閑話(確かにあったもの、)
※ステラが居なくなる前のお話
思い返せば、最初の出会いからあの子は妙な存在だった。
討伐機関の隊長会議。
重々しい会議室の扉の前で、ガチガチに緊張して立ち尽くしていたのがステラだった。
着崩している隊員が多い中、ボタン一つ緩めず隙なくきっちりと着こなしている。だからこそ、その仕立ての良さが逆に女性特有の線の細さや、華奢なシルエットを際立たせていた。
胸の前で大事そうに会議資料をぎゅっと抱え込み、背筋をピンと伸ばしすぎて固まっている。
「すぅ、はぁ」と小さく深呼吸を繰り返すたびに、小さな胸元が上下していた。
(なんだ、あんな小柄で真面目そうな子が新しい隊長か?)
殺伐とした機関の男たちの中に紛れ込んだ、一羽の小さく可憐な小鳥のような少女。
アルは「すぐ辞めるか、誰かに守られる存在になるんだろう」と、どこか呑気に高をくくっていたのだ。
――だが、その甘い予想は、度重なる合同任務の中でじわじわと、けれど確実に壊されていくことになる。
最初に抱いた不協和音は、彼女の戦闘スタイルだった。
小柄な体を活かした目にも留まらぬ踏み込み、その華奢な体のどこにそんな力が隠されているのかと思わせるほど、圧倒的に重く確実な一撃。
そして、獲物を屠る瞬間に見せる、冷酷で不敵な笑み。
(待て。あれは)
間合いの詰め方、刃を叩き込む角度。
——どこをどう見ても、アル自身の戦い方に酷似していた。
(あの子、俺の戦い方を研究して真似てたりするのか?)
最初はただの「物好きな小娘」だと思っていた。だが、何度か一緒に戦場を潜り抜けるうちに、アルは本気で感心することになる。
アルの戦術は極めて変幻自在で、生半可な技術では模倣など不可能だ。それを彼女は、自分より遥かに小柄な身体で見事に自分のものとして昇華させていた。
(俺の戦術を、ここまで正確に再現できるやつは初めてだ)
面白がりから、明確な感心へ。
そして決定的だったのは、戦闘が終わった後の彼女の態度だった。
周囲の女性兵士や他の隊長たちが、アルの容姿や戦功に甘い視線を向け、媚びを含んだ賞賛を贈ってくる中で――ステラだけは違っていた。
血塗れの刀身を拭い、いつもの真面目な顔に戻った彼女は、アルの元へ歩み寄ると淡々と告げてくるのだ。
「アル隊長。三回目の交戦時、右側からの踏み込みがわずかに浅かったです。後衛とぶつかります。そのように動くのなら次はあちらの角度から入った方が効率的かと」
「……は?」
媚びるどころか、まさかの戦術的なダメ出し。
自分を「ただの同僚」としてしか見ていない、一切の下心がない態度。
周囲の甘やかすような視線に辟易していたアルにとって、その容赦なく真面目な指摘はあまりにも新鮮で、そして……酷く気になった。
気づけば、アルの視線は無意識に彼女を追うようになっていた。
ステラが別の部隊と出撃している日は、なぜか執務室で書類を捲る手が進まない。無事に帰ってきた姿を見て、柄にもなく胸を撫で下ろす。
(なんだ? 最近、妙にあの子のことが引っかかるな)
それがまだ始まりだとは夢にも思わず、ただの「気になる珍しい同僚」だと言い聞かせていたアルだったが――その均衡が破られる時は、あっけなく訪れた。
◇
ある日の戦闘後。
無茶な戦い方をしたアルの腕を見て、ステラが真面目な顔で歩み寄ってきた。
「——アル隊長、怪我をしていましたよね? すぐに手当てをしますので、あちらに……」
手慣れた手つきで傷口を消毒し、包帯を巻いていく。その動作はあまりにスマートで、手際が良すぎた。
そして相変わらず、ステラの瞳には媚びや甘えた感情がこれっぽっちも浮かんでいない。
(よく分からねえ、やっぱり俺に興味がないのか)
どこか面白くない気持ちと、いつもの悪戯心が混ざり合う。
