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第二次鄭州会議における講話(一九五九年二月二十七日)

<解題> 原題は「在第二次鄭州会議上的講話」、『万歳』丙本、丁本所収。なお、毛沢東はこの鄭州会議であわせて五回演説しているが、この講話はその二回目のものである。日付は、丙本による。 人民公社運動の成果を確認し、欠点を克服するいわゆる「整社」工作の方向を示す代表的な演説である。「整社」工作は一九五八年十一月の第一次鄭州会議にはじまり、十二月の武昌会議(六中全会) をへて、この第二次鄭州会議には、問題のすべてが出されているといってよい。つまり、党中央あるいは毛沢東にとっては、運動内部の矛盾がすでに明らかになっていた。しかし、この人民公社運動が五億の農民をまきこむ巨大な大衆運動である以上、問題の焦点を中央レベルでは十分把握していたとしても、末端へ浸透するまでにはかなりの時間を必要とし、運動内部の矛盾は拡大しつつあった。解決すべき問題はいろいろあったが、最大の問題は、人民公社の所有・採算の基本的な単位をどこにおくのかが、当時の情況つまり生産力の発展水準、②農民の意識、からみてもっとも妥当であるか、ということだった。それを模索する姿をこの演説からとらえることができよう。


一九五八年に、われわれは各戦線で偉大な成果をあげた。思想政治戦線、工業戦線、農業戦線、 交通運輸業戦線、商業戦線、文化教育衛生戦線、国防戦線およびその他の面ですべてそうであった。とりわけ顕著なのは、工業、農業の面で偉大な躍進のあったことだ。一九五八年に、全国農村にあまねく人民公社が設立された。


人民公社の設立によって、農村にまえからあった生産手段の集団所有制が拡大され・高められ、 若干の全人民所有制の要素をもちはじめた。人民公社の規模は農業協同組合よりずっと大きく、工業・農業・商業・教育・軍事の結合、農業・林業・牧畜業・副業・漁業の結合が実現された。これは農業生産・農村経済全体の発展を力強く促進した。広汎な農民、とりわけ貧農・下層中農は、人民公社を熱烈に歓迎した。広沢な幹部は人民公社運動のなかで、多くの有益な工作をおこなった。 かれらは共産主義者としての大きな積極性を示した。これはたいへん貴重である。かれらのこの積極性がなければ、この偉大な成果をあげることはできなかっただろう。むろん、われわれの工作には、偉大な成果とともにいくらか欠点もあった、新しい・人民公社というような・経験のない・先輩のいない・数億人民の社会運動では、人民とその指導者たちは、その実践のなかからのみ一歩一歩経験をえられる。モノゴトの本質を、一歩一歩認識し、モノゴトの矛盾を暴露し、これらの矛盾を解決する。工作の成果を確認し、欠点を克服する。広沢な社会運動をまったく欠点なしにできるという人があったら、それは空想家か、ひよりみ派・ソロバン派か、敵対分子か、のいずれかだ。 成果と欠点の関係。一部の人は一九五八年の大躍進・人民公社の優越性を疑い・否定するが、この見方は明らかにまったく誤りだ。


(2) 人民公社はいま整頓強化工作、つまり「整社」をすすめている。一九五八年に大躍進があったのかどうか、人民公社には優越性があるのかどうか、という二つの問題について、すでに討論してきたし、いま討論をやっている、各級の党委員会は整社工作で、六中全会の方針にしたがい、まず大躍進の成果を確認し、人民公社の優越性を確認し、それから工作のなかの欠点・誤りを指摘するという順序でやっているが、このやりかたはまったく当をえている。こうすれば、広汎な幹部・大衆の積極性を保護できる。幹部は、九〇数パーセントはいいのであって、断固保護すべきだ。 いまから人民公社の問題についていくらか話そう。


人民公社には矛盾、それもかなり重大な矛盾がある、とわたしはおもう。多くの同志はまだ認識しておらず、その性質も暴露されていないので、解決されない。この矛盾はすみやかに解決しなければならない、とわたしはおもう。そうしてこそ、広沢な人民大衆のより高い積極性をひきだし、 われわれと基層幹部との関係を改善するのに有利である。これは主として、県・公社の党委員会と基層幹部との関係である。けっきょく、どんな矛盾なのか? ご承知のように、いまわれわれと農民との関係は、いくらかの事柄で、かなり緊張した状態になっている。とくに目だつのは、一九五八年の農業が大豊作なのに、食糧・綿花・搾油作物などの農産物の買付がいまなお任務を達成していない部分のあることだ。さらに全国で(少数の被災地区を除き)、生産高をごまかし、かってに分けたり、食糧・搾油作物・豚肉・野菜が「たりない」という騒ぎがひろくおこっている。その規模は、一九五三年、五五年の二度の食糧騒ぎに優るとも劣らない。同志のみなさん、これはいったいどういうことなのか、考えてみてほしい。われわれは現象から問題の本質、つまり主要矛盾はどこにあるかをみぬくべきだ、とわたしはおもう。ここにはいくつかの原因があるが、わたしは主として、われわれの農村人民公社の所有制にたいする認識と、われわれのおこなった政策のなかに、答を求めるべきだとおもう。


