114話
翌日から、あづさ達の旅が始まった。
あづさとミラリアとシャナンの3名にイーダ家の護衛3名と、そしてラギトが加わった合計7名の旅路である。
少人数であることには意味がある。
まず、少人数であればあるほど小回りが利き、そして敵の目を欺くことができるだろう、という目論みだった。
シャナンは念には念を入れて、馬車をもう2台ほど、それぞれに護衛をつけて昨夜に出発させている。更にもう1台、今日の昼過ぎに出発させる予定だった。
どこにあづさが乗っているかが分からない状態であれば、敵の狙いも分散できるだろう、という策である。
勿論、あづさ達が乗る馬車の目印はスライムによってギルヴァスおよびルカへと伝達済みなのだが。
「王都、ね……私が異世界人で、勇者。なんだかまだ信じられないわ」
「そうですね。……不安?」
「ええ、ちょっとだけ、ね。でもお姉様が居れば大丈夫よ。きっと上手くやれるわ」
小芝居を挟みつつ、あづさは馬車の中で揺られる。そういえば人間の国に来て初めて馬車に乗った。魔物の国での乗り物といえば、ドラゴンが主であったので、あづさには少々スピード感も安定感も足りない。
「ここ狭いな!きゅうくつだ!」
「文句があるなら外を歩いてもいいんだぞ」
「うーん、ひと眠りしたらそうすっかなァ……ってことで俺はちょっと寝るぜ!おやすみ!」
……そして、馬車の中にはあづさとミラリア、そしてラギトとシャナンが入っているため、少々手狭である。満員電車に慣れたあづさからすれば特に窮屈に思うこともないのだが、寿司詰め状態など体験したこともないラギトにとっては、腕を伸ばすと誰かにぶつかる、という状況は窮屈であるらしい。
ラギトは馬車の限られたスペースを気ままに使ってころりと横になると、そのまま寝息を立て始めた。
「……なんて奴だ……」
気ままに過ぎるラギトを見て、シャナンは表情を引き攣らせている。彼の辞書にはラギトのような人種のことが載っていないらしい。未知との遭遇は何時でも刺激的である。そして今のシャナンにとってラギトは少々刺激が強すぎると言うべきか、或いは『気に障る』と言うべきか。
「まあ、緊張が解れていいかもね」
あづさはそう言って笑って、シャナンを取りなすようにした。シャナンもここでこれ以上不機嫌を撒き散らすようなことはしない。すぐに淑女2人を気遣うべく、意識を働かせ始める。
「ところで、マリー嬢、レイス嬢」
「ええ。何かしら」
「あなた方の呪いについてなのですが……もしかすると、レイス嬢が勇者であることに、関わりがあるのかもしれませんね」
「もし魔の手の者があなた方に呪いを掛けたなら、納得がいきます。勇者から勇者の自覚を奪ってしまえば、とても扱いやすい。魔の手の者にとっては願ってもない展開でしょう。更に、異世界人であるということすら忘れさせてしまえば、異世界人特有の知識も使われずに済む、と」
「そう、なのかしら……」
あづさはミラリアと顔を見合わせつつ、不安そうな顔……即ち、『そこんとこ考えてなかったわね』という顔をした。
「でも、だとしたら昨日の魔物は、何のためにわざわざ来たのでしょう。レイスが勇者だと、わざわざ知らせる必要はなかったのではないかしら」
そこをミラリアが情報を掬いつつそう言えば、シャナンはふむ、と唸って顎に手をあてた。
「そう、ですね。うーん、敵も一枚岩ではない、ということでしょうか?」
「さあ……」
「まあ、考えても仕方ないわね。魔物の考えることは分からないし」
あづさはそう言って話を切り上げさせる。
無論、あづさ達が作っている『設定』からしてみれば、魔物達があづさ達の記憶を奪った、とした方がいいだろう。だが、そうせずによりよく事を運ぶことができれば、より良い。
具体的には、人間の王のせい、というようにできてしまえば、魔物の国としては都合が良いのだ。無論、そううまく事が運ぶとも思えないため、ひとまず現在の回答は『保留』ということになるが。
「……もしかしたら」
ふと、ミラリアはあづさの顔を覗き込みつつ、寂しげに儚げな笑みを浮かべた。
「私達、本当の姉妹じゃないのかもしれないわね」
ローレライの儚げな美貌と合わさって、その台詞は切なく馬車の中に響いた。
「……かも、しれない、けど……でも!私はお姉様のこと、本当のお姉様だって、思ってるわ!」
「ええ、私もよ、レイス。あなたが異世界人で勇者でも……あなたが大切なことに、変わりはないわ」
あづさとミラリアはそんな寸劇を挟みつつ、またのんびりと馬車に揺られる。
シャナンは気遣って2人の記憶やその周辺の話題には触れないように雑談の話題を振るようになり、2人はそれに合わせてのんびりと旅路を楽しむことになった。
