人民公社の若干の問題にかんする決議(全文)中国共産党第八期中央委員会第六回全体会議 一九五八年十二月十日
(一)人民公社の成果と今後の発展
一九五八年に、新しい社会組織が、日の出のように東アジアの広大な地平線上にあらわれた。それはわが国の農村での大規模な、工業、農業、商業、教育文化および軍事を結合させ、行政と協同組合とを一体化した人民公社である。これは一たびあらわれるや、その強大な生命力で人びとのひろんな注意をひきおこした。
人民公社運動の発展はひじょうにはやかった。一九五八年夏に始まってからわずか数ヵ月のあいだに、全国七十四万を越える農業生産協同組合が、農民大衆の熱烈な要求という基礎のうえで、二万六千余の人民公社に改組された。公社に参加しているものは、一億二千万戸以上にのぼり、すでに全国各民族の農家総数の九九%以上をしめている。この状況は人民公社の出現が決して偶然なものではないことを示している。それはわが国の、経済と政治の発展の産物であり、党の社会主義整風運動、社会主義建設の総路線と一九五八年の社会主義建設の大躍進の産物である。
農村の人民公社は設立されてまもないが、広はんな農民大衆は、それがもたらしたいちじるしい利益をしった。――労働力と生産手段はより大きな範囲で統一的に配置され、動かされるようになった。それらは以前よりもより合理的に、より効果的に利用できるようになり、したがって一だんと生産の発展に役立つようになった。工業、農業(農作、林業、畜産、副業および漁業の五事業をふくむ)、商業、教育文化、軍事は、公社の統一的指導のもとに緊密に結合され、急速に発展できるようになった。とくに数千、数万の小工場が、農村で雨後のたけのこのようにおこってきた。公社は広はんな大衆のさしせまった要求にこたえて大量の公共食堂、託児所、保育園、敬老院、その他の集団的福祉事業の運営を請負った。これによってとくに、数年来ナベカマの傍に屈伏してきた婦人は徹底的に解放され、喜びで顔をほころばせた。
多くの公社は農業の巨大な豊産を基礎にして賃金制と供給制を結合させた分配制度を実行した。広はんな男女農民は自分らの労賃をうけとりはじめ、かつてはいつも飲み食いやら、米、油、塩、醤油、酢、野菜に心を悩ましていた家庭も、このときいらい「メシを食うのにカネがいらぬ」ようになった。つまりもっとも重要でもっとも信頼できる社会保障を手にいれたのである。これらはすべて、農民にとってはおどろくべきニュースである。農民の生活はすでに改善され、実際の経験と公社の発展の展望をもとにして、かれらの生活が今後さらに大幅に改善されることをしるようになった。
農村の人民公社制度の発展はさらに深遠な意義をもっている。それは、わが国の人民に、農村をしだいに工業化していく道、農業での集団的所有制をしだいに全人民的所有制に移行させる道、社会主義の「労働に応じた分配」(すなわち労働に応じた報酬)からしだいに共産主義の「必要に応じた分配」(各人が必要とするものをとる)に移行する道、都市と農村のちがい、労働者と農民のちがい、および頭脳労働と肉体労働のちがいをしだいに縮めて消滅させる道、それから国家の対内的機能をしだいに縮小して消失させる道をしめした。
これらはすべて、中国共産党中央委員会の政治局が一九五八年八月、北戴河の会議で、大衆の創造を土台にしてつくりだした農村での人民公社の設立にかんする決議が正しかったこと、また歴史的な意義をもっていたことを証明している。
人民公社は現在、各民族の農村で(チベットと若干の地域を除く)すべて漏れなく設立されている。都市でもまた若干のテストが始まった。都市の人民公社はやがて、やはり都市の諸特徴に適した形をとって、古い都市を改造し、新しい社会主義的な都市を建設する道具になるだろう。それらは生産、交換、分配と人民の生活福祉の統一的な組織者になり、工業、農業、商業、教育文化および軍事を統合し、行政と公社とを一体化した社会組織になるだろう。しかし、都市と農村とはちがったところがある。第一に、都市の状況は農村よりも複雑である。第二に社会主義的な全人民的所有制は都市ではすでに所有制の主要な形式になっており、労働者階級が指導する工場、機関および学校は(一部の労働者、職員の家族を除いて)すでに社会主義的原則にしたがって高度に組織化されている。したがって都市の公社化は農村とは異なるいくつかの要求を提起せずにはおかない。第三に現在都市の資本家や知識人のうち、多くの人の、ブルジョア思想はまだ相当濃厚である。かれらは公社の設立にたいしてまだ疑惑をもっている。こうした人たちにたいしては、われわれもまつところがなければならない。したがって、都市では引き続きテストをおこなうべきであり、概していえば、大量的に公社を運営することを急がず、大都市ではさらにゆっくりやって、準備活動だけをやるようにすべきであろう。経験が十分につまれ、はじめわからなかった人もわかるようになるまでまってから、大規模に設立すべきである。
すでに設立された農村の人民公社は成立いらい短い時間しかたっていないので、絶対多数の公社は設立されるやいなや秋の収穫、耕作、播種と全人民的な製鋼製鉄という緊張した活動に忙殺され、組織の強化や制度の完成、あるいは公社の成立にともなっておこってきた生産、分配、生活福祉、経営管理等の面での新しい問題の系統的な解決にまでは手がまわらなかった。人民公社をどのようにしてうまく運営し、発展させるかについては、人びとの経験はまだ不十分であるし、ある問題についての認識も若干のデコボコ、不ぞろいがあることはまぬがれない。
当面の緊急な任務は、全党と全人民の人民公社についての認識を急速に統一し、公社に対する指画像のテキストの文字起こしです。
導を強化し、公社の組織を整頓、強化し、公社制度を確定、完成し、公社の生産と生活をよりよく組織することである。すでに骨組みをきずきあげた公社をほんとうに充実させ、こうしてこれらの公社が生産力と生産関係の発展を促進するという偉大なる使命を、ますます十分になわけていけるようにしなければならない。
(二)共産主義への移行の道程
人民公社は、わが国の社会主義社会構造のなかで工業、農業、商業、教育文化および軍事をたがいに結合させた基層単位である。同時にそれは社会主義政権組織の基層単位である。マルクス・レーニン主義の理論とわが国での人民公社の初歩的な経験によれば、現在ではつぎのことを予測してよいであろう。――人民公社はわが国の社会主義建設のテンポをはやめ、わが国で以下の二つの移行を実現させるもっともよい形式となるだろう。一=わが国の農村が集団的所有制から全人民的所有制に移行するためのもっともよい形式になる、二=わが国が社会主義社会から共産主義社会に移行するためのもっともよい形式になる。将来の共産主義社会でも、人民公社がやはり社会構造の基層単位になる、ということは現在でも予想できる。
