九
離れの奥へ続く廊下は狭かった。
本館の廊下とは違う。客を通すための道ではなく、家族だけが使う生活のための通路だったのだろう。天井は低く、壁の色も暗い。長い年月で染み込んだ湿気と埃の匂いがした。
透は先頭を歩いていた。
そのすぐ後ろに笑がいる。
さらに後ろに真壁と柳田。
手首の鈴が、歩くたびに小さく鳴る。
ちりん。
ちりん。
その音だけを頼りに、透は足を前に出した。
胸元には宗一郎の遺書がある。薄い紙なのに、そこだけ熱を持っているように感じた。
――もし次に会えるなら、そのときは、必ず見つける。
宗一郎はそう書いていた。
その言葉が本心だったとしても、遅すぎたことに変わりはない。
美沙を傷つけた。悠真の声を聞かなかった。遊ぼうと言われるたび、あとでと言って逃げた。
それは許されることではない。
けれど、最後に後悔していた。
悠真を見つけたいと思っていた。その事実だけは、悠真に届いてほしい。
透はそう思った。
廊下の奥から、力の声が聞こえた。
「透、こっち」
続いて悟の声。
「早く」
声は近い。
けれど、どこから聞こえるのか分からなかった。
右の部屋から聞こえる気もする。
左の壁の中から聞こえる気もする。
床下から聞こえる気もする。
声は、場所を持っていなかった。
「返事をしないでください」
真壁が低く言った。
「分かってます」
透は答えた。
だが、答えた瞬間にぞっとした。
今、自分は真壁に返事をした。
それも危険なのではないのか。
真壁も同じことに気づいたのか、口を閉じた。
暗闇の中で、子どもがくすりと笑った。
「へんじした」
笑が透の手を握った。
「大丈夫」
小さな声だった。
その言葉は、透に向けられたものなのか、笑自身に向けられたものなのか分からなかった。
廊下の突き当たりに、襖があった。
古い襖だった。
紙は黄ばんでいて、下の方には子どもの手形のような黒い汚れがいくつもついている。取っ手のあたりには爪で引っかいた傷。遊戯室の襖と似ていたが、こちらの方がずっと古く、ずっと重く見えた。
「この先は?」
透が訊いた。
真壁は答えた。
「宗一郎氏の寝室です」
「書斎じゃなかったんですか。亡くなった場所は」
「正確には、書斎と寝室が続き部屋になっています。書斎の奥に、この寝室があります」
「美沙さんは、ここも閉じたんですか」
柳田が答えた。
「はい」
「どうして?」
「分かりません」
柳田の声が少し低くなった。
「ただ、美沙さんはこの部屋を一番嫌っていました」
襖の向こうで、何かが転がった。
ころん。
赤いビー玉の音。
透は息を止めた。
ころん。
ころん。
音は襖のすぐ向こうまで近づいてきた。
そして止まった。
笑が透の手を握る力を強くした。
「開けます」
真壁が言った。
「待ってください」
笑が言った。
全員が笑を見る。
笑は怖がっていた。顔は青白く、目には涙が浮かんでいる。それでも、彼女は襖を見つめたまま言った。
「これ、開けたらあかん気がする」
「どうして」
透が訊いた。
「分からん。でも、今までと違う。悠真くんが呼んでる感じじゃない」
真壁の表情が変わった。
「どういうことですか」
「さっきまでは、怖かったけど、子どもっぽかった。かくれんぼとか、遊ぼうとか、見つけてとか。でも今は違う」
笑は襖を指さした。
「この向こうにいるのは、遊びたい子じゃない気がする」
透は襖を見た。
ただの古い襖だ。
だが、笑に言われてから見ると、確かに違う。
この襖の向こうには、子どもの気配ではなく、大人の沈黙がある。
怒鳴り声の後に残る沈黙。
誰かが泣いているのに、誰も助けに来ない家の沈黙。
そんなものが、襖一枚を隔てて溜まっているようだった。
「美沙さんが嫌っていた部屋」
透は呟いた。
「ここで、何かあったんですね」
柳田は答えなかった。
答えられないのか、知らないのか。
真壁が鈴を握りしめた。