アルはいつもの軽薄な笑みを浮かべると、手当てをしてくれているステラの顔にふっと顔を近づけ、耳元で低く囁いてみた。
「へえ、優しいんだな。もしかして俺のこと、好き?」
いつもの冗談。いつもの意地悪。
「隊長としての義務です」と素っ気なく返されるのだろうとタカをくくっていた。
ところがステラは一瞬だけ息を呑むように身体を震わせると、包帯をキュッと強めに結び、至近距離でアルの目を真っ直ぐに見つめ返してきた。
「……怪我をされたから、心配なんです。よく手当てから逃げているのも知っています。でもこれも仕事の一環ですから。勘違いしないでください、アル隊長」
不快感を示すでもなく、毅然とした声で「怪我が心配だった」という本心を伝えてくる。
作業のでは止まっていた。
けれど必死に平静を装っている、矛盾した姿があった。
隠しきれずに、耳先どころか首元までほんのり赤く染まっていた。
(――あ)
アルの思考が、一瞬だけ空白になった。
耳まで真っ赤にしたまま、それでも目を逸らさずに自分を見つめ返してくるステラ。
下心も、計算も、媚びも何もない。ただ「心配だった」という一言に偽りはなさそうだった。
なのに、ここまで赤くなって、もう一つの本心を隠せないでいる…。
——ドクン。
嫌な音がした。
自分の胸の奥から、はっきりと聞こえる鼓動。
(……なに、これ)
軽い冗談のつもりだった。いつも通り、余裕を持ってからかうだけのつもりだった。
なのに今、目の前の少女から視線を外すことができない。
口の中が乾いている。指先が、微かに痺れているような感覚がある。
アルは慌てて視線を外そうとした。
でも、できなかった。
ステラの瞳が、まだ自分を捉えたままだったから。
(まずい)
冷徹であるはずの思考が、まとまらない。
「ただの気になる同僚」で片付けようとしていたものが、音を立てて崩れていくのがわかった。
これは、好奇心でも、感心でもない。
もっと厄介で、自分では制御できない何かだ。
戦い方を真似てくる人間は他にもいただろう。
自分に興味を持つ女も、山ほどいただろう。
なのに、なんで今だけだ。
なんで、この子の赤い耳と、真面目な瞳と、必死に平静を装っている声が、こんなにも頭から離れないんだ。
アルは、生まれて初めて知る異物感に、ただただ息を止めることしかできなかった。
◇
あの「制御不能な異物感」を覚えてからというもの、アルの行動は自分でも説明がつかないほど変容していった。
急激なアルの距離の詰め方に戸惑いつつも、ステラはいつの間にか彼のことを「アル隊長」ではなく「アル」と呼ぶようになっていた。
本人は無意識のタメ口のつもりだったが、それだけでアルの胸の奥がくすぐったいような、奇妙な熱を帯びるのを止められない。
午後の訓練場は、強い陽射しが熱を含んでいた。
ステラは隊長として部下たちの動きを確認しながら、自分も軽く体を動かしていた。
汗が額から溢れ頬を伝い、小さく上下する鎖骨のあたりまで落ちていく。
熱気のせいか制服の襟元が少し緩み、無防備な首筋と肌がちらりと見えていた。
「ステラ隊長、今日も綺麗だな……」
「汗かいてる姿、なんかいい……」
訓練に励んでいたはずの男兵士たちの視線が、自然とステラに集まり、そんな囁きがあちこちから漏れ聞こえてくる。
無意識だった。
――アルの声が訓練場に低く響いた。
「……おい」
いつもより、明らかに冷たいトーン。
アルはゆっくりと歩み寄るとステラを遮るように立ち、周囲を射殺さんばかりの鋭い眼光で見渡した。目が合った隊員たちは、全員がびくりと肩をすくめる。
「何を見てたんだ?」
声は静かだったが、鋭利な気配が微かに空気を震わせる。
「次に同じ視線を向けた奴は、俺が直接指導しようか」
訓練場が一気に静まり返った。
誰もがサッと視線を逸らし、急に真面目な顔で自分の練習に戻り始める。アルは満足そうに鼻を鳴らすと、ステラの方へ体を寄せた。
