1 風はまだ吹かない
2004年2月
空港からMRTに乗り、シティホールで降りる。朝の湿気を含んだ空気が、地下へと流れ込んでくる。シンガポールは交通量が多く、車やバスよりもこの地下鉄が便利だ。『ドリアン持込禁止』『飲食禁止』のピクトグラムは、学生時代に訪れた時と変わらない。あの頃、僕はこの国の厳格さと人工的な清潔さに息苦しさを覚え、「もう二度と来ることはない」と思った。だが、社会人になって三度目の来訪だ。仕事だから、と割り切るには、あまりにも多くの感情が胸の奥に沈殿していた。
2年に1度、研修と視察で東南アジアを訪れる。4人のグループだが、他の3人は視察だけで済む。僕だけが通訳を務め、現地レポートまで任される。しかも提出は翌日、英語で。他のメンバーがオーチャード・ロードで買い物を楽しんでいる間も、僕はホテルのデスクに向かい、パソコンの光だけを頼りに文章をまとめる。ホテルの窓からオーチャード・ロードの灯りを眺めながら、ため息をついた。
今回の旅程はさらに過酷だった。4日間の滞在のあと、ロサンゼルスでプレゼンし、もう一度シンガポールに戻るという強行日程。2度目は簡単な報告だけで、用件は半日で足りる。残りは自由にバカンスに充てて良いというのが唯一の救いだった。だが、その「自由時間」をどう過ごすべきか、僕にはすぐには答えが出なかった。心のどこかに、ぽっかりと穴が空いていたからだ。
彼女とのことは、まだ胸の奥で生々しく疼いていた。
生活のすれ違いが続き、僕は焦りと苛立ちの中で「もうやめよう」と一方的に別れを告げた。
あの時の彼女の沈黙が、今も耳の奥に残っている。
携帯電話の連絡先を開くことすらできなかった。
仕事に逃げ込むようにして、僕はこの旅に出てきたのだ。
ようやくレポートを書き終え、夕食を兼ねて街を歩いた。学生時代に滞在しているので、迷う事なく行きたい場所にたどり着く。気分的には横浜を歩いているのと大差ない。雨期の2月なのに、夕焼けが綺麗だった。ラッフルズ像の向こうをシンガポール川がゆっくり流れていた。無性に海が見たくなった。
海は、いつだって僕の心を静かにしてくれる。
彼女と最後に海を見た日のことが、ふと脳裏をよぎる。
あの時、僕は何を守ろうとしていたのだろう。
ロスの空港に着いて、携帯電話の電源を入れると同時に電話が鳴った。タイミングが良すぎて、思わず苦笑した。旅行代理店の友人からで、バリ行きのチケットとホテルを確保した、とのこと。シンガポールで夕焼けを眺めていたら、無性に海が見たくなり、後半のバカンスは有給休暇を加えてバリ島で過ごすことにした。
仕事に追われているだけではなく、精神的に重くのしかかるものが僕を蝕んでいた。その解放のために、神話の島・バリへと想いをはせた。
ロサンゼルスには4日間の滞在だったが、時差と移動時間で日にちの感覚がおかしく、どうも時間を損している気分になる。ロスにいても事務所とホテルの往復だけでは、気分は刑務所の囚人に似ている。無秩序に組み立てられた世界が、軋みながら動いているような錯覚さえした。
そして何より、彼女の不在が、僕の世界から色を奪っていた。大事な存在を失ったことは、僕に大きな喪失感と空虚感を残していった。まるで抜け殻がとぼとぼ歩いているようだった。
街を歩いていても孤独だった。寂しくないが、僕がひとりである、と強く感じた。もし、風が人への便りを運ぶものであるなら、僕に宛てた風は吹いていなかった。ひどい孤独を抱えたまま、僕はガルーダに乗り込み、ングラ・ライへ飛び立つことを決めた。
職場の人間とはラックスで別れ、シンガポールへの報告書だけは書き上げて託した。これ以上召使い気分を味わいたくなかったので、飛行機もファーストクラスに座った。
インド洋の深い蒼色だけを思い浮かべて、ゆっくりと目を閉じた。海の向こうに、何かがあると信じたかった。失ったものの重さを抱えたままでも、前に進める場所があると、どこかで願っていた。
ロサンゼルスでの仕事を終え、再びシンガポールへ戻った。トランジットがチャンギ国際空港なのは皮肉としか言いようがないが、気持ちはもうバリ島へと到達していた。ガルーダ航空の機体が滑走路へ向かう。イヤホンを耳に当てる。何気なく機内オーディオを操作した。流れてきたのは、ケーナで始まる特徴的なイントロ。
東の海と西の海
その旋律は、失恋したばかりの僕の心に静かに寄り添ってくれた。
その歌詞をぼんやり聞きながら、僕は目を閉じた。
この旅が、僕の人生を大きく変えることになるとは、その時はまだ知らなかった。




