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国際共產主義運動の総路線についての提案 ソ連共産党中央委員会の1963年3月30日付の書簡にたいする中国共産党中央委員会の返書 (一九六三年六月十四日)



編注:本文はソ連共産党中央委員会の一九六三年三月三〇日付の書簡に対する中国共産党中央委員会の同年六月一四日付返書である。本文は一九六三年「人民中国」第七号付録の邦文訳である。原文は一九六三年版人民手冊七六頁。


ソ連共産党中央委員会


親愛なる同志のみなさん


中国共産党中央委員会はソ連共産党中央委員会の一九六三年三月三〇日づけの書簡を検討しました。


社会主義陣営の団結と国際共産主義運動の団結に関心をもつすべての人びとは、中ソ両党の会談をひじょうに注目しており、われわれの会談が意見の相違をとりのぞき、団結をつよめるのに役だち、各国共産党労働者党代表者会議の開催のため有利な条件をつくりだすよう望んでいます。


国際共産主義の隊伍の団結をまもり、つよめることは、各国の共産党、労働者党の共同の神聖な責任であります。


中ソ両党は社会主義陣営全体の団結と国際共産主義運動全体の団結にたいしていっそう大きな義務を負っており、当然いっそう大きな努力をはらわねばなりません。


いま、国際共産主義の隊伍のなかには一連の重大な原則的な意見の相違があります。しかし、こうした意見の相違が、どんなに重大であるとしても、われわれは十分に辛抱づよく、意見の相違をとりのぞく道をさがしもとめて、われわれの力を結集し、われわれの共同の敵に反対するたたかいを強めるようにしなければなりません。


中国共産党中央委員会は、ほかでもなく、こうした心からの願いをいだいて、近く開かれる中ソ両党の会談にのぞむものであります。


ソ連共産党中央委員会は三月三〇日づけの書簡のなかで、中ソ両党会議のさい討論すべき問題について、系統的に自己の観点をしめし、とくに国際共産主義運動の総路線にかんする問題を提起されました。われわれもこの返書のなかで、国際共産主義運動の総路線と、これにかかわりある一部の原則的な問題についてわれわれの観点をのべ、われわれの提案としたいと思います。


このように自分の観点をあきらかにすることが、われわれ両党の相互の理解に役だち、両党の会談のさい逐条的にくわしく討論するのに役立つことを、われわれは望んでいます。


また、われわれがこのようにすることが、各国の兄弟党がわれわれの観点を理解するのに役だち、兄弟党の国際会議で十分に意見を交換するのに役だつことを、われわれは望んでいます。


(一) 国際共産主義運動の総路線は、プロレタリア階級の歴史的使命に関するマルクス・レーニン主義の革命的理論を準則とするほかなく、この準則から離れてはなりません。


一九五七年と一九六〇年の二回にわたるモスクワ会議は、十分に意見を交換したのち、話し合いで見解を統一する原則にもとづいて宣言と声明を採択しました。この二つの文書は、われわれの時代の特徴を指摘し、社会主義革命と社会主義建設の共通の法則を指摘し、各国の共産党、労働者党の共通の路線をとりきめました。この宣言と声明は、 国際共産主義運動の共同綱領であります。


ここ数年らい、国際共産主義の隊伍のなかには、一九五七年の宣言と一九六〇年の声明について、異なった認識と態度がたしかに存在しています。こうした異なった認識と態度の中心になる問題は、宣言と声明の革命的原則を認めるかどうかの問題です。究極のところ、マルクス・レーニン主義の普遍的な真理を認めるかどうかの問題であり、十月革命の道の普遍的な意義を認めるかどうかの問題であり、いまなお帝国主義と資本主義制度のもとにおかれている、世界人口の三分の二をしめる人民が今後もなお革命をおこなう必要のあることを認めるかどうかの問題であり、 すでに社会主義の道をあゆんでいる、世界人口の三分の一をしめる人民が今後もなお革命を最後までやりとげる必要のあることを認めるかどうかの問題であります。


一九五七年の宣言と一九六〇年の声明の革命的原則を断固守りぬくことは、すでに当面の国際共産主義運動の重大なさしせまった任務となっています。


マルクス・レーニン主義の革命的学説を堅持し、十月革命の共通の道を堅持してこそ、はじめて宣言と声明の革命的原則を正しく認識することができ、正しい態度をとることができるのです。


(二) 宣言と声明の革命的原則とはなにか。要約すればつぎのとおりです。 全世界のプロレタリアが団結し、全世界のプロレタリアが被抑圧人民、被抑圧民族と団結して、帝国主義と各国の反動派に反対し、世界平和、民族解放、人民民主主義、社会主義をたたかいとり、社会主義陣営の強化と発展をはかり、プロレタリア世界革命の完全な勝利をしだいに実現し、帝国主義も、資本主義も、搾取制度も存在しない新しい世界をうちたてることであります。


われわれの考えでは、これこそ現段階における国際共産主義運動の総路線にほかなりません。


(三)この総路線は、世界の現実の全局面から出発したものであり、現代の世界の基本矛盾にたいする階級的分析から出発したものであり、アメリカ帝国主義の反革命的世界戦略にむけられるものであります。


この総路線は、社会主義陣営と国際プロレタリア階級を中核とし、アメリカを頭とする帝国主義と各国の反動派に反対する広範な統一戦線をうちたてる路線であり、思いきって大衆を立ちあがらせ、革命勢力を拡大し、中間勢力を獲得し、反動勢力を孤立させる路線であります。


この総路線は、各国人民が断固革命闘争をおしすすめ、プロレタリア世界革命を最後までやりぬく路線であり、また、もっとも効果的に帝国主義に反対し、世界平和をまもる路線でもあります。


もし国際共産主義運動の総路線を一面的に「平和共存」とか、「平和競争」とか、「平和移行」とかに帰着させてしまうなら、それは、一九五七年の宣言と一九六〇年の声明の革命的原則にそむき、プロレタリア世界革命の歴史的使命を放棄し、マルクス・レーニン主義の革命的学説にそむくことになります。


「国際共産主義運動の総路線は、世界史の発展の一般法則をあらわすものでなければなりません。各国のプロレタリ 7階級と各国人民の革命闘争は、それぞれ違った段階をたどるものであり、各自の特徴をもつでしょう。だが、いずれも世界史の発展の一般法則をふみこえることはできません。国際共産主義運動の総路線は、各国のプロレタリア階級と各国人民の革命闘争のために基本的な方向をさししめすものでなければなりません。


各国の共産党、労働者党が自国の具体的な路線や政策をさだめるにあたって、マルクス・レーニン主義の普遍的な真理を自国の革命と建設の具体的な実践と結びつけるという原則を堅持することは非常に重要なことであります。


(四) 世界の政治、経済の総和、世界の具体的な状況、つまり現代の世界の基本矛盾に具体的な階級的分析をくわえることは、国際共産主義運動の総路線をきめる出発点であります。


もし具体的な階級的分析をさけたり、また手あたりしだいにいくつかの表面的な現象をさがしだしたりして主観的な臆測にもとづく判断をくだすなら、かならず、国際共産主義運動の総路線についての正しい結論をみちびきだすことはできず、マルクス・レーニン主義とはまったくちがった別の軌道にそれるにちがいありません。


では、現代の世界の基本矛盾はなにか。マルクス・レーニン主義者は、ゆらい、こうした基本矛盾をつぎのように考えています。


社会主義陣営と帝国主義陣営の矛盾。


資本主義国内部のプロレタリア階級とブルジョア階級の矛盾。


被抑圧民族と帝国主義の矛盾。


帝国主義国と帝国主義国、独占資本グルーブと独占資本グループのあいだの矛盾。 社会主義陣営と帝国主義陣営の矛盾は、社会主義と資本主義という、二つの根本的にことなる社会制度の矛盾であり、この種の矛盾はなんらの疑いもなくひじょうに鋭いものであります。しかし、マルクス・レーニン主義者は、世界的規模の矛盾を、単純に社会主義陣営と帝国主義陣営の矛盾だけであるとみなすわけにはいきません。


世界の力関係はかわりました。その変化は、社会主義にとってますます有利になり、全世界の被抑圧人民と被抑圧民族にとってますます有利になっている一方、帝国主義と各国の反動派にとっては非常に不利になっています。それにもかかわらず、以上にのべたこれらの矛盾はやはり客観的に存在しています。


これらの矛盾と、それによってひきおこされる闘争は、たがいに結びついており、たがいに影響しあっています。 人びとは、これらの基本矛盾のうちのどれひとつも抹殺することはできませんし、また、主観的にそのうちのひとつの矛盾を他の矛盾におきかえることもできません。


これらの矛盾はかならず各国人民の革命をひきおこしますし、また、各国人民の革命だけがこれらの矛盾を解決することができるのです。


(五)現代の世界の基本矛盾の問題については、つぎのような誤った観点が批判されるべきです。


1.社会主義陣営と帝国主義陣営との矛盾の階級的内容を抹殺し、この種の矛盾をプロレタリア階段独裁の国家と独占ブルジョア階級の独裁の国家との矛盾としてみようとしない観点。


2.社会主義陣営と帝国主義陣営の矛盾だけを認めて、資本主義世界におけるプロレタリア階級とブルジョア階級の矛盾、被抑圧民族と帝国主義の矛盾、帝国主義国と帝国主義国、独占資本グループと独占資本グループのあいだの矛盾、さらにはこれらの矛盾からひきおこされる闘争を軽視したり過小評価したりする観点。


3.資本主義世界におけるプロレタリア階級とブルジョア階級の矛盾は自国のプロレタリア階級の革命を経なくても解決でき、また被抑圧民族と帝国主義の矛盾は被抑圧民族の革命を経なくても解決できると考える観点。


4.現代の資本主義世界の固有の矛盾が発展すれば、かならず帝国主義諸国間の緊迫した闘争という新しい局面をひきおこすことを否定し、また「各大独占資本のあいだに国際協定が成立」すれば、帝国主義諸国間の矛盾を調和させ、さらには解消することさえできると考える観点。人


5.社会主義と資本主義というこの二つの世界体制の矛盾は「経済競争」のなかで自然になくなり、世界のその他の基本矛盾もすべて二つの体制の矛盾がなくなるにつれて自然になくなり、いわゆる「戦争のない世界」とか、「全面的な協力」の新しい世界とかというものがあらわれると考える観点。


これらの誤った観点がかならず誤った有害な政策をまねき、これによって、人民の事業と社会主義の事業にあれこれの挫折と損失をもたらすことはあきらかです。


(六) 第二次世界大戦のあと、帝国主義と社会主義の力関係には根本的な変化がうまれました。この変化の目じるしのおもなものはつぎのとおりです。つまり、世界にはもはやただひとつの社会主義国しかないのでなく、一連の社会主義国がうまれて、強大な社会主義陣営を形づくったこと、社会主義の道へ歩みをすすめた人民は、もはや二億ちかくの人口にとどまらず、世界人口の三分の一をしめる一〇億の人口を擁していることがそれであります。


「社会主義陣営は国際プロレタリア階級と勤労者の闘争の産物であります。社会主義陣営はたんに社会主義諸国の人民のものであるばかりでなく、それはまた国際プロレタリア階級と勤労者のものでもあります。


社会主義陣営諸国の人民、国際プロレタリア階級と勤労者、これらの人たちが社会主義陣営諸国の共産党、労働者党にたいしてともに要求していることは、主としてつぎのとおりであります。


