第13話
僕たちが村を訪れたあの日以来、ボルゴグラード城にはどこかピリピリとした雰囲気が漂っていた。
現に村が一つ犠牲になった今、北方騎士団はこの小鬼たちを見逃すという選択肢はない。
しかし、今回の討伐は困難を極めることが予想されていた。大規模な小鬼の群れ、しかも彼らは地中に潜んでいるという。
地中に逃げ込まれては騎馬突撃ができないが、白兵戦では北方騎士団の側にも少なからぬ出血が強いられるだろう。
さらに、騎士たちは相手の小鬼が住みかとしている地下まで侵入しなければならないのだ。
副団長は慎重に作戦を立てているようだった。今日も幾人かの騎士が遠巻きにあの村一帯を監視しに出かけている。
小鬼たちが地中に張り巡らせているであろう地下通路の全容は依然として掴めていなかった。
僕が連れて帰った男は、あの村が辿った末路を克明に知らせてくれた。
秋も近づき、農作物を整理するのに気を取られていた村人たちは、真夜中に小鬼が地中にトンネルを掘って村を狙っていることを知りもしなかった。
気がついた時にはもう後の祭りで、小鬼が村になだれ込み、一晩にしてろくな抵抗も出来ずに陥落してしまったらしい。
その後、村人の大半は地下へと連れていかれ、男だけが万が一騎士が訪れた時の罠にかける餌として村に放置されていたのだという。
僕は男の茫然と涙を流す姿を直視することができなかった。あの村の生き残りは男と、たまたま村を離れていた数人だけだった。
人として、そして彼らを守るべきだった北方騎士団の一員として、憤りを覚えない騎士は城内にいなかった。僕も例外ではない。
誓ってあの小鬼たちを血祭りにあげてみせる。
僕はマルグレット卿と誓約を交わした。
しかし、だからといって一人で小鬼の大群の中に馬鹿みたいに突撃するわけではない。それは単純に無意味だし、僕に課せられた仕事で放り出してよいものなど何一つない。
時が満ちるまで、僕たちは忙しない日々に追われながらボルゴグラード城で剣を磨くほかないのだ。
ほら、今だって僕は非常に困難な任務に従事していた。未だかつてこんなに途方に暮れたことは片手で数えるほどしかない。
僕は今すぐしゃがみこんで頭を抱え込みたい気分だった。
「ショルツ、何を茫然と突っ立っておるのだ。私に剣を教えぬか。」
目の前に木剣を手に持つパトリシア殿下が一人、軽装で立っていた。
さらに僕たちの周囲をさりげなく殿下の騎士たちを主としたやじ馬たちが取り囲んでいる。その中にはオルドラン卿の姿もあった。
殿下の訝しげなくりくりとした瞳が僕を睨んだ。
「まさかお前はこの期に及んでも私に剣を教えるのを躊躇っているのか?」
簡単に剣を教えるといっても、言うは易し行うは難し、である。特に僕の剣は大部分が感覚によった我流の剣術であるがゆえに、輪をかけて教えるのが難しかった。
ええい、ままよ。僕は腰の剣を抜いた。
「殿下、ご覧ください。これが僕の愛用します剣でございます。手に取ってどうぞご確認なさるとよいでしょう。」
パトリシア殿下がおっかなびっくり僕の剣を受け取った。一瞬落としてしまいそうになるが、両手で握りなおす。
「思ったより重いのだな、見ているだけでは分からなかった…。それに、この剣はなんというか、その、」
「とてつもなく細長い、そうでしょう? 殿下。」
僕は殿下から剣を返してもらい、中庭に立ててある藁人形の前に立った。
「御覧の通り、この剣は斬ったり叩きつけたり、といった一般的な剣としての用途は一切ありません。この剣にできるのはただ一つ、眼前の敵を刺し貫く、それだけです。」
僕は剣を水平に構え、瞬きの間に突きを放つ。
長い年月をかけて何度も何度も繰り返したその所作はもう僕の体に染みついていて、目で捉えられるかといった早さに達していた。
ひゅうっという風切り音に遅れて手に藁人形を突いた感触が伝わる。
藁人形の頭はくくりつけられていた木の杭ごと剣に貫通されていた。やじ馬がどよめき、殿下が息を呑む音がする。
「ゆえに、この剣を扱うとなれば相当の覚悟が必要です。この剣を握った時点で防御の二文字は存在しません。
避けるか、突くか。ただそれだけで眼前の敵を倒す必要があります。」
「殿下にはまず基本的な突きを放つところから練習していただきます。さあ、木剣を構えて。」
僕の指示に従い、殿下がへっぴり腰ぎみに剣を前に突き出す。僕はその姿に容赦なく指摘を加えた。
腰が引けている、剣の持ち方が間違っている、足の踏み込みが甘い……。
昼過ぎから始まった鍛錬は、日が傾き、就寝時刻が近づいてきても続けられた。