汗で湿った彼女の髪を、指先で優しく払う。
「ステラ、少し休もうな。水分補給も必要だ」
「……アル、何してるの」
先ほどのやり取りを静観していたステラは、あからさまな威嚇の視線で小さく抗議する。
そんな態度を見て、アルは耳元で楽しそうに囁いた。
「指導だよ、し、ど、う」
自然な動作で彼女の細い肩に腕を回し、自分の方へぐっと引き寄せながら周りに睨みを利かせる。そして、耳元でこっそり呟いた。
「あとさ……いいのか? 下着、透けてるよ?」
「っ……!?」
耳元で言われた内容にステラは頬を真っ赤にし、慌てて彼の腕を引きはがして逃げ去ろうとした。
その背中に、ばさりとアルの隊服の上着がかけられる。
「更衣室まで距離がある」
「……」
「誰にも見せなんな」
「……恋人じゃないんだから」
困惑と照れを隠せないステラが小さく零すと、アルはいつものように意地悪く微笑んだ。
「じゃあ、付き合う?」
「バ――」
軽口に対して「バカ」と口を開きかけたステラの唇を、アルはくすっと笑って指先で軽く押さえた。
「いいんだな? 格好いいステラ隊長が『バカ』なんて言ってるの、部下たちに見せて」
遠巻きに見ていた周囲の隊員たちは、二人のあり得ないほど近い距離感をチラチラと盗み見ながら、内心で激しくツッコミを入れていた。
((――あの二人、もう付き合えよ……!!))
アルの冷酷な牽制のおかげでピリッと引き締まりつつも、二人を取り巻く空間だけは、甘くて切れない空気が重く流れていたのだ。
◇
そして、その日の夕方。
訓練場での火照りと、どこか気まずくも甘い空気の余韻を残したまま、二人は執務室で二人きりになっていた。
夕日が差し込む部屋で、ステラが意を決したように小さな紙袋を差し出してくる。
「……あのさ、アル。これ」
「ん?」
「甘いものが好きだって聞いたから。昼間と、いつも訓練とか任務でお世話になってるお礼」
俯き加減で差し出された袋の中には、お菓子や、チョコレートの山。
ステラは初めてのプレゼントという大任務を遂行するために、心臓をバクバクさせながら必死に平静を装っているのだ。
だが、あの出来事で無意識の独占欲を極限まで跳ね上げさせていたアルの受け取り方は違った。
「へえ……俺だけに?」
「っ……! た、隊長会議の差し入れの余りだし!」
真っ赤になって取り繕うステラ。
「余り」と言いながらも、袋は贈答用の綺麗仕立てられているものだ、嘘をつくのが下手すぎる。
そのあまりの行動の可愛さに、アルの胸の奥がまたドクンと嫌な音を立てた。
アルは紙袋を受け取ると、サッと背を向けようとするステラの細い手首を、衝動的にキュッと掴んで引き寄せた。
「きゃっ……!?」
「逃げんなよ。余りものなら、一緒に食べても問題ないだろ」
目の前にある、真っ赤な耳と、潤んだ真面目な瞳。
引き寄せられたステラは、見たこともないぐらい困っているのがわかる。
(……ああ、ダメだ。誰にも見せたくない)
昼間の訓練場でのイライラも、いま手の中にある甘いお菓子の香りも、目の前の少女から漂う誘惑にかき消されていく。
この真面目で可愛い顔も、真っ赤な耳も、自分を心配して見つめてくる瞳も、全部自分だけのものにしたい。
袋の中から、すぐに食べれそうな小袋のチョコレートを出した。
「……美味いな、これ」
耳元で低く呟きながら、アルは掴んでいた手首を放さず、骨張った綺麗な指をゆっくりと肌に滑らし、その指をステラの指と絡めていく。
「ア、アル……っ」
「甘いものは好きだけど……ステラから貰うと、いつもより甘く感じるな」
絡めた指から伝わる体温と激しい鼓動。
恋という言葉すらまだ自覚していない男の、底なしの執着と甘い温度が、二人だけの執務室を静かに満たしていった。
お読みいただきありがとうございます!