今日からはじまって、わが国の人民が直面している任務はつぎの通りである――
人民公社のような社会組織形態を通じ、党が提示した社会主義建設の総路線にもとづいて、社会生産力を加速度で発展させ、国家の工業化、公社の工業化、農業の機械化と電化を促進し、しだいに社会主義的集団所有制から社会主義的全人民的所有制へと移行し、このようにして、わが国の社会主義経済で全人民的所有制を全面的に実現し、一歩一歩わが国を高度に発展した現代工業、現代農業、および現代的な科学文化をもった偉大な社会主義国にしていくこと。この過程で、共産主義の要素のかならずやしだいに増大していって、それがやがて物質的条件の面と精神的条件の面で、社会主義から共産主義への移行のための基礎をすえることになるだろう。
これは十分に巨大な、しかも複雑な任務である。現在までの経験に照らしてみれば、わが国の具体的条件のもとでは、社会主義的全人民的所有制を全面的に実現する時間はいくらかはやめることができよう。しかしそれを非常にはやめるわけには行かない。われわれの前進の速度はかなりはやいといっても、わが国の工業化、公社の工業化、農業の機械化と電化を広はんに実現して高度に発展した現代工業、現代農業、現代的科学、文化をもった社会主義国家を建設するために必要な時間は非常に長いであろう。この過程を全部完成するには、現代から数えて十五年、二十年あるいはさらに多くの時間を要するだろう。
帝国主義者たちとそのオウムたちは、われわれが考えるように高度に発展した現代工業、現代農業、現代科学、文化をもつには、この時間は短すぎる。われわれはその目的に到達できないだろう、というだろう。われわれは、そうしたい方にはとっくの昔に馴れっこになっている。かれらのことばに耳を傾ける必要は毛頭ない。かれらはいつも、事実を前にして敗北を認めないわけにはいかなくなるからだ。
しかしそのほかに、別の人たちが、この時間は長すぎる、というかもしれない。こうした人はわれわれ自身の隊伍にいる善意の人たちである。だが、かれらは性急すぎる。かれらは、高度に発達した現代工業等を非常にやさしいことと考え、社会主義的全人民的所有制の全面的な実現や、あるいは共産主義の達成さえも、何かまったくやさしいことだ、と考えているのだ。かれらは、現在すでに、農村の人民公社での所有制度が全人民的所有制度の性質をもっている、と考え、ごく近いうちに、あるいは現在すでに、労働に応じた分配という社会主義の原則をすてて、必要に応じた分配という共産主義の原則を採用できるのだ、と考えている。かれらが、社会主義制度がきわめて長い期間つづかねばならないということを理解できないと思うのはそのためである。一目はいちじるしい誤解であり、こうした誤解はぜひ一掃しなければならない。
つぎの点を指摘しなければならない――農業生産協同組合から人民公社への転換および、社会主義的集団所有制から社会主義的全人民的所有への移行と、社会主義から共産主義への移行とは、相互に関連していると同時にたがいにはっきりと区別される過程でもある。
第一に、農業生産協同組合が人民公社にかわったことによって、はじめの集団的所有制は拡大し高度になって、全人民的所有制の若干の要素を帯びるようになった。しかし、だからといって、農村での集団的所有制が全人民的所有制にかわった、ということにはならない。いまや全国の農村が人民公社化している。しかし全人民的所有制を全国にわたって実現させるには、なお相当時間を経過しなければならない。
たしかに、人民公社の設立によって集団的所有制の経済に若干の全人民的所有制の要素が増加したことは事実である。
それは、農村の人民公社と基層の政権とが一体化したことにより、もとから農村にあった全人民の所有する銀行、商店その他の企業が下放されて公社の管理のもとおかれたことにより、公社が、全人民的所有制の性質をもった工業その他の建設事業に参加することにより、多くの県で、その県の全公社を統一的に指導する県連合公社ができ、県連合公社は各公社的人的、物的、財政的資源の適当な部分をうごかして、県の規模あるいは県の範囲をこえた建設事業をやる(それはすでに多くの地区ではじまっている)権限をもっている、等々のことによるのである。
しかし、現在では農村人民公社の生産手段や生産物は、基本的には、なお公社の集団的な所有になっており、全人民の所有に属する国営企業の生産手段や生産物とはちがっている。集団的所有制も、全人民的所有制も、社会主義的所有制度である。しかし全人民的所有制の方が集団的所有よりも進歩している。というのは、全人民的所有制の企業の生産手段と生産物は、直接全人民を代表する国家によって国民経済全体の必要を考慮しながら統一的にかつ合理的に分配できるのにたいし、現在の農村人民公社をふくめて、集団的所有制の企業ではそれがやれないからである。今日の農村での人民公社の所有制度が、すでに全人民的所有制になっている、と考えるのは、実際の情況にそぐわない。
集団的所有制から全人民的所有制への移行をしだいに促進していくためには、各県は広はんに県連合公社を設立しなければならない。県連合公社はこんど若干の年月あいだに、生産の精力的な発展と人民の意識の向上とを土台にして、公社の生産手段の全人民的所有の部分をしだいに増加させ、公社の生産物のうち国家の統一的な分配にくみいれられる部分をしだいにふやしていくよう、適当な措置をこうじ、そして条件が熟したとき、集団的所有制を全人民的所有制にかえるべきである。
もしこのような転換、変化を時期を失せずに発展させ完成するようなことをせず、いつまでも集団的所有制の現状をつづけて、公社員の視野を集団の利益という比較的せまい範囲に限定させてしまうと、社会生産力の継続的な発展と人民の意識の継続的な向上とを阻害することになろう。これは適当ではない。しかし、今日の農村人民公社での生産を発展させるうえで、集団的所有制がいぜんとして積極的な役割を演じていることを指摘しなければならない。集団的所有制から全人民的所有制への移行がはやいかおそいかは生産発展の水準および人民の意識水準という客観的に存在する情況によって決まるものであり、人びとの主観的な願望によって、ゆっくりと思えば、ゆっくりおこなわれ、はやくと思えばはやくなる、という風にいくものではない。したがって、この移行は相当の時間が入ったのち、はじめて全国的な規模で、段階をおって、グループ別に実現されていくものであろう。これが理解できないため、人民公社の設立と全人民的所有の実現とを混同し、機が熟さないうちに農村での集団的所有制を否定して、性急に全人民的所有制への転換をとげようとするのは、不適当であって、成功できないであろう。
