142話
ギルヴァスはぽかんとした。只々、ぽかんとした。あづさの言葉は聞こえていたが、内容を理解するのに大分時間がかかった。
「予想してなかった、って?」
あづさは楽し気に、揶揄うようにそう言うが。
「そりゃあそうだろう。誰が予想できる。『自分が魔王になる』なんて」
「あら。あなた最初にこの城に来た時は魔王って名乗ったじゃない?」
「嘘を吐くことと本当に魔王の座に就くことは全く違うだろう」
身の無いやり取りをしつつ、ギルヴァスは考える。
『魔王になる』というのは、実際、どうなのか、と。
今の魔王が慕われていないわけではない。先代の魔王を嫌う者も慕う者も居たように、今代の魔王もまた、嫌う者も慕う者も居る。ただ、先代よりは今代の方が厳しく鋭い傾向にある分、『嫌い』を公言している者は少なかったが。
よって、もし万が一、本当にギルヴァスが魔王の座に就く、などということになれば……当然、周囲からの反発は凄まじいものとなるだろう。
全く以て、得策ではない。
……だが。
ただ単に、『魔王の力』を得る、というだけの話であり、ついでに、その力を今代魔王に正しく返還し、更には人間の国との和平を取り持つ者になるべく交渉の材料にする、ということなら……悪くはない。
今代魔王が人間の国をどう思っているかは定かではないが、先代を殺された恨みがある分、人間を憎悪する方へ傾いているだろうか。ギルヴァスを嫌っていることからも分かるが、今の魔王には、人間と共存関係になる、というような考えはないように見て取れる。
つまり、今代魔王を説得して人間の国との和平を結ばせよう、というのは、手ぶらには少々厳しい話なのだ。
……だがそこに、『魔王の力』という取引材料が加わったなら。そして更に、先代魔王と勇者マユミ、そしてエルフに纏わる真実があれば。……十分に交渉は、可能だろう。
そして、何より。
「俺が魔王の力を手にすれば、君を、元の世界に帰せるのか。俺が」
ギルヴァスはそう、呟く。
……あづさがここに居る理由を、ギルヴァスが、握れる。
「分かった。実際に政治を行う気はないが、形式的に一時だけ、ということなら、魔王になろう」
「あら、随分思い切ったわね。私、あなたがもっとごねると思ってたんだけど」
「君の決断力がうつったのかもしれんなあ」
ギルヴァスはそう言って笑いつつ、思う。
やはり自分は竜なのだなあ、と。
「さて。そういうわけで、魔物の国に戻ったらまた大変よ。今代魔王を脅して交渉するんだからね」
「お、脅すのか」
「そりゃそうでしょ。魔王の力を持っていないのに魔王を名乗って、しかもその力が無いとできないことを私と約束した。契約違反よ。糾弾して弱みに付け込んで、その分こっちの出す条件飲んでもらうんだから」
あづさは勇ましくもそう言うと、にっこりと笑った。ギルヴァスは『安請け合いしてしまっただろうか』というような顔をしたが、もう言質は取った。後はあづさの掌の上である。
「じゃあ、おやすみなさい」
「あ、ああ」
そうしてあづさは挨拶して、部屋を出ようとしたのだが。
「……何か言い忘れたこと、あったの?」
あづさの手が、ギルヴァスに捕まっている。あづさが小首を傾げつつ問えば、ギルヴァスははっとしたように手を離した。
「あ、いや、すまない」
ギルヴァスはもごもごと何かを呟き……気まずげに頭を掻く。どうにもそわそわとして、落ち着かない様子だった。
「……君がここに来たのは別件かと思ったんだが」
「え?」
「……いや、いい。すまん。忘れてくれ」
ギルヴァスの気まずげな様子も、慌てたような様子も、どこか自己嫌悪の滲む表情も、あづさはそれらをじっくりと観察して……思い当たる。
「……ああ、分かっちゃった」
ギルヴァスは『時間を巻き戻せるならそうしたい』とでも言いたげな顔をしていたが、それすらもおかしくて、あづさはくすくすと笑って、ギルヴァスの頬を指先でつつく。
「あなた本当に、浮かれてたのね」
「……あんまり虐めないでくれないか」
「ごめんなさい。つい、ね?」
あづさは収まらない笑いもそのままに、ギルヴァスの顔を下から覗き込む。