マルクス・レーニン主義の路線を堅持して、マルクス・レーニン主義の正しい対内、対外政策を実行すること。 ブロレタリア階級独裁をうちかため、プロレタリア階級の指導する労農同盟をうちかためて経済戦線、政治戦線、 思想戦線で社会主義革命を最後までやりぬくこと。


広範な人民大衆の積極性と創意性を発揮して、計画的に社会主義建設をすすめ、生産を発展させ、人民の生活を改善し、国防を強化すること。


マルクス・レーニン主義を基礎とする社会主義陣営の団結をかため、プロレタリア国際主義を基礎とする社会主義諸国の相互の支持を実行すること。


帝国主義の侵略政策と戦争政策に反対し、世界の平和をまもること。


各国反動派の反共、反人民、反革命の政策に反対すること。


全世界の被抑圧階級と被抑圧民族の革命開争を援助すること。


これらの要求を実現することは、社会主義陣営諸国の共産党、労働者党が自国の人民にたいしてはたすべき当然の義務であり、また、国際プロレタリア階級と勤労者にたいしてはたすべき当然の義務でもあります。


これらの要求を実現すれば、社会主義陣営は人類の歴史の進展にたいして決定的な影響をあたえることができます。


だからこそ、帝国主義と反動派は、あらゆる手をつくして社会主義陣営諸国の対内、対外政策に影響をあたえ、社会主義陣営を瓦解させ、社会主義国のあいだの団結、とくに、中ソの団結を引き裂こうとたくらんでいるのであります。かれらはつねに社会主義諸国への浸透と転覆をはかり、はては社会主義陣営をほろぼすことまで夢みています。


どのように正しく社会主義陣営に対処するかという問題は、各国の共産党、労働者党のまえに提起された非常に重大なひとつの原則的問題であります。


各国の共産党、労働者党は、当面、新たな歴史的条件のもとで、プロレタリア国際主義の団結と闘争をすすめています。世界にただひとつの社会主義国しか存在しなかったとき、また、この国がマルクス・レーニン主義の正しい路線と政策を断固遂行したため、すべての帝国主義と反動派の敵視と危害にさらされていたとき、このときには、この唯一の社会主義国を断固まもるかどうかが、それぞれの共産党のプロレタリア国際主義をためす試金石でした。今日、世界にはすでにアルバニア、ブルガリア、ハンガリー、ベトナム民主共和国、ドイツ民主共和国、中国、朝鮮民主主義人民共和国、キューバ、モンゴル、ポーランド、ルーマニア、ソ連、チェコスロバキアの一三カ国からなる社会主義陣営があります。こうした状況のもとでは、社会主義陣営全体を断固まもるかどうか、この陣営を構成するすべての国のマルクス・レーニン主義にもとづく団結をまもるかどうか、社会主義国が実行せねばならぬマルクス・レーニン主義の路線と政策をまもるかどうか、これこそがそれぞれの共産党のプロレタリア国際主義をためす試金石となります。


もしある人がマルクス・レーニン主義の正しい路線と政策を実行せず、社会主義陣営の団結をまもらず、逆に社会主義陣営内部に緊張した状態をつくりだし、分裂をつくりだし、はては、ユーゴスラビア修正主義者の政策に追随して、社会主義陣営の解消を極力くわだて、あるいは資本主義諸国を援助して社会主義の兄弟諸国を攻撃するなら、それは国際プロレタリア階級全体と全世界人民の利益をうらぎることになります。


もしある人が他人のあとにつづき、社会主義国がとらねばならぬマルクス・レーニン主義の正しい路線と政策をまもるのでなく、あるひとつの社会主義国がとっている機会主義の誤った路線と政策をまもるなら、また、団結の政策をまもるのでなく、分裂主義の政策をまもるなら、それはマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義からはずれることになります。


(七) アメリカ帝国主義者は、第二次世界大戦後の条件を利用し、ドイツ、イタリア、日本のファシストにとってかわり、全世界に空前の大帝国をつくろうとくわだてています。アメリカ帝国主義の戦略目標は、一貫して、つぎのようなものです。つまり、アメリカと社会主義陣営のあいだにある中間地帯を侵略し、支配し、被抑圧入民と被抑圧民族の革命をおしつぶし、さらにすすんで社会主義国をほろぼし、アメリカの同盟国をもふくむ全世界のすべての人民と国ぐにをみなアメリカ独占資本の隷属と支配のもとにおくというものです。


第二次世界大戦ののち、アメリカ帝国主義者は、一貫してソ連に反対し、社会主義陣営に反対する戦争宣伝をおこなっています。これには、二つの面がふくまれています。一方では、アメリカ帝国主義はたしかにソ連にたいする戦争、社会主義陣営にたいする戦争をおこなう準備をすすめていますが、もう一方では、アメリカ帝国主義はまたこの政策をおしすすめてゆくための新しい「理論」をつくり出しています。この種の「理論」は、けっして民族的、人種的、地理的な区別を真にうちゃぶろうとするものではなく、いわゆる「優秀民族」の被抑圧民族にたいする支配を維持しようとするものです。こうした欺瞞的な「理論」がこれらの地域の人民からボイコットされるのは理の当然であります。


社会主義国とすべての資本主義国の労働者階級は、「万国の労働者は団結せよ」「全世界のプロレタリア階級と被抑圧民族は団結せよ」という戦闘的なスローガンを真に実現し、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどの地域の人民の革命経験について研究し、かれらの革命的な行動を断固として支持し、かれらの解放事業を自分にたいするもっともたよりになる支援とみなし、自国の労働者階級の直接の利益とみなさなければなりません。こうしてこそはじめて、民族的、人種的、地理的な区別を真にうちやぶることができるのであり、これこそ真のプロレタリア国際主義なのであります。


被抑圧民族との団結がなく、被抑圧民族の解放がなくては、欧米資本主義諸国の労働者階級は自分の解放をかちとることができません。レーニンは、「ヨーロッパとアメリカの資本に抑圧されている何億という『植民地』奴隷をもこの資本にたいする労働者の闘争のなかで、完全に、もっとも緊密に統合しないならば、先進国の革命運動は、事実上まったくの欺瞞となるであろう」とのべていますが、まことにそのとおりであります。


現在、国際共産主義の隊伍のなかには、こともあろうに被抑圧民族の解放闘争にたいして、消極的な、これを軽蔑し、否定する態度をとるものまで出ていますが、それは事実上、独占ブルジョア階級の利益をかばい、プロレタリア階級の利益をうらぎり、自分を社会民主主義者にまで堕落させるものにほかなりません。


アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ各国人民の革命闘争にたいしてどんな態度をとるかということは、革命と非革命を区別する重要な目じるしであり、ほんとうに世界の平和を守っているのは誰か、侵略勢力と戦争勢力を助長しているのは誰かを区別する重要な目じるしであります。


(九)アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの被抑圧民族と被抑圧人民は、帝国主義とその手先に反対するというさしせまった任務に直面しています。


歴史は、これらの地域のプロレタリア政党に光栄ある使命をあたえています。それは、帝国主義に反対し、新旧植民地主義に反対し、民族独立をかちとり、人民民主主義をかちとる旗をたかくかかげて、民族民主革命運動の最前列にたち、社会主義の前途をたたかいとることであります。


これらの地域で、帝国主義の隷属をうけることをのぞまない人びとはきわめて広範にわたっており、労働者、農民、知識分子、小ブルジョアばかりでなく、愛国的な民族ブルジョアをもふくみ、さらには一部の愛国的な王公貴族までふくんでいます。


ブロレタリア階級とその政党は人民大衆の力を信じなければならず、おもに農民と団結して、強固な労農同盟をうちたてなければなりません。プロレタリア階級の先進的な人びとが農村のなかで活動し、農民をたすけて組織させ、 その階級的な自覚と民族の自尊心、確信をつよめることは、もっとも重要な意義をもっています。 プロレタリア階級とその政党は、労農同盟の基礎のうえに、結集できるすべての階層を結集して、帝国主義とその手先に反対する広範な統一戦線をつくらなければなりません。この統一戦線を強め、発展させるには、プロレタリア政党が思想上、政治上、組織上で独自性をたもち、革命の指導権を堅持することが必要です。


プロレタリア政党と革命的人民は、武力闘争の形態をふくむさまざまの闘争形態を学びとる必要があります。帝国主義とその手先が武力弾圧をくわえてくる状況のもとでは、革命の武装力によって反革命の武装力をうちやぶらなければなりません。


あらたに政治上の独立を獲得した一連の民族主義諸国は、いまなお政治上の独立をうちかため、帝国主義勢力と国内反動派を一掃し、土地改革とその他の社会改革を実行し、民族の経済と文化を発展させるというなみなみならぬ任務に直面しています。これらの国ぐににとっては、旧い植民地主義者が新植民地主義の政策をとってその利益を保持することを警戒し、これに反対すること、とりわけアメリカの新植民地主義を警戒し、これに反対することが重要な現実的な意義をもっています。


あらたに独立した一部の国ぐにの愛国的な民族ブルジョアは、ひきつづき人民大衆とともに帝国主義と植民地主義に反対する闘争をすすめており、また社会の進歩に役だつ若干の措置をとっています。ここでは、プロレタリア政党は愛国的な民族ブルジョアの進歩的な役割を十分に評価して、かれらとの団結を強めることが要求されます。


あらたに独立した一部の国ぐにのブルジョア、とりわけ大ブルジョアは、国内の社会矛盾と国際的な階級闘争が尖鋭化するにつれて、ますます帝国主義に身をよせ、反人民、反共、反革命の政策を実行しています。ここでは、プロレタリア政党はこのような反動政策に断固として反対することが要求されます。


一般的にいえば、これらの国ぐにのブルジョア階級は二面性をもっています。プロレタリア階級政党は、ブルジョ 7階級と統一戦線をうちたてるにあたって、団結もすれば闘争もするという政策を実行しなければなりません。つまり、ブルジョア階級の反帝反封建の進歩的な傾向にたいしては団結の政策を実行し、その帝国主義、封建勢力と妥協し結託する反動的な傾向にたいしては闘争の政策を実行するのであります。で民族問題では、プロレタリア政党の世界観は国際主義であって、民族主義ではありません。革命闘争のなかで、プロレタリア政党は進歩的な民族主義を支持し、反動的な民族主義に反対します。いかなる場合にも、プロレタリア政党はブルジョア民族主義との違いをはっきりさせ、そのとりこになってはなりません。


一九六〇年の声明は、「共産主義者は、ブルジョア階級の反動分子が利己心にみちたブルジョア階級だけの狭い利益を全民族の利益といいくるめるたくらみを暴露し、これと同じ目的でブルジョア政治家が社会主義的スローガンを欺瞞的に利用していることを暴露し」なければならないとのべています。


もしもプロレタリア階級が革命のなかで地主、ブルジョア階級に追随するなら、民族民主革命は真の徹底した勝利空からとることは不可能であり、たとえなんらかの勝利をかちとったとしても、強固なものにすることは不可能であります。


被抑圧民族と被抑圧人民の革命闘争の過程で、プロレタリア政党は、徹底的に帝国主義に反対し、国内反動派に反対し、民族の独立をかちとり、人民民主主義をかちとる綱領を独自でうちだし、独自で大衆工作をおしすすめ、たえず進歩勢力を拡大し、中間勢力を獲得し、反動勢力を孤立させることによって、はじめて民族民主革命を最後までおしすすめ、また革命を社会主義の軌道へみちびくことができるのであります。