つぎに、社会主義的集団所有制から社会主義的全人民的所有制にかわることは、決して、社会主義から共産主義への変化と同じでない。ましてや、農業生産協同組合から人民公社への変化は、社会主義から共産主義への変化と同じではない。社会主義から共産主義にかわるためには、社会主義的集団所有制から社会主義的全人民的所有制にかわるために必要な時間よりも、もっと長い時間が必要である。
たしかに、人民公社が実行した供給制は、必要に応じた分配という共産主義の原則の萌芽をもちはじめている。人民公社が実行している工業と農業を同時に並行しておこない、それらをたがいに結合させる方針は、都市と農村の差や労働者と農民の差を縮める道をひらいた。農村の人民公社が社会主義的な集団所有制から社会主義的な全人民的所有制にうつった場合、以上のような共産主義の要素はさらに大きくなるだろう。こうしたことはすべて、認めなければならない。
そのうえ、全国的な工業、農業の継続的な前進によって、社会生産物が貧弱な状態からしだいに豊富になるにつれて、また人民公社の分配制度のもとで無料で供給されるものの比率がしだいに大きくなり、供給のレベルがしだいに向上するにつれて、また人民の意識水準が日ましに高まるにつれて、全人民の教育が日ましに進み、頭脳労働と肉体労働の差がしだいに縮まり、国家権力の対内的な機能がしだいに縮小する等々のことがおこるにつれて、共産主義への移行を準備する条件もしだいに成熟してくるであろう。こうした発展の道程を無視したり、邪魔にしたりさえして、共産主義を遠い将来のことにするのは、もちろん適切でない。
しかし、あらゆるマルクス主義者は、社会主義から共産主義への移行が相当長く、相当複雑な発展の過程をたどるものであって、この過程全体を通じて社会の性質は依然として社会主義的であるということを、はっきりと認識していなければならない。社会主義社会と共産主義社会とは、経済的に発展の程度の異なった二つの段階である。社会主義の原則は「各人がその力をつくし、労働に応じて分配する」である。共産主義の原則は「各人がその力をつくし、必要に応じて分配する」である。共産主義的な分配制度はずっと合理的である。しかし、これは社会生産物が極度に豊富になったとき、はじめて実現できる。この条件がないのに、労働に応じた分配の原則を否定すれば、人びとの労働に対する積極性を妨害することになって、生産の発展にとっても不利になり、社会生産物の増加にとっても不利になり、また共産主義の実現を促進することにも不利になる。
したがって、人民公社の社員の収入のなかでは、労働に応じた分配の賃金部分は、長い期間にわたってどうしても重要な位置をしめねばならず、一定期間は主要な地位をしめるであろう。社員の労働の積極性を促進し、かれらの生活のなかでの複雑な要求をより容易に満たすために、公社はぜひとも社員が手にいれる賃金をしだいに増加させるよう努力し、こんご数年間はぜひとも供給部分よりも急速に増加させねばならない。集団的所有制から全人民的所有制に移行したのちでも、社会生産物が共産主義を実現させられるほど豊富ではないため、人民公社は必要な歴史期間内では相かわらす、労働に応じた分配の制度を課すだろう。労働に応じた分配の原則をはやまって否定し、そのかわりに必要に応じた分配の原則をもってしようとこころみること、すなわち条件が熟さないときに無理をして共産主義にはいろうとするこころみは、疑いもなく成功させられない空想である。
社会主義的集団的所有制から社会主義的全人民的所有制への移行も、社会主義から共産主義への移行も、みな一定の程度の生産力の発展を土台にしなければならない。生産関係はどうしても生産力の性質に適合しなければならないし、生産力がある状況にまで発展したときにはじめて、生産関係にある種の変化がおこる――これはマルクス主義の基本原則である。同志諸君は、わが国の現在の生産力の発達水準が結局はまだ非常に低いことを銘記しなければならない。三年間の苦戦に若干年数の努力を加えたとき、全国の経済の様相には非常に大きな変化がもたらされるだろう。しかし、そのときでさえも、全国の高度工業化、全国の農業の機械化・電化という目標からは、まだかなりの距離がのこるだろう。社会的生産物の非常な豊かさ、労働強度の大幅な軽減、労働時間の大幅な短縮という目標にたっするまでには、さらに長い距離が残されるだろう。すべてこれらのことをぬきにして、人間社会のより高い発展段階である共産主義への移行など問題にもならないことはいうまでもない。したがってわれわれが共産主義の事業に熱心である以上、第一にわれわれの生産力の発達にたいして熱心になり、社会主義的工業化、計画の実現に全力をあげねばならない。根拠もないのに、農村の人民公社は「ただちに全人民的所有制を実行する」とか、「ただちに共産主義にいっていく」などとさえ公言すべきではない。そのような公言は、単に軽率さをあらわすだけでなく、人民の心の中にある共産主義の標準を大幅に低め、共産主義の偉大な理想をゆがめると同時にそれを俗化し、小ブルジョア的平均主義の傾向を助長して社会主義建設の発展に不利な作用をあたえるのである。
社会主義から共産主義への移行の問題では、われわれは社会主義の段階にとどまっているわけにはいかないが、しかし、また社会主義の段階をとびこして共産主義の段階にとびこむという空想におちいるわけにもいかない。われわれはマルクス・レーニン主義の不断革命論者である。われわれは民主主義革命と社会主義革命のあいだ、社会主義と共産主義のあいだには大きな壁は存在しないし、へだてになるような万里の長城の存在を許しも論じない、と考えている。われわれはまたマルクス・レーニン主義的な、革命発展の段階論者である。われわれは、それぞれ異なる発展段階が事物の質的な変化を反映しており、それらの質の異なる段階を混同させてはならないと考えている。中央委員会政治局は、農村で人民公社を建設する問題にかんしての八月の決議のなかで、つぎのように明確に指摘した。