王都まではいくつかの町を経由しなければならない。何せ、人間の国は魔物の国を侵略して領地を増やしていった国である。王都は当然、魔物の国からずっと離れた位置にあった。
イーダ家の屋敷のあるピスケの町は魔物の国との国境からそう遠くない位置にあったのだから、そこから王都まではそれなりの時間がかかる、ということになる。
スピオン、というらしい町に辿り着いた一行は、そこで宿をとって一泊することになった。
「すみません、ご不便をおかけしますが」
「いいえ、不便だなんてそんな」
シャナンは宿のランクについて、少々不満があるらしかった。
今回、一行が泊まったのは最高級の宿ではない。どこにでもあるような宿である。それは魔物の監視の目から逃れるためであり、仕方のないことなのだが。
「本当はもっとよい旅路を、と思うのですが……」
「別にいいわよ。私達、この宿でも不便なんて感じないわ。ね?あなたもどうせそういう人でしょ?」
「うめえ!」
「あなたは何を食べても美味しがりそうね」
あづさの話を聞いているのか居ないのか、ラギトが満面の笑みで夕食を食べているのを見てあづさは笑みを浮かべつつ、ふと、窓の外を眺めた。
「……外が気になりますか?」
「ええ。ちょっとね」
あづさが窓の外を見たのは何の気なしになのだが、シャナンにはそれが、魔物の襲撃に怯える少女の姿に見えたらしい。
「……レイス嬢。あなたは気丈に振舞っていらっしゃるが、それでもお辛いでしょう。いつ魔物が襲ってくるか分からない、ともなれば気が休まらないのも仕方がありません」
「そう……ね。ちょっと落ち着かないのは、本当のことだわ」
あづさはしおらしく頷きながらシャナンの言葉を聞く。
「ですが、どうぞご安心ください。外には1人ずつ見張りの者が立っています。そして微力ながら、私もついていますよ」
「ありがとう。……私、1人ぼっちじゃなくてよかったわ」
にっこりと笑ってそう言って、あづさはまた窓の外を見かけて、やめた。これ以上シャナンに要らない心配を掛けさせるのも心苦しい。
……代わりに、思う。
勇者マユミは、一人で心細かったのではないか、と。
そう思うとどうにも、胸の奥が締め付けられるような思いがした。
翌朝。
「んー……はよ」
ラギトは寝ぼけ眼で首を振りつつ、のそのそ食堂にやってきた。翼が腕になっていることを忘れているのか、両腕は特に使われることもなく体の両脇に収まっているばかりである。
ラギトは翼を腕にしたことで感覚の違いに戸惑っているらしい。時折、手の使い方がとてつもなく不器用なこともあった。
そういえばラギトは食事を摂る時、足を器用に使っていた。あづさは以前見た光景を思い出しつつ、現在の寝ぼけたラギトを見ていた。
「ん」
ラギトは、寝ぼけたままハーピィ式の挨拶をしてきた。あづさに頬ずりし始める。こうした習慣は抜けきらないらしい。
「な、なにをしているんだお前は!失礼だろう!?」
「うわあ、何だよォ、うるせえなァ……ンなでけェ声出す必要あったかァ?」
「出されても仕方がないことをしたという自覚は無いのか!?」
「ほんとうるせェ奴だよなァ……ほらよー」
シャナンに怒られたラギトはまるで堪えた様子もなく、更にはシャナンにも同じように挨拶し始めた。
これにはシャナンも度肝を抜かれて何も言えなくなる。ラギトはこれまた気にすることもなく寝ぼけたままミラリアや護衛達にも同じような挨拶をして、結局朝食を食べ始めるまで寝ぼけっぱなしであった。
「こ、これだから田舎者は……」
シャナンは朝食を摂りながらぶつぶつと言っていたが、あづさからすれば『田舎者っていうか人間じゃないのよね』という程度の感覚である。
だが、ラギトの奇行のおかげで、ミラリアは完全に人間に見える。魔物であることを疑われたとしても、まずはラギトからだろう。
その点、人選にミスはなかったわね、とあづさは満足げに頷きつつ、ミルクで煮込まれた麦粥の朝食を口に運ぶのだった。
そうしてシャナンはラギトに振り回され続け、ラギトは何の意図もなくシャナンを振り回し続けて旅路は続いた。
それからまたいくつかの町を経由して、そして遂には王都へ到着する。
「遂に来たわね」
あづさは王城を見上げて、唇を引き結んだ。
その表情はシャナンから見れば『勇者としての使命の重みに立ち向かう少女の姿』なのだろうが、実のところは『策を弄して茶番劇を繰り広げる参謀の姿』なのである。
「大丈夫ですよ。きっと上手く行くわ」
「ありがとう、お姉様」
あづさはミラリアに笑いかけると、笑顔で王城の門へと向かうのだった。