(一〇) 帝国主義国のなかで、資本主義国のなかで、資本主義社会の矛盾を徹底的に解決するには、プロレタリア革命とプロレタリア階級独裁を実現しなければなりません。


この任務の実現をかちとる過程では、いまの条件のもとで、プロレタリア政党は労働者階級とその他の勤労者を積極的に指導して、独占資本に反対する闘争、民主的権利をまもる闘争、ファッショの危険に反対する闘争、生活の向上をめざす闘争、帝国主義の軍備拡張と戦争準備に反対し、世界の平和を守る闘争をおしすすめ、被抑圧民族の革命闘争を積極的に支持しなければなりません。


アメリカ帝国主義が現に支配し、あるいは支配しようとたくらんでいる資本主義国では、労働者階級と人民大衆のおもな打撃はアメリカ帝国主義にむけられ、また、民族の利益を売りわたす独占ブルジョア階級と国内のその他の反動勢力にもむけられています。週末空海玄心ざる


ここ数年らい、資本主義国におきた大規模のさまざまな大衆闘争は、これらの国ぐにの労働者階級とその他の勤労者があらたに目ざめつつあることをはっきりと示しています。かれらの闘争は、独占資本と反動勢力に打撃をあたえており、自国の革命事業にかがやかしい見通しをひらいたばかりでなく、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ各国人民の革命闘争に力づよい支持をあたえ、社会主義陣営諸国にも力づよい支持をあたえています。


帝国主義国、資本主義国では、プロレタリア政党は革命闘争を指導するにあたって、思想上、政治上、組織上で自己の独自性をたもたなければなりません。同時に、結集できるすべての勢力を結集して、独占資本に反対し、帝国主義の侵略政策と戦争政策に反対する広範な統一戦線をうちたてなければなりません。


資本主義国の共産主義者は、当面の闘争を積極的に指導するにあたって、これらの闘争を長期の全局的な利益のための闘争と結びつけなければなりませんし、マルクス・レーニン主義の革命精神で大衆を教育し、大衆の自覚をたえずたかめて、プロレタリア革命の歴史的な任務をになわなければなりません。もしもそうしないで、目先の運動をすべてとみなし、その場あたりでことを処理し、目先の事件に順応し、プロレタリア階級の根本の利益を犠牲にするなら、これこそ正真正銘の社会民主主義であります。


社会民主主義は、一種のブルジョア思潮であります。レーニンが早くから指摘しているとおり、社会民主主義的政党はブルジョア階級の政治的部隊であり、労働運動のなかでのブルジョア階級の代理人であり、ブルジョア階級のおもな社会的支柱であります。いかなる場合にも、共産主義者はブロレタリア革命とプロレタリア階級独裁の基本問題について社会民主主義的政党との境界線をはっきりさせ、国際労働運動のなか、各国の労働者大衆のなかで社会民主主義の思想的な影響を一掃しなければなりません。共産主義者は、社会民主主義的政党の影響のもとにある大衆を獲得すべきであり、社会民主主義的政党のなかで自国の独占資本と外国帝国主義の支配に反対することをのぞむ左翼的な人びとや中間的な人びとを獲得し、労働運動の日常の闘争や世界平和をまもる闘争でかれらとの広範な共同行動を実現すべきであることは言うまでもありません。


マルクス・レーニン主義政党は、プロレタリア階級とその他の勤労者を指導して革命をおこなうためには、あらゆる闘争形態をよく把握し、また闘争情勢の変化にもとづいてある闘争形態から他の闘争形態へと迅速にきりかえることに長じていなければなりません。プロレタリア階級の前衛は、平和的と武力的、公然的と非公然的、合法的と非合法的、議会的と大衆的といった、あるゆる闘争形態をよく把握してこそはじめて、いかなる事態のもとでも不敗の立場にたつことができるのです。議会闘争その他の合法的な闘争形態を利用しなければならないとき、またはそうする可能性があるときに、これを利用することをこばむのは誤りです。しかし、もしも議会きちがいや合法主義者になってしまい、闘争をブルジョア階級のゆるす範囲にかぎるなら、どうしてもプロレタリア革命とプロレタリア階級独裁を解消することになるでしょう。


(一一) プロレタリア政党は、資本主義から社会主義へ移行する問題にたいしては、かならず階級闘争の観点から出発しなければならず、革命の観点から出発しなければならず、また、マルクス・レーニン主義のプロレタリア革命とプロレタリア階級独裁についての学説をよりどころにしなければなりません。


共産主義者は、ゆらい、平和な方法で社会主義へ移行したいと思っているのです。けれども、平和移行を国際共産主義運動の新しい世界的な戦略原則とすることができるでしょうか。それは絶対にできません。


マルクス・レーニン主義は、すべての革命の根本問題は国家権力の問題であると、一貫して考えています。一九五七年の宣言と一九六〇年の声明は、「レーニン主義が教えているように、また歴史の経験が証明しているように、支配階級は、みずからすすんで権力をゆずりわたすものではない」とはっきり指摘しています。どのような旧来の政府も、もしそれを押し倒さないなら、たとえ危機の時代でも倒れるものではありません。これが階級闘争の普遍的な法則です。


マルクスとレーニンは、一定の歴史的な条件のもとで、革命の平和的な発展の可能性を提起したことがあります。 しかし、レーニンの言っているように、革命の平和的な発展の機会は「革命の歴史上きわめてまれにみる機会」なのです。


事実、今日までのところ、世界の歴史上、資本主義から社会主義へ平和的に移行した前例はまだありません。 マルクスが社会主義は資本主義にかならずとってかわると予言したときには、その前例がなかったのだ、それならまだ前例がないという条件のもとで、資本主義は平和的に社会主義へ移行できると予言してなぜいけないのか、ある人はこう言っています。


これは、まったくデタラメなたとえです。マルクスは、弁証法的唯物論と史的唯物論によって資本主義社会の矛盾を分析し、人類社会発展の客観法則を発見して、科学的な結論をひき出しました。ところが「平和移行」にすべてののぞみをかける一部の予言者たちは、史的観念論から出発して、資本主義社会のもっとも根本的な矛盾を抹殺し、マルクス・レーニン主義の階級闘争の学説にそむいて、なんら根拠のない主観的な臆測にもとづく判断をくだしています。マルクス主義にそむくものがどうしてマルクスから援助をうることができるでしょうか。


いま、みなが目にしているとおり、資本主義国はすべてその国家機構、とくに軍事機構をつよめていますが、その目的は第一に自国人民を弾圧することにあります。


プロレタリア政党は、自分たちの思想や革命の方針、すべての活動を、帝国主義と反動派が平和的改革をうけいれるだろうという見通しのうえにきずきあげることは絶対できません。


プロレタリア政党は二つの手法を準備しておかねばなりません。つまり、革命の平和的な発展を準備するとともに革命の平和的でない発展にたいしてかならず十分な準備をしておかなければなりません。プロレタリア政党は、その主な注意力を艱難にたえて革命的な力をたくわえることにそそぎ、条件が熟したときに革命の勝利を奪いとるか、または帝国主義と反動派が奇襲攻撃や武力攻撃をくわえてきたときに有力な反撃をくわえるよう準備をしておかなければなりません。


もしこのような準備をしないなら、ブロレタリア階級の革命的意志を麻痺させ、思想上では自分の武装を解除し政治上、組織上ではまったく無準備な受身の体勢におちいってしまい、ついにはプロレタリア階級の革命事業をほうむりさってしまうことになるでしょう。


(一二) 人類の歴史上、ことなった段階でのさまざまな社会革命はすべて歴史の必然的な産物であり、人びとの意志によっては左右されない客観法則であります。歴史が証明しているように、これまでなんらかのまがりくねった道もたどらず、いくらかの犠牲もはらわずに勝利をかちとった革命はひとつもありませんでした。 プロレタリア政党の任務は、マルクス・レーニン主義の理論にもとづいて、具体的な歴史条件を分析し、正しい戦略と戦術を提起し、人民大衆を指導して暗礁をよけ、不必要ないくらかの犠牲をさけ、段どりを追って自分の目的をとげることにあります。では犠牲を完全にさけることができるでしょうか。奴隷革命、農奴革命、ブルジョア革命、 民族革命はすべてそうでなかったし、プロレタリア革命も、そうではありません。たとえ革命の指導路線が正しくても、革命がなんらかの挫折もこうむらないよう完全に保証することはできませんし、またいくらかの犠牲もはらわないよう完全に保証することもできません。正しい路線さえ堅持するなら、革命は最後にはかならず勝利するものであります。犠牲をさけるという口実で革命を解消するなら、それはほかでもなく、人民を永久に奴隷にし、かぎりない苦痛と犠牲を永久にたえしのばせるほかありません。


マルクス・レーニン主義の常識は、革命によって引きおこされる陣痛がふるい社会の慢性的な苦しみよりもはるかに軽いことをわれわれに教えています。また、レーニンは、資本主義制度のもとでは「事態がこのうえなく平穏にはこんでいる時でさえ、つねにまた不可避的に数知れない犠牲を労働者階級に負わせる」と正しくも教えています。 もしも革命がすべて順調にはこび、儀性も失敗もこうむらないという手形をあらかじめとりつけたときにはじめて革命をおこなえると考える人があるなら、その人はまったく革命家ではありません。


どのような困難な条件のもとでも、また革命がどのような犠牲と失敗をこうむるとしても、プロレタリア階級の革命家はすべて革命的な精神で大衆を教育し、かならず革命の旗をまもりぬくべきであって、それを捨てさってはなりません。


客観的な条件がまだ熟さないときにプロレタリア政党が軽がるしく革命をおこすとすれば、それは極左冒険主義であります。客観的な条件が熟しているときにブロレタリア政党が大胆に革命を指導せず、大胆に権力をうばいとらないとすれば、それは右傾機会主義であります。


ブロレタリア政党は、たとえつね日ごろ、大衆を指導して日常闘争をすすめるときにも、自分たちの隊伍と人民大衆のなかで革命の思想上、政治上、組織上の準備をおこない、革命闘争の発展をうながすことによって、いったん革命の条件が熟したとき、時機を失せず反動支配をくつがえし、あたらしい権力をうちたてるようにしなければなりません。さもなければ、客観的な条件が熟していても、革命の勝利をかちとる時機をみすみす失うことになります。 プロレタリア政党は、高い原則性を堅持するとともに、融通性をもそなえていなければならず、ときには革命にとって有利な、必要な妥協もしなければなりません。しかし、融通性と必要な妥協を口実にして、原則的な政策と革命の目的を根本的に放棄することはできません。


プロレタリア政党は、人民大衆を指導して敵とたたかうとともに、敵の矛盾を利用することにも長じていなければなりません。しかし、敵の矛盾を利用するのは、人民の革命闘争の目的をとげやすくするためであって、人民の革命闘争を解消しようとするのではありません。