「人民公社が集団的所有制から全人民的所有制に移行するのは、ある地方では比較的はやくやれ、三、四年内に完成できよう。ある地方では比較的ゆっくりして、五、六年あるいはそれ以上の時間を必要とするかもしれない。国営企業のような全人民的所有制にうつったのちも、その性質はなお社会主義的で、各人は力をつくし、労働に応じて分配する。それからさらに何年かたって、社会生産物が極度に豊富になり、全人民の共産主義的思想・意識と道徳的品性が極度に高まり、全人民の教育が普及し向上して、社会主義時代にも残らざるをえなかった旧社会からの遺産である労働者と農民の差別、都市と農村の差別、頭脳労働と肉体労働の差別がみなしだいに消滅し、こうした差別を反映する不平等なブルジョア的権利の残りがすも、しだいに消滅して、国家の機能は外部の敵に対処することに限られ、対内的には作用しなくなったら、そのときわが国の社会では『各人は力をつくし、必要に応じて分配する』という共産主義の時代にはいるだろう。」
現在人民公社についておこっている若干の誤解を明らかに、人民公社運動の健全な発展を保証するためには、ぜひともこのマルクス・レーニン主義の観点をまじめに使って、全党と全国人民のあいだで広はんな、何回もくりかえす宣伝・教育の活動をすすめなければならない。
(三)農業、工業、商業発展の方針
人民公社の生産、交換、消費および蓄積はすべて計画をもたねばならない。人民公社の計画は国家計画にくみいれられ、国家の管理に従属しなければならない。同時に人民公社は計画を作成するにあたっては、自身の特徴とイニシアチブを十分に発揮しなければならない。
生産の発展は人民公社を強化し、向上させる中心の環である。人民公社が生産を発展させる正しい方針は、国家の統一的計画と、現地に即した方針をたてる原則にもとづき、勤倹によって公社を運営する原則をもとにして、工業と農業の同時並進、自給生産と商品生産の同時並進を実行することしなければならない。どの方面の生産や基本建設のなかでも、かならず節約を励行し、注意深く計画をくみ、できるだけ、人的、物的、財政的資源を合理的に利用し、コストを切りさげ、支出を切りつめ、収入をふやすようにして、一部の公活動家が豊収の結果、帳簿の水ぶくれや浪費をおこしているような現象を防止し、反対しなければならない。
農業生産の面では、浅耕、粗作と広くまき、少ししか収穫しない方式をしだいにあらためて、深耕、細作、少くまいて多く収穫するようにし、耕作の田園化と生産過程の機械化、電化を実現し、単位面積当りの産高を大幅に引きあげ、労働生産性を高め、耕地面積と農業面に使われている労働力をしだいに減らしていかねばならない。
比較的短い期間内に、毎年の全国食料生産高を、平均して一人が二千斤ないし三千斤、すなわち一トンないし一トン半取れるようにするため、努力すべきである。
穀物問題が解決するにつれて、綿花、麻、蚕糸、大豆、油料作物、砂糖作物、茶、タバコ、医薬品その他の工業原料作物が全農業生産のなかでしめる比率を、しだいに増加させ、最大の注意を払って林業、畜産、副業および漁業の発展を早めるべきである。つまり工業戦線でと同様に農業、林業、畜産、副業、漁業の五つの業種でも全線にわたる大革命がおこり、農業戦線全体の様相が徹底的にかわり、整理されねばならないのである。
かつて人びとはつねづね、わが国の人口が多く、耕地が少ないことを心配した。しかし、このような考えは一九五八年の大豊産という事実によってくつがえされた。深耕細作と重層施肥および合理的な密植などによる高度の増産という経験を真剣に普及させれば、耕地は少ないどころかかえって多くなり、人口は多いどころか、逆に労働力の不足を感じるようになる。これはきわめて大きな変化である。こんど数年間に、われわれは地方の条件にもとづいて、現在農作物を植えている耕作面積を、しだいに三分の一前後にまで減らしていき、あまった土地の一部を、輪番の休閑、牧草、肥料用の草の栽培等に使わねばならない。他の部分は植林し、貯水池をほり、平地でも山の上でも水面でもすべて色とりどりの鑑賞植物を大いに植えて、大地の庭園化を実行すべきである。こうすれば第一に田畑で水、肥料および人力を大幅に節約し、土壌の肥沃度を大きく増すことができよう。第二にそれによって山、水、草木の利点も大いに発揮させ、農業、林業、畜産、副業、漁業の総合的な管理を大きく発展させることができよう。第三にそれはわが国の自然環境を改造し、全中国を美化するだろう。これは実現することのできる偉大な理想である。全国農村の人民公社はこの目的を実現するために努力すべきである。
人民公社は工業を大いにやる必要がある。公社工業の発展は、国家の工業化の進行過程をはやめるばかりでなく、農村で全人民的所有制の実現を促進し、都市と農村の差別を縮めることになるだろう。
各人民公社の異なる条件に応じ、適当な量の労働力を、一歩一歩農業面から工業面に切りかえ、計画的に肥料、農薬、農具、農業機械、建築資材、農産物の加工および総合的利用、精糖、紡織および製紙、鉱業、冶金、電力その他の重・軽工業の生産を発展させねばならない。人民公社の工業生産は、農業生産と緊密にむすびつけねばならない。人民公社の工業生産はまず第一に農業の発展と農業の機械化、電化に役立たせねばならない。同時に、日常必需品にたいする公社員の需要をまかなうのに役立たせ、国の大工業と社会主義市場に奉仕させねばならない。現地の条件に適応させ、原料を現地で入手するという原則を十分に考慮しなければならない。生産費の増加と労働力の浪費をさけるために、原料のないところ、あるいは、非常に遠いところから原料を運んでこなけらばならないところに、工業を建設してはならない。生産技術については、手工業と機械化工業、土法生産と洋式の生産方法とをむすびつける原則を実行しなければならない。
拡大の基礎と見通しが十分ある手工業は、すべてひきつづき発展させねばならず、段々と必要な技術的変革を遂行しなければならない。機械化工業もまた土法によって生産された鋼鉄、旋盤その他の原料と設備、操業法を十分に利用し、しだいに土法から洋式へ、小企業から大企業へ、低水準から高水準へと進まねばならない。
工業であると農業であるとを問わず、人民公社は自身の必要を直接みたす自給生産を発展させねばならない。またできるだけ広はんに商品生産を発展させねばならない。各公社はそれぞれの特徴にもとづいて、国家の指導のもとに、個々の公社や国営企業とのあいだで、必要な生産の分業と商品交換を実行しなければならない。
このようなやり方によってはじめて、社会全体の経済は一層はやい速度で前進発展し、各公社は農業の機械化と電化に必要な機械や設備と消費財を交換し、また公社員の必要をまかなうのに入用な消費物資と現金を交換によって入手し、公社員に賃金を支払い、その賃金をしだいにふやすことができるのである。交換計画の完遂を保証するために、国家と公社のあいだ、および公社相互のあいだに広はんな契約制度を実施しなければならない。