もうすでに周囲のやじ馬の姿はない。中庭には鍛錬に励む僕とパトシリア殿下、そしてそれを遠巻きに眺めているオルドラン卿の三人ほどしか残っていなかった。
およそ千回ほど突きを放っただろうか。汚れるのも構わずパトリシア殿下が中庭の土の上に倒れ込む。
そのまま荒い息をしている汗まみれの殿下に僕は密かに感心した。
途中で音を上げると思っていたのだが、パトリシア殿下は思ったより根性があったらしい、僕の想定以上に頑張ってくれた。
「ど、どうだろうかショルツ。私は上達しているか……?」
僕を見上げるパトリシア殿下が息も絶え絶えに尋ねてくる。その声色にはどこか期待が含まれていた。
さて、どう言葉をかけるべきか。僕はしばらくの間顎に手を当てて考えると、口を開いた。
「殿下、そもそも今日一日で上達などするはずもありません。剣とは毎日毎日どんな時も欠かさず継続し、その果てに成果が得られるもの。
今日頑張った程度で腕前が上がるなどという甘えた考えはお捨て願いたい。」
パトリシア殿下の表情が曇る。
「…ああ、お前の言うとおりだ。私としたことが、浮かれていたらしい。」
自分に言い聞かせるように呟く殿下の声に被せるようにして僕は言葉を付け加えた。
「ただし、殿下の覚悟は伝わりました。正直、ここまで本気で打ち込まれるとは思いもよりませんでしたので。その意気込みは評価されてしかるべきだと思いますよ?」
パトリシア殿下の顔がパアッと明るくなる。よろけながらも勢いよく立ち上がったパトリシア殿下は満面の笑みを浮かべた。
「そうか、そうか! ショルツ、また明日も頼むぞ!」
今にも鼻歌を歌いそうなくらい上機嫌なパトリシア殿下が城の館に消えていく。取り残された僕は引きつった笑みを浮かべた。
そうか、これをほぼ毎日続けなければいけないのか。僕は静かにため息をついた。
そんな僕にオルドラン卿が近寄ってきた。
「ショルツ卿、無理を承知していただきありがたい。それに、今までの非礼もお詫びいたしたい。」
オルドラン卿が夕暮れの中庭でお辞儀をする。僕はそれを慌てて止めた。
オルドラン卿が僕に謝っているところを誰かに見られて変な噂を立てられては困る。
「頭をあげてください、オルドラン卿。かつてはいざ知らず、今や卿とは確執の解けた仲ではございませんか。」
「寛大な言葉、感謝する。実はパトリシア殿下について、お知らせしたいことがあってな。」
オルドラン卿が真剣な表情で顔を近づけてくる。僕は面食らった。
パトリシア殿下について、だって? 訝しげだった僕はその次のオルドラン卿の言葉に驚きを隠せなかった。
「ショルツ卿はパトリシア殿下がどうして北方騎士団の団長に任命されたか、ご存じか。」
てっきり僕はあのパトリシア殿下がわがままでも言った結果なのかと思っていたが、オルドラン卿の表情から察するにそういうわけではなさそうだ。
「実は、パトリシア殿下も今までの他の団長と変わりはせんのだよ、左遷なのだ。
パトリシア殿下が騎士物語に憧れていることを逆手に取られ、かような辺境へと追いやられたのだ。」
王族が、左遷? 僕はだいたい話の筋が読めてきた。王族をここまで辺境の地に蹴落とすことができるのは同じ王族しかいない。つまり、
「跡継ぎ争い、というわけですか。」
オルドラン卿が苦虫を嚙み潰したような顔で頷いた。
「左様。相手は現皇太子にして将来の女王と確実視されておる第一王女、アンドロマリア殿下である。」
いつの時代も王侯貴族は変わらないものだ。実の妹を放逐するとはまったく常軌を逸している。僕は嫌気が差した。
アンドロマリア・ド・トゥルモンド。現国王アグラシウス七世に代わり王家の実権を握る、実質的なこの王国の最大諸侯であり、パトリシア殿下の姉だ。
「今となっては信じられぬかもしれぬが、パトリシア殿下とアンドロマリア殿下は幼少期は実に親しくお付き合いなさっていられた。
だから、歳月を経てアンドロマリア殿下とパトリシア殿下との間に確執が生まれようとも、パトリシア殿下は対立することだけはお避けになった。
しかし、アンドロマリア殿下は実に情け容赦のないお方だ。パトリシア殿下が抵抗なさらないのをよいことに北方騎士団へと追いやり、遂には暗殺者すら送るようになった。」
オルドラン卿がぐっと僕に顔を近づける。
「もはや殿下が信頼なされるのはご自身の騎士と数少ない後援の諸侯のみよ。だからこそ、ショルツ卿。
卿はどうかパトリシア殿下に寄り添っていただきたい。後生の頼みだ。」
オルドラン卿が後にした中庭で、僕は一層深いため息をついた。
やられた、巻き込まれたな。オルドラン卿もああ見えて人が悪い。まったく、面倒くさいことになりそうだ。