「それでも、進まなければなりません」
「でも」
笑が言いかける。
そのとき、襖の向こうから声がした。
「入ってはいけません」
女性の声だった。
書斎で聞こえた、あの声。
美沙の声だった。
柳田が震えた。
「美沙さん……」
声は続いた。
「そこには、あの人の後悔だけではありません」
部屋の空気が一気に冷えた。
透は襖から一歩離れた。
「どういう意味ですか」
透が訊いた。
返事はすぐにはなかった。
代わりに、襖の向こうで何かが落ちる音がした。
どさり。
重い音。
笑が肩を震わせた。
柳田が顔を青くする。
「今の音……」
真壁が低く言った。
「まさか」
柳田が首を横に振った。
「そんなはずありません。この部屋には、もう」
「もう?」
透が訊いた。
柳田は答えない。
その沈黙が答えだった。
この部屋には、かつて何かがあった。
そしてそれは、宗一郎の死に関係している。
「開けるしかない」
透は言った。
自分でそう言ったことに驚いた。
さっきまで怖くて足が震えていたのに、今は少し違っていた。
力と悟を探すため。
悠真を見つけるため。
それもある。
けれど、それだけではない。
ここで目を逸らしてはいけないと思った。
大人たちが見て見ぬふりをしてきたもの。
美沙が閉じ込めたもの。
宗一郎が最後まで逃げたもの。
それを見なければ、このかくれんぼは終わらない。
真壁は透を見た。
「本当に開けますか」
「はい」
笑が小さく言った。
「私も見る。怖いけど、見る」
彼女は涙を拭いた。
「たぶん、悠真くんも見てほしいんやと思う。ただ遊んでほしいだけじゃなくて、何があったのか、ちゃんと見てほしいんやと思う」
その言葉に、透は胸を打たれた。
笑は怖がりだ。
けれど、逃げていない。
怖いからこそ、見ようとしている。
真壁がうなずいた。
柳田が鍵を取り出す。
その鍵は、他のどれよりも古く、黒かった。赤い紐ではなく、白い布が巻かれている。布は黄ばんでいた。
「美沙さんが、最後に私へ渡した鍵です」
柳田は言った。
「これだけは、誰にも渡さないでくださいと」
「それを今、開けるんですね」
笑が言った。
「ええ」
柳田は鍵を差し込んだ。
手が震えている。
一度目はうまく入らなかった。
二度目で入った。
かちり。
鍵が回った。
その瞬間、襖の向こうで子どもが泣いた。
「やめて」
悠真の声だった。
「あけないで」
透は凍りついた。
さっきまで見つけてと言っていた。
なのに、今は開けるなと言っている。
どちらが本心なのか。
いや、どちらも本心なのかもしれない。
見つけてほしい。
でも、見られたくない。
子どもの心は、そういう矛盾を抱える。
透にも覚えがあった。
助けてほしいのに、大丈夫なふりをする。
見てほしいのに、見られたら怒る。
言いたいのに、言えない。
悠真は、そのまま七歳で止まっているのかもしれない。
「ごめん」
透は襖に向かって言った。
返事をしてはいけない。
名前を呼ばれても答えてはいけない。
そう言われていた。
だが今の言葉は、返事ではなかった。
透自身の言葉だった。
「でも、開ける」
襖が開いた。
部屋の中は、暗かった。
真壁の懐中電灯が中を照らす。
最初に見えたのは、布団だった。
古い布団が一組、部屋の中央に敷かれている。
その横に、小さな机。
壁際には箪笥。
窓は雨戸で閉ざされている。
何もない。
そう思った。
だが、すぐに違うと分かった。
部屋の奥の梁から、一本の古い縄が下がっていた。
切られている。
短く残った縄。
宗一郎が命を絶った痕跡。
笑が息を止めた。
柳田は顔を背けた。
真壁はその場で膝をつきそうになった。
透は、見ていた。
見たくなかった。
けれど、目を逸らせなかった。
この部屋に、宗一郎の後悔が残っている。
そして同時に、美沙の絶望も残っている。
そう思った。
部屋の中に一歩入る。
空気が重い。
肺に入ってこない。
壁には傷があった。