歴史的にみて必要な一定の時期のあいだ、人民公社による商品生産、国家と公社および公社相互間の商品交換を大いに発展させねばならない、ことを重ねて強調する必要がある。このような商品生産と交換は、資本主義のもとでの商品生産・交換とはちがっている。それは社会主義的公有制を基礎にして計画的におこなわれていて、資本主義的私有制を基礎に無政府的なやり方でおこなわれるものでないからである。商品生産をひきつづき発展させることと、労働に応じて分配する原則をひきつづき守ることは、社会主義経済を発展させるうえでの二つの重要な原則の問題である。全党はこれについて統一した認識をもたねばならない。一部の人は、はやまって「共産主義にはいろう」と考えると同時に、あまりにもはやく商品生産と商品交換を廃止し、あまりにもはやく商品、価値、通貨および価格の積極的な役割を否定しようとくわだてた。このような考え方は、社会主義建設の発展にとって有害であり、したがって正しくない。
(四)供給制と賃金制の運用について
農村における人民公社は、公社を勤勉と節約で運営する原則にもとづいて、公社自身の所得を適切に分配しなければならない。生産を急速に発展させるためには、公社の総収入から生産費、管理費、上納税金分を差引いたあと、蓄積の割合を適当にふやさねばならない。しかし、生産の発展を基礎としつつ、人民の生活を年々向上させるために、公社員の個人的、集団的消費に使われる所得の割合(公共の福祉、文化、教育に使われる部分をふくめて)を年々ふやしていかねばならない。
公社の所得のうち公社員個人の消費に割振られる部分について、賃金制度と供給制度を組み合わせる分配制度を実行することは、わが国の人民公社が作りだした社会主義的分配のひとつの形であり、現在の広はんな公社員大衆の切実な要求をあらわすものである。すでにのべたように、この分配制度は共産主義の萌芽をもっている。しかしその基本的な性質は依然として「各自の力をつくし労働に応じて分配する」社会主義的なものである。
公社員に割当られる総額を、どのような割合で賃金と供給に分けるかは、各公社の生産発展のさまざまな状況にてらして決めねばならない。現在は、賃金と供給の割合をきめるにあたって、労働がはげしく家族の少ない家庭の所得をできる限り減らさないよう注意しなければならない。一般的指示としては、公社員の九〇%以上が前年にくらべて所得をふやすことができるようにし、残りの公社員も前年をくだらぬ所得を手にするようにしなければならない。
現在のところ、供給の範囲をあまり拡げすぎてはならない。供給制度の適用は人民の生活を一色にねりつぶすものであってはならない。社会主義や共産主義の制度のもとでは、人びとの需要は全体としては同じものであるが、また個々の人によってさまざまである。したがって、現在も将来も、公社員が供給制度のワクのなかで適当な選択の自由をもつことをできるだけ保証するように、注意しなければならない。
生産が拡大するにしたがって、段々と賃金をふやさねばならない。現在は、供給の部分を差引いたあと、農村での賃金等級は六級あるいは八級にわけることができる。最高級は最低給の四倍あるいはそれ以上になるだろう。しかし格差をあまり大きくしてはならない。あまり大きくすると、農村での現在の労働熟練度の実際の格差にあわなくなるからである。それぞれの地区の賃金水準にいくらかの差がつくことは許される。現在では、都市における賃金の格差は農村の場合より大きい。これは必要なことである。将来は、生産が非常に増大する結果、すべての人はずっと裕福になるだろう。そうなれば都市でも農村でも賃金等級のこのようなひらきは不必要になり、段々と消えて近くだろう。そうなれば共産主義の時代の近づいたことになる。
都市の賃金水準が農村の賃金水準よりも全般的に高いのには多くの理由がある(都市の方が生計費が高いという要因も含めて)。これは一時的な現象でもあり、そのことを農民にはっきりと説明しなければならない。公社員のなかには、村での労働からの収入のほかに都市その他へでかけている家族が送ってくる金を受取っているものがいる。(一部の労働者、軍人、幹部、華僑など)これについて他の公社員がいわいわいいわないように教育すべきだ。公社内の配分にあたっては、そのような公社員を他の公社員と同じにとりあつかって、割り当てる賃金や供給について差別してはならないし、公社に特別の投資あるいは寄附をするよう強制してはいけない。生計の全部を家から離れている家族の収入に頼っている公社員について、公社は干渉してはならないが、別に供給をおこなわないようにしてもよい。
勉学のために家を離れる公社員については、国家からの供給があったり、自身で供給できるものを別として、かれらの需要は学校が決めた規準にしたがって、県連合公社が統一的な責任で解決せねばならない。
社会主義の事業が発展し、社会生産物が豊富になればなるほど、各個人に割り当てられる生活手段も一層豊かになるだろう。公社への切りかえにともなって、現在各人がもっている消費物資の再分配が要求されるだろうと考えている人たちがいる。これはまちがった考えである。公社員が所有している生活手段(住宅、衣服、寝具、家具をふくめて)と銀行や信用協同組合にある預金は、公社に参加したのちも自分の財産として残り、永久に各自の財産であることを、大衆のあいだによくしらさねばならない。必要の場合、公社は公社員の同意をえてあまっている部屋を借りることがある。しかし、所有権はその場合でも持主に属している。公社員は、住宅のまわりに自分の木を植え、いくらかの小農具、小工具、小家畜、家禽をもつことができる。また公社員は、集団労働への参加を妨げないという条件で、いくらかのちょっとした家内副業をつづけることもできる。
人民公社が設立された当時まだもっていた債券は、個人相互間あるいは公社と公社員とのあいだのものであろうと、公社員が銀行や信用協同組合と契約したものであろうと、廃棄を宣言してはならない。などの債券は、事情が許すなら償却しなければならず、事情が当分のあいだ償却を許さない場合には、もちこしにしなければならない。
(五)公社の福祉事業