農村人民公社の所有制には発展過程が必要ではないのか? 公社が成立するや、すぐ完全な公社 (3) 所有制とし、生産隊所有制をなくすことができるのであろうか? わたしがここで生産隊というのは、一部の地方では生産小隊つまり管理区であるが、要するにほぼもとの農業生産協同組合に相当する。いま多くの人が公社所有制には発展過程の必要なことを認識していない。公社で、生産隊という小集団所有制から公社という大集団所有制へいたるには、過程が必要であり、この過程は数年かかってようやく完成する。人民公社が成立するや、各生産隊の生産手段・労働力・生産物は、公社の指導機関が直接支配してよい、とかれらは誤解している。かれらは社会主義を共産主義と、労働に応ずる分配を必要に応ずる分配と、集団所有制を全人民所有制と、それぞれとりちがえている。かれらは多くの面で価値法則・等価交換を否定している。そこでかれらは公社レベルで、貧富の差をならし・平均主義的分配をやり、生産隊の財産をカネを払わず調達し、金融面では農村への多くの貸付を一律に回収している。「平均主義・調達主義・貸付の回収」は、広沢な農村の大きな困惑をひきおこしている。これがいまのわれわれと農民との関係でもっとも根本的な問題だ。 公社が成立すると、公社所有制になるのは、北戴河決議、六中全会決議のいうとおりである。より大きく・より公的に、という公社は、大きな優越性をもち、わが農村が社会主義の集団所有制から共産主義の全人民所有制に移行するすばらしい形態、社会主義から共産主義に移行するすばらしい形態である。これは疑問の余地がなく、まったくたしかである。このような根本問題に疑いをもつなら、まったく誤りであり、右翼ひよりみ主義だ。問題は、いまの公社所有制には、公社が直接所有する部分のほかに、生産大隊(管理区) 所有制と生産隊所有制の存在することだ。この三級所有 (5) 制の区別を基本的になくし、三級所有制を基本的に一級所有制に変えるには、つまり不完全な公社所有制を完全な・基本的には単一の公社所有制に発展させるには、公社が大きな経済力をもち、各生産隊の発展水準をほぼ均衡させる必要があり、これには数年かかるだろう。いまの問題は、この必要不可欠な発展過程を認めることであって、農民に譲歩するとか、しないとかの問題ではない。


農村で全人民所有制を実現するまえは、農民はやはり農民なのであり、かれらは社会主義への道で一定の二面性をもつ。われわれは農民を一歩一歩導いて、小集団所有制から、やや大きな集団所有制をへて、全人民所有制へいたることしかできず、この過程を一挙に完成させることはできない。


われわれがかつて農民を一歩一歩導いて個人所有制から、集団所有制にいたったのと同じだ。不完全な公社所有飼から完全な・単一の公社所有制へは、より貧しい生産隊をより豊かな生産隊の生産水準まで高める過程である。公社の蓄積を拡大し、公社の工業を発展させ、農業の機械化・電気化を実現し、公社の工業化と国の工業化とを実現する過程でもある。いま公社が直接所有するものは、まだ多くはない、公社の経営する企業・事業、公社の支配する公共積立金・公共福利費などがそれだ。とはいえ、わが偉大な・輝ける希望はまさにここにある。公社は毎年、生産隊から蓄積を上納させ、社営企業の利潤から蓄積を増加させ、くわえて国の投資があるので、その発展はおそいものではなく、はやいであろう。国の投資の問題については、国が十五年以内に公社にたいして数十億から百億元あまりを投資するよう、公社が工業を発展させ・貧しい隊が生産を発展させるのを助けるよう、提案したい。貧しい公社・貧しい隊は遠からず、豊かな公社・豊かな隊と肩を並べ大いに発展するだろうとおもう。公社に大きな経済力がつけば、完全な公社所有制を実現でき、さらに全人民所有制にすすめることができる。およそ二つの五ヵ年計画〔十年〕が必要だ。あわてるとダメで、はやくやろうとすると成功しない。これも北戴河決議のいうように、三~四年、五~六年あるいはもう少し長いだろう。それからまたいくつかの発展段階をへて、十五年、二十年あるいはもう少したつと、社会主義の公社が共産主義の公社に発展するだろう。