無数の事実が立証しているように、帝国主義と反動派の暗黒支配があるところには、人口の九〇%以上をしめる人民がおそかれ早かれ革命にたちあがるものです。


もし共産主義者が人民大衆の革命的要求からはなれるなら、かれらは必然的に人民大衆の信頼をうしない、革命の流れの後方にほうり出されてしまうことでしょう。


もし、党の指導グループが革命をしない路線をとり、党を改良主義的な政党に変えるなら、党内外のマルクス・レーニン主義者が革命のなかでかれらの地位にとってかわり、人民を指導して革命をすすめるようになるでしょう。また別の状況のもとでは、ブルジョア階級の革命派がたちあがって革命の指導にあたるようになり、プロレタリア政党は革命の指導権をうしなってしまうでしょう。反動的なブルジョア階級が革命をうらぎり、人民を弾圧した場合、機会主義の路線は、共産主義者と革命的大衆にもともと払うべきでない、いたましい犠牲をはらわされることになるでしょう。


もし共産主義者が機会主義の道にずるずるとおちこんでいくなら、かれらはブルジョア民族主義者に堕落してしまい、帝国主義と反動ブルジョア階級の下僕になってしまうでしょう。


現在、レーニンの後をついで革命理論に最大の創造的貢献をしたと自称している人たちや、自分だけが正しいと自称している人たちは、世界の共産主義運動全体の全面的な経験を真に考慮したことがあるでしょうか。かれらは国際プロレタリア階級の運動全体の利益、目標、任務に真に注意をはらっているでしょうか。かれらはマルクス・レーニン主義に真に合致した国際共産主義運動の総路線をもっているでしょうか。これらはみな非常に疑わしいことです。


ここ数年らい、国際共産主義運動と民族解放運動はたいへん多くの経験や教訓をつみました。なかには人びとにたたえられるべき経験もあれば、人びとを悲しませる経験もあります。各国の共産主義者と各国の革命的人民は、これらの成功の経験と失敗の経験をまじめに考え、検討し、そのなかから正しい結論をみちびき出し、有益な教訓をくみとる必要があります。


(一三) 社会主義国と全世界の被抑圧人民、被抑圧民族の革命闘争は、たがいに支持し、援助しあうものであります。


アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの民族解放運動と資本主義国の人民の革命運動は、社会主義国にたいする力づよい支援であります。これを否定することは、まったく誤りです。 社会主義国は、被抑圧人民と被抑圧民族の革命闘争にたいし、心から共鳴し、積極的に支持する態度をとりうるだけであって、おざなりの態度や民族の利己的な態度、大国排外主義の態度は絶対にとるべきでありません。


レーニンは、「先進諸国の革命家およびすべての被抑圧人民と同盟をむすび、あらゆる帝国主義者に反対すること ――これこそプロレタリア階級の対外政策である」といっています。この点を理解しないで被抑圧人民や被抑圧民族にたいする社会主義国の支援を一種の負担とみなしたり、一種の恩恵とみなしたりするものは、すべてマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にそむくものであります。


社会主義制度の優越性と社会主義国の建設の成果は、被抑圧人民と被抑圧民族にとって模範と激励の役割りをはたしています。


しかし、こうした模範と激励の役割りは、被抑圧人民と被抑圧民族の革命闘争にとってかわることが絶対にできません。すべての被抑圧人民と被抑圧民族は自分の断固たる革命闘争にたよってのみ、はじめて解放をかちとることができるのです。


ある人びとは社会主義国と帝国主義国の平和競争の役割りを一方的に誇張し、平和競争を被抑圧人民と被抑圧民族の革命闘争にとってかわらせようとしています。かれらの説教によれば、まるで帝国主義はこのような平和競争のなかで自然に崩壊し、すべての被抑圧人民と被抑圧民族はただしずかにこの日がくるのを待ちさえすれば、よいかのよろであります。このこととマルクス・レーニン主義の観点とのあいだにはどのような共通点があるでしょうか。


ある人びとは、奇怪きわまる珍説をつくりだし、中国と一部の社会主義国は「戦争をひきおこそう」としているとか、「国と国のあいだの戦争」をつうじて社会主義をおしすすめようとしているとかと言っています。この奇怪きわまる珍説は、一九六〇年の声明が言っているとおり、帝国主義反動派がでっちあげた中傷にすぎません。これらの人がこうした中傷をくりかえしているのは、あからさまにいえば、かれら自身が全世界の被抑圧人民と被抑圧民族の革命に反対しているのをおおいかくし、他の人がこの革命を支持することに反対するためにほかなりません。


(一四) ここ数年らい、戦争と平和の問題については、すでにすくなからずのべてきましたし、もはや十分なほどのべてきました。戦争と平和の問題についてのわれわれの観点と政策は、全世界の人びとがみな知っているとおりであって、何人もゆがめることのできないものです。


残念ながら、国際共産主義運動のなかで、ある一部の人たちは、自分がいかに平和を愛し、いかに戦争をにくんでいるかをのべたてはするけれども、戦争の問題についてのレーニンの簡単明瞭な真理をすこしも理解しようとはしていません。


レーニンは、「戦争の問題について、人びとがしばしば忘れたり、注意がたりなかったり、あるいは、中味のからっぽな無意味ともいうべき多くの論争をひきおこしたりしているのは、おもにつぎのような基本的な問題であると、


わたしは考える。すなわち、それは、その戦争がどのような階級性をもっているのか、それがなにによってひきおこされたのか、それがどの階級によっておこなわれているのか、またそれがどのような歴史上および経済史上の条件によってもたらされたのかという問題である」とのべています。


マルクス・レーニン主義者の見るところによれば、戦争は別の手段による政治の継続であって、どのような戦争もそれをうみだした政治制度や政治闘争からきり離せないものです。世界の階級闘争の歴史全体によって立証されたこのマルクス・レーニン主義の科学的論点をはなれては、永遠に戦争の問題を理解することができず、また平和の問題を理解することもできません。


こいろいろな平和がありますし、いろいろな戦争があります。マルクス・レーニン主義者はそれがどのような平和かどのような戦争かをはっきりさせなければなりません。正義の戦争と正義でない戦争を区別せずにまぜこぜに論じたり、一律に反対したりするのは、ブルジョア階級の平和主義の観点であって、マルクス・レーニン主義の観点ではありません。


ある人は、戦争がなくても、革命はまったく可能である、と言っています。これは、いったいどのような戦争を指すのでしょうか。民族解放戦争と国内革命戦争でしょうか、それとも世界戦争でしょうか。


もし民族解放戦争と国内革命戦争を指すのであれば、このような言い方は、事実上、革命戦争に反対することであり、とりもなおさず革命に反対することであります。


もし世界戦争を指すのであれば、それはあきらかに的なくして矢を射るものであります。マルクス・レーニン主義者はたしかに二回にわたる世界大戦の歴史にもとづいて、世界戦争は不可避的革命をひきおこすというこの事実を説明しました。けれども、世界戦争を経なければ革命は不可能だなどと主張したマルクス・レーニン主義者はひとりもありませんし、今後もそうした主張をすることは永遠にないでしょう。 マルクス・レーニン主義者は戦争を絶滅することを自分たちの理想としており、また、戦争を絶滅することができると信じています。


だが、どのようにすれば、戦争を絶滅することができるでしょうか。


レーニンはこのようにみています。「われわれの目的は、社会主義制度をうちたて、人類を諸階級に区分したり、人が人を搾取したり、ある民族が他の民族を搾取したりする現象をなくすことによって戦争が根本的におこらないようにすることである」と。


一九六〇年の声明もひじょうにはっきりとのべています。「全世界における社会主義の勝利は、あらゆる戦争のおこる社会的、民族的原因を最後的にとりのぞくだろう」と。 現在、ある人は、こともあろうに、帝国主義制度と人が人を搾取する制度がまだ存在している条件のもとでも「全面的な完全軍縮」をつうじて、「武器もなく、軍隊もなく、戦争もない世界」を実現することができると考えています。これはまったく現実にあわない幻想です。


マルクス・レーニン主義の常識がわれわれにおしえているとおり、軍隊は国家機構の主要な部分であって、武器もなく、軍隊もない世界などというものは、国家のない世界いがいにありません。レーニンは「プロレタリア階級は、 ブルジョア階級を武装解除したのちにはじめて、自分の世界史的任務をうらぎらず、すべての武器を廃棄することができる。プロレタリア階級は疑いもなくそうすることができる。だが、このときにはじめてそうすることができるのであって、このとき以前では決してない」といっています。


また世界の現実はどのような状態にあるでしょうか。アメリカを頭とするすべての帝国主義国は、いったいどこに全面的な完全軍縮を実施するそぶりをすこしでも見せているでしょうか。かれらは例外なく全面的な完全軍備拡張をおこなっているではありませんか。


帝国主義の軍備拡張、戦争準備を暴露し、これに反対するためには、普偏的な軍縮の主張を提起することが必要であると、われわれは一貫してみなしてきました。社会主義陣営諸国と全世界人民の連合闘争を通じて帝国主義にある種の軍縮協定をうけいれさせることは可能であります。


もし全面的な完全軍縮を世界平和をめざすもっとも根本的な道とみなし、帝国主義がみずからすすんで武器をすてるという幻想をまきちらし、軍縮を口実にして被抑圧人民と被抑圧民族の革命闘争を解消しようとするなら、それは意識的に世界人民をあざむき、帝国主義の侵略政策と戦事政策のために犬馬の労をとる以外のなにものでもありません。


いま国際労働運動のなかにある、戦争と平和の問題についての思想的混乱を克服するためには、われわれは、現代修正主義者によってすてさられたレーニンの論点を回復させて、帝国主義の侵略政策と戦争政策に反対し、世界の平和をまもる闘争を有利にする必要が大いにあると思います。 あらたな世界戦争を防ぎとめることは、世界人民の普遍的な要求であります。あらたな世界戦争を防ぎとめることは可能であります。


現在の問題は、世界平和をたたかいとる道はいったいなにかということです。レーニン主義の観点からみれば、世界の平和は世界各国の人民がたたかいによってのみからとりうるものであって、帝国主義に乞いもとめて得られるものではありません。社会主義陣営の勢力の発展にたより、各国のブロレタリア階級と勤労者の革命闘争にたより、被抑圧民族の解放闘争にたより、すべての平和を愛する人民と国家の闘争にたよるのでなければ、世界平和を力づよくまもりぬくことはできません。


レーニン主義の政策は、まさにこのようなものです。これに反した政策では、世界を平和へみちびくことは決してできません。ただ帝国主義者の野心を助長させ、世界戦争の危険性を大きくするだけであります。


近年、ある人たちは、民族解放戦争と人民革命戦争の一点の火花も人類を壊滅させる世界大戦をまねくなどという論調をばらまいています。事実は、どうでしょうか。それとは正反対に、第二次世界大戦ののち発生した多くの民族解放戦争と人民革命戦争は決して世界大戦をまねきませんでした。これらの革命戦争の勝利は、直接、帝国主義の力を弱め、また、帝国主義による世界大戦の火つけをくいとめ、世界の平和をまもる勢力を大いにつよめたのであります。事実は、さきの論調がまったくのデタラメであることを証明しているではありませんか。


(一五) 核兵器を全面的に禁止し、完全に廃棄することは、世界平和をまもる闘争のなかでの重要な任務であります。われわれはこのために最大の努力をはらわねばなりません。


核兵器は空前の破壊力をもっています。だから、アメリカ帝国主義者は十数年らい核恐喝政策をとり、これによって全世界の人民を隷属させ、世界を制覇する野望を実現しようとくわだててきました。