人民公社は人民の生産と生活の組織者である。生産発展の基本的な目的は、社会の成員全部のたえず増大していく物質的、文化的必要を最大限に満たすことである。公社の仕事を指導するにあたって、党は思想、生産、生活に万遍なく注意を払わねばならない。党は人民のために配慮し、物だけをみて人をみない傾向を正さねばならない。大衆の労働のがんばりが大きければそれだけ党は大衆の福祉に大きな注意を払わねばならない。党が大衆の生活に払う注意が大きければ、それだけ大衆の労働における熱意は大きくなるだろう。生産と人民の生活を対置させて、大衆の生活に注意を払うと生産を妨げることになると思うのは誤りである。もちろん、人民の政治的意識の引きあげ、生産の発展を考えず、長期の利益のために一生懸命働くことを主張せずに、人民の生活向上を一面的に不当に強調することも誤りである。
共産主義者はつねに、共産主義社会では、労働は「重い負担から喜び」にかわり、「生活の主要な必要」になるだろう、と考えてきた。労働時間が将来大いに短くなることはまちがいない。機械化と電化の発展にしたがって、われわれはこんど数年のうちに一日六時間労働制を実現しはじめられるようにつとめねばならない。現在は、都市でも農村でも、平時の実働八時間、学習二時間の制度を実行してもよい。農繁期あるいは農村で他の仕事が特別に多いときには、労働時間を適当に延長してもよい。しかし、少なくとも八時間を睡眠、四時間を食事と休養、合計十二時間を毎日保証し、それを減らさないようにしなければならない。現在労働力の緊張状態があるのは事実である。しかし、解決の道は、工具改良の成功的な実行に重点をおいて、労働の組織を改善することに求め、労働時間を延長することに求めてはならない。生産の安全に特別の注意を払い、労働事故を最低限に減らすか完全になくすために、できるだけ労働条件を改善するようにしなければならない。
出産前後の女子には十分な休養を保証し、月経期には必要な休養をとらせ、重労働をさせず、冷たい水に足をつけさせたり、夜間労働をさせたりしないようにしなければならない。
公共食堂をうまく運営せねばならない。公社員全部に十分な食事、民族的、地方的習慣に応じたうまく清潔な食事を保証しなければならない。公共食堂は食事場をもち、みずからりっぱな菜園、豆腐製造所、粉ひき場、調味料店を能率的に運営せねばならない。また豚、羊、にはとり、あひる、魚を飼養しなければならない。主食とおかずは変化があって食欲をそそるものでなければならない。栄養専門家に相談して、食事がいが体に必要なカロリーと栄養分をふくんでいるようにしなければならない。必要な場合にはできれば、老人、子供、病人、妊婦、乳呑児をもつ母親には特別の食事をさせなければならない。一部の公社員は家庭で食事をつくってもよい。公共食堂は管理の民主化を実行しなければならない。その管理人と料理人は、政治的に信頼できる人たちに担任させなければならない。民主的に選挙されるのが一番よい。
託児所と幼稚園をうまく運営して、すべての子供が家庭にいるよりよい生活をし、よい教育を受けることができ、その結果子供たちが託児所や幼稚園にいるのを喜び、親たちも進んで子供をそこにおずけるようにしなければならない。自分の子供を託児所や幼稚園に寄宿させなければならないか、希望のときはいつでも家につれて帰するようにするか、両親が決めることができる。託児所と幼稚園をうまく運営するために、公社は資格のある保母や教師をたくさん養成しなければならない。敬老院をうまく運営して、頼りにする子供たちをもたない老人(「五つの保証」―食事、衣服、燃料、子供の養育、埋葬―を受ける人たち)によりよい生活の場をあたえねばならない。 人民公社は小、中学校および成人教育の成功的な運営を保証しなければならない。全国の農村に小学校教育を普及しなければならない。全日制中学校、定時制農業中学校、その他の専門中学校をうまく運営し、中学教育を一歩一歩普及しなければならない。成人のあいだでは文盲をなくし、各種の業余学校を組織し、政治、文化、技術者教育を組織しなければならない。肉体労働と頭脳労働の差を減らすため、勤労人民のあいだでは普通教育を実施し、これらの教育水準を段々と引きあげることが重要なイニシアチブであり、意識的に実行していかねばならない。さらに公社はいくらかの青年を選んで、都市にある高級中学校、専門中学校、高等学校(大学一訳註)に送って勉強させ、国家と公社で働くかなり高い文化水準の要員を養成しなければならない。例外なくすべての学校で、教育と生産的労働をむすびつける原則を徹底して実行しなければならない。九歳以上の児者は適当な範囲でなんらかの種類の労働に参加して、子供のときから労働の習慣を養い、肉體的、精神的発展を刺戟することができる。しかし、児童の健康に厳重な注意を払わねばならない。児童には、これらの体力と興味に適した短時間の軽労働だけを割り当てるようにしなければならない。 公共食堂、託児所、幼稚園、敬老院、小学校、衛生院、クラブ、商店の勤労員のなかでの思想および政治活動を強化し、世論に積極的な指導をあたえる努力を払い、社会全体と公社のすべての人びとが、公共食堂、託児所、幼稚園その他集団福祉事業を成功的に運営し、サービスをりっぱにやること、を人民にたいする崇高な奉仕の仕事とみなすようにしなければならない。大衆の日常生活と福祉にかんする仕事や各種のサービス業務を軽視する搾取階級の態度は、批判し、たださねばならない。
現在の古い住宅はしだいに建直されなければならない。段階をおって、集団的に、新しい庭園化した町や村の住民区を建設しなければならない。それらは住宅区、公共食堂、託児所、幼稚園、敬老院、工場、脱穀場、家畜小屋、商店、郵便局、電信電話局、倉庫、学校、病院、クラブ、映画館、運動場、浴場、便所がふくれるであろう。町の村の建設計画は大衆によって徹底的に討議されなければならない。われわれは、過去から受けついだ不合理な家父長制の廃止と民主主義と団結のある家庭生活の発展とを主張する。この主張は大衆から熱烈に歓迎された。したがって、住宅建設では、住宅を各家庭の男女、老幼が一緒に生活するのに適したものにするよう注意を払わねばならない。
現在世界には、わが人民公社を狂人のように攻撃しているアメリカのダレス先生をふくめて、愚かな人たちが大勢いる。このダレスはわが国については何もしらないのに、中国通のような顔をし、気が狂ったように人民公社に反対している。かれをとくに悲せめているのは、いうところによれば、われわれが何千年ものあいだ受けついできた真にすばらしい家族制度を破壊したことだそうである。中国人民が封建的な家父長制をうちやぶったのは事実である。この家父長制はずっと前から資本主義社会でも存在しなくなっており、これは資本主義的な進歩でもあることを、明らかにしておかねばならない。