爪で引っかいたような傷ではない。
何かをぶつけた跡。
怒りに任せて物を投げた跡。
箪笥の角は欠けている。
障子の桟は一本折れている。
ここで何があったのか、言葉で説明されなくても分かる。
家庭の中で起きた暴力は、部屋に染みを残す。
透は拳を握った。
「宗一郎さんは」
透は言った。
「やっぱり、美沙さんを傷つけていたんですね」
「はい」
柳田が答えた。
「それは、事実です」
「でも遺書では謝っていた」
「はい」
「謝ったからって、消えるわけじゃない」
「その通りです」
柳田の声には、痛みがあった。
「だから美沙さんは、この部屋を閉じたのです。宗一郎氏の最後の言葉を守るためでもあり、この部屋に残った傷を、悠真くんに見せないためでもあった」
「悠真くんは、ここを見たんですか」
「おそらく、何度も」
その答えは、真壁だった。
「悠真くんは、父親を探してこの部屋の前まで来たことがあったのでしょう。父親に遊んでほしくて。母親を助けたくて。けれど、この部屋に入るたび、父親の恐ろしい面を見てしまった」
透は部屋の中央に立った。
ここには、父がいた。
怒鳴る父。
手を上げる父。
謝れない父。
そして最後に、すまないと書いて死んだ父。
どれが本当の宗一郎なのか。
おそらく、全部だ。
良い父ではなかった。
良い夫でもなかった。
けれど、後悔だけは本物だったのかもしれない。
人間は、一つの言葉で裁けるほど単純ではない。
それが、透には怖かった。
幽霊よりも、ずっと。
「何かあります」
笑が言った。
彼女は部屋の隅にしゃがみ込んでいた。
そこには、小さな木箱があった。
古い裁縫箱ほどの大きさ。蓋には久遠館の家紋らしき模様が彫られている。
「鍵がかかってます」
柳田が近づき、鍵束を確認した。
「この鍵は……」
柳田の顔色が変わった。
「美沙さんが持っていたものです」
「開けられますか」
透が訊く。
柳田はうなずいた。
小さな鍵を差し込み、回す。
箱が開いた。
中には、いくつかのものが入っていた。
古い写真。
折り紙。
小さな子どもの絵。
そして、赤いビー玉。
一番下に、ノートがあった。
表紙には、ひらがなで名前が書かれている。
ゆうま。
笑が小さく呟いた。
「悠真くんの日記?」
透はノートを手に取った。
表紙は少し汚れているが、中は残っていた。
開くと、たどたどしい字が並んでいた。
七歳の子どもの字。
最初のページには、こう書かれていた。
きょう、おとうさんに、あそぼうっていった。
おとうさんは、あとでっていった。
あとでは、いつかな。
笑が口元を押さえた。
透は次のページをめくった。
おかあさんがないてた。
ぼくがせなかをとんとんした。
おかあさんは、ありがとうっていった。
ぼくは、おとうさんよりつよいかな。
柳田が泣いていた。
静かに。
声を出さずに。
透は読み進めた。
おとうさんはこわい。
でも、おとうさんがわらったら、ぼくはうれしい。
だから、あそぼうっていう。
あしたもいう。
胸が痛かった。
悠真は父を怖がっていた。
それでも好きだった。
怖い人なのに、笑ってほしかった。
遊んでほしかった。
子どもにとって、親はそういう存在なのだ。
簡単に嫌いになれるものではない。
どれだけ傷ついても、どこかで期待してしまう。
明日こそ。今度こそ。
そう思ってしまう。
透はページをめくった。
途中から、字が少し乱れていた。
おとうさんがいなくなった。
おかあさんがずっとないてる。
ぼくがいるよっていった。
でも、おかあさんは、ぼくをみてない。
笑が涙を拭った。
次のページ。
おかあさんもいなくなった。
みんな、あとでっていう。
あとでって、いなくなることなのかな。
透は読み上げるのをやめそうになった。
しかし、やめるわけにはいかなかった。
ここでやめたら、悠真をまた置いていくことになる気がした。
さらにページをめくる。
