115話
門番には既に話が通っていたらしい。シャナンが手紙を予め出しておいたのだろう。シャナンはそういったところにはよく気が回った。流石に商人をやっているだけのことはある、ということなのだろう。
門番はシャナンと少し話をすると、すぐにあづさ達を門の中へと入れた。そしてあづさ達は城内を案内されて、応接間へ通される。
王城の応接間は案の定と言うべきか、豪華絢爛なものだった。
木目の美しい一枚板を金銀の象嵌で飾った飴色のテーブルに、テーブル同様の飴色の木材と草花の模様が緻密に織り込まれた布とで作られた椅子。壁に掛けられた絵画も、天井から吊るされた水晶細工の照明も、部屋の片隅に飾られた陶器の花瓶も、そこに生けられた薄桃色の薔薇も、全てが一級品であろうことは一目で分かる。
そんな一級品の一室で、同じく一級品の茶器を用いて供された一級品の茶を飲みながら、あづさはそっと窓の外を窺っていた。
玻璃細工の窓の外、空は青く晴れやかである。応接間の窓は城の中庭に面しているらしく、窓の下を見れば美しく花が咲き誇っていた。それらの中に薄桃色の薔薇もある。おそらく、この部屋に飾られている花は凡そ、城の庭のものなのだろうと思われた。
……あづさが窓の外を見ていると、同じようにミラリアもやってきて、窓辺であづさと語らう。
小さな声でどうということもない内容を話し、それと同時に城の構造をできる限り把握するよう努める。
正面玄関から応接間までの道は覚えた。そこに、外観や窓から見た光景を足し合わせれば、城の地図を頭の中に組み立てられる。
……あづさはこういった作業の経験がある。新しい学校の構造も、比較的すぐ、細かに把握できた。体育館への渡り廊下がよく見えるのは図書室の右から3番目の窓。屋上へ続く階段は実は2か所。分かりにくいけれど教室の中にコンセントは4か所ある……。凡そ1か月もそこで生活していれば、そういった細かな情報まで含めて把握できる。
地の四天王城についても、同じことである。飾り気もなく、誰が使うでもなく、それでいてやたらと広くて目印となるような特徴にも乏しい閑散とした城の中でそれほど道に迷わなかったのは、建物の構造を把握することに慣れていたからである。
あづさは窓の外を見ては見える窓の数を数え、建物の凹凸から部屋の位置の見当をつけて時間を潰す。
……そして、それと同時にミラリアは、外に見える人間を見て、魅了できそうな者の見当をつけていた。
正門の門番よりは裏門の門番の方が簡単に誘惑できそうに思えるが、それより先に庭師を数人誘惑した方がいいだろうか。或いは、警邏の兵士に目をつけてみてもいいかもしれない。
味方につけた人間が多ければ、その分人間の国での活動が簡単になる。今までにしても、シャナンが味方になったことで相当に楽ができたのだ。この城でも協力者の基盤を整えていきたかった。
「おー、眺めがいいなァ!」
そしてラギトはのんびりと声を発しつつ、風の中に混じる音を聞いていた。
それは庭師たちの話す声であったり、警邏の兵士の靴音であったり、はたまたどこかの窓から漏れ聞こえる噂話であったり。
それらを聞いてふんふんと頷きつつ、しかしそんなことをしているようにはまるで見えない顔をしつつ、ラギトは窓の外を眺め続ける。実際、ラギトにとって風の中に混じる音を聞くことは、さして難しいことでもない。常人がただ窓の外の景色を眺めるのと同じような感覚で、様々な音を拾うことができているのだ。表情に緊張感など生まれようもない。
「おや、美しい庭園ですね」
1人、護衛達と共に机に取り残されていたシャナンも、3人が窓辺に寄ってしまっているとなれば窓辺へ来ざるを得なかったらしい。
シャナンは窓の外を眺めると、恐らくあづさともミラリアとも、当然ラギトとも異なる視点で窓の下を見回して、にっこりと微笑んだ。
