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みいつけた  作者: 紙とペン


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4/7

 その夜、四人はしばらく眠れなかった。

 当然だった。

 襖の下から転がり込んできた赤いビー玉は、座卓の上に置かれている。誰も触ろうとしなかった。

触りたくなかった。

 けれど畳の上に転がしたままにしておくのも嫌だったので、力が割り箸でつまむようにして座卓へ移した。

 それは、子どもの玩具にすぎないはずだった。

 赤いガラス玉の中に、白い筋が一本。

 その白い筋が、見る角度によって形を変える。指のようにも見えたし、口元のようにも見えた。ときには、丸まった小さな背中のようにも見えた。

「これ、どうする?」

 力が言った。

「真壁さんに渡す?」

 笑が答えた。

「さっき渡したやん」

 悟が言った。

「また戻ってきたで」

「じゃあ、もう渡しても意味ないってことやん」

「意味ないからって、ここに置いとくん?」

 笑はビー玉から目を逸らした。

「嫌やろ、こんなん」

「嫌やな」

 力は素直に認めた。

 透は座卓の隅に置かれた四つのお守りを見ていた。

 夕食の後、真壁が布団を敷きに来るまで、四人はお守りをそれぞれ手元に持っていた。けれど布団が敷かれた後、真壁に言われた通り、枕元に置くことにした。

 四組の布団は、部屋に横一列ではなく、二組ずつ向かい合わせに敷かれていた。真壁は「お好きなところで」と言ったが、四人は何となく決めかねた。

「女子一人やし、笑は奥な」

 力が言った。

「奥の方が怖いやん」

「じゃあ真ん中」

「真ん中ってどこ」

 結局、窓側に笑、その隣に透。反対側に力、その隣に悟という形になった。

 四つのお守りは、それぞれの枕元に置かれた。

 その中のどれか一つに、問題があるのかもしれない。

 けれど、誰のものなのか分からない。

 透は自分のお守りを手に取った。

 封筒は破れていない。

 糸もほどけていない。

 ただ、触れるたびに、少し湿っているような気がした。赤い糸だけが、汗でも水でもない何かを吸っているように感じる。

「なあ」

 力が小声で言った。

「これ、やっぱ撮った方がええよな?」

「何を?」

 笑が即座に警戒した。

「部屋の中や。寝てる間に何か起こるかもしれんやん。スマホ立てかけて、ずっと録画しとく」

「嫌や」

「何で」

「寝顔撮られるの嫌やし、もしほんまに何か映ったらもっと嫌やから」

「何も映らんかったら安心できるで」

「映ったら?」

「バズる」

「最悪」

 笑は本気で怒っていた。

 力は困ったように透を見た。

「透は?」

「僕も、やめた方がええと思う」

「何でや」

「真壁さん、さっき娯楽じゃないって言うてた。たぶん、面白半分で撮るのはよくないと思う」

「面白半分じゃない。記録や」

「半分以上、面白がってるやろ」

 悟が言った。

 力は言い返せなかった。

 悟は布団の上にあぐらをかいて、腕を組んでいた。怖がっていないように見える。けれど、いつもの余裕とは少し違った。機嫌が悪そうだった。

「悟は怖くないん?」

 笑が訊いた。

「怖いよ」

 悟はあっさり言った。

 意外な答えだった。

 力も透も、少し驚いて悟を見た。

「何?」

「いや、おまえも怖いんやと思って」

 力が言った。

「怖いやろ、普通に。聞こえたし、見たし」

「じゃあ何でそんな冷静なん」

「騒いでも変わらんから」

 悟はそう言って、枕元のお守りを見た。

「でも、変やと思う」

「何が?」

 透が訊いた。

「悠真って子が幽霊やとして、何で今さら俺らに出てくるんやろ」

「子どもが来たからやろ?」

 力が言った。

「真壁さんも言ってたやん。歓迎されてるって」

「歓迎って言葉が変やねん」

 悟は眉をひそめた。

「真壁さんは俺らを怖がらせたくないんか、怖がらせたいんか、どっちやねん」

 透も同じことを考えていた。

 真壁は危険を避けろと言う。お守りを持てと言う。夜更かしするなと言う。

 けれど、久遠館の話をした。

 悠真の名前を出した。

 父親、母親、失踪、怪奇現象。

 聞かせる必要があったのだろうか。

 もちろん力が訊いたからだ。悟も話を求めた。だが、真壁はもっと簡単に済ませることもできたはずだ。

 それなのに、あの人はこの久遠館に関する話を詳しく話した。

 まるで、知ってほしいかのように。

 いや。探ってほしいかのように。

「真壁さん、何かしてほしいんかもな」

 透は言った。

「何かって?」

 笑が訊いた。

「分からない。でも、ただ泊まって帰ってほしいだけじゃない気がする」

「それ、嫌やな」

 力が顔をしかめた。

「大人が中学生に何かさせようとしてるってこと?」

「そこまでは分からない」

「でも、そうやったら普通に危ないやろ」

 悟が言った。

「幽霊より人間の方が怖いってやつ?」

「やめて」

 笑が枕を抱えた。

「もう何も信じられへんくなる」

 沈黙が落ちた。

 窓の外は暗い。池の水面は見えない。山の夜は深く、ガラスの向こうに黒い壁があるようだった。時々、遠くで虫の声が聞こえる。けれどそれも、久遠館の中までは届ききらないようであった。

