141話
「おお、お帰り」
クエリアの町外れで待っていたギルヴァスは、あづさとダニエラを見て笑い掛けつつ軽く片手を上げた。
「ただいま。色々お話聞いてたら遅くなっちゃった。待たせてごめんなさいね」
「何、構わんさ。……どうやら満足のいく話ができたみたいだからなあ」
ギルヴァスは、ダニエラを見てにっこりと笑う。ダニエラはギルヴァスへの警戒を持っているらしいものの、気まずげに、少しばかり、会釈した。
「……あの方に会わせてもらったこと。礼を言わねばなりませんね」
「ん、そうか。それならよかった」
だが、ダニエラの葛藤などまるで気にせず、ギルヴァスはのんびりとそう言ってにこにこする。
「さて。じゃあそろそろ帰ろう。日も暮れてきた。城に戻らないと心配されるからなあ……」
そしてすぐさまドラゴンに変じたギルヴァスは、身を屈めてあづさとダニエラを背に乗せると、悠々と、暮れゆく空へと飛び立つのだった。
案の定、城ではダニエラが消えたということで、ちょっとした騒ぎになっていた。ギルヴァスが謝り倒すことでその場は収まったが。
それから、ギルヴァスやアーリエス4世達へ、ダニエラの正体や、ダニエラがしようとしていたことについて語られた。ギルヴァスは静かに聞いていたが、流石にアーリエス4世や……ダニエラを妃として娶っている先王には、衝撃が強かったらしい。
先王は少々取り乱し、間にギルヴァスが入る、という状況になったが……逆にこれによって、人間と魔物の距離は縮まったらしい。
取り乱す先王が心境を延々と語るのをギルヴァスは頷きながらじっくり聞いてやり、それによって先王が落ち着いてきた頃にはギルヴァスの評価が上がっていた。不安や混乱を語り、更には愚痴まで聞かせてしまった相手を『分かり合えない魔物』とは到底思えなくなったのだろう。
……そして、ダニエラについては、王城から追放するかどうか、というように話が進んだのだが……それは、あづさの一言によって、保留となった。
つまり、「ダニエラさんが居なくなったらいよいよ、人間の国って弱くなるわね」と。
……ダニエラが魔法を規制していたために、人間の国の武力は弱まった。それこそ、王城にあづさ達が悠々と侵入できたほどに。そんな人間の国においては、ダニエラが最高戦力であることに間違いはない。
そのダニエラを追放してしまったら……それは即ち、魔物が敵意を剥いた瞬間、人間の国は抵抗も碌にできずに滅ぶ、ということになる。
魔物を受け入れつつも流石に信用しきることもできない人間の王達は、ひとまず、ダニエラの処遇は『保留』ということにするしかなかったのである。
そうしていつの間にやら、あづさ達の一団にアーリエス4世やその側近達、そしてダニエラをも交えて、共に夕食を摂ることになってしまった。
……ダニエラは自分が居るべきではない、と主張したのだが、あづさをはじめとする魔物の集団に押し切られ、アーリエス4世からも勧められ、気づけば食卓に着いていた。
およそ、100年前では考えられなかったことに。今、人間と魔物とエルフが同じ卓で、食事を共にしている。
……この重さを感じる者も居れば、一切感じず、当たり前に受け入れてしまっている者も居る。
それがまた、貴重なことなのだと、ダニエラは知っている。
「……不思議なものですね」
ダニエラはそう、零した。
「不思議、か。確かにそうだな。魔物と同じ卓を囲むことになるとは」
ダニエラの呟きを聞きとったらしい先王はそう言って頷くが。
「いいえ。それも、ですが……私が、正体も目論みも露見して尚、ここに居ることが」
ダニエラはそう言って、そっと苦笑する。
「本当に、考えたこともなかったのです」
考えたことなど無かったこの現状だが、考えうる限り、最良でなくとも最善の結果ではあるだろう。
ダニエラの計画は潰え、しかし、望みはどうやら、叶いそうである。自身がエルフであることを隠さずに生活する日も、そう遠くない。そう思えた。
「……必要なものは、力、ではなかった、のでしょうね」
ダニエラは自分の掌へ、じっと視線を落とした。
もう必要ないのだから、返さなくては。
そう、思いながら。
あづさは食事を口にしながら、口元を綻ばせていた。
それは、今回得られた成果への喜びでもあり……『これから』を考えて浮かぶ笑みでもある。
「ン?あづさ、どうした?なんかニコニコしてるけどよォ、飯がうめェからかよ?」
「ええ。みんなで食べるご飯は美味しいな、って思ったの」
ラギトの言葉にそう返すと、ラギトは分かっているのか居ないのか、ふーん、と首を傾げる。しかし、深くは考えないことにしたらしい。ラギトはひとまず、あづさが上機嫌であるということだけ分かっていればそれでいいのだろう。
「そういや俺、気になってたンだけどよォー、なー、ダニエラ」
そしてラギトは、急にダニエラに向き直る。ダニエラは少々驚いたが、それでも邪険にはしない。ラギトはそれを当然のように受け止めると、問う。
「オメー、何歳?ギルヴァスにワカゾーっつうくらいだから、もっと長生きなのか?でもギルヴァスは300超えたオッサンだぜ?」