城の庭には薔薇が咲き誇り、色鮮やかに優美な庭園を生み出している。風に乗って運ばれてくる甘やかなバラの香りもまた上品で、ここが王城……人間の国で最も地位の高い者の住む場所であることを実感させる。
丁度庭師やメイドの姿を追って庭を見ていたミラリアにも、それら美しい花々の様子は見えていた。
「マリー嬢は薔薇はお好きですか?」
声を掛けられたミラリアは無視するわけにもいかない。少々硬いながらも笑みを浮かべて、頷いた。
「ええ。花は皆好きです。静かで、押しつけがましさが無くて……誰に頼まれたわけでもなく咲いて、誰かの心を癒し、そして散る時もまた美しいのですから」
詩的な言葉を発しつつ、ミラリアは部屋の一角、薔薇の花の花瓶に目を留めた。そして、ちら、とラギトの様子を見て、ラギトが風に混じる音を聞き取りづらい状況になっていることを察すると、窓辺を離れて花瓶の方へと歩いていく。
シャナンもミラリアについて部屋の片隅へと向かい、窓辺は再び静かになった。ラギトが1つ口笛を吹くのがミラリアの耳に届く。静かにしてくれた礼、ということらしい。
「この薔薇も素晴らしいですね」
ミラリアはそっと囁くようにシャナンにそう言うと、花瓶に生けられた薄桃色の薔薇に触れる。
「ええ。清らかで、愛らしい色合いだ。そうですね、レイス嬢が薔薇の花になったら、こんな花かもしれない。マリー嬢はきっと白薔薇ですね」
「まあ」
ミラリアは内心であづさに似合う色を他に想像しつつ、シャナンの意識を自分に引き付けておくべく雑談を続ける。
……その時だった。
「……あら?」
ミラリアは、花瓶の中……花ではなく、その花の茎の先が浸かっているであろうその水に対して、何か違和感を覚えた。
それは、水の魔物だからこそ察知できた、繊細な気配である。
まるでこちらの様子を探っているかのような。
「どうかされましたか?」
ミラリアが花瓶の中の水を怪しむ一方、シャナンは当然のように、そんな気配には気づいた様子が無い。ミラリアは笑みを浮かべると、水の気配に気づいたことを隠し、流すことを決める。
「いえ。この花瓶の色合いは見事だと思って。まるで水の底のようだわ」
「そうですね。この深い青色はよく出ている。透明感があって、気泡がまるで水中の泡のようだ。うーん、これはいい品ですね。うちでも取り扱ってみたいものですが……おっと、王城の調度品に対しては無礼でしょうか?」
ミラリアはシャナンとの雑談に付き合いながら、花瓶の中の水、そしてその水の向こうに居るであろう誰かに警戒を悟られぬように振舞うのだった。
「『勇者』レイス嬢とそのご一行様。お待たせしました。どうぞこちらへ」
やがて、案内の者がやってくる。あづさは緊張した面持ちで、案内の者の待つ扉の方へと歩いていく。
途中、気遣うような表情を浮かべたミラリアに、心配しないで、とばかりに笑みを向けつつ案内の元へ辿り着けば、案内の者は全員がついてくることを確認しつつ、歩き出す。
重厚な絨毯の敷かれた廊下を進み、階段を上り、そして遂に、重々しくも美しく豪奢に飾られた両開きの扉の前へと辿り着く。
案内の者が扉の前に居た兵士と何か言葉を交わすと、兵士が両側から扉を開いた。
案内の者が示すまま、あづさは扉の先へと足を踏み出す。
……絨毯がまっすぐ敷かれた先に、豪華な玉座と玉座を覆うように誂えられた薄布の天幕がある。そして玉座の上、天幕の下、王冠を戴いてそこに居たのは人間の王。
指示されるままにあづさや他の者達は玉座の前に膝をつく。
「面を上げよ」
そして王の声に従って顔を上げれば、あづさが想像していたよりずっと若い顔がそこにある。
「余が現王レジエ・アーリエス4世だ。よくぞ来た。歓迎しよう、異世界の勇者よ」
