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みいつけた  作者: 紙とペン


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10/16

 床下へ続く小さな扉は、物置の一番奥にあった。

 大人なら四つん這いにならないと通れないほど低い。木枠は古く、角は黒ずんでいる。普段は布団や座布団の山に隠れていて、知らなければ気づかない場所だった。

 扉の前には、赤いビー玉が一つ置かれている。

 それは、まるで案内板のようだった。

 ここだよ。

 ここにいるよ。

 そう言っているように。

「悟……」

 透は小さく呼びかけそうになり、口を閉じた。

 名前を呼ぶな。

 返事をするな。

 何度も言われているのに、こういうとき人は名前を呼びたくなる。

 名前を呼べば、その人が帰ってくるような気がするからだ。

 力は布団の上に座り込んでいた。

 顔色は悪いが、意識はある。腕や足を動かせるし、どこかに怪我をしている様子もなかった。ただ、首のあたりに赤い痕がついていた。

 小さな手で掴まれたような痕だった。

「痛む?」

 笑が訊いた。

「いや、そこまでや」

 力は首をさすった。

「でも、何かに引っ張られた感覚は覚えてる。暗くなって、足元がなくなって、気づいたら布団の中におった」

「床が抜けたとか?」

 透が訊く。

「分からん。落ちた感じはあった。でも、怪我してへんのが変やねん」

「誰か見たか?」

「見てへん」

 力は顔をしかめた。

「でも、声は聞こえた」

「誰の?」

「悟や」

 透は扉を見た。

 その向こうから、今もかすかな気配がある。

「悟が、何て?」

 笑が訊いた。

 力は少し迷ってから答えた。

「こっちは楽しいで、って」

 笑の顔が強張った。

「悟がそんなこと言う?」

「言わんな」

 力はすぐに言った。

「だから違うって思ったんやけど、でも声は悟やった」

 その言葉が、物置の中に重く落ちた。

 声は本人のもの。

 けれど、中身が違う。

 そんなことが本当にあるのだろうか。

 いや、ここではもう、あるのだろう。

 真壁は扉の前にしゃがみ込んだ。

「この下へ入るのは危険です」

「でも悟の声がしました」

 透は言った。

「分かっています」

「なら行くしかない」

「私が行きます」

 真壁が言った。

 透は首を横に振った。

「たぶん、それじゃ駄目です」

「なぜですか」

「悠真くんは、僕に鬼をやらせたいんやと思います。僕が見つけないと終わらない」

 自分で言いながら、透は嫌な汗をかいた。

 鬼。

 見つける役。

 それはただの遊びのはずだった。

 でも今は、罰のように聞こえる。

「透が一人で行くなら、私も行く」

 笑が言った。

「狭いで」

「だから何?」

「危ないって」

「もう何しても危ないやん」

 笑は透を睨んだ。

「力は見つかった。でも悟はまだやろ。ここで透だけ行かせて、透まで消えたら、私ほんまに無理やから」

 透は何も言えなかった。

 笑は怖がっている。

 それでも引かない。

 さっき力を見つけたとき、笑は泣きながら笑った。その顔が、透の頭に残っていた。

 笑は、怖くても人を見捨てない。

 そういう強さを持っている。

「俺も行く」

 力が言った。

「無理やろ」

 笑が即座に言った。

「今ふらふらやん」

「行ける」

「行けへん」

「でも悟が」

「力はここにいといてや」

 透が言った。

 力は不満そうに透を見た。

「何でや」

「一人は外にいた方がええと思う。僕と笑が入った後、何かあったら真壁さんたちと一緒に引っ張り出してほしいねん」

「……それ、俺に待ってろってことやん」

「うん」

「嫌やな」

 力は悔しそうに拳を握り、立ち上がろうとしたが、ふらついた。

 柳田が支える。

「無理をしてはいけません」

「分かってます」

 力は小さく舌打ちした。

「絶対戻ってこいよ」

 透はうなずいた。

「戻る」

「笑も」

「分かってる」

 笑は強く答えた。

 真壁は懐からもう一本、赤い紐を取り出した。

 今度は鈴ではなく、小さな木札がついている。

「これを持ってください」

「何ですか」

 透が受け取ると、木札には墨で何かが書かれていた。

 古い字で読みにくい。

「迷わないための印です」

 真壁は言った。