 旅館の中は、やはり静かだった。大きな建物なのに、人の気配がない。

 真壁と柳田はどこにいるのだろう。

 厨房か、従業員室か、それともこの広い館のどこか別の部屋か。

 透は廊下に耳を澄ませた。

 何も聞こえない。

 足音も、声も、ビー玉の音も。

「もう寝よ」

 笑が言った。

「寝れる?」

 力が訊いた。

「寝るしかないやん。起きてても怖いだけやし」

「それはそう」

 四人は電気を消すかどうかで少しもめた。

 笑は当然つけたままを希望した。力もそれに賛成した。悟は「どっちでも」と言った。透も、内心ではつけておきたかった。

 結局、部屋の明かりは小さな常夜灯だけ残すことになった。

 主灯を消すと、和室の輪郭が曖昧になった。

 座卓。襖。床の間。窓。

 そのどれもが、昼間より少し遠くにあるように見える。

 透は布団に入った。

 体は疲れている。けれど頭は冴えていた。

 今日起こったことを順番に思い出す。

 バスの窓を叩く音。

 赤いビー玉。

 玄関で見た小さな影。

 お守り。

 廊下から聞こえた「みいつけた」。

 夕食後の真壁の話。

 悠真。

 六歳の男の子。

 父親に一度も遊んでもらえなかった子。

 母親を慰めようとしていた子。

 両親を失い、施設に引き取られ、そして消えた子。

 おとうさん、あそぼ。

 あの声を思い出すと、怖さとは別の感情が胸の奥に沈んだ。

 かわいそうだ。

 そう思った。

 けれど、それだけで済ませていいのか分からなかった。

 かわいそうな子どもだからといって、何をしても許されるわけではない。

 怖いものは怖い。

 その二つの気持ちが、透の中で並んでいた。

「透」

 小さな声がした。

 笑だった。

「起きてる?」

「起きてるで」

「やんな」

「うん」

「私、ちょっと後悔してる」

「来たこと?」

「うん」

 笑は布団の中で、こちらに背中を向けていた。顔は見えない。

「でも、来んかったらよかったって思ってるわけでもない」

「どういうこと?」

「分からん。怖いけど、悠真くんの話聞いたら、帰りたいだけではなくなった」

 透は笑の背中を見た。

 笑は怖がりだ。

 でも、ただ怖がって終わる人間ではない。

 怖いものの向こうに誰かがいると分かったら、その誰かを放っておけない。

「笑は優しいな」

 透が言うと、笑は少しだけ黙った。

「優しいんかな」

「うん」

「でもやっぱり怖いだけなんかも。怖いから、かわいそうって思ってないと耐えられへんのかもしれん」

「それでも、思わないよりはいいと思う」

「透は?」

「僕も怖い」

「ちゃう。悠真くんのこと」

 透は少し考えた。

「見つけてほしいんやと思う」

「うん」

「でも、見つけたらどうなるんか分からへん」

 笑は返事をしなかった。

 その代わり、小さく布団を握る音がした。

 しばらくして、力の寝息が聞こえ始めた。

「寝るの早」

 笑が小声で言った。

「すごいな」

 透も思わず笑いそうになった。

 こんな状況でも眠れる力は、ある意味では強い。

 悟は起きているのか眠っているのか分からなかった。反対側の布団で、こちらに背を向けている。常夜灯の薄い明かりの中で、その肩の輪郭だけが見えた。

 透は目を閉じた。

 眠れないと思っていた。

 けれど、いつの間にか意識が薄れていった。

 疲れていたのだろう。

 怖さよりも、体の重さが勝った。


 夢を見た。

 久遠館の廊下を歩いている夢だった。

 廊下は昼間よりも長かった。

 どこまでも続いていた。

 左右には襖が並んでいる。どの襖も少しずつ開いていて、その隙間から真っ暗な部屋が見えた。

 透は裸足だった。足の裏に床板の冷たさを感じる。

 前方で、子どもの笑い声がした。

 高く、細く、楽しそうな声。

 それを追いかけて、透は歩いた。

 やがて、廊下の突き当たりに小さな男の子が立っているのが見えた。

 後ろ姿だった。

 白い寝巻きのようなものを着ている。

 髪は柔らかそうで、首筋が細い。

 透は声をかけようとした。

 けれど声が出なかった。

 男の子は、廊下の突き当たりにある古い襖の前で止まっていた。

 そして、こちらを振り返らないまま言った。

「かくれんぼしよう」

 透は首を振ろうとした。

 嫌だ。

 そう言いたかった。

 けれど体が動かなかった。

「ぼくが隠れるから」

 男の子は言った。

「見つけてね」

 襖が、ひとりでに開いた。

 その向こうは真っ暗だった。

 男の子は中へ入っていく。

 透は追いかけたくなかった。

 なのに足が前へ出た。

 一歩。

 また一歩。

 襖の前まで来たとき、男の子の声が奥から聞こえた。

「十、数えて」

 透の口が、勝手に動いた。

「いーち」

 自分の声ではなかった。

「にー」

 低い声だった。

 大人の男の声。

「さーん」

 透は怖くなった。

 これは自分ではない。

 自分の口から、誰か別の声が出ている。

「しーい」

 男の子が暗闇の中で笑った。

「ごーお」

 やめろ。

「ろーく」

 数えたくない。

「しーち」

 誰か、止めてくれ。

「はーち」

 透は必死に目を閉じた。

「きゅーう」

 そして。

「じゅう」

 その瞬間、暗闇の奥から声がした。

「もういいよ」

 