六中全会の決議には、集団所有制が全人民所有制に・社会主義が共産主義に移行するには、発展段階の必要なことは書いてあるが、公社の集団所有制にも発展過程の必要なことを書いていない。 これは欠点だ。当時われわれがこの問題をまだ認識していなかったからだ。こうして、現場の同志は、公社・生産大隊・生産隊の三級の区別があいまいとなり、いま公社に存在し、大きな重要性をもつ生産隊(あるいは生産大隊、ほぼもとの高級組合に相当する)所有制を事実上否定したが、これは広汎な農民の断固たる抵抗をひきおこさざるをえなかった。一九五八年秋の収穫後、全国的に食糧・搾油作物・豚肉・野菜の「不足」騒ぎがおこったのは、この反抗の集中的表現だ。一方では、中央・省・専区・県・公社の五つのレベル(管理区をくわえれば六つのレベル)の党委員会は生産隊・生産小隊の自己中心主義、生産高をごまかし・かってに分配することを批判したが、他方生産隊・生産小隊は、逆にほとんどすべて生産高をごまかし・かってに分配することをやり、ひいては穴を掘って隠し、見張りをたて、かれらの生産物をまもった。生産物に余裕があり、国に販売すべきであるにもかかわらず、それをやらない自己中心主義はたしかにある。自己中心主義の党員・幹部は批判さるべきだ、とわたしはおもう。しかし、自己中心主義と呼ぶべきではない情況も少なくない。たとえ自己中心主義に属するもので、批判さるべきだとしても、批判をやるまえに、われわれはまず自らの二つの偏向、つまり平均主義と過度な集中という偏向を点検し、正さねばならない。平均主義の偏向というのは、各生産隊・各個人の所得に差のあることを否定するものだ。この差を否定するのは、労働に応ずる分配・働きが多ければ収入も多いという社会主義の原則を否定するものだ。過度の集中というのは、生産隊の所有制・生産隊のもつべき権利を否定し、生産隊の財産をかってに公社が調達することだ。同時に、公社・県へ生産隊から上納する蓄積が多すぎ、公社の管理費に大きな浪費が含まれている(たとえば一部の大公社には、千人ものタダメシ食い・半タダメシ食いの工作人員がいたり、そのうえ生産労働から離れた文芸工作団がいる)。この二つの偏向には、価値法則・等価交換を否定する思想が含まれており、むろんまちがっている。これらすべては、各生産隊・広沢な公社員の不満をひきおこさないわけにはいかない。


当面のわれわれの任務は、広沢な幹部に道理を説き、十分な下準備・討論を通じて、かれらにほんとうのことをわからせ、われわれがかれらとともに、この偏向をうまくきっぱり正すことだ。平均主義を克服し、権力・財力・労働力の公社レベルへの過度の集中状態を改めることだ。公社が分配を統一的に決めるときは、生産隊と生産隊、公社員と公社員の収入の合理的な差を認めよ。貧しい隊と豊かな隊の食費・賃金には差があって当然だ。賃金は級を動かさず・評価で差をつけ、公社は権力の下放をおこなうべきだ。三級で管理し、三級で経済計算をやり、しかも生産隊を経済計算の基礎とする。公社と生産隊、生産隊と生産隊とは等価交換をおこなう。公社の蓄積は情況にあわせるべきで、多すぎないよう。公社管理の浪費現象をきっぱり克服せよ。こうしてこそ、一部にたしかに存在する自己中心主義をうまく克服でき、公社制度を強化できる。こうやったとしても、公社レベルの権力があまり小さくなることはなく、なおかなり大きい。公社レベルの指導機関には、 やるべきことがなおたくさんあり、これは大きな努力を払ってこそ、事柄をりっぱにやれるのだ。


公社が一九五八年秋に成立してから、「共産風」が一吹きした。おもな内容は三つ、一つは貧富をならすこと、二つは蓄積が多すぎ、無償労働が多すぎること、三つは、いろいろな「産」を「共」 にしたこと、だ。いろいろな「産」を「共」にするというのは、いろんな情況がある。一部のものは公社に帰すべきだ。大部分の自留地がそれだ。一部のものは借用せざるをえない。公社の公共事業に必要な一部の家屋・食卓と腰掛、食堂に必要な包丁・ナベ・碗・ハシなどのように。公社のものとすべきではないにもかかわらず、そうしたものもある。鶏・アヒル・豚の一部は、カネを払わず公社のものにしてしまった。こうして「共産風」が吹いた。つまり、ある範囲内で、他人の労働の成果を事実上タダでとる情況が一部に生まれたわけだ。むろん、公共の蓄積・集団の福利や、公社員全体が同意し、上級党組織が批准して統一分配したもの(たとえば食事の現物支給制など)はべつだ。これはタダどりには属さないからだ。他人の労働の成果をタダどりするのを許すわけにはいかない。わが歴史をみよ。われわれがタダで奪ったのは、日本、ドイツ、イタリーの帝国主義および封建主義・官僚資本主義の生産手段と、地主の一部の家屋・食糧などの生活資料だけである。


