140話
「自分がお世話になった宿の、丁度自分と同じくらいの齢の女の子が、エルフの血を引いているから苦しんでいた。……真弓はそれをなんとかしたくて、人間の国と魔物の国の和平を、望んだんだと思うわ」
「馬鹿な!そんなことがあるわけ……!」
ダニエラは声を荒げかけて、はっとする。
ダニエラの視線の先で、老婆は、穏やかに頷いていた。
「……そう、ね。あの子なら、そういうこと、考えたかもしれないわ」
老婆の様子を見て、ダニエラは声を荒げることができなくなる。落ち着くために茶を口に含んで、渋みの中に甘みの広がる味わいを喉の奥へと送り込んだ。
「……果たして本当にそうと言えるでしょうか。エルフを救うために人間と魔物の国を結ぼう、など、荒唐無稽です。大方、魔王に唆されたのでしょう」
「そう?エルフって、人間にとっては魔物だし、魔物にとっては人間側に残った種族なわけだから、人間と魔物の対立が無くなれば、エルフへの迫害も無くなると思うんだけれど」
あづさはそう言って笑う。老婆も、そうね、と言って笑う。ダニエラは居心地悪く思いながら、カップの中に視線を落とし続けた。
「そもそも異世界人にとってはこの世界のことなどどうでもいいはずです。彼女が何を思っていたのかなんて……」
「そう。分からないの。死んだ相手が何考えてたかなんて、もう、分からないのよ」
ダニエラが吐き捨てた言葉を、あづさが拾い上げる。静かで落ち着いていながらも強く、何か思いの籠った言葉は、ダニエラをはっとさせた。
「でも、だから、考えることはできるわ。あの子が何考えてたか、考えて……納得がいくまで、答えを問い続けることは、できるはずよ」
あづさはそう言ってから、ふと、思い出したように笑う。
「だから、教えてほしいの。100年前の……勇者マユミのことを」
「……100年前のあの日、私は魔王城に忍び込みました。先代魔王と、勇者マユミを殺すために」
ダニエラはそう、話し始めた。
「それまで、人間と魔物の国は対立していましたから、皮肉にもそのおかげで、魔力が高いエルフである私は、人間の国をある程度支配することができていたのです。……そこは、あなたが想像したとおりですね」
少々皮肉気に笑って、ダニエラはあづさを見つめる。自分の思惑を見破られたことについて、少々思うところがあるらしい。だがあづさはそれを堂々と受け止めて、続きを促した。
「……だからこそ、魔物との和平によって魔法を得て、人間が力を持つことは避けなければならなかった。人間の国を支配するようになって、私はエルフ達を救うことができていました。彼彼女らを集めて、密やかに匿うことも、力があればできたのです」
「そう。……それで、エルフは人間の国で、どんどん珍しくなっていったのね」
あづさが納得すると、ダニエラは少々、苦い顔をした。
「……そうですね。エルフは人間にとって、珍しく奇異なものだったのです。魔物の国との戦いが続く中、人間は魔法を持たない分弱く、勇者に頼るしかない。その鬱憤は異物であるエルフに向いた。そういうことだったのでしょう」
ダニエラはそう言うと、ため息を吐いて、気を取り直したように話を再開する。
「話を戻しましょう。とにかく、私は魔物の国と人間の国が和平を結ぶことなど、許せなかった。争いの中にエルフを取り残しておいて、今更そんなことをされては我らが苦しむだけ。それに、もし、先代魔王が勇者マユミを騙していたのなら……人間の国は『侵略』されることになります。そうして人間の国が潰えてしまえば、そこに属していた私達エルフの地位も、人間と同じ……滅びた国の生き残り、となるわけですから、ますます苦境に立たされることは、容易に想像できた」
「それであなたは……『フォグ』に頼んだのと同じことをしたの?」
「ええ」
ダニエラは思い出すように目を細める。
「当時の王、アーリエス1世は愚かな王でした。先代の王が勇者イーダと共に成し遂げた功績……魔物の国からの領地奪還を超える功績を残そうと、必死だったのです。だから彼を唆すのは、そう難しいことではなかった」
「私はアーリエス1世の従者として、他数名の近衛と共に魔王城へと向かいました。『和平を結ぶための話し合い』のために」
「え?和平を結ぶつもりだったの?」
「アーリエス1世はそうでしたね。尤も、彼の思う『和平』は、人間の国が魔物の国を吸収することだったようですが」
ダニエラは皮肉気に笑って、当時の愚かな人間を思い出しているのか、ゆったりと指を組んでため息を吐いた。