青年といっても差し支えない程の若い王が、そこには座っていたのである。
「名を何という」
「レイス・アイリスです」
さらりと偽名を名乗っておきつつ、あづさはアーリエス4世の様子を伺う。彼が『異世界人の名前としてはおかしい』と思えばこちらのもの。
……そしてあづさの思惑通り、アーリエス4世は眉を顰めた。
「レイス・アイリス?……お前は本当に異世界人か?異世界人の名は風変わりで、歌のような音の運びであるように思うのだが」
「分かりません」
そこであづさは困った顔をしながら嘘を吐く。
「私にも姉にも、記憶が無いのです」
そこでようやく、アーリエス4世はミラリアにも目を向けた。
「姉、とな?記憶は無くとも、血の繋がりは分かる、ということか」
「いいえ。それも確かではありません。血の繋がりのない姉妹かもしれませんが、しかし私は実の姉のように思っています」
あづさの返答を聞いて、アーリエス4世は何とも言えない顔をしていた。
……勇者イーダの子孫であるシャナン・イーダからアーリエス4世へ向けられた手紙には、『異世界の勇者かもしれない少女を保護したので王城へお連れしたい』という旨があるだけだった。『レイス・アイリス』の記憶の有無などについては全くの初耳である。
「……お前達は、魔物に襲われたそうだな」
「はい。王よ。我が邸宅はピスケにございますが、その町の中へ突如として魔物が襲撃してきたのです。こちらの、レイス嬢を狙って」
シャナンが説明すると、王はまた表情を険しくする。
何せ、イレギュラーなことばかりだ。勇者が現れたならありがたいことであるが、その勇者が記憶喪失、というのはどうにも処遇が難しい。
「ふむ……記憶が無い、ということについて、詳しく話せ」
仕方なしに、王はそうして記憶喪失の美しい女2人について、詳しく聞くことになったのだった。
一通り、あづさとミラリアが説明をすると、王はまた難しい顔をする。
あづさとミラリアは昨夜の内に、設定をもう少し細かく作り込んでいた。例えば、マリーとレイスを監禁していた相手に直接会ったことはないが、恐らくは貴族であっただろう、ということ。しかし2人を監禁していた別荘は人里離れたところにあり、2人はまるで社会に触れることなく過ごしていたということ。具体的には、ピスケよりもさらに北……魔物の国との国境近くに、その別荘はあった、とも。
アーリエス4世が『別荘』を探しに行ってもいいように、今頃既にギルヴァスが別荘を建設し、そして破壊しているはずである。屋敷の廃墟があれば、アーリエス4世もあづさの話を疑うことはできないはずだ。
「ふむ……そして、魔物に襲われた、と」
「はい。シャナンさんのお屋敷の庭で。水の馬に乗った槍使いの騎士でした」
ルカの特徴を、こちらは特に隠すこともなく正直に伝える。アーリエス4世は「水の馬、ということはケルピーか」と呟き、また考え込む。
「……その魔物が、お前のことを、勇者だと」
「はい」
「そうか……」
アーリエス4世は立ち上がると、ぱん、と手を打った。
「分かった。お前達の処遇については、検討させてもらう。今日のところは下がって休むがいい。部屋を用意させよう」
そう言われれば、あづさ達は下がるしかない。一礼して、玉座の間を出て、そのまま客間へと案内されることになった。
……ひとまず、第一段階は切り抜けたかしら。
あづさはそう内心で思いつつ、次の一手を打つべく……案内係に、声を掛けた。
「ねえ、もしよかったら、お庭を見せて頂いてもいいかしら?」
……アーリエス4世が信頼のおける優秀な家臣達を選りすぐって集めて緊急の会議を開く中、王城の中庭には美しい歌声が響いていた。
それは、薔薇園の中心で歌うミラリアのものであり……ローレライの魅惑の歌声は、中庭に居た多くの召使い達を見事、魅了していったのだった。