しかし、帝国主義者が核兵器で他国に脅威をあたえれば、自国の人民にも脅威をうけさせることになり、自国の人民を核兵器反対、帝国主義の侵略政策と戦争政策反対にたちあがらせることになります。それと同時に、帝国主義者は核兵器で相手方を壊滅させようとすれば、実際には自分が壊滅される側にたたされてしまいます。 核兵器禁止の可能性は存在しています。帝国主義者が核兵器禁止の協定をうけいれざるをえなくなったとしても、 それは決してかれらの人類にたいする「博愛」からでたものでなく、世界各国人民の圧力とかれら自身の利害関係からでたものにすぎません。


帝国主義者と反対に、社会主義国が依拠しているのは、人民の正義の力であり、自分の正しい政策であります。社会主義国は世界において核兵器を賭博としてもてあそぶ必要は全くありません。社会主義国が核兵器をにぎっているのは完全に防衛の目的のためであり、帝国主義が核戦争をおこすのをくいとめるためであります。


マルクス・レーニン主義者からみれば、人民は歴史の創造者です。歴史の発展のうえでも、現実の生活のなかでも人間は決定的な要因です。マルクス・レーニン主義者は技術改革の役割りを重視していますが、しかし、もしも人間の要因の役割りを見くびり、技術の要因の役割りを買いかぶるなら、それは誤りです。


核兵器があらわれても、人類の歴史の前進をはばむことはできませんし、帝国主義制度を滅亡から救うこともできません。それはちょうど歴史上新しい技術があらわれても、すべてさまざまのふるい制度を滅亡から救うことができなかったのと同様です。


核兵器があらわれたことによって、現代世界のいろいろな基本矛盾はなにも解決されておらず、また、解決できるものでもありません。階級闘争の法則は決してかわっておらず、また、かえることができるものでもありません。帝国主義とすべての反動勢力の本質は決してかわっておらず、また、かえることができるものでもありません。 だから、核兵器があらわれたからといって、社会革命や民族革命の可能性と必要性はすでになくなったとか、マルクス・レーニン主義の基本的な原理、とりわけプロレタリア革命とプロレタリア階級独裁についての原理や戦争と平和についての原理はすでに時代おくれになったとか、古くさい「教条」になったとかと言うことはできないのであります。


(一六) 社会主義国が資本主義国と平和的に共存できるということは、レーニンが提起したものです。周知のとおり、偉大なソ連人民が外国の武力干渉を撃退したあと、ソ連共産党とソビエト政府は、レーニンにみちびかれ、その後またスターリンにみちびかれながら、こうした平和共存の政策を一貫して遂行してきたのであって、ドイツ帝国主義者が攻撃をおこなったときにはじめて、やむなく自衛の戦争をすすめたのであります。当ホ裁くってきた! 中華人民共和国も成立後一貫して、社会制度の異なる国ぐにと、平和的に共存する政策を断固遂行してきましたし、また、平和共存の五原則の提唱者であります。


ところが、数年らい、一部の人は、レーニンが提起した平和共存の政策をにわかに自分の「偉大な発見」にしてしまい、この政策の解釈について独占権をもっていると思いこむようになりました。かれらは、「平和共存」を森羅万象を網羅する不可思議な神書とみており、世界各国人民のたたかいのすべての成果、すべての功績がみなこの神書に記載されているとみています。かれらはまた、自分たちがこのようにレーニンの意見を歪曲することに同意しないすべての人びとを指して、平和共存の反対者とよばわり、レーニンとレーニン主義について何も知っていないと言い大逆無道の異教徒だと言っています。


中国の共産主義者は、このような観点ややり方にどうして同意できるでしょうか。いいえ、それはできません。 レーニンの平和共存に関する原則は、非常にはっきりしており、ふつうの人にもたやすく理解できるものです。平和共存は、社会制度の異なる国ぐにのあいだの関係を指しているのであって、これに勝手きままな解釈をくわえることはできません。いかなる場合にも、平和共存を被抑圧民族と抑圧民族の関係、被抑圧国と抑圧国の関係、被抑圧階級と抑圧階級の関係の面におしひろげてはならず、平和共存を資本主義から社会主義への移行のおもな内容というべきではありません。まして、平和共存を全人類が社会主義へむかう道だなどとはなおさら言うべきでありません。 なぜなら、社会制度の異なる国のあいだで平和共存を実行することは、これはひとつのことがらです。平和共存は、 共存している相手国の社会制度は指一本もふれることは根本的に許されず、また、それはまったく不可能なことです。他方、各国における階級闘争、民族解放闘争、資本主義から社会主義への移行は、これはまた別のことがらです。これらのたたかいはみな、社会制度を変えるための、激烈な、食うか食われるかの革命闘争です。平和共存は各国人民の革命闘争にとってかわることが絶対にできません。いかなる国も、資本主義から社会主義への移行は、自国のプロレタリア革命とプロレタリア階級独裁を通ずるほかないのであります。


平和共存の政策を遂行する過程では、社会主義国と帝国主義国のあいだに政治、経済、イデロオギーなどの面でたたかいが不可避的に存在するのであって、「全面的な協力」などということは絶対に不可能であります。


社会主義国と帝国主義国があれこれの会談をおこなうことは、必要なことです。社会主義国の正しい政策と各国の人民大衆の圧力にたよれば、会談によってなんらかの協定を結ぶことができます。社会主義国と帝国主義国のあいだのなんらかの必要な妥協は、被抑圧人民と被抑圧民族がこれにともなって帝国主義とその手先に妥協することを要求するものでは決してありません。いかなる場合も、平和共存の名によって、被抑圧人民と被抑圧民族に自分の革命闘争を放棄するよう要求することは誰もできないのであります。


社会主義国が平和共存の政策を実行することは、社会主義建設の平和な国際環境をかちとるうえで有利であり、帝国主義の侵略政策と戦争政策を暴露するうえで有利であり、帝国主義の侵略と戦争の勢力を孤立させるうえで有利であります。けれども、もし社会主義国の対外政策の総路線を平和共存にかぎるなら、社会主義国相互の関係を正しく処理することができず、社会主義国と被抑圧人民、被抑圧民族のあいだの関係を正しく処理することもできません。 したがって、平和共存を社会主義国の対外政策の総路線とするのは誤まっています。


われわれの考えによると、社会主義国の対外政策の総路線にはつぎのような内容がふくまれねばなりません、つまり、ブロレタリア国際主義の原則にもとづいて、社会主義陣営諸国のあいだの友好相互援助協力関係を発展させること、五原則を基礎として社会制度の異なる国ぐにとの平和共存をかちとり、帝国主義の侵略政策と戦争政策に反対すること、すべての被抑圧人民と被抑圧民族の革命闘争を支援することがそれです。この三つの内容は、たがいに関連した、切り離すことのできない、どれひとつとして欠くことのできないものであります。


(一七)プロレタリア階級が、権力をかちとったあとの非常に長い歴史的時期において、階級闘争が継続することは、依然として人びとの意志で左右されない客観法則です。ただ、階級闘争の形態がプロレタリア階級の権力獲得まえと異なるにすぎません。


十月革命のあと、レーニンはいくどもつぎのように指摘しています。


1.打倒された搾取者は、つねにあらゆる手をつくして、奪いさられた「天国」を復活させようとするものである。


2.小ブルジョアの自然発生的な勢力は、たえず新しい資本主義分子をうみ出す。


3.ブルジョア階級の影響と、小ブルジョアの自然発生的な勢力の包囲と腐蝕の作用によって、労働者階級の隊伍のなかや国家機構の職員のなかにも堕落変質した分子や新しいブルジョア分子がうまれうる。


4.国際資本主義の包囲と帝国主義の武力干渉の脅威および平和的瓦解の陰謀活動は、社会主義国のなかで階級闘争がひきつづき存在する外部的な条件である。


レーニンの以上の断定の正しさは、実際の生活がこれを証明しています。


いかなる社会主義国にせよ、社会主義的工業化と農業集団化が実現してから数十年、さらにはもっと長い時間を経たのちでも、そこにはレーニンがたびたび痛烈に非難したようなブルジョア政客、寄生虫、投機分子、ペテン師、なまけ者、ごろつき、国家財産の窃盗犯といった連中がまったくいなくなったということはできませんし、また社会主義国にはもはや、レーニンの提起した「資本主義から社会主義に残されたこの伝染病、疫病、潰瘍を一掃する」という任務はもう必要でなくなったとか、放棄してもよいとか、いうこともできません。


社会主義国で、社会主義と資本主義のどちらがどちらに勝つかという問題は、非常に長い歴史的時期を経てはじめて一歩一歩と解決できるものです。社会主義と資本主義の二つの道のたたかいは、この歴史的時期全体をつらぬいています。こうしたたたかいは起伏があって、波状的であり、ときには非常にはげしい形をとることさえあります。たたかいの形態は多種多様です。


一九五七年の宣言は、「労働者階級にとっては権力の獲得は革命のはじまりにすぎず、革命の完成ではない」とのべていますが、まったくそのとおりであります。


プロレタリア階級独裁の時期の階級闘争を否定し、経済戦線、政治戦線、思想戦線で徹底的に社会主義革命をやりぬく必要性を否定することは誤まりであって、客観的な事実にかなっておらず、マルクス・レーニン主義にそむくものです。


(一八) マルクスとレーニンは、共産主義社会が高い段階にはいる以前は資本主義から共産主義への過渡期にぞくし、プロレタリア階級独裁の時期であるとみなしています。プロレタリア階級独裁つまりプロレタリア国家は、この過渡期のなかで、成立し、うちかためられ、強まり、さらにはしだいに死滅するという弁証法的過程をたどります。


マルクスは、「ゴータ綱領批判」のなかで、つぎのように問題を提起しています。「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治的過渡期がある。この過渡期の国家はプロレタリア階級の革命的独裁でしかありえない」


レーニンはつねにプロレタリア階級独裁の問題についてのマルクスの偉大な学説をくりかえし強調しました。とくに、その偉大な著作「国家と革命」では、プロレタリア階級独裁についてのマルクスの学説の発展過程を分析すると同時に、自分自身も「共産主義へ発展しつつある資本主義社会から共産主義社会への移行は、『政治的過渡期』なしには不可能である。そして、この時期の国家は、プロレタリア階級の革命的独裁でしかありえない」と書いています。


レーニンは、また、つぎのようにのべています。「階級の独裁は、一般に階級社会だけに必要なのではなく、またブルジョア階級をうちたおしたプロレタリア階級だけに必要なのではなく、さらに資本主義から『無階級社会』へ移行し、共産主義へ移行する全歴史的時期にも必要である。この点を理解した人のみが、マルクスの国家学説の実質を会得できたといえるのである」


以上にのべたように、マルクスとレーニンの基本的な思想はつぎのようなものです。つまり、資本主義から共産主義へ移行する全歴史的時期、すなわち、すべての階級的差異をなくし、階級のない社会にはいる以前の時期、共産主義社会の高い段階にはいる以前の時期には、プロレタリア階級独裁がひきつづき存在するのは避けられないということがそれであります。


しょうか。 もし中途でプロレタリア階級独裁はもはや必要がないと宣言するなら、どういうことになるでしょうか。それは、根本的にマルクス・レーニンのプロレタリア階級独裁の国家学説に抵触するのではないでしょうか。 それは、「資本主義から社会主義に残されたこの伝染病、疫病、潰瘍」をはびこるままにまかせることではないで