「先代魔王は既に勇者マユミと親しげでした。勇者マユミはやってきたアーリエス1世を前に、人間の国と魔物の国の和平が実現する、と喜んでいました。先代魔王も、少なくとも表向きはそのように喜んで、私達を歓迎した」
「……そこで彼らを、殺したの?」
あづさが問うと、ダニエラは自分の耳を示した。
今、ダニエラは幻術を使わず、そのまま長く尖った耳が見えるようになっている。
「私はこの通りエルフですから、魔物のふりができました。フェアリーやニンフのふりをすれば、特に怪しまれもせず、魔王城を歩けました。勇者マユミに割り当てられた寝室を尋ねることも難しくはなかった」
それはそうだろう。魔物の中には人間に近しい姿をしたものがいくらでもいる。ギルヴァスだって人間のように化ければそうなるし、ミラリアなどはほとんど人間と変わりがないのだから。
「そして私は……勇者マユミを殺すつもりだったのです。和平の話し合いが和やかに行われようとしている最中、勇者が殺されたならば……それは魔物の仕業に他ならない。人間の国と魔物の国は決裂するだろう、と」
あづさは息をのんで、ダニエラの話の続きを待つ。
あづさの知る『真弓』の最期かもしれない、その話を、一言たりとも聞き漏らすまい、と。
……だが。
「そしてそこに、勇者マユミは居なかったのです」
ダニエラはそう、言った。
「え?勇者マユミは……いなかった、って、どういうこと?」
あづさが思わず問えば、ダニエラは首を横に振る。
「分かりません。ただ確かなことは、その部屋には勇者マユミが居なかった代わりに、先代魔王が居た、ということです」
思わぬ展開になってきた話を聞きつつ、あづさは混乱してきた。
勇者マユミはダニエラに殺されたのでは、なかったのか、と。
「国から送り出す際、勇者マユミには呪いを掛けておきました。裏切ったなら即座に殺せるように、と。……私はその呪いを先代魔王に肩代わりさせることで、魔王を殺したのです」
呪いの肩代わり、というものがどういうことなのか、あづさには分からない。だが、ダニエラの表情を見る限り、それが成功したのは少々不可解であるらしかった。
「……先代魔王は、あっさりと死にました。……面白いほどに、あっさりと。私も相当に対策をしていましたが、それでも、呆気なさ過ぎた。まるで、直前まで何かと戦っていたのか、或いは……何か大きな魔法を使っていたのか。そんな消耗した様子でしたし……そもそも呪いの肩代わりなど、いくらでも跳ね退ける力はあったはずで……」
ダニエラはそこでふと表情を歪めると、言葉を切った。その先を言い表す言葉を、どうにも紡ぎだせないというように。
……そして、あづさは。
「じゃあ、あなたは、勇者マユミを、殺して、ない……?」
何かに祈るような気持ちで、ダニエラにそう、問う。
するとダニエラは、ゆっくりと、頷いた。
「ええ。勇者マユミの遺体は、見つからなかった。彼女は本当にただ、姿を消したのです」
「先代魔王の死と勇者マユミの失踪によって、私達の間には、『勇者マユミが先代魔王を殺して消えた』という解釈が為されました。……しかし、実際は、私が先代魔王を殺しています。そして勇者マユミの姿は、どこにもありませんでした。彼女に与えていた勇者の力も、同様に見つからないまま……」
「そう……じゃあ勇者マユミについては、真相は闇の中、ってこと、なのね」
真相は分からずじまいのようだが、ひとまず、分かったこともある。
まず、先代魔王の死の真相。
これについては、犯人はダニエラだった、ということになる。無論、何故、魔王ともあろうものがエルフ1人に殺されてしまったのかは謎だが。
また、『勇者の力』について。
アーリエス4世があづさに勇者の力を与えられなかったのは、その力が勇者マユミに与えられたのを最後に、勇者マユミと共に消えてしまったから、ということなのだろう。
……そして、『魔王の力』についても。
「ねえ。あなたが使っていた『魔王の力』って、その、先代の魔王様を殺した時に、奪ったものなの?」
あづさが確認すれば、ダニエラは頷いた。
「ええ。これを使えば、人間の国の支配を強め、エルフのための国を作ることも可能かもしれない、と。……実際、そう上手くは事が運ばなかったわけですが」
……ダニエラの答えを聞いて、あづさは、思う。
『つまり、今の魔王様って、力を持っていないんじゃないかしら?』と。
