面の情勢に関する毛沢東主席の講話* 最高国務会議での講話 一九五八年九月八日
「毛主席在最高國務會議上論目前形勢 美國侵略者把絞索套在自己脖子上」(『人民日報』一九五八年九月九日)
〔新華社八日発〕 毛沢東主席の召集した最高国務会議が、本日午前ひきつづき行なわれた。
本日の会議で、毛沢東主席は演説した。 毛沢東主席は、当面の情勢は全世界の平和をかちとる人民にとって有利である、と述べた。毛主席は国際情勢に言及したさい、全般の趨勢は東風が西風を圧倒している、と指摘した。毛主席はつぎのように述べた。アメリカ帝国主義は九年来わが国の領土台湾を侵略占領しており、さきごろまたしてもその武装部隊を派遣してレバノンを侵犯した。アメリカは全世界の数多くの国々に数百にのぼる軍事基地を建設している。中国の領土台湾、レバノンおよび外国にあるアメリカのすべての軍事基地は、いずれもアメリカ帝国主義の首にかけられた縄である。ほかならぬアメリカ人自身がこの縄をつくり、それを自分の首にかけ、その一端を中国人民、アラブ諸国の人民および全世界の平和を愛し侵略に反対するすべての人民に手わたしたのである。アメリカ侵略者がこれらの地域に長くとどまればとどまるほど、その首にかけられた縄はますますきつくなるだろう。
毛沢東主席はまたつぎのように述べた。アメリカ帝国主義は全世界の至るところで緊張した情勢をつくりだし、それによって各国人民を侵略し奴隷化するという目的を遂げようとしている。アメリカ帝国主義は、緊張した情勢がすべて自分にとって有利であると思っている。しかし事実は、アメリカがつくりだしたこれらの緊張した情勢はアメリカ人の願望とは逆の方向へすすめ、全世界人民をたちあがらせてアメリカ侵略者に反対させるという作用をもたらしている。毛主席はつぎのように述べた。「アメリカの独占資本集団もしもその侵略政策と戦争政策をあくまでもおしすすめるならば、いつの日かかならず全世界人民によって絞首刑に処せられるだろう。その他のアメリカの共犯者も同様であろう。」
毛沢東主席は、国内情勢に言及したさい、偉大な全人民の整風運動をへて、全国至るところに生気潑剌とした気風があらわれている、と述べた。農業、工業、文化教育およびその他の建設事業のすべての方面で、大躍進の情勢が形成されている。全国人民が共産党の指導のもとでともに努力したことによって、わが国の社会主義建設の速度は、おおいにはやめられた。毛主席はつぎのように述べた。農業生産の飛躍的発展が工業にとってもますます大きな圧力となっていることにかんがみ、また農業生産と農村工作の分野で、比較的安定した基礎と比較的円熟した経験とをすでにもっていることにかんがみて、われわれの指導活動の重心を農業と農村工作の分野から適時、工業建設の分野へ移す必要がある。中央と省クラスの指導機関は、片手に工業、片手に農業をしっかりとつかみつつ、今から重点を工業の分野におかねばならない。工業の分野では、わが国の工業化、農業の機械化を実現し、国防力を強化する基礎であるから、鉄鋼業と機械工業とを、まずしっかりとつかまなければならない。毛主席はまたつぎのように述べた。農業と農村工作はゆるがせにはできず、来年の農業生産をひきつづきおおいに発展させなければならない。現在、全国で勢いよく展開されている人民公社化運動に関して、毛主席は、熱烈に歓迎するという態度をとり、積極的に指導を強化しなければならないと述べた。
毛主席は、中米両国がワルシャワでまもなく開始しようとしている大使級会議に希望を寄せた。彼はつぎのように述べた。もしも双方に問題を解決する誠意があるならば、会議なんらかの成果をかちとれるかもしれない。現在、全世界の人民はすべて、両国代表がまもなく行なおうとしている会議に注目している。
毛沢東主席の演説後、中共中央政治局委員、国務院副総理兼財政部部長李先念が会議の席上で、今年度財政収支状況および来年度財政予算の初歩的概算と商業活動などの問題で報告を行った。中共中央政治局候補委員、宣伝部部長陸定一は、今年の教育事業の発展状況、わが国の社会主義教育の方針と幹部が肉体労働に参加する問題について報告を行なった。
会議に参加した人数は、合計一〇一名、そのうちには、全国人民代表大会常務委員会副委員長・中国科学院院長郭沫若、中共中央政治局候補委員陳伯達、中共中央書記局書記李雪峰、地質部部長・中国科学院副院長李四光、九三学社中央委員会副主席・林業部部長梁希、中国科学院技術科学学部主任厳済慈のように地方から戻って新たに本日の会議に参加した人びともいた。三日にわたった第十五回最高国務会議は、本日午後二時に終わった。
* これは第一五回最高国務会議における毛沢東主席の講話である。『紅旗』社論「美國侵略者自己套上了絞索」(『紅旗』一九五八年第八期、一―四ページ)、および牛中黄「把注意的重心轉移到工業方面來」(『新華半月刊』、一一六―一一八ページ)参照。 本資料集、資料54、55参照。