「床下は複雑ではありません。ですが、この館では道が道のままとは限らない」

「どういうことですか」

「まっすぐ進んだはずなのに元に戻る。右へ曲がったのに左から声がする。昔から、そういうことがありました」

 真壁は透の手首に赤い紐を結んだ。

「私たちは、ここで紐の端を持ちます。異変があれば引きます。あなたたちも、危ないと思ったら三度強く引いてください」

「分かりました」

 笑にも同じ赤い紐が結ばれた。

 手首の鈴とは別に、命綱のように。

「悟を見つけても、すぐに触れてはいけません」

 真壁は言った。

「でも、悟が倒れてたら」

「まず声をかけてください。ただし、名前ではなく」

「じゃあ何て呼ぶんですか」

 真壁は答えに詰まった。

 名前を呼ぶな。

 でも名前以外で友達を呼ぶのは難しい。

 笑が小さく言った。

「『帰ろう』でええんちゃう」

 透は笑を見た。

「名前じゃなくても、その人に届く言葉ってあるやろ」

 帰ろう。

 それは、今の悟に一番必要な言葉かもしれない。

「そうする」

 透はうなずいた。

 真壁が扉を開けた。

 ぎい、と木が軋む。

 床下から、冷たい空気が流れ出した。

 湿った土の匂い。

 古い木材の匂い。

 それに混じって、かすかに甘い匂いがした。

 祭りの綿菓子のような、古い飴のような匂い。

 子どもの匂い。

 そう思った瞬間、透はぞっとした。

「行こう」

 透は言った。

 笑がうなずく。

 二人は扉をくぐった。

 床下は低かった。

 膝と手をついて進むしかない。土は乾いているようで、ところどころ湿っていた。木の柱が何本も立ち、梁が頭上を走っている。真壁の懐中電灯を借りていたが、光は奥まで届かない。

 後ろで、扉の前にいる力の声がした。

「大丈夫か?」

 透は答えかけて、止まった。

 返事をしていいのか。

 今の力は、本当に力なのか。

 迷った。

 すると、後ろから赤い紐が一度だけ引かれた。

 合図。

 真壁たちが外にいる。

 透は紐を軽く引き返した。

 声ではなく、合図で返した。

「賢いな」

 笑が小声で言った。

「怖いだけや」

「それでもええわ」

 二人は進んだ。

 床下は思ったより広い。

 いや、広く感じるだけなのかもしれない。

 懐中電灯の光が届く範囲には、柱と土と配管しかない。けれど少し進むと、壁際に古いものが置かれているのが見えた。

 壊れた椅子。

 割れた行灯。

 使われなくなった食器。

 古い木箱。

 旅館の歴史からこぼれ落ちたものたちが、ここに押し込められていた。

「こんなとこに隠されたら、絶対見つからへん」

 笑が言った。

「かくれんぼには向いてるな」

「嫌なこと言わんといて」

 そのとき、前方で音がした。

 

 ころん。

 

 ビー玉の音。

 懐中電灯を向ける。

 土の上に、赤いビー玉が一つあった。

 さっきまでなかったはずなのに。

 それは、奥へ進む方向を示すように置かれていた。

「道しるべやな」

 透が言った。

「罠かもしれへんで」

「でも、進むしかないやろ」

「うん」

 二人はビー玉の方へ進んだ。

 

 一つ目。

 二つ目。

 三つ目。

 

 赤いビー玉は、点々と続いている。

 その列を追ううちに、透は奇妙なことに気づいた。

 床下の構造が変わっている。

 さっきまでまっすぐ進んでいたはずなのに、いつの間にか右へ曲がっていた。柱の並びも違う。天井が少し高くなった気がする。

 後ろを振り返る。

 扉の光は見えなかった。

 赤い紐だけが、暗闇の中へ伸びている。

 それがなければ、もう戻れない。

「透」

 笑の声が低くなった。

「これ、絶対おかしい」

「うん」

「戻る?」

 透は前を見た。

 赤いビー玉の列は、さらに奥へ続いている。

 そしてその奥から、声がした。


「帰ろう」


 透と笑は同時に止まった。

 今の声は、透の声だった。

 透自身が言おうとしていた言葉。

 それが、奥から聞こえた。


「帰ろう」


 もう一度。

 今度は笑の声だった。

 笑が口を押さえた。

「私、言ってない」

「分かってる」

「気持ち悪い」

 その声は、奥へ進むほど近くなる。


「帰ろう」


 力の声。


「帰ろう」


 悟の声。


「かえろう」


 そして、子どもの声。

 いくつもの声が、同じ言葉を繰り返している。

 

 かえろう。

 かえろう。

 かえろう。

 

