ある協同組合を紹介する (一九五八年四月一五日)
「二年間の苦戦で面目を一新した協同組合」「―――この文章は一読にあたいする。共産主義精神が全国ですばらしい勢いで発展している。広範な大衆の政治的自覚が急速にたかまっている。 大衆のなかのおくれた層が奮起して、先進的な層に追いつこうと努力している。こうした事実は、わが国における社会主義の経済革命(生産関係の面でまだ改造がおわっていない部分)、政治革命、思想革命、技術革命、文化革命がいまぐんぐん進んでいることをしめしている。この点からみれば、わが国が工農業生産の面で、資本主義の大国に追いつくには、これまで考えていたほどながい時間をかけなくてもよさそうである。党の指導のほかには、六億の人口が決定的な要因である。人が多ければ、論議は多く、熱気はあふれ、意気込みは高くなる。人民大衆がいまはど精神をふるいたたせ、闘志をわきたたせ、意気込みをもやしたことはかつてなかった。過去の搾取階級は、勤労大衆という洋々たる大海のなかにすっかりはまりこみ、変わるまいとしても変わらざるをえなくなっている。死ぬまで変わらないで、花崗岩のような頭をもったままあの世にいくつもりでいる人間も、たしかにいるにちがいないが、それは大局にはかかわりがない。すべてのくさりきったイデオロギーと、上部構造のその他の適用できなくなった部分が日ごとになだれをうってくずれさりつつある。これらの廃あくたを一つ残らずはきだすには、まだ時間がかかるる。が、こうしたものの崩壊がもはや必至であることは、確実であって疑問の余地がない。他の特徴をのぞけば、中国の六億の人口がもついちじるしい特徴は、一に貧窮、二に空白ということである。
これらは、見たところ悪いことのようだが、実際にはよいことである。貧窮であれば、変革しようとおもい、行動をおこそうとし、革命をやろうとする。一枚の白紙にはやっかいなものがないから、もっとも新しく、もっとも美しい文字をかくのにつごうがよいし、もっとも新しく、もっとも美しい絵をかくのにつごうがよい。大字報はひじょうに効果のある新式の武器で、都市、農村、工場、協同組合、商店、機関、学校、部隊、町内など、およそ大衆のいるところならこれなくすべて活用することができる。すでに広く活用されているが、いつまでも活用していくべきである。清代のひと龔自珍言の詩に、「九州の生気は風雷を侍み、万馬斉瘖可哀を究む。我は天公に勧む、重ねて抖擻、一格に不拘、人材を降さんことを」というのがある。大字報は「万馬斉瘖といったような沈滞した空気をつきやぶった。わたしはここで、全国七十数万の協同組合の同志たちと都市の同志たちに、ある協同組合を推薦する。それは河南省封邱県にある応挙社という協同組合で、人びとに深く考えさせるところが多い。中国の勤労人民には、まだ以前のような奴隷の姿が残っているだろうか。残ってはいない。かれらは主人公となっている。中華人民共和国の九百六十万平方キロメートルの土地に住む勤労人民は、いま、ほんとうにこの土地を支配しはじめたのである。
〔注〕
[1]これは、河南省封邱県の応挙農業生産協同組合を紹介した文章である。応挙協同組合は地勢が低く、水害にみまわれやすいため、解放前、人びとの生活はひじょうに苦しかった。解放後、生活は改善され、一九五五年には農業生産協同組合ができた。協同組合ができてから二年間、つづけざまにひどい水害にみまわれた。この協同組合の幹部と組合員は、自分の力にたより、集団の知恵を発揮して、自然災害と困難なたたかいをくりひろげた。わずか二年間で、この協同組合は大々的に水利事業をおこし、畑地を水田にかえ、アルカリ性の土地を稲田にかえて、基本的に干ばつと水害を一掃し、それまでの面目を一新した。
〔二〕 龔自珍(一七九二~一八四一年)は、清代の進歩的な思想家、文学者で、浙江省仁和(いまの杭州市)の人である。ここに引用されているのは、かれがつくった神を祭る詩である。「九州」とは中国のことで、中国はむかし九つの州にわかれていた。「九州の生気は風雷を侍み」とは、中国が気息えんえんとした状態からぬけだして、生気にみちた国になるには、暴風驟雨のような大んなこえなくひとつのかにとらわれずくだ変動をへなければならないということ。「万馬斉瘖」は、当時の封建的独裁のもとで、人民が大胆にものを言えないことをたとえだもの。「一格に不拘、人材を降さんことを」とは、さまざまなすぐれた人物を成長させていくこと。毛沢東同志がこの詩を引用したのは、これに託して人民民主主義を発揚することの必要性を説明し、人民が心のなかのことをすっかり話すようにすれば、いままでにない活気にみちた政治的局面をつくりだすのに有利であることを説明したのである。
〔訳注〕
大字報は、整風運動のなかで大衆が自分自身で創造した、ひじょうに効果のある新式の武器。批判と自己批判の形式の一つで、敵を暴露し、攻撃するのにも用いられる。自分の意見や提案、あるいは他人についての暴露や批判をわりあい大きな字で紙にかき、みなのよく見えるところにはりだす。