ないしは……『今の魔王様に私を元の世界に帰すことって、できるのかしら?』とも。
今代魔王を問い詰めるのは後、ということになりそうだが、ひとまず、あづさの目の前に『魔王の力』を持つ者はいる。問い詰める手段には困らないだろう。
あづさはその時を思って内心でにんまりと笑いつつ、とりあえずはダニエラの話を聞く。
「……私の予想になりますが」
ダニエラはそう、迷うように切り出した。
「先代魔王は、勇者マユミを、元の世界に帰したのだと、思います」
「そうだとするならば、納得がいくのです。魔王があれほどまでに消耗していたのは、異世界への扉を開いたから。勇者マユミの失踪も、元の世界に帰ったからだと説明できます」
「そう、ね……うーん」
ダニエラの説明を聞いて、あづさは少し、迷う。
あづさが知っている『真弓』は、異世界へ行ってきたことなど、一度もあづさに話したことが無かった。高校が別になってしまっても連絡は取り合っていたのだから、いくらでもあづさに話す機会はあったはずだ。だが……『真弓』はそんなことは話さず、死んでしまった。
隠していた、とは思いにくい。だが、あづさにはもう、『真弓』が何を思っていたのか、推測することしかできないのだ。
考えるだけ無駄かしら、と、あづさは小さくため息を吐いて思考を切り上げた。
「それだと、先代魔王がどうして勇者マユミを帰そうと思ったのかが分からないけれど……でもまあ、それなら色々と説明は付く、のよね」
あづさはそう言って、ちらり、と老婆を見やる。
老婆はあづさとダニエラの話を聞いていたが、表情を明るくして、よかった、と呟いていた。
「……ってことで、お婆さん。多分、勇者マユミは……死んだんじゃなくて、元の世界に、帰ったみたいよ」
あづさがそう言ってやれば、老婆は何度も頷いて、その目に涙を滲ませる。
「そう……なら、良かったわ。あんな子が、魔王の城で一人寂しく殺されてしまったなら、そんなに悲しいことはないって、ずっと、それだけが心残りだったの」
老婆はそう言って、あづさとダニエラに笑いかけた。
「ありがとう。あなた達のおかげで、心のつかえが取れたような気分だわ。……本当に、長生きはするものねえ」
ダニエラは老婆の、涙混じりの笑みを向けられて、過去に自分が行おうとした所業に罪悪感を覚えたらしかった。何せ、ダニエラ自身は勇者マユミを殺そうとしていたのだから。
……だが、ダニエラはそれを振り払うように、老婆に向き合う。
「……私がエルフを匿い、隠すことで、エルフは益々人間達にとって、より珍しく奇異なものとなってしまった。そういう面も、あったかもしれません。そのせいで、迫害は強まった。そうとも、言えるかもしれないのです」
老婆は黙って、穏やかな表情でダニエラの言葉を聞いていた。
「しかし……それでも私は、私がしてきたことに後悔などありません。実際に救えたエルフも、数多くいます。ただ」
ダニエラは、老婆の手をとって、そっと、握る。
「……あなたのように、エルフの血がありながら人間に溶け込んで生きている方を取りこぼしてしまっていることは、悔いています」
ダニエラの俯いた顔、引き結んだ唇を見て、老婆は握られた手を、握り返す。
ダニエラはその感触に少々怯えたようだったが、老婆はただ、微笑んで、言うのだ。
「ありがとう。そう言ってもらえるだけで、十分よ」
顔を上げて、ダニエラは老婆を見つめた。
エルフの美貌も重ねた齢に隠れてしまったような、そんな老婆の顔を見て、ダニエラは……救われたような、気がしていた。
「私にエルフの血はあんまり流れていないけれど、それでも……あなたが私達のご先祖様のために頑張ってくれていたことは、嬉しく思うわ」
エルフの血を引いているために迫害され、しかし、人間に混じって生活していたために、ダニエラの支配によって魔法を奪われ、弱者としての生活を知らず知らずに強要されていた。
そんな老婆は、ダニエラの罪悪を拭い去るように微笑むと、照れ隠しのようにティーポットを傾けた。
「さ。こんないい日には美味しいお茶を飲まなきゃね。おかわりはいかが?」
「……いただきます」
乾く口を潤すために、いつの間にかカップの中身は消えていた。ダニエラは老婆にカップを差し出して、そこに温かな茶が注がれていくのを見ながら、善くもあり、悪でもあった自分の生を振り返る。
……そこにあった苦い思いが、カップから立ち上る湯気に溶けて消えていくような気がした。