「『祝福』の約束だったわね。大丈夫。忘れてないわよ」
かくして、あづさはギルヴァスと向かい合っていた。立っているとギルヴァスの顔は随分頭上にあるので、ギルヴァスは寝台に腰かけている。あづさはギルヴァスの前に立ち、ギルヴァスの顔を見据え……ふと、思った。
「……改まってやろうとすると、恥ずかしいわね、これ」
あづさはそう、思ったままに言った。真正面からギルヴァスの顔を見つめるのが、どうにも気恥ずかしい。特に、ギルヴァス自身があづさよりも気恥ずかし気にしているともなれば、尚更。
「……すまん。無理しなくていい。本来ならこんなことすべきじゃないんだ。どうかしてた」
ギルヴァスはあづさから目を逸らすと、少々の俯き加減でそう言って立ち上がろうとする。だがあづさは、ギルヴァスの肩を掴んで、止めた。
「そう言われると俄然、やる気が出てくるわ」
体を離そうとするギルヴァスを追いかけるように、あづさはギルヴァスに近づく。ギルヴァスはそのために、仰け反るような、少々不安定な体勢になる。それでもバランスを崩さないのは、体幹が鍛えられているからか。
「本当に無理しないでくれ。大体、君の世界の文化では、『祝福』は存在していないんだろう?」
「そう思ってたんだけど、よくよく考えてみると、似たようなのはあったわよ」
あづさは思い出しつつ、そう言ってにっこりと笑う。
「行ってらっしゃい、とか。お帰り、とか。あと、愛してる、だって。そういうのって、『祈り』でしょう?無事に帰ってきてね、とか、無事に帰ってきてくれてありがとう、とか。そういうのが、『祝福』なんじゃないの?」
「……まあ、そう、だが」
「なら私の世界にもあるわ。私とはあんまり馴染みがないけどね。『行ってきます』も『ただいま』も誰かに言うわけじゃなくて、全部自分に言う言葉だったから」
あづさの知る、あづさの世界の『祝福』は、あづさとは無縁のものである。だからそれらの存在は知っていてもあくまで話に聞いたことしかなく、あづさにとっては少々遠い位置にある、未知のものであったのだ。
「けど、知らないわけじゃ、ないもの」
……だからこそ、気になる。そんな好奇心も手伝って、あづさはまた、ギルヴァスに近づいた。
「おーい!菓子貰った!うめえ!やる!」
その瞬間、ドアが勢いよく開き、ラギトの明るい声がやってきた。
あづさとギルヴァスはそちらを見て、目を瞬かせるラギトの姿を認め……揃って、笑いだした。
「ああ、そう!お菓子、貰ったのね!良かったわね、ラギト!」
「おう!良かった!で、うめえからやるよ!俺は気前がいいんだ!」
「そうかそうか。それはありがとうなあ」
ギルヴァスは苦笑しながら立ち上がると、ラギトを部屋に招き入れる。あづさもくすくす笑いながら、卓の準備をした。
……かくして、祝福については有耶無耶に流れ、あとはラギトと、ラギトに連れてこられたらしいルカとミラリア、ミラリアについてきたらしいシャナンと、やはりどこかでラギトに捕まったらしいクレイヴとが入ってきて、そのまま夜の茶会が開催されてしまった。
ラギトがもってきた菓子を食べつつ、用意した茶を飲みつつ談笑する中、あづさもギルヴァスもそれなりに楽しく過ごし、恐らく人間の国で過ごす最後の夜を楽しんだ。
各々、人間の国と魔物について思うところはあるようだったが、それでも、魔物側の総意として、人間の国を憎む気にはなれないし、人間側であるシャナンとクレイヴについても、やはり魔物を憎む気持ちは無くなった、ということである。
和平の道も、そう険しいものではないだろう。あづさはいずれ来るであろうその日を楽しみに、存分に茶会と雑談に興じるのだった。
やがて、夜も遅くなってきたということで、突発的な茶会はお開きとなる。
去っていく皆を見送りつつ、あづさはふと、隣に立っていたギルヴァスの顔を見上げた。
去っていきつつラギトとシャナンが何か言い争うのを聞いて笑うギルヴァスの注意は、完全に逸れている。
……今度は、体が自然と動いた。