透は目を覚ました。

 布団の中だった。

 常夜灯がついている。

 和室。

 座卓。

 襖。

 窓。

 夢だ。

 そう思った。

 全身に汗をかいていた。喉が渇いている。心臓が速い。

 透はゆっくり体を起こした。

 部屋は静かだった。

 笑は布団の中で丸くなっている。

 力は口を開けて眠っている。

 悟は――。

 悟の布団が空だった。

 透はしばらく、それを理解できなかった。

「悟?」

 透は小さく呼んだ。

 返事はない。

 もう一度、少し大きく呼ぶ。

「悟」

 笑が目を覚ました。

「……何?」

「悟がおらん」

 笑は一瞬で起き上がった。

「え?」

 力もその声で目を覚ました。

「何や……」

「悟がおらへん」

 力は寝ぼけた顔のまま悟の布団を見た。

 そして、表情が変わった。

「まさか、トイレちゃうん?」

「分からない」

 透は悟の枕元を見た。

 お守りはあった。

 白い封筒。

 赤い糸。

 そこに置かれている。

 けれど、その横に、もう一つ別のものが置かれていた。

 赤いビー玉。

 座卓の上に置いていたはずのビー玉が、悟の枕元に移動していた。

「何で……」

 笑が震えた。

「誰か動かした?」

 力が訊いた。

「僕は触ってへん」

「私も」

「俺も」

 三人は同時に黙った。

 悟がいない。

 ビー玉が悟の枕元にある。

 それだけなら、悟が自分で持って出た後、戻したのかもしれない。

 いや、戻しているなら悟もいるはずだ。

 透は立ち上がった。

「探そう」

「え、行くん?」

 笑が言った。

「行くしかない」

「真壁さん呼ぼ」

「先に部屋の近くを見るだけやったら大丈夫ちゃうか?」

「一人で行かんといて」

「三人で行こう」

 力は懐中電灯を手に取った。

「俺も行く」

 笑は迷っていたが、結局立ち上がった。

「置いていかれる方が無理やわ」

 三人は廊下に出た。

 夜の久遠館は、昼間とは別の建物だった。

 廊下は長く、暗い。

 ところどころに小さな明かりがついているが、その明かりは床を照らすだけで、天井や壁の上の方は黒く沈んでいる。

 床板は冷たかった。

 透は自分が夢の中と同じように裸足でいることに気づいた。慌てて部屋へ戻り、草履を履いた。力と笑も同じように草履を履く。

「さとるー」

 力が声を抑えて呼んだ。

 返事はない。

「悟」

 透も呼んだ。

 廊下の奥で、何かが動いた気がした。

 力が懐中電灯を向ける。

 何もない。

 ただ、廊下の先が右へ曲がっている。

 その先が、奥の廊下だった。

 真壁が行くなと言った場所。

「え、あっち?」

 笑が言った。

 透は答えなかった。

 そのとき、廊下の奥から声がした。


「もういいよ」


 透の体が固まった。

 夢の中で聞いた声と同じだった。

 子どもの声。

 かくれんぼの声。

「今の……」

 力が言った。

「聞こえた」