 透は耳を塞ぎたくなった。

「もう戻りたいわ」

 笑が言った。

「でも、悟もいるかもしれない」

「分かってる」

 二人はさらに進んだ。

 やがて、床下の奥に小さな空間が見えた。

 そこだけ天井が高くなっている。大人がしゃがめば何とか座れるほどの空間。壁には木の板が貼られていて、床には古い畳が一枚敷かれていた。

 隠し部屋。

 透はそう思った。

 そこに、悟がいた。

 壁にもたれるように座っている。

 顔は伏せている。

 服も、体格も、間違いなく悟だった。

 透は息を飲んだ。

「悟……」

 名前を呼びそうになり、止めた。

 笑が透の袖を引いた。

「帰ろう、って言うんやろ」

 透はうなずいた。

 そして、悟に向かって言った。

「帰ろう」

 悟は動かなかった。

「帰ろう。みんな待ってる」

 悟の肩が、ぴくりと動いた。

 透の心臓が跳ねる。

「帰ろう。力も見つかった。笑もいる。僕もいる」

 悟がゆっくり顔を上げた。

 顔色は悪い。

 唇が乾いている。

 額には汗がにじんでいた。

 だが、目は悟のものだった。

 少なくとも、透にはそう見えた。

「透……?」

 悟の声だった。

 弱い。

 いつもの皮肉っぽさはない。

「迎えに来た」

 透は言った。

 悟はぼんやりと笑った。

「遅い」

 その言葉に、透の背筋が冷たくなった。

 遊戯室で聞いた言葉。

 遅い。ずっと待ってたのに。

 あのときと同じ。

 だが、今の悟はそのことに気づいていないようだった。

「どこか痛い?」

 笑が訊いた。

 悟は笑を見た。

「分からん」

「立てる?」

「たぶん」

 透は手を伸ばしかけた。

 だが、真壁の言葉を思い出す。

 悟を見つけても、すぐに触れるな。

 透は手を止めた。

 悟がそれに気づいた。

「何?」

「いや」

「怖い?」

 悟が言った。

 その声には、少しだけいつもの調子が戻っていた。

「僕が?」

「うん、怖い」

 透は正直に言った。

「でも、助けたい」

 悟はしばらく透を見ていた。

 そして、小さく言った。

「俺、何かした?」

「覚えてへん?」

「途中から記憶がない」

「どこまで覚えてる?」

 悟は目を閉じた。

「部屋で寝てた。声が聞こえた」

「誰の?」

「父親の声」

 透は息を止めた。

 笑も固まった。

「父親?」

「俺の父親ちゃう」

 悟は眉をひそめた。

「でも、父親って感じの声やった。低くて、怒ってるみたいで、でも泣きそうで」

「何て言ってた?」

「見つける、って」

 透は胸元の宗一郎の遺書を思い出した。

 もし次に会えるなら、そのときは、必ず見つける。

「それで?」

「気づいたら廊下におった。奥の方に、男の子が立ってた」

「悠真くん?」

「たぶん」

「その子が連れてきた?」

「分からん」

 悟は頭を押さえた。

「男の子は泣いてた。でも笑ってた。おかしいやろ。泣きながら笑ってた」

 笑が小さく言った。

「悲しかったんやと思う」

 悟は笑を見た。

「たぶん、そう」

 それから悟は、床下の奥を見た。

「あそこに、何かある」

 透は懐中電灯を向けた。

 隠し部屋の奥。

 木箱が一つ置かれていた。

 小さな箱。

 蓋は半分開いている。

 その中から、紙の端が見えていた。

「日記の続きかもしれない」

 透は言った。

 笑が息を飲む。

「破られてたページ?」

「たぶん」

 透は箱に近づいた。

 悟から目を離すのは怖かったが、笑が悟を見ていてくれた。

 箱の中には、破られたノートのページが数枚入っていた。

 子どもの字。おそらく悠真の字だろう。

 透はその一枚を取った。

 そこには、こう書かれていた。


 くろせのおじさんは、こなかった。

 でも、こえがした。

 おとうさんのへやのしたから。

 おとうさんが、ぼくをよんだ。

 

 透は読み上げるのをためらった。

 笑が「続けて」と目で言った。

 透は続けた。

 

 ゆうま。

 ゆうま。

 みつける。

 そうきこえた。

 ぼくは、したにいった。

 

 床下。まさに今、自分たちがいる場所だ。

 悠真もここへ来た。

 父親に呼ばれたと思って。

 透は次の紙を読んだ。

 

 そこに、くろせのおじさんがいた。

 おとうさんじゃなかった。

 おじさんは、ぼくに、だまっててねっていった。

 ぼくは、こわかった。

 

 笑が口元を押さえた。

 悟の顔も強張った。

 黒瀬は、床下にいた。

 なぜ。何をしていた。

 透は次の紙を取った。

 

 おじさんは、はこをもってた。

 おとうさんのかみを、もってた。

 ぼくのいえのものを、もっていくって。

 ぼくは、だめっていった。

 