こういうのは、他人の労働の成果を奪うもの、とはいえない。これらはみな、労せずしてえたものだからだ。民族ブルジョアジーの生産手段は、タダで奪うことはせず、買いもどし政策を実行した。かれらは搾取者ではあるが、かつては民主革命の同盟者であったし、いまは社会主義改造に反対していないからだ。買いもどし政策をやると、われわれが社会的に主動的となり、経済的にも有利である。同志のみなさん、われわれの搾取階級にたいする政策がこうである以上、労働人民の労働の成果にたいして、どうしてタダでとれようか?


われわれがこの点を指摘するのは、ムリに貧富をならしたり、生産隊の財産をかってに調達するのはまちがっていることを説明するためであって、大衆のなかでむかしの勘定をやりなおすことを提唱するためではない、むしろ逆で、むかしの勘定は一般的には、やりなおすべきではないと考えている。やや貧しい公社・生産隊・農家は、自らの努力に頼り、公社の配慮・国の支持があれば、 自力更生を主とし、公社と国の助けを従とし、三年、五年、七年で、当面のやや困難な情況から脱することができる。他人に頼ってうまい汁を吸うことで問題を解決する必要などまったくないのだ。われわれ貧乏人は、つまり農村人口の大多数を占める貧農・下層中農は、志をもつべきだ。河北省遵化県鶏鳴村の、人から「素寒貧組合」と呼ばれた王国藩組合のように、起ちあがって、わが双手で刻苦奮闘しよう。われわれの世界を変え、いまのおくれた農村に繁栄する楽園を建設しよう。この日はかならずやってくる。みんなでやろうではないか。


平均主義と過度の集中という偏向のほかに、当面の農村労働力の配分にも不合理なところがある。つまり農業(林業・牧畜業・副業・漁業を含めて)用の労働力が一般に少なすぎ、工業・サービス業・行政の人員が一般に多すぎる。後三者の人員を減らさなければならない。公社の労働力配分は大きな問題だ。労働力を奪い合うことは、当面、生産隊と公社・県および県以上の国家機関との重要な矛盾の一つである。農業・工業・運輸業・サービス業・その他各方面の正当な需要にたいして、統一的な計画をたてよ。各方面の労働力配分を均衡化させるよう努めよ。公社・県のやる工業は必要だが、一挙にたくさんやりすぎないように。各レベルの工業企業は労働力を節約せよ、浪費はするな。サービス業の人員で多いのは、減らす。行政人員は公社の人数の零点数パーセントだけを許可する。文教事業の発展には過大な労働力を用いないよう注意すべきだ。公社は生産から離れた文芸工作団・体育チームなどを許可してはならない。


われわれは人民の生活・公社の蓄積・国の需要を按配するという三つの面の工作を同時に統一的に計画・配慮してやらなければならない。こうしてこそ、ほんとうに全国を「一面の碁盤」にできる。「一面の碁盤」というのを否定するのは、事実上「半面の碁盤」あるいは「不完全な碁盤」であるにすぎない。一般的にいうと、一九五八年は公社の蓄積が少し多かった。各地は具体的情況にもとづいて、一九五九年の公社蓄積をほどよい限度に決める。それを大衆に宣言し、人心を安定させ、広汎な大衆の生産への積極性を高めるべきである。


人民公社は、節約して公社を運営する方針を堅持し、浪費に反対せよ。食糧工作の面では、最近の経験にかんがみて、これからは食糧の収穫・管理・使途の分配の制度をきびしく定める。公社の食糧の収穫・管理・使途の分配をりっぱにやる。社会の食糧需要は、たえず増加するものだ。だから少なくとも数年は食糧問題が「解決された」と宣伝してはならない。


最近、各省で幹部が下放して公社員となる例があるが、このやりかたはいい。各レベルの幹部が時期を分けて少しずつ下放して公社員となるのを、少なくとも一カ月、多ければ一カ月半やる。幹部の一部は工場・鉱山におりて労働者となる、この二つを提案したい。このやりかたは去年、すでにやってみて効果をあげている。今年は、もっとうまくおしひろげよう。要するに、われわれと広汎な大衆とのつながりをたえず強化させることを、かならずやらなければならない。