しかし、われわれは、一般に資本主義社会では滅多にないような民主的で団結した家庭をつくるために、さらに一歩進めた。将来、あちらでも社会主義革命が実行され、人間が人間を搾取する資本主義制度が除去されたとき、はじめてそのような家庭をあまねく出現させることができるう。託児所、幼稚園、工場における労働者食堂なども、まず資本主義社会にあらわれた。しかし資本主義のもとでは、ブルジョアがつくったこのような事業はすべて資本主義的な性質のものであり、資本家による男女労働者の搾取を容易にするのが目的だった。一方、われわれが運営するような事業は、社会主義的な性格のものであり、社会主義の事業の発展と人類の個性の解放を促進する。それらの事業はほんとうに婦人大衆を完全に解放し、子供たちがよりよい教育と保護を受けられるようにした。だからこそ、すべての勤労人民、主として婦人大衆がこれらの事業を熱烈に歓迎したのである。
(六) 人民公社の組織原則
人民公社の組織原則は、民主集中制である。生産管理の面といわず、収入の分配の面といわず、公社員の生活福祉の面といわず、さらに一切のその他の活動の面といわず、すべてのこの原則をつらぬき、遂行しなければならない。
人民公社は、統一的な指導と各級毎の管理の制度を実行すべきである。公社の管理機構は、一般には、公社管理委員会、管理区(あるいは生産大隊)、生産隊の三級にわけてよい。
管理区(あるいは生産大隊)は一般的には、工業、農業、商業、教育文化、軍事を各区分毎に管理し、経済計算の基礎単位になる。損益は公社が統一的に負担する。
公社管理委員会の統一的指導のもとに、管理区(あるいは生産大隊)と生産隊が、生産と基本建設を組織し、財政業務を管理し、生活福祉事業などを管理するに当って必要な権力をもつようにし、こうしてかれらが積極性を発揮できるようにしてやるべきである。
県連合公社と人民公社の各級組織は、いずれも、生産の各部門(農業部門、工業部門、運輸部門)のあいだで、また恒常的な生産任務と突撃的な生産任務、サービスの生産任務とのあいだで、労働力を合理的に配分し動員することに習熟しなければならない。こうして、こちらでは仕事があるのにそれをやる人がおらず、あちらでは人はいても仕事がない、というような事態になるのを避けなければならない。たえず労働組織の活動を改善し、生産任務やその他の任務のなかで、ひきつづき各層それぞれで仕事を引き受けるという責任感を遂行し、強化し、労働の点検と評価、表賞の制度を完全なものとし、労働の効率と仕事の質を高めることをほんとうに保証しなければならない。
人民公社の労働組織のなかでは、かならず民主主義もあるようにしなければならない。いわゆる組織の軍事化と組織の工場化というのは、つまり公社の労働組織が工場や軍隊のように組織され、規律をもつことである。これは大規模な農業生産では必要なことである。大規模な農業生産部隊は、大規模な工業生産部隊と同様に、一つの産業軍である。現代の産業軍はブルジョアジーによって組織され、各工場は兵営のようになっている。前の前に立っている労働者に課せられている規律は、軍隊の規律のようにきびしい。社会主義での産業軍は、単一の階級―剰余価値を搾取した資本家の手を脱し、自発性にもとづき、生き生きとした民主集中制を実行した労働者階級の産業軍である。われわれは現在、この制度を農村地域に適用しつつあり、こうして、民主集中制を土台にした、地主や富農の搾取から解放され、小規模生産の水準を越した農業の社会主義的産業軍を確立しつつある。
民兵組織は人民公社のなかで、対応する生産組織の指導体とは別個になっているべきで、原則として、連隊、大隊、中隊といった民兵の各級の指揮者は公社や管理区の指導者(生産大隊の指導者)および生産隊の指導者を兼してはならない。こうした指導者は公社内の同水準の管理組織にその一員として参加すべきで、二重の指導をうけることになろう。つまり、同水準の管理組織からと、民兵の上級指令組織からである。民兵は現地の兵器工場で生産した必要な武器で装備する。民兵の基本部隊は、一定の計画にもとづいて軍事訓練をうけ、一方普通の民兵隊員も適当な業余(余暇)訓練をうける。
これは、全民兵の条件を準備するためである。わが国の広はんな勤労人民は民兵制度を熱烈に歓迎している。それは、帝国主義、封建主義およびこれらの走狗である国民党反動派と長期にわたって革命闘争をおこなうなかで、勤労人民は自身を武装してはじめて武装革命にうち勝つことができ、中国の土地の主人になれる、ということを覚えるようになったからである。そして、革命が勝利したのち、かれらはさらに、海の向うにはなお帝国主義的な海賊がいて、毎日のようにこの人民の国家を一掃することをわめき立てるのをした。したがって、われわれ全民衆は自身の武装をつづける決意を固め、つぎのように宣言するのである――
気をつけよ、われわれを掠奪しようとねらっている海賊諸君。平和な労働に従事しているわが人民に危害を加えようなどと、はかないこころみに手をだすな。われわれは十分に準備ができている!もし帝国主義者がわが国にたいして、あえて侵略戦争を発動しようとするならば、われわれは全民衆を兵隊にするであろう。兵人は人民解放軍と協力し、侵略者を粉砕するため、いつでも人民解放軍を補充するであろう。
人民公社のあらゆる組織は、民兵組織をふくめて、みな集中と民主をもっていなければならない。公社は人民の生産を組織するばかりでなく、また人民の生活をも組織しなければならない。仕事をうまくすすすめするためには、かならず高度の民主を実行し、かならずあらゆることについて大衆と相談し、大衆の利益を忠実に代表し、大衆の意志を反映させねばならない。
したがって、公社にかならず「組織の軍事化、行動の戦闘化、生活の集団化」を実行すると同時に、管理の民主化を十分に実行しなければならない。組織の軍事化を口実にとか敵に対抗すべき民兵制度を利用して、公社や民兵組織の民主的生活を少しでも弱めるようなことは、絶対に許せない。 公社はわが国の基層をなす政権組織であり、公社の民主化が十分に保証されてははじめて、全国的に集中も民主もある。そして規律も自由もある。また統一した意志も個人ののびやかさもある、生き生きとした政治情勢をつくりだすことができるのである。
(七)党の指導の強化
人民公社をうまく運営する根本の問題は、党の指導の強化である。党の指導が強化されてはじめて政治の優先を実行できるのであり、はじめて幹部と公社員のあいだで深く社会主義、共産主義の思想教育をすすめ、各種のまちがった傾向にたいしてたたかうことができるのであり、はじめて党の方針と政策を正しく遂行できるのである。
