」

「欲張りですね」

「エルカリナの血です」

初めて、ザイルが笑った。

ほんのわずかに、口の端が上がる程度の笑い。しかし確かな笑いだった。笑う人なのだと、その瞬間に初めてわかった。普段の静けさの奥に、確かな温かさがある。

ルミナは祖父のノートに視線を戻した。

百年の研究が、初めて、本来の場所に辿り着こうとしていた。

窓の外には、アルテミアの青空が広がっていた。

澄んでいた。

深く、どこまでも青い空だった。

この空の下で、ルミナは生きていく。母国を思いながら。しかし確かに前を向きながら。

――これは、始まりに過ぎなかった。

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