つまり、それでは非常に重大な結果をまねくこととなり、共産主義への移行など問題にならないのです。


いったい、「全人民の国家」などというものがありうるでしょうか、「全人民の国家」などというものをプロレタリア階級独裁の国家にとってかわらせていいものでしょうか。


この問題は、どこかの国の内政問題ではなく、マルクス・レーニン主義の普遍的真理にかかわる根本問題です。 「マルクス・レーニン主義者からみれば、非階級的、超階級的な国家などというものはありません。国家であるかぎり、かならず階級性をもっています。国家が存在するかぎり、それは「全人民」的なものではありえません。ひとたび、社会に階級がなくなれば、国家などというものもなくなります。


では、いわゆる「全人民の国家」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。


マルクス・レーニン主義の常識をそなえているものなら誰も、「全人民の国家」などというものはけっして目あたらしいものでないことを知っています。ブルジョア階級の代表的人物は、ゆらい、ブルジョア国家を「全人民の国家」とか、「全人民的権力の国家」とかよんでいます。


ある人は、自分のところはもう階級のない社会だといっています。わたしたちは、そうではない、すべての社会主義国家には例外なく階級と階級闘争が存在する、と答えます。


そこには、復活をはかるふるい搾取階級の残存分子がおり、新しいブルジョア分子がつねにうまれ、また、寄生虫、 投機分子、なまけもの、ごろつき、国家財産の窃盗犯などがいる以上、階級と階級闘争がなくなったなどとどうしていえるでしょうか。プロレタリア階級独裁がもう必要ではなくなったなどとどうしていえるでしょうか。つぶすマルクス・レーニン主義がわれわれに教えているように、プロレタリア階級独裁の歴史的任務は、敵対階級を弾圧するほか、社会主義建設の過程で、労働者階級と農民の関係を正しく処理し、労働者階級と農民の政治上、経済上の同盟をつよめ、労働者と農民の階級的差異をしだいになくす条件をつくっていかねばなりません。


社会主義社会の経済的土台からみれば、すべての社会主義国にはなんの例外もなく、全民所有制と集団所有制の差異が存在しており、また、個人所有側も存在しています。全民所有制と集団所有制は、社会主義社会の二種類の所有制で、社会主義社会の二種類の生産関係であります。全民所有制の企業ではたらく労働者と集団所有制の農場ではたらく農民は、社会主義社会の二種類の勤労者です。したがって、すべての社会主義国には、例外なく、労働者と農民の階級的差異が存在しています。こういった差異は、共産主義の高い段階にはいって、はじめてなくなるものです。 現在、すべての社会主義国の経済の発展水準は、「能力を尽くしてはたらき、必要に応じて分配する」という共産主義の高い段階にはまだまだ非常に遠いものです。したがって、労働者と農民の階級的差異をなくすには、まだまだ非常にながい時間が必要です。こういった階級的差異がなくならないかぎり、階級のない社会などということはできず、プロレタリア階級独裁がもう必要でなくなったなどということはできません。


「社会主義国家を「全人民の国家」とよぶのは、ブルジョアの国家学説をマルクス・レーニン主義国家学説にとってかわらせようとするものではないでしょうか。他の性質をもつ国家をプロレタリア階級独裁の国家にとってかわらせようとするものではないでしょうか。 もしそうであれば、歴史の大後退にほかなりません。ユーゴスラビアの社会制度の変質こそは、まさしく重大な教訓であります。


(一九) レーニン主義は、社会主義国のなかで、プロレタリア政党はプロレタリア階級独裁とともに存在するのでなければならないと考えています。プロレタリア階級独裁の全歴史的時期を通じて、プロレタリア政党がないわけにはゆきません。なぜなら、プロレタリア階級独裁は、プロレタリア階級と人民の敵に反対するものであり、農民とその他の小生産者を改造するものであり、プロレタリア階級の隊伍をつねに整頓するものであり、社会主義を建設し共産主義に移行するものであって、プロレタリア政党の指導がなければならないからです。


「いったい、「全人民の党」などというものがありうるでしょうか。「全人民の党」などというものをプロレタリア階級の前衛党にとってかわらせていいものでしょうか。


この問題も、どこかの国の党の内部問題ではなく、マルクス・レーニン主義の普遍的な真理にかかわる根本問題です。


マルクス・レーニン主義者からみれば、非階級的、超階級的な政党などというものはありません。あらゆる政党はみな階級性をそなえているものです。党派性は階級性の集中的なあらわれにほかなりません。


ブロレタリア政党は、人民全体の利益を代表できる唯一の政党です。それが人民全体の利益を代表することができるのは、ほかでもなく、それがプロレタリア階級の利益の代表者であり、ブロレタリア階級の思想と意志を集中したものだからです。それが人民全体を指導できるのは、プロレタリア階級が全人類を解放してはじめて自己を最終的に解放することができるからであり、それがブロレタリア階級の固有の性格にもとづき、プロレタリア階級の現在と将来の利益にもとづいて問題を考え、人民にたいして無限の忠誠と自己犠牲的な精神をもっており、それによって党の民主集中制と鉄の規律が形づくられているからです。このような政党がなくては、ブロレタリア階級独裁を維持することはできず、人民全体の利益を代表することはできません。


共産主義社会の高い段階にはいるまでの時期に、もしもその中途で、ブロレタリア政党がすでに「全人民の党」になったなどと宣言し、党のプロレタリア階級の性質を否定するなら、一体どういうことになるでしょうか。


それでは、マルクス・レーニンのプロレタリア政党の学説と根本的に抵触するのではないでしょうか。


それでは、プロレタリア階級とすべての勤労者の武装を組織上、精神上で解除してしまい、資本主義の復活のため犬馬の労をとるのと同じではないでしょうか。 このような状況のもとで、共産主義社会への移行などを論じてみても、かじ棒は南にむけ、車は北にゆくことになるのではないでしょうか。


(二〇) ここ数年らい、一部の人びとが指導者、政党、階級、大衆の相互関係についてのレーニンの全学説にそむいて、いわゆる「個人迷信反対」をもちだしたのは、誤りであり、有害であります。


レーニンがこの問題について提起した学説はつぎのようなものです。


1.大衆は諸階級に区分される。


2.階級はふつう政党が指導する。


3.政党はふつうわりあい安定した集団によって指導されるが、この集団は、もっとも権威をもち、もっとも影響力をもち、もっとも経験をもち、えらばれてもっとも重要な職務につき、指導者とよばれる人たちによって構成される。


以上の点を、レーニンは「すべて最低限の常識である」とのべています。


プロレタリア政党は、ブロレタリア階級の革命的、戦闘的な司令部であります。いかなるプロレタリア政党も、かならず民主主義を基礎とした集中制を実施しなければならず、マルクス・レーニン主義の強力な指導をうちたてなければなりません。それでこそはじめて組織性と戦闘力をもつ前衛となることができるのです。いわゆる「個人迷信反対」をもちだすのは、実際には、指導者と大衆を対立させ、党の民主集中制の統一的な指導を破壊し、党の戦闘力を弛緩させ、党の隊伍を瓦解させるものであります。


レーニンは、指導者と大衆を対立させるそうした誤った観点を批判しました。レーニンはこれを「笑うべきナンセンスであり、ばかげたことである」といっています。


中国共産党は、ゆらい、個人の役割りを誇張することに賛成しておらず、党の民主集中制を主張し、これを断固実施し、指導と大衆の結合を主張し、およそ正しい指導というものはすべて大衆の意見を集中することに長じていなければならないと考えています。


一部の人びとはいわゆる「個人迷信反対」を大いにおこない、実際にはプロレタリア政党、プロレタリア階級独裁を極力みにくく描きだすとともに、他方、ある個人の役割りを大いに宣伝し、すべての誤ちを他人におしつけ、すべての功績を自分のものにしています。 「 もっと重大なことは、一部の人びとが、いわゆる「個人迷信反対」を口実にして、横暴にも他の兄弟党や兄弟国の内政に干渉し、強引に他の兄弟党の指導を変更して、自分の誤った路線を他の兄弟党におしつけていることです。こうしたやりかたは、大国排外主義、セクト主義、分裂主義、転覆活動でなくてなんでしょうか。


いまこそ、指導者、政党、階級、大衆の相互関係についてのレーニンの全学説をまじめに全面的に宣伝すべきときであります。


(二一) 社会主義国のあいだの関係は、新しい型の国際関係であります。社会主義国のあいだでは、国の大小や経済発展のいかんにかかわりなく、その相互の関係を完全な平等、領土保全の尊重、国家の主権と独立の尊重、内政の相互不干渉という原則にもとづいてうちたてなければならず、プロレタリア国際主義の相互支持と相互援助という原則にもとづいてうちたてなければなりません。


いかなる社会主義国の建設事業も、主として自力更生にたよらなければなりません。


それぞれの社会主義国は、なによりもまず自国の具体的な状況に応じ、自国人民の勤勉な労働と知恵にたよって、 自国の利用できるあらゆる資源を計画的にあますところなく利用し、自国の社会主義建設のあらゆる潜在能力をほり


おこさなければなりません。こうしてこそはじめて、効果的に社会主義を建設することができ、自国の経済を急速に発展させることができるのであります。


また、こうしてこそはじめて、各社会主義国は社会主義陣営全体の威力をつとめることができ、国際プロレタリア階級の革命事業を援助する力を大きくすることができるのであります。だから、自力更生を主とする建設方針を遂行することは、プロレタリア国際主義の具体的なあらわれにほかなりません。


いかなる社会主義国でも、もし自国の局部的な利益だけから出発して、他の兄弟国が自国の需要に服従するよう一方的に要求し、さらにいわゆる「ひとり仕事」とか、「民族主義」とかに反対するという口実で、他の兄弟国が自力更生を主とする建設方針をすすめることに反対し、他の兄弟国が独立、自主の基礎のうえに経済を発展させることに反対し、さらには他の兄弟国にたいし経済的な圧力をくわえるというようなことまでするなら、それこそ正真正銘の民族的利己主義のあらわれにほかなりません。


社会主義国が経済の面で相互に協力し、有無相通ずることはまったく必要なことです。この種の経済協力は完全な平等、互恵、同志的な相互援助という原則にもとづいてうちたてられなければなりません。 あもしこれらの基本原則を否定し、「国際的分業」とか「専門化」とかの名目で、自己の意志を他人におしつけ、他の兄弟国の独立と主権をそこない、他の兄弟国の人民の利益をそこなうなら、それこそ大国排外主義にほかなりません。


もし資本主義国の相互関係のなかにある、他人に損をさせて自分だけが得をするようなやり方を社会主義国の相互関係のなかにもちこみ、さらには独占資本グルーブが市場の争奪、利潤の山わけのために設けた「経済一体化」とか 「共同市場」とかというものを、社会主義諸国の経済の相互援助と協力の手本にしてもよいとまでも考えるなら、これほど馬鹿げたことはありません。


(二二)一九五七年の宣言と一九六〇年の声明には、兄弟党の関係についての準則がきめてあります。これらの準則とは、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義との基礎のうえにたって団結するという原則、たがいに支持し、援助しあう原則、独立自主と平等の原則、話しあいで見解を統一する原則であります。


「われわれは、ソ連共産党中央委員会の三月三〇日づけの書簡のなかで、共産主義運動のなかには「上級の党」や、 「下級の党」というものはなく、すべての共産党はみな独立、平等であり、これらの党の関係はプロレタリア国際主義と相互援助の基礎のうえにうちたてられなければならない、とのべてあることに注意をむけました。