ギルヴァスが、おっさん、と少々複雑そうな顔をしたが、ラギトは特に気にしないらしい。ただダニエラを見つめて首を傾げている。
……その様子を見て笑いながら、ダニエラは答えた。
「814歳です。あなたの10倍以上、生きていますよ」
「はっぴゃく」
ラギトは目を瞬かせると……真剣に、1、2、と自分の羽で数え始めた。そして10を超えたあたりで800など数えきれない、ということにようやく思い当たったらしい。羽から顔を上げると……元気に、言った。
「……すっげえババアじゃん!すげえ!」
「お黙り」
そして余計な感想を元気に漏らして、ダニエラに静かに一喝される。
しかし、一喝された程度でめげるラギトではない。この程度でめげているならば、ラギトは今生きてはいないだろう。
ラギトは元気にかつ楽し気に、すげえすげえと騒ぐ。……そしてそこにあるのは悪意ではなく好奇心で、或いは賞賛なのだ。ダニエラにもそれが分かってきたらしく、小さくため息を吐くと、後は苦笑するばかりとなった。
……つくづく、和やかな夕食会であった。
その夜。
「ギルヴァス。いいかしら」
あづさはギルヴァスの部屋を訪ねていた。ドアをノックすると、中からのんびりと返事が聞こえてくる。あづさはそれを確かめてから、ギルヴァスの部屋へ入り込んだ。
「遅い時間にごめんなさい。ちょっと、話したいことがあって」
あづさはそう前置きしてから、言った。
「魔王様のことなんだけど」
それからあづさは、自分の予想を話す。
『今代魔王は魔王の力を持っていないのではないか』という、予想を。
それを聞いたギルヴァスは真剣な顔で頷いた。
「そうだな。勇者の力は行方不明、そして魔王の力はダニエラが持っていた、となれば……今の魔王様はお力を持っていないことになる、のか。うーん……」
ギルヴァスは考え込んだ挙句、ふと、心配そうに顔を上げた。
「……魔王様は本当に、君を元の世界に帰せるのだろうか」
「それね。私も思ったわ」
あづさはくすくすと笑う。笑い事じゃないだろう、とギルヴァスは苦い顔をしているが、一周回っていっそ可笑しくなってしまう。
一方のギルヴァスは、只々心配そうな顔をする。
「魔王様が君を帰せないなら、契約は無効、ということになるだろうな。となると、君は……」
「まあそれでも、地の四天王団に居るつもりだけどね」
ギルヴァスの心配はそこよね、と聡くも察したあづさは、そう言ってにっこりと笑う。するとギルヴァスは、多少、安心したような顔をする。
彼としては当然、あづさが元の世界に帰りたがっていることを知っていて、それを応援する気持ちもあるのだろう。だが、あづさと別れることを喜べはしない。そういうことなのだろう。
あづさは、正直なのはいいことよね、と思いつつ、更にギルヴァスを安心させるべく、言葉を重ねた。
「目的がもう1個、増えちゃった。私、勇者マユミができなかったこと、やりたいわ」
「人間と魔物の和平、か」
「そう。……勇者マユミが私の知ってる真弓じゃなくても。どうにも、他人に思えないから」
……結局。
勇者マユミがあづさの知る『真弓』であったのかは、分からずじまいだった。
彼女が元の世界に帰った、ということならあづさは彼女と再会しているはずであるし……そもそも、勇者の力を持ち帰った、ということならば……『真弓』は死なずに済んだのではないだろうか、とも思う。
あづさの知る『真弓』は死んだ。それは、間違いない。
葬儀にも出た。あの現実味の無い感覚は今も尚、強く強く覚えている。
……であるからして、この世界に居た勇者マユミがあづさの知る『真弓』である可能性はむしろ低い、と頭では理解しているのだが……それでも、どうにも、心は。あづさの感覚は……勇者マユミと共に在ろうと、しているらしかった。
「私、魔王様との契約がどうなろうが、この世界で色々やってから帰ることに決めたの。だから、魔王様はまあ……どうでもいいわね。ええ」
「ど、どうでもいい、とは……思い切ったなあ」
不敬だなあ、と言いつつ感心している様子のギルヴァスを見て、あづさは笑う。のんびりとして穏やかな性質のギルヴァスを見ていると、あづさの考えはより鋭く研ぎ澄まされていくように感じる。まるで、鋭利な刃物が滑らかな砥石に触れ、鋭く磨かれていくように。
「ってことで、これはチャンスよ!」
そこであづさは、言った。
「え?」
ギルヴァスはあづさの突然の言葉に疑問符を浮かべていたが、あづさは気にせず続ける。
「だって、魔王様は契約の担保にしてた力が無いのよ?それって問い詰めて責任追及するには良い材料じゃない?」
「……ま、まあ、そうだなあ」
明らかに、ギルヴァスは戸惑っていた。あづさが急に元気になったこともそうなのだろうが、何より、あづさが話す内容が驚きと戸惑いを生んでいる。
「しかも力が無いってことは、下克上し放題じゃない?」
「え?……え、いや、ちょ、ちょっと待ってくれ、あづさ。何を」
「ついでに私、思ったんだけど」
只々戸惑うギルヴァスを前に、あづさは、言った。
「ダニエラさんに魔王の力、返してもらいましょう。それでその力を使って、あなたが魔王になればいいのよ」