 笑の声は泣きそうだった。

 透は奥の廊下を見つめた。

 暗い。

 その暗がりの向こうから、今度は別の声が聞こえた。

 悟の声だった。


「透」


 小さく、遠い声。


「こっち」


 笑が首を横に振った。

「嫌や。絶対あかん」

 力も動けずにいた。

 透は拳を握った。

 怖い。

 行きたくない。

 けれど、悟が呼んでいる。

 本当に悟なのかは分からない。

 それでも、あの声を無視して部屋へ戻ることはできなかった。

「真壁さんを呼ぼう」

 透は言った。

「でも、悟が」

「三人だけで行くのは危ない」

 力はうなずいた。

「俺、呼んでくるわ」

「一人で行かんといて」

 笑が言った。

「じゃあ全員で戻ろう」

 三人は部屋へ戻ろうとした。

 その瞬間。

 廊下の奥から、ぱたぱたと足音が近づいてきた。

 小さな裸足の足音。

 子どもが走ってくる。

 速い。

 近い。

 ぱたぱたぱたぱた…

「走れ!」

 力が叫んだ。

 三人は部屋へ向かって走った。

 草履が脱げそうになる。笑が転びかけ、透が腕をつかむ。力が襖を開ける。三人は転がるように部屋へ入った。

 力が襖を閉める。

 その直後、襖の向こうで、足音が止まった。

 三人は息を殺した。

 急に静寂に包まれたかと思った瞬間、襖の下の隙間から、何かが見えた。

 白い足だった。

 小さな子どもの足。

 裸足だ。

 それが、襖の向こうに立っている。

 笑は声を出さずに泣いていた。

 力は口を押さえている。

 透は動けなかった。

 小さな足は、しばらくそこにあった。

 そして、襖の向こうから声がした。


「みいつけた」


 次の瞬間、部屋の中の常夜灯が消えた。

 完全な闇。

 笑が悲鳴を上げた。

 力が何かにぶつかる音がした。

 透は手探りでスマホを探した。

 だが、座卓の上に置いたはずのスマホがない。

 暗闇の中で、ころん、と音がした。

 ビー玉が転がる音。

 部屋の中のすぐ近く。

 

 ころん。

 ころん。

 

それは透の足元で止まった。

 暗闇の中なのに、赤いビー玉だけがうっすらと光っていた。

 そして、その光の向こうに、小さな顔が浮かんだ。

 男の子。

 白い寝巻き。

 濡れたような髪。

 年は六歳くらい。

 その子は透を見て、にっこり笑った。


「つぎは、だあれ?」


 透は声を出せなかった。

 そのとき、部屋の外から真壁の声がした。

「開けてはいけません!」

 襖が、外側から強く叩かれた。

「皆さま、絶対に返事をしてはいけません!」

 男の子の顔が、笑ったまま歪んだ。

 そして、透たちではない誰かの声で言った。


「おとうさん」


 暗闇の中で、四つのお守りのうち一つが、ぷつりと音を立てた。

 赤い糸が、切れた音だった。

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