施設に移った後の記述だった。
まかべのおじいちゃんが、びーだまをくれた。
あかいびーだま。
きれい。
おとうさんにみせたい。
真壁が顔を歪めた。
その次。
くろせのおじさんがきた。
おとうさんににてる。
おとうさんより、わらう。
ぼくとあそぶっていった。
ほんとかな。
透は息を止めた。
黒瀬。
ここで初めて、悠真自身の言葉として黒瀬が出てきた。
ページをめくる。
くろせのおじさんは、ひさしぶりに、ぼくのなまえをよんだ。
ゆうまって。
ぼくは、うれしかった。
笑が言った。
「名前……」
透はうなずいた。
悠真は、ただ遊んでほしかっただけではない。
名前を呼んでほしかった。
子どもの幽霊ではなく、久遠家の息子でもなく、問題のある家庭の子でもなく。
悠真、と。
誰かに見つけてほしかった。
自分の名前で。
透は次のページをめくった。
くろせのおじさんが、こんど、ひさしぶりのいえにいこうっていった。
おとうさんのへやに、ぼくのものがあるって。
びーだまであそぼうって。
まかべのおじいちゃんには、ないしょっていった。
真壁の顔が青ざめた。
「そんな……」
柳田が低く言った。
「あの男」
さらに次のページ。
字が大きく乱れていた。
おじさんはこなかった。
でも、くる。
ぼくはまつ。
おとうさんも、きっとまってる。
ぼくをみつけてくれる。
そのページの下に、赤い丸が描かれていた。
ビー玉だろうか。
それとも、血のような丸。
次のページは、破れていた。
破り取られている。
透は息を飲んだ。
「続きがない」
「誰かが破ったんですか」
笑が言った。
真壁も柳田も知らない顔だった。
透は破れた部分を見た。
雑に破られている。
子どもが力任せに破ったのではない。
大人が急いで破ったような跡。
そのとき、部屋の奥から声がした。
「それ、かえして」
悠真の声だった。
透はノートを抱えた。
「悠真くん?」
真壁が鋭く言った。
「名前を呼ばないでください」
だが、もう遅かった。
部屋の隅に、小さな影が立っていた。
白い寝巻きの男の子。
顔は俯いている。
「それ、ぼくの」
声は震えていた。
「かえして」
透は一歩下がった。
笑が透の前に出ようとした。
透はそれを止めた。
「返す」
透は言った。
「でも、その前に教えてほしい」
真壁が息を飲んだ。
子どもの影は動かない。
「破れたページには、何が書いてあったの?」
悠真は答えなかった。
「力と悟はどこ?」
返事はない。
透は怖かった。
足が震えている。
それでも言った。
「僕たちは、君を見つけたい。でも、力と悟も見つけたい」
悠真の影がゆっくり顔を上げた。
顔はやはり見えない。
ただ、目のあるはずの場所が、暗かった。
「みつけたい?」
「うん」
「ほんとう?」
「ほんとう」
「じゃあ、じゅう、かぞえて」
透の喉が詰まった。
まただ。
かくれんぼ。
悠真は、必ずそこへ戻る。
遊びの形でしか、自分の気持ちを伝えられない。
「数えたら、力と悟を見つけられる?」
「うん」
「本当に?」
悠真は首を傾げた。
そして、子どもらしい声で言った。
「みつけられなかったら、ずっとおにだよ」
部屋の温度がさらに下がった。
真壁が鈴を鳴らそうとした。
だが、透は手で制した。
「分かった」
「透!」
笑が叫んだ。
「大丈夫」
「大丈夫ちゃうやろ!」
「でも、やるしかない」
透は悠真を見た。
「ただし、僕も条件がある」
悠真の影が少し揺れた。
「じょうけん?」
「見つけたら、力と悟を返して」
悠真はしばらく黙った。
それから笑った。
「いいよ」
その声は、あまりにも軽かった。
約束の重さを知らない子どもの声。
あるいは、約束を何度も破られた子どもが、約束というものを信じていない声。
透は目を閉じた。
笑が手を握ってくる。
「透、あかん」
「大丈夫や」
「嫌や。透まで消えたら嫌や」
「消えへんって」
「なんで言い切れるん」