 宗一郎の紙とは遺書か、帳簿か、久遠館の権利に関わる書類か。

 透には分からなかった。

 だが、黒瀬は何かを盗もうとしていた。

 あるいは、隠そうとしていた。

 次の紙。

 字が大きく乱れていた。

 

 おじさんが、おこった。

 ぼくは、かくれた。

 おじさんは、みつけた。

 くびがいたかった。

 こえがでなかった。

 

 透は息が止まりそうになった。

 笑は震えていた。

 悟が低く言った。

「黒瀬が……」

 透は最後の紙を見た。

 そこには、たった一文だけ書かれていた。

 

 おとうさん、みつけて。

 

 その下には、赤い丸がいくつも描かれていた。

 ビー玉。

 いや、助けを呼ぶ印。

 透は紙を握った。

 悠真は、失踪したのではなかった。

 自分から消えたのではなかった。

 黒瀬に見つかり、声を奪われた。

 そして、おそらく。この床下で。

「悠真くんは、ここで死んだの?」

 笑が震える声で言った。

 誰も答えられなかった。

 そのとき、床下のさらに奥から声がした。


「ちがうよ」


 子どもの声。

 透は懐中電灯を向けた。

 暗闇の中に、悠真が立っていた。

 白い寝巻き。

 裸足。

 小さな手に、赤いビー玉を握っている。


「ぼくは、まだ」


 悠真は首を傾げた。


「みつかってないよ」


 その言葉の意味を考えるより早く、悟が立ち上がった。

 ふらつきながら。

 そして、悠真の方へ歩こうとした。


「悟!」


 透は思わず叫んだ。

 名前を呼んでしまった。

 その瞬間、悠真が笑った。

 悟の体がぴたりと止まった。

 笑が悲鳴を上げる。

 悟がゆっくり振り返った。

 その目は、さっきまでとは違っていた。

 暗い。

 深い。

 子どもの目でも、大人の目でもない。

 たくさんの寂しさが混ざって、底なしになったような目だった。


「よんだ?」


 悟の口が動いた。

 声は悟のものだった。

 だが、言葉は悠真のものだった。


「ぼくのこと、よんだ?」


 透は動けなかった。

 笑が透の腕を掴む。

 奥の暗闇で、悠真の影が薄くなっていく。

 代わりに、悟の口元がゆっくり笑った。


「みいつけた」


 その瞬間、透の手首の赤い紐が、強く引かれた。

 外からの合図。

 真壁たちが何かに気づいた。

 だが、透は動けなかった。

 目の前で、悟が笑っている。

 友達の顔で。

 友達ではない誰かの笑い方で。

「透」

 笑が叫んだ。

「逃げるで!」

 笑が透の腕を引き、透はようやく体を動かした。

 悟が一歩近づく。

 床下の空間に、赤いビー玉が一斉に転がり始めた。

 

 ころん。

 ころん。

 ころん。

 

 その音の中で、悟の声が重なった。


「まーだだよ」

 

 透は振り返らずに進んだ。

 赤い紐が外へ続いている。

 その紐だけを頼りに、笑と一緒に床下を戻る。

 後ろから、悟の声が追ってくる。


「かくれんぼは」


 ころん。

 ころん。


「みつけたら」

 

 ころん。

 ころん。


「おわりじゃないよ」

 

 透は歯を食いしばった。

 出口の光が見えた。

 真壁の手が伸びている。

 柳田の声が聞こえる。

「早く!」

 透は笑を先に押し出した。

 続いて自分も扉をくぐる。

 その直後、床下の奥から悟の声がした。


「こんどは、ぼくがおに」


 扉が、内側から勢いよく閉まった。

 真壁が鈴を鳴らす。


 ちりん。

 ちりん。

 ちりん。


 音が物置に響き渡る。

 力が透の肩を掴んだ。

「悟は?」

 透は答えられなかった。

 笑は床に座り込み、震えていた。

 透は手の中の紙片を見た。

 破られた日記の続き。

 そこには、悠真の最後の願いが残っていた。


 おとうさん、みつけて。


 透はゆっくり顔を上げた。

 悟はまだ床下にいる。

 けれど今、あの中にいるのは本当に悟だけなのか。

 それとも、悠真なのか。

 あるいは、悠真の寂しさに引き寄せられた、もっと別のものなのか。

 真壁が低く言った。

「もう、時間がありません」

「どういう意味ですか」

 透が訊いた。

 真壁は床下の扉を見つめたまま答えた。

「夜明けまでに悟くんを連れ戻せなければ、あの子は戻れなくなります」

「悟が?」

「はい」

 真壁は続けた。

「そして、おそらく悠真くんも」

 物置の中で、赤いビー玉が一つだけ転がった。


 ころん。


 それは扉の前で止まった。

 まるで、もう一度開けろと言うように。

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