共産主義者の貴い品性は言葉と行動が一致することです。プロレタリア国際主義の原則に違反するのでなく、これを真に堅持すること、兄弟党の相互関係についての準則を破壊するのでなく、これを真にまもること――言葉のうえだけでなく、いっそう重要なのは行動のうえでもそうすることこそ、兄弟党の団結をまもり、つよめる唯一の正しい道なのであります。


もし兄弟党の関係のなかに独立と平等の原則をみとめるなら、自分自身を他の兄弟党のうえにおくことは許されず、兄弟党の内部のことがらに干渉することは許されず、兄弟党の関係のなかで家父長制を実施することは許されません。


もし兄弟党の関係のなかに「上級」と「下級」の区別がないことを認めるなら、自分自身の一党の綱領、決議、路線を国際共産主義運動の「共同綱領」として他の兄弟党におしつけることは許されません。


もし兄弟党の関係のなかの話しあいで見解を統一する原則を認めるなら、「誰が多数で、誰が少数だ」などということを強調してはならず、いわゆる多数をたのみにして自分の誤った路線を強引におしすすめ、セクト主義と分裂主義の政策を実行するようなことをしてはなりません。


もし兄弟党のあいだの意見の相違を内部の話しあいで解決することに同意するなら、自国や他国の党大会、指導者の演説を利用し、決議や声明などの方式を通じて、公然と名ざして他の兄弟党を攻撃するようなことはすべきでなく、兄弟党のあいだの思想上のくい違いを国家関係の面にまでひろげるようなことはなおさらすべきでありません。 いま国際共産主義の隊伍のなかに意見の相違が存在する状況のもとでは、宣言と声明できめられた兄弟党の関係についての準則を厳格にまもることを強調することがとくに重要であると、われわれは考えます。


いま、兄弟党、兄弟国の関係のなかではソ連とアルバニアの関係がとくにきわだった問題です。ソ連、アルバニアの両党、両国の関係についての問題は、どのように正しく兄弟党、兄弟国に対処するかの問題であり、宣言と声明できめられた兄弟党、兄弟国の関係についての準則をまもる必要があるかどうかの問題であります。この問題を正しく解決することは、社会主義陣営の団結と国際共産主義運動の団結をまもるうえで原則的な意義をもっています。


マルクス・レーニン主義の兄弟党であるアルバニア労働党にたいしてどういう態度をとるか、これはひとつのことがらです。マルクス・レーニン主義の裏切り者であるユーゴスラビア修正主義グループにたいしてどういう態度をとるか、これはまた別のことがらです。この二つの根本的に異なった性質の問題は決して同日に論ずることができません。


あなた方は書簡のなかで、一方では「ソ連共産党とアルバニア労働党のあいだの関係を改善しうるという考えを放棄してはいない」とのべながら、他方ではアルバニアの同志が「分裂行動」をとっているとひきつづき攻撃をくわえています。これはあきらかに自己矛盾であって、ソ連、アルバニア関係の問題を解決するには役だちません。 いったい、ソ連とフルバニアの関係で分裂行動をとったのは誰なのでしょうか。


いったい、ソ連、アルバニア両党のあいだの思想上のくい違いを国家関係の面までひろげたのは誰なのでしょうか。


「いったい、ソ連、アルバニア両党、両国の意見のくい違いを敵のまえに公然とさらけだしたのは誰なのでしょうか。


いったい、アルバニアの党と国家の指導を変更するように公然と呼びかけたのは誰なのでしょうか。


これらすべての問題は、全世界のまえにあからさまにならべられています。


ソ連、アルバニア関係がいまのような重大な事態にまで悪化するにいたったことについて、ソ連共産党の指導者の同志たちははたして真に自分の責任を感じないのでしょうか。


われわれは、ソ連共産党の指導者の同志たちが兄弟党、兄弟国の関係についての準則をまもり、みずからすすんでソ連、アルバニア関係を改善する効果的な方法を捜しもとめるよう、いま一度こころから希望するものです。


いずれにせよ、兄弟党、兄弟国間の関係をいかに処理するかは、慎重に対処しなければならない問題です。兄弟党、兄弟国の関係についての準則を厳格にまもることこそ、帝国主義反動派のふりまいている「モスクワの手」といったたぐいの中傷にたいするもっとも有力な反撃となるのであります。


プロレタリア国際主義は、党が大きいか小さいか、権力をとっているかいないかにかかわりなく、例外なしに要求されるものです。けれども、大きな党、権力をにぎっている党は、この面でとくに重大な責任を負っています。過去のある時期、社会主義陣営におきた、人びとを悲しませる一連の事件は、関係のある兄弟党の利益に損害をあたえたばかりでなく、関係ある兄弟国の広範な人民大衆の利益にも損害をあたえています。この事実は、大きな国、大きな党がかならずレーニンの遺訓を肝に銘じ、けっして大国排外主義の誤りをおかしてはならないことを有力に立証しています。


ソ連共産党の同志はその書簡のなかで、「ソ連共産党は、兄弟のような中国人民およびその他の国の人民にたいする悪感情を、わが国の諸民族のなかにうえつけるようなことは、これまでもしなかったし、将来もしないだろう」と言明しています。われわれはここで、過去のかずかずの不愉快な事実についてあらためてのべるつもりはありませんが、せめてソ連共産党の同志が今後の行動のなかでこの言明を堅くまもってくれればよいと思います。


数年来、われわれは兄弟党、兄弟国の関係についての準則に違反する一連の重大な事件に直面し、われわれにおしつけられた多くの困難と損失をこうむってきましたが、それにもかかわらず、わが党の党員、わが国の人民は自制に自制をかさねてきました。中国の共産主義者と中国人民のプロレタリア国際主義の精神は、きびしい試練にたえぬいてきたのであります。


中国共産党は終始一貫ブロレタリア国際主義に忠実であり、一九五七年の宣言と一九六〇年の声明できめられた兄弟党、兄弟国の関係についての準則を堅持し、これを擁護しており、社会主義陣営の団結と国際共産主義運動の団結をまもり、これを強めています。丁。


(二三)各国の兄弟党が一致してとりさめた国際共産主義運動の共同綱領を実現するためには、マルクス・レーニン主義にそむくさまざまな機会主義と妥協のないたたかいをおこなわなければなりません。


宣言と声明は、国際共産主義運動のなかのおもな危険は修正主義、いいかえれば右傾機会主義であると指摘しています。ユーゴスラビアの修正主義は現代修正主義を代表するものです。


声明は、「各国共産党は、現代修正主義者の『理論』の集中的なあらわれであり、国際的機会主義の一変種であるユーゴスラビアの機会主義を一致して非難した」ととくに指摘しました。


「声明はつづいて、「マルクス・レーニン主義をうらぎり、それを時代おくれのものといっているユーゴスラビア共産主義者同盟の幹部たちは、一九五七年の『宣言』に反レーニン的な修正主義的綱領をもって対抗した。かれらは、 ユーゴスラビア共産主義者同盟を国際共産主義運動全体に対抗させ、自国を社会主義陣営から切り離してアメリカその他の帝国主義者のいわゆる『援助』に依存させている」と指摘しています。


声明はまた、「ユーゴスラビアの修正主義者は、社会主義陣営と国際共産主義運動にたいして破壊工作をおこなっている。かれらはブロック不参加政策という口実にかくれて、すべての平和を愛する勢力と諸国家の団結をやぶる活動をくりひろげている」と指摘しています。


ここから声明はつぎのような結論を出しています。「ユーゴスラビア修正主義者の指導者を今後とも暴露し、共産主義運動と労働運動を、ユーゴスラビア修正主義者の反レーニン主義的思想からまもるために積極的にたたかうことは、依然としてマルクス・レーニン主義政党の欠くことのできない課題である」


ここに提起された問題は、まさしく国際共産主義運動におけるひとつの重大な原則問題であります。つい最近も、チトー一味は自分たちの修正主義的綱領を堅持し、宣言や声明と対立する反マルクス・レーニン主義の立場を堅持することを公然と声明しています。


長期にわたって、アメリカ帝国主義とその北大西洋ブロックの相棒たちは数十億の米ドルをつかってチトー一味を飼育してきました。チトー一味は「マルクス・レーニン主義」のベールをまとい、「社会主義国」の旗をかかげて、 国際共産主義運動と世界人民の革命事業を破壊し、アメリカ帝国主義の別動隊となっています。


ユーゴスラビアには「一定のこのましい傾向」がうまれているとか、ユーゴスラビアは「社会主義国」だとか、チトー一味は「反帝勢力」だとかいうのは、まったく事実に合致せず、まったく根拠がありません。


現在、ある人はユーゴスラビア修正主義グループを社会主義の大家庭と国際共産主義の隊伍にひきいれ、一九六〇年の兄弟党会議の一致した申しあわせを公然と反故にしようとしていますが、これはぜったいに許されないことです。


数年らい、修正主義思想の潮流が国際労働運動のなかに氾濫していることや、国際共産主義運動のなかでのいくたの経験と教訓は、修正主義が当面の国際共産主義運動のなかでのおもな危険である、という宣言と声明の断定の正しさをあますところなく証明しています。


しかし、ある人びとは、おもな危険が修正主義でなく教条主義であるとか、教条主義の危険は修正主義よりも小さくはないとか公然と言っています。これでは、いったい、原則性などというものがあるのでしょうか。 確固としたマルクス・レーニン主義者、真のマルクス・レーニン主義の政党はかならず原則を第一位におかなければなりません。原則を取り引きして、いまこれに賛成したと思えばすぐあれに賛成し、いまこれを主張したと思えばすぐあれを主張するというふうであってはなりません。


マルクス・レーニン主義の純潔をまもり、宣言と声明の原則的立場をまもるためには、中国の共産主義者は、ひきつづきすべてのマルクス・レーニン主義者とともに、現代修正主義にたいして妥協のないたたかいをすすめるでしょう。


国際共産主義運動でのおもな危険である修正主義に反対するとともに、共産主義者はまた教条主義にも反対しなければなりません。


一九五七年の宣言には、プロレタリア政党は、「マルクス・レーニン主義の普遍的真理を各国の革命と建設の具体的な実践にむすびつけるという原則を堅持しなければならない」とのべています。


それはつまり、つぎの二点となります。


一方ではついついかなるときもマルクス・レーニン主義の普遍的真理を堅持せねばなりません。もしそうでなければ、右傾機会主義あるいは修正主義の誤りをおかすことになるでしょう。


他方では、つねに実際の生活から出発して、大衆と緊密にむすびつき、たえまなく大衆闘争の経験を総括し、自国の実状に適した政策と戦術を独自にさだめ、実行しなければなりません。もしそうしないで、他国の共産党の政策と戦術を機械的にひきうつし、他人のおしつけた意志を盲目的にうけいれ、他国の共産党の綱領と決議を分析もくわえずに自分の路線とするなら、それは教条主義の誤りをおかすことになるでしょう。


現在、ある人たちは、ほかでもなく、宣言が早くから確定しているこの基本原則にそむいています。かれらは、 「マルクス・レーニン主義を創造的に発展させる」などという口実をもうけて、マルクス・レーニン主義の普遍的真理をかなぐりすてています。かれらはまた、主観的な臆測からつくりだした、実際からはなれ、大衆からうきあがった処方箋を「マルクス・レーニン主義の普遍的真理」だなどといい、他人にもそれを無条件にうけいれるようおしつけています。