「笑が見といてくれるからや」
笑は何も言えなくなった。
透は彼女の手を握り返した。
「僕が変になったら止めてや」
「どうやって」
「分からへん。でも、止めてや」
「無茶苦茶やん」
「ごめんな」
笑は泣きながら怒った顔をした。
「絶対止めるからな」
「うん、頼むわ」
透は悠真に向き直った。
小さな影は、部屋の隅で待っている。
嬉しそうに。
悲しそうに。
透はゆっくり息を吸い、目を閉じた。
夢の中では、口が勝手に動いた。
今回は違う。
自分の意志で数える。
「いーち」
声が震えた。
悠真の影が、すうっと薄くなる。
「にーい」
部屋の中で、赤いビー玉が一つ転がった。
「さーん」
窓の外で、水音がした。
「しーい」
真壁の鈴が、小さく鳴った。
「ごーお」
柳田が祈るように手を合わせた。
「ろーく」
笑の手が、透の手を痛いほど握った。
「しーち」
悠真の影は、もうほとんど見えない。
「はーち」
廊下の奥から、力の声がした。
「きゅーう」
続いて、悟の声。
「じゅう」
その瞬間、離れの灯りがすべて消えた。
暗闇。水音。ビー玉の転がる音。
そして、悠真の声。
「もういいよ」
透は目を開けた。
すると目の前に、赤いビー玉が一列に並んでいた。
廊下へ続く道しるべのように。
ひとつ。
またひとつ。
赤い光が、暗闇の中でぼんやり浮かんでいる。
「これを追えばいいんやな」
笑が言った。
透はうなずいた。
四人は歩き出した。
先頭は透と笑だった。
真壁と柳田は少し後ろにいる。
赤いビー玉の列は、寝室を出て、廊下を進み、さらに奥の小部屋へと続いていた。
「この先は?」
透が訊いた。
柳田が答えた。
「物置です」
「物置?」
「昔、使わなくなった布団や道具をしまっていました」
透は息を飲んだ。
かくれんぼ。
子どもが隠れる場所。
物置。
赤いビー玉は、その扉の前で止まっていた。
扉は少しだけ開いている。
中は真っ暗だった。
透は扉に手をかけた。
笑が隣に立つ。
「一緒に開ける」
透はうなずいた。
二人で扉を開けた。
懐中電灯の光が中へ入る。
物置の中には、古い布団が山のように積まれていた。
その隙間に、人の足が見えた。
「力!」
笑が叫んだ。
今度は、真壁も止めなかった。
力がいた。
布団の間に挟まるようにして倒れている。
目を閉じているが、胸が上下していた。
生きている。
「力!」
透と笑は駆け寄った。
力の体を引っ張り出す。
重い。
だが、確かに温かい。
「力、起きて!」
笑が肩を叩く。
力は小さく呻いた。
「……うるさいわ」
その一言で、笑は泣きながら笑った。
「よかった……ほんまによかった……」
透も力が抜けそうになった。
力は生きていた。
見つけた。
かくれんぼの一人目。
だが、悟はいない。
「悟は?」
透が訊いた。
力はぼんやりと目を開けた。
「悟……?」
「一緒じゃなかったの?」
「分からん……俺、誰かに呼ばれて……」
力は顔をしかめた。
「悟の声やと思った。でも、違ったかもしれん」
透は辺りを見回した。
物置の中に、悟はいない。
ただ、奥の壁に、小さな扉があった。
子どもなら通れるくらいの、低い扉。
その前に、赤いビー玉が一つ置かれていた。
そして扉の向こうから、悟の声がした。
「透」
今度の声は、弱かった。
「助けてくれ」
笑が透を見た。
力はまだ立てない。
真壁が鈴を握る。
柳田が青い顔で言った。
「その扉は……」
「何ですか」
透が訊く。
柳田は震える声で答えた。
「床下へ続いています」
久遠館の下。隠された場所。
透は、低い扉の前にしゃがんだ。
赤いビー玉が、すぐ目の前にある。
それは今までのどのビー玉よりも赤かった。
血のように。夕日のように。
透はそれを見つめた。
そして、はっきりと理解した。
かくれんぼは、まだ終わっていない。
むしろ本当に隠されていたものは、ここから先にあるのだ。