以上に話した方針・方法を採用するならば、われわれと農民・基層幹部との関係は、かならずすみやかに改善しうる、とわたしはおもう。広汎な農民は、公社運動と一九五八年の大躍進から巨大な利益をすでにえている。ひきつづき躍進し、公社制度を強化しよう。この事実は、どんなひよりみ派・ソロバン派もくつがえせない。わが幹部が過去一年に多くの・りっぱな工作をやり、偉大な成果をあげたことを、広沢な大衆は自分の目でみている。問題は生産関係の改革、つまり公社の所有制の問題で、ちょっと前進しすぎたことだ。明らかに、この欠点は十本の指のうちの一本の問題にすぎない。これはなによりもまず、中央がもっとはやく具体的な指示を出さなかったため、下級の幹部がほどあいをうまく掌握できなかったことによるのだ。わたしがすでに話したように、この情況は人民公社化という複雑な・史上前例のない事業では避けがたい。われわれが広沢な大衆にこの点を公然と説明し、実際の行動のなかで、過去の一時期の工作における欠点を克服していきさえすれば、主動権はまったくわれわれの手に握られ、広汎な大衆はかならずわれわれとともに起つであろう。一方ではあのひよりみ派・ソロバン派があらわれてわれわれをあざ笑い、他方ではあの地主・富農・反革命分子・悪質分子による破壊のありうることを予測しておかなければならない。しかし、これらの情況があらわれても、われわれは少しもこわくないことを幹部・大衆にたいして、話しておく必要がある。心をおちつかせ、一定のあいだは音をたてず、ツラの皮を厚くしてがんばり、かれら自身を十分暴露させるべきだ。ときがきたら、広汎な大衆はかならずすみやかに是非・敵味方をはっきりさせ、あのおくれた分子の嘲笑と敵対分子の進攻を粉砕するだろう。この人民公社の整頓・強化の過程をへて、われわれと大衆との団結はさらに緊密となろう。偉大な中国共産党の指導のもとで、五億あまりの農民はかならずや心がのびのびし、力強くなろう。われわれはかならず一九五九年にさらなる大躍進を実現できる。


人民公社の事業は、かならず一九五九年にさらなる大躍進を実現できる。人民公社の事業はかならず強化された基礎のうえに日一日と発展できる。


勝利はかならずわれわれのものとなろう。


(1) 人民公社 人民公社化の進展およびその後の「整社工作」のなかで人民公社の規模・公社数などがどう変化したかについては下の二つの表を参照せよ。(2) 六中全会 一九五八年十一月二十八日から十二月十日にかけて武昌で開催され、「人民公社についての若干の問題の決議」を採択した。また「毛沢東同志の提起した次期中華人民共和国主席候補にならないという提案についての決定」も、この会議で採択された。


(3) 生産隊・生産小隊 ここでいう「生産隊」、「生産小隊」とは、それぞれのちの「生産大隊」、「生産隊」のこと。人民公社は、高級農業生産協同組合(農家戸数約二〇〇~三○○戸)が合併することによって成立したが、この高級協同組合がほぼ生産大隊に相当し、かつての初級農業生産協同組合(農家戸数三〇~五○戸)が、公社の生産隊にほぼ相当する。88 初級組合と高級組合とは、規模がちがうだけでなく、前者が労働力への分配とともに出資した土地への生産物分配もおこなうのにたいして、後者は土地への分配をやめ、労働力だけを分配の基準とした。


(4) 北戴河決議 一九五八年八月、北戴河で開かれた政治局拡大会議。「農村に人民公社をつくる問題についての決議」を採択した(八月二十九日)。


(5) 生産大隊、生産隊これは現行の表現と同じ。


(6) 三級所有制を一級所有制へ 当時は公社レベル・生産大隊レベル・生産隊レベルの三級がそれぞれ所有 ・採算の単位とされていたが、これは過渡的なもので、やがてはすべてを公社レベルの所有とし、公社レベルを採算単位とするみとおしであった。この変革は現在でもまだ実現できず、なお、「生産隊を基礎とする三級所有制」がいまの方針となっている。しかし、上述の展望を放棄したのではなく、生産力の発展、②農民の意識の高まりを待って、やがて公社所有制へもっていくことになるとみられる。


(7) 王国藩 河北省の農民。全国農業労働模範。農業集団化のなかで、王国藩の指導する組合は一貫して先進的な経験をつみ重ね、毛沢東から激賞されてきた。九期、十期中央委員。

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