当面、国際共産主義運動のなかでの数多くの重大な現象は、ほかでもなく、このようにしてうまれたものなのです。


(二四) 国際共産主義運動のもっとも重要な経験は、革命が発展し、勝利をおさめるかどうかは、プロレタリア階級の革命的政党があるかどうかにかかっているということです。


革命的政党はどうしてもなければなりません。


マルクス・レーニン主義の革命理論と革命の風格にもとづいて建設された革命的政党は、どうしてもなければなりません。


マルクス・レーニン主義の普遍的な真理と自国の革命の具体的な実践をよく結びつけることのできる革命的政党はどうしてもなければなりません。


指導の側と広範な人民大衆を緊密に結びつけることに長じている革命的政党は、どうしてもなくてはなりません。 真理を堅持し、誤ちをただすことができ、批判と自己批判を立派におこなうことができる革命的政党は、どうしてもなければなりません。


このような革命的政党であってこそ、プロレタリア階級と広範な人民大衆を指導して、帝国主義とその手先にうち勝つことができ、民族民主革命の徹底的な勝利と社会主義革命の勝利をかちとることができるのです。 もしプロレタリア階級の革命的政党でなくて、ブルジョア階級の改良的政党であるなら、


もしマルクス・レーニン主義の党でなくて、修正主義の党であるなら、


もしブロレタリア階級の前衛党でなくて、ブルジョア階級に追随する党であるなら、


もしブロレタリア階級と広範な勤労者の利益を代表する党でなくて、労働貴族の利益を代表する党であるなら、 もし国際主義的な党でなくて、民族主義的な党であるなら、


もし自分で考え、自分で頭をはたらかせ、まじめな調査研究活動によって自国の各階級の的確な動向をしっかりとつかみ、マルクス・レーニン主義の普通的真理を立派に運用して、自国の具体的な実践に結びつけるというのではなく、ただ他人の口まねをし、分析もしないで外国の経験をひきうつし、外国のある人たちの指揮棒にふりまわされるだけであるなら、つまり、修正主義と教条主義をなにもかもそろえて、ごった煮になり、ただマルクス・レーニン主義の原則性だけがないというような党であるなら、 それなら、このような党は、ブロレタリア階級と広範な人民大衆を指導して革命闘争をすすめることは絶対にできず、革命の勝利をからとることは絶対にできず、プロレタリア階級の偉大な歴史的使命をなしとげることは絶対にできません。


これは、各国のマルクス・レーニン主義者、自覚した労働者、すべての先進的な人たちがふかく熟慮しなければならない問題です。


(二五) マルクス・レーニン主義者は国際共産主義運動のなかにうまれた意見の相違にたいし、是非をあきらかにする責任があります。団結して敵にあたるという共同の利益のためには、われわれはゆらい内部の話し合いで問題を解決することを主張し、意見の相違を敵の前にさらけだすことに反対してきました。


ソ連共産党の同志も知っているように、現在の国際共産主義運動の公然たる論戦は、一部の兄弟党の指導者がいどみ、われわれにおしつけてきたものであります。


すでに公然たる論争がいどまれた以上、この論争は、各兄弟党の平等の基礎のうえでおこない、民主主義の基礎のうえでおこない、事実をあげ、道理を説くという態度をとるほかありません。


一部の党の指導者がすでに公然と他の兄弟党に攻撃をくわえ、公然たる論争をいどんできた以上、攻撃された兄弟党の側がかれらに公然と回答するのを禁止する理由もなければ、権利もないと、われわれは考えています。


一部の党の指導者は、自分自身他の兄弟党を攻撃する文章をたくさん発表しておきながら、どうして他の兄弟党の回答の文章を自分の新聞、雑誌に公然と発表しないのでしょうか。


最近、中国共産党はじつに途方もない攻撃をうけました。それらの攻撃者は大いにわめきたて、事実を無視して、 いくたの罪名をでっちあげ、われわれにおしかぶせています。われわれを攻撃したこれらの文章や言論を、われわれは自分の新聞紙上に発表しました。


一九六二年一二月一二日最高ソビエト会議でのソ連の指導者の報告、一九六三年一月七日のソ連「ブラウダ」紙編集部の文章、一九六三年一月一六日のドイツ社会主義統一党第六回大会におけるソ連共産党代表団団長のあいさつ、 一九六三年二月一〇日のソ連「ブラゥダ」紙編集部の文章、これらもすべてわれわれの新聞紙上に全文発表しました。


ソ連共産党中央委員会の一九六三年二月二一日と三月三〇日の二回の書簡も、われわれは全文を発表しました。うわれわれは、いくつかの兄弟党のわれわれを攻撃した文章や言論にたいし、あるものについてはすでに回答しましたが、あるものについてはまだ回答していません。たとえば、ソ連共産党の同志の多くの文章や、言論にたいしては、われわれはまだ直接に回答していません。


われわれは、一九六二年一二月一五日から一九六三年三月八日までのあいだに、全部で七編の文章を書いて攻撃者に答えてきました。これらの文章の題目は、つぎのとおりです。


「全世界のプロレタリア階級は団結してわれわれの共同の敵に反対しよう」


「トリアッチ同志とわれわれとの意見の相違について」


「レーニン主義と現代修正主義」


「モスクワ宣言とモスクワ声明の基礎のうえに団結しよう」


「意見の相違はどこからくるか――トレーズらの同志に答える」


「ふたたびトリアッチ同志とわれわれとの意見の相違について――レーニン主義の現代におけるいくつかの重要問


「アメリカ共産党の声明を評す」


あなたがたは三月三〇日づけの手紙の末尾で、中国の新聞、雑誌がソ連共産党にたいし、「なんらの根拠もない攻撃」をくわえたと非難していますが、これはおそらくこれらの文章を指しているのでしょう。われわれが攻撃者に回答した文章を「攻撃」だというのは、まったく白を黒といいくるめるものであります。


あなたがたは、われわれの文章を「なんらの根拠もない」ものだといい、あれほど悪いものだと言っています。それなら、あなたがたは、なぜ、われわれがあなたがたの文章を発表しているように、われわれのこの七編のいわゆる 「なんらの根拠もない攻撃」の文章を全部公表し、ソ連のすべての同志たち、ソ連のすべての人民に、誰が正しく誰が正しくないかを考えさせ、判断させるようにしないのでしょうか。もちろん、あなたがたも、あなたがたが「なんらの根拠もない攻撃」だと考えるこれらの文章について、逐条的にいくらでも反駁していただいて結構です。


「あなたがたは、われわれの文章が「なんらの根拠もない」ものだといい、われわれの論点が誤りだといいながらも、われわれの真の論点をソ連の人民にありのままに知らせてはいません。このようなやりかたは、どうみても兄弟党のあいだでの問題の討論にたいし、真理にたいし、また大衆にたいして厳粛な態度をとっているとはいえません。 われわれは、兄弟党の公然たる論争が停止されることを望んでいます。この問題は、かならず兄弟党の独立、平等、話しあいによって見解を統一する原則にもとづいて処理しなければなりません。国際共産主義運動のなかでは、 自分のおもわくで攻撃したいと思うときに攻撃をくわえ、相手の回答を禁止しようと思うときに「公然たる論争を止めよ」と命令をだす権利は誰ももっていないのであります。


ソ連共産党の同志も知っているように、われわれは、兄弟党会議の開催に好ましい雰囲気をつくるため、兄弟党の同志がわれわれに公然と名指してくわえた攻撃にたいし、一九六三年三月九日から、公然たる回答を一時停止することにきめました。われわれは公然と回答する権利を保留しています。


「われわれは三月九日にあなたがたへ書き送った書簡のなかで、公然たる論争を停止する問題について、「われわれ両党と関係ある各兄弟党が討議して、各方面が受けいれられる公平なとりきめを達成する必要がある」とのべています。


以上にのべたのは、国際共産主義運動の総路線とそれにかかわりある若干の原則的な問題についてのわれわれの意見であります。この書簡の冒頭で希望しておいたように、われわれがこのように率直にこれらの意見を提出することはおたがいの相互理解をふかめるのに役だつでしょう。もちろん、これらの意見に、同志たちは賛成してもよいし、 賛成しなくてもよいのです。しかし、われわれから見れば、われわれがここでのべた問題は、みな国際共産主義運動にとって、注意をはらい、解決する必要のある中心的な問題です。これらすべての問題と、あなたがたが書簡のなかで提起された問題について、われわれは両党会談と世界の兄弟党代表者会議で十分な討議をおこないたいとのぞんでいます。


このほか、たとえばスターリン批判の問題や、ソ連共産党第二〇回大会と第二三回大会で提起された国際共産主義運動に関する若干の重大な原則的問題など、ともに関係のあるいくつかの問題があります。こうした問題についても、われわれは会談のさい率直に意見を交換したいと思っています。


両党の会談をおこなうことについては、われわれは三月九日にあなたがたに送った書簡のなかで、フルシチョフ同志が北京に来られるよう提案し、もし都合がわるければ、ソ連共産党中央委員会の他の責任ある同志が代表団をひきいて北京に来られてもよいし、あるいは、われわれがモスクワへ代表団を派遣してもよいとのべておきました。


あなたがたは三月三〇日づけの書簡のなかで、フルシチョフ同志が中国に来られないと表明していますが、代表団を中国に派遣したいとも表明していません。したがって、中国共産党中央委員会はモスクワへ代表団を派遣することにきめました。


あなたがたは三月三〇日づけの書簡で、毛沢東同志がソ連を訪問するよう招請されました。毛沢東同志ははやくも二月二三日に中国駐在ソ連大使との談話で、いまソ連を訪問する用意がない理由をすでに明確に話されました。この点については、あなたがたははっきりと知っているはずです。


中国共産党中央委員会の責任ある同志は、すでに五月九日中国駐在ソ連大使と会見したさい、中国共産党中央委員会が六月中旬にモスクワへ代表団を派遣するむね通知しました。その後、ソ連共産党中央委員会の要求により、われわれはまた両党の会談を七月五日に延期することに同意しました。


われわれは、中ソ両党の会談が積極的な成果をおさめ、各国共産党、労働者党代表者会議の開催の準備に寄与できるよう、心から希望しています。


現在、各国の共産主義者がマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の基礎のうえに立ち、兄弟党が、一致してとりきめた宣言と声明の基礎のうえに立って団結することが、いかなるときにもまして強く要求されています。 中国共産党は、社会主義陣営と国際共産主義運動の利益をまもるため、被抑圧人民と被抑圧民族の解放事業の利益をまもるため、また帝国主義に反対し、世界の平和をかちとる事業の利益をまもるため、すべてのマルクス・レーニン主義政党とともに、全世界の革命的人民とともに、ひきつづきらまずたゆまず努力したいとねがっています。学今後、国際共産主義の隊伍のなかに、身内のものを悲しませ、仇敵をよろこばせるああした現象が二度とふたたび出現しないよう、われわれは希望しています。


中国の共産主義者は、全世界のマルクス・レーニン主義者、全世界のプロレタリア階級、全世界の革命的人民が、 帝国主義に反対し、世界の平和をまもる闘争のなかで、また世界人民の革命事業と国際共産主義事業を促進する闘争のなかで、かならずよりいっそう団結をかため、さまざまの困難と障害をのりこえて、さらに偉大な勝利をからとるものと確信しています。


万国のプロレタリアは団結し、全世界のプロレタリアと被抑圧人民、被抑圧民族は団結して、われわれの共通の敵に反対しよう!


共産主義のあいさつをおくります。


一九六三年六月一四日


中国共産党中央委員会





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