ギルヴァスがドアを閉めるために少々身を屈めた瞬間を狙って、ごく自然な、何気ない動作で近づき……ギルヴァスが気づいて動くより先に……ギルヴァスに、口付けた。
行ってらっしゃい、でも、おかえり、でもなく。かといって、無事でよかった、でも、これからもよろしく、でもない。
どうにも言葉にしづらい何かを、思う存分、込めて。
「びっくりした?」
仕上げにそう言って、してやったり、とばかりに少々悪戯めいて笑ってやれば、ギルヴァスはあづさの予想通り、ぽかんとし……。
そして。
「……ああ。びっくりした」
あづさの予想に反して、にやり、と笑う。
ギルヴァスの目が好戦的に煌めき、細められるのを真正面から見て……彼が竜であることを思い出す。
計算違いだった、とあづさが一瞬怯むのをギルヴァスは笑って、逃げ腰になっていたあづさの手首を掴んだ。
途端、心臓が強く脈打つ。迫る琥珀色の瞳から目を離せなくなる。
……逃げられない。
それは案外、呆気なく終わった。
しかし、何分にも引き延ばされたように感じられたそのたった数秒が、あづさに焼き付いて離れない。
「びっくりした、か?」
ギルヴァスが何とも上機嫌そうにそう笑って言うのを見て、ようやく、あづさは今の今まで忘れていた呼吸を再開する。
……『祝福』というものを、あづさはその身をもって理解した。
自分の中に注ぎ込まれたものが、『祝福』なのだろう。それは力強くあづさを守り、あづさの力となってあづさに使われてくれるらしい。
だが。
注ぎ込まれたものは、目の前でにこにこと、先程とは一転して穏やかな笑みを浮かべる竜から与えられたものとは思い難いほどに熱く粘ついて、甘苦い。
どうにも苛烈なそれを与えられてしまって、あづさは只々、思い知らされる。
……そういえば彼は竜で、四天王だった、と。
「まあ、なんだ。俺もこれでも竜だ。強欲で執念深い、竜なんだ。うん。今後は気を付けてくれ。次はうっかり我慢が効かずに一呑みにしてしまうかもしれないからなあ」
そう言ってギルヴァスは、あづさの頬を撫でる。笑う目の奥に、つい先ほど自分に注ぎ込まれたばかりのものと同じようなものを見つけてしまい、あづさは身を竦ませる。
「さて。そろそろ夜も遅い。君ももう寝た方がいいんじゃないか?」
「そう、ね。そうするわ」
ぎこちなくも声を発せただけ及第だろう。あづさは部屋のドアへと後退していき、ドアノブを捻る。ドアはあっさりと開いた。
「……じゃあ、おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
ドアを潜り抜け、あづさはさっと、廊下に出て、すぐにドアを閉めることになったのだった。
ギルヴァスはドアが閉まってすぐ、深々とため息を吐く。
先程のあづさを見て初めて、年相応な一面を知ることができた。それに酷く満足した。どうにも大人びて、齢300の竜をも振り回すようなあづさが、年相応に恥じ入る様子など、今まで見たこともなかったのだから。
……だが、同時に。
「年甲斐もない……大人げない……うーん」
自分自身の年齢不相応な浮かれようを思い出し、蹲る。
もう少しやりようはあっただろう、と自問しては、反省を繰り返す。恥じ入るあづさの表情の中に、怯えは無かったか。嫌われたのではないか。これだから自分は。
そう、悶々と思考が回りに回った、その時。
「あ、ギルヴァス。言い忘れたんだけど」
「うおっ!?な、なんだ、どうした」
唐突にドアが開いてあづさがまた顔を出した。そして、蹲るギルヴァスを見つけると、未だ赤みの残る顔でにんまり笑って、言った。
「ご馳走様」
それじゃあまた明日、と言って、またあづさは廊下へと消えていった。
「……不意打ちは狡いぞ」
あづさのあれは意趣返しのつもりなのだろう。大分無理をしたと見える。だがこちらもこちらで情けなく蹲っていたところである。
完全勝利、とはいかない。引き分け、とまではいかずとも……両者痛み分け。そんな言葉がギルヴァスの脳裏を過ぎった。
ギルヴァスは深々とため息を吐くと、自分も寝るべく、寝台へもぞもぞと潜り込んでいくのだった。