公社ができれば党はいらなくなる、そうなれば、いわゆる「党と公社の一体化」を実行できるのだ、と考える人もいる。こうした考え方はまちがっている。 党は人民公社の活動のなかで、かならず正しい方針と政策を遂行するようにするほか、さらにぜひとも公社の活動家を教育してすぐれた仕事のスタイル――第一に大衆路線のスタイルと事実に即して真理を求めるスタイル――を発揚するように配慮しなければならない。
一九五七年から一九五八にかけての整風運動をへて、党の大衆路線はすでに新たな偉大な勝利をかちとった。社会主義建設の大躍進と、農村の人民公社がもれなく建設されたことは、この勝利を示す二つのしるしである。党の大衆路線という仕事の方法は、人民公社の生命である。大衆路線がなければ、党と人民政府に対する大衆の十分な信頼もなくなり、大衆の革命的積極性の高揚もなくなって、人民公社の建設と強化は不可能になってしまう。だから、公社の各級の指導的活動家はどのような仕事のなかでも、かならず、徹底的に大衆路線を遂行しなければならない。かならず自身を一人あたりまえの労働者とみなし、公社員大衆にたいして同志的な態度をとらなければならない。大衆を抑えつけるような国民党のスタイルやブルジョアジーのスタイルで大衆に対応することを、厳格に禁止する。生産の大躍進によって、また公社化の勝利によって、一部の幹部は頭がおかしくなりはじめ、人民大衆に向って辛棒強く説得、教育の仕事をすることを喜ばなくなり、ある種の粗暴な態度を示すようになりはじめた。こうした現象は個別的なものにすぎないとはいえ、ぜひとも大いに警戒しなければならないものである。一九五八年の大躍進は、わが国の社会主義建設事業の空前の勝利を生みだし。
党は、どのような活動のなかでも、かならず革命的情熱と科学的精神を結合させる原則を堅持しなければならない。一九五八年の大躍進は、わが国の社会主義建設事業の空前の勝利を生みだした。いまでは、われわれの敵でさえも、この勝利の意義を否認できなくなっている。しかし、われわれは、絶対に、大きな成果があがったといって、小さな欠点をのみすがようなことをするのはいけない。それどころか、成果が大きければ大きいほど、われわれは幹部を頭脳を冷静にし、ちょっとした勝利の凱歌のなかで、ふわふわ浮かびあがり、自分の仕事のなかでの欠点がわからないとか、みようとしなくさえるようなことがあってはならない、と警告する必要がある。現在社会主義建設の仕事のなかで注意しなければならない傾向は誇張である。
これはわが国の実に即して真理を求めるスタイルと相容れないものであり、われわれの社会主義建設の事業の発展にとって有害なものである。われわれの経済活動は、やればやるだけますます綿密でなければならない。われわれの各級の指導的活動家は、もごとの真相といわゆるの姿を区別し、根本的な要求とそうでない要求を区別することに長じていなければならない。情況の判断にあたっては、かならず努めて客観的実情に接近しなければならない。
このようにしてはじめて、われわれはほんとうに確実な、信頼できる基礎に立って、われわれの計画を制定し、実現することができるのである。
(八)人民公社の整頓運動
人民公社の強化を促進し、一九五九年の工業と農業生産の一そうの大躍進を保証するために、各省、市、自治区の党委委員会はこの決議が提起している各項の要求にもとづいて、一九五八年十二月から一九五九年四月までの五ヵ月間に全力をあげて、冬季と春季の生産任務に緊密に結びつけつつ、当該地区の人民公社にたいし教育、整頓、強化の活動――すなわち公社の整頓活動を進めなければならない。
公社の整頓を進めるに当っては、まず指導幹部がまじめに自己批判をおこない、虚心に大衆の意見をききいれることを要求する。この基礎のうえに立って、手放しで大衆の大争鳴、大論争運動をおこし、大字報をだして好い人、好いことを賞賛し、悪い思想や悪いスタイルを批判し、経験を総括して方向を明確にしうちだし、深く浸透するような社会主義・共産主義思想教育の運動を展開するよう要求する。
公社の整頓を進めるさいには、公社の生産計画、分配状況、生活福祉、経営管理、財政活動、組織的な指導にたいして、全面的な突込んだ点検をおこなう必要がある。同時に党の組織と公社の組織を適切に整頓して、党と公社の各級の指導員がかならず人民の利益と共産主義の事業に忠実な積極分子になるようにしなければならない、また大躍進運動と公社化運動のなかで試練をうけ、党員の基準に合致する優秀な人たちを党に吸収しなければならない。
党員や幹部のスタイルについておこった問題は、党の教育と大衆の斉放・争鳴を通して処理していくべきである。処理のさいには、幹部と大衆の積極性を保護するよう注意し、「団結―批判―団結」の原則と「過去に教訓をえて将来のいましめとし、病を治して人を救う」という方針にもとづくべきである。誤りを犯したが、誤りを改めようと願っている人に対しては、その批判はきびしく、処理は寛大にすべきである。
公社の指導機関にもぐり込んだ他階級の分子や、ごく少数の、仕事のスタイルが悪くてどうしても改めようとしない分子に対しては大衆を動員して、かれらを指導機関から一掃すべきである。 複雑な階級闘争は国外に、資本主義世界に重大な問題として存在しているばかりでなく、国内にも存在している。大衆を教育して革命的警戒心を高めるようにし、敵の破壊活動を厳重に防がなければならない。公社のなかでは、かつての地主、富農、反革命分子、その他政治的な権利を剥奪された人を社員にしてよいかどうか、非正規の社員にするか、公社の監督の下で労働させるか、こうした問題はいずれも公社整頓の過程で、大衆の意見にもとづき、個々に討論して決定をだすようにすべきである。
公社整頓の仕事は、各県の範囲内でまず一個、あるいは二個の公社でりっぱに試験的な整頓をおこなうべきである。つまり、一個あるいは二個の人民公社のなかにいる同志たちを助け、短期間内にそこでの仕事をりっぱにやって経験をつみ、模範にする。そののち、全面的におし広めるのである。各省、市、自治区はいずれも、千人、数千人、あるいは一万人前後の検査団を組織し、省、地区、県の三段階の党委委員会第一書記が先頭に立って、公社整頓の仕事を指導しなければならない。検査団は、専区と専区のあいだ、県と県のあいだ、公社と公社のあいだで、視察と比較批評をくりひろげ、現場会議を召集して、成果をほめあげ、欠点を克服し、頑張り、方法を考えめぐらして、当面の問題を具体的に解決し、時をうさず成功した経験をおしひろめなければならない。ぜひともこんどの整頓を通じて、全国の人民公社の活動を、おしなべて一歩高めなければならないのである。
(国際事情研究会 訳)




