7 満月の夜と白い花束
食事のあと、グループの子たちから小さな包みをもらった。チョコレートだった。サリが「何ですか?」という顔をしたので、日本のヴァレンタインの習慣を説明した。女性からチョコレートを贈るのは日本だけらしい。バリでは求愛するのは男性の役割だと、サリは少し照れたように笑った。
その後、2時間ほどレギャン通りを歩き、グループの子たちと別れた。サリのバイクに乗り、タナロットへ向かう。夕方の風は湿っているのに、どこか軽やかだった。
タナロットは、海へ突き出した岩の上に建つ寺院だった。潮が満ちると島となり、引くと歩いて渡れる。僕は以前、干潮の昼間に訪れたことがある。けれど今日は違う。満月を迎える夕暮れだった。サリはプルメリアの花束を買った。白く細い花弁が、夕陽の光を受けて淡く輝いていた。
「この花には求愛の意味もあるんですよ」
「そうなんだ」
サリは花束を波の間にそっと預けた。潮が満ちているため、花はゆっくりと海へ吸い込まれていく。
「あなたの大切な人に届きますように」
願いとも祈りともつかない声で呟き、サリは目を閉じて手を合わせた。その横顔は、夕陽に照らされて透きとおるようだった。
満月の夜、潮の満ちた海にプルメリアを捧げると、海の女王が願いを叶えるとこの島ではそう語り継がれている――サリはそう教えてくれた。
「きっと、あなたが失ったものも還えるでしょう」
サリは静かにそう告げた。その声は、慰めでも励ましでもなく、どこか確信めいていた。
僕は言葉を失った。夕陽が海面に溶けていく。潮騒が、胸の奥の痛みを少しずつさらっていくようだった。
サリの横顔を見ていると、彼女自身が海の女王の化身のように思えた。
導く者――そんな言葉がふと浮かんだ。
失恋の痛みはまだ残っている。
けれど、ここに来て初めて、
「もしかしたら、まだ何か取り戻せるのかもしれない」
そんな思いが、ほんのわずかだが胸の奥に灯った。
夕陽はゆっくりと海へ沈んでいった。サリは、流れていくプルメリアをいつまでも見つめていた。その横顔が、どこかひどく寂しそうに見えた。その理由を、その時の僕は知らなかった。




