第7話:収益化と、加速する自立への足音
「……え。……うそ、でしょ?」
深夜のボロアパート。私はスマートフォンの画面を、指が痛くなるほど強くこすった。
画面に表示されているのは、活動を始めてから初めて振り込まれた、正式な『収益』の明細画面だ。
そこには、私の人生で見たこともないような、個人に支払われるにはあまりに大きな数字が躍っていた。
「……六十万、五千円……?」
私は呆然と呟き、そのままベッドの上に倒れ込んだ。
一ヶ月前まで、私は元夫の健二から「お前は俺がいなきゃ一円も稼げない無能だ」と毎日呪いのように言い聞かされていた。
洗濯物が溜まっているだけで、掃除機をかけるのが一日遅れただけで、私は「社会のゴミ」のような扱いを受けてきたのだ。
それが、どうだろう。
私はあの日から一度も、完璧な妻になんてなっていない。
相変わらず脱ぎっぱなしの靴下は部屋の隅に転がっているし、夜ご飯はコンビニのホットスナックで済ませている。
ただ、大好きなコーラを飲んで、自分の情けなさを笑い飛ばし、瀬戸さんに支えられながら声を出し続けた。
たったそれだけのことで、私は健二が毎日死にそうな顔をして稼いでいた月給を、たった一ヶ月で、しかも片手間で超えてしまったのだ。
「……あは、あはははは! 見たかクソ夫ー!!」
私は転がるように起き上がると、冷蔵庫からキンキンに冷えた一・五リットルのコーラを引っ張り出した。
キャップを捻ると、シュワリと心地よい音が弾ける。
「ケフっ……。……瀬戸さぁーん!!」
私はそのままの勢いで通話アプリを立ち上げ、瀬戸さんへとボイスチャットを繋げた。
今の私の脳内は、炭酸の泡以上に喜びで弾け飛んでいる。
『……山咲さん。その様子だと、明細を確認したようですね』
スピーカーから聞こえてきたのは、相変わらず冷静沈着な、けれどどこか保護者が子供を見守るような慈愛を含んだ声だった。
「瀬戸さん! 見てくれましたか!? 私、六十万ですよ! 六十万! これ、本物のお金なんですよね!? 明日になったら消えてたりしませんよね!?」
『……消えませんよ。それは君が、その「だらしない素顔」を晒し、多くの人を楽しませたことに対する正当な報酬です。……詐欺でも、石油王の気まぐれでもありません。君自身の価値です』
瀬戸さんの言葉は、いつも私の心の奥底にある「不安」を、理路整然と、それでいて優しく解かしていく。
「私……。掃除もできないし、こんなにだらしないのに……。六十万も貰っていいのかな。健二には、一円の価値もないって言われてたのに……」
『……何度も言わせないでください。掃除ができることと、人を楽しませる才能は別物です。君は、君にしかできない仕事をした。……まずは自分を褒めてあげなさい。……それと、そのお金で、前に私が言った空気清浄機を買いなさい。君の部屋のホコリは、もはやマイクのノイズとして無視できないレベルですからね』
「うっ、いじわる! でも……はい! 買います! 瀬戸さんに言われた通り、一番いいやつ買います!」
私はベッドの上で、足をバタバタさせて悶絶した。
何だろう、この感じ。
お金が手に入ったことへの喜びも大きいけれど、それ以上に、瀬戸さんが「君には価値がある」と、実績を添えて証明してくれたことが、何よりも誇らしい。
「瀬戸さん……。私、もっともっと有名になります! チャンネル登録者数が十万、五十万って増えて、私が億万長者になったら……瀬戸さんのこと、私が一生養ってあげますからね! もう編集なんてしなくていいです、私の隣で美味しいもの食べて笑ってればいいんです!」
炭酸の勢いに任せて、私は本気のアタックを仕掛けた。
通話の向こう側で、瀬戸さんがわずかに息を呑む気配がした。
『……はいはい。……プロポーズみたいな冗談は、素面の時に言いなさい。……今の君は、明らかに炭酸で頭が沸いています』
「冗談じゃないですよぉ! 瀬戸さん、声がちょっと震えてますよ!? もしかして、照れてます!? ねえ、照れてるんですよね!?」
『……うるさいです。……素材の準備ができたら連絡してください。おやすみなさい』
プツン、という無機質な切断音。
けれど、私は知っている。瀬戸さんは今、画面の向こう側で、きっと耳まで真っ赤にして動揺しているはずだ。
それを想像するだけで、私の胸は炭酸以上にシュワシュワと甘酸っぱい気持ちで満たされた。
◇
一方で。
かつて私が「家」と呼んでいた、都心の分譲マンション。
そこでは、私が去った後、思い描いていたはずの「バラ色の新生活」とは程遠い光景が広がっていた。
「……おい、結衣。このゴミ、いつ捨てるんだよ。リビングまで臭ってきてるぞ」
健二は、玄関に積み上げられた指定日を過ぎたゴミ袋を見つめ、苛立たしげに声を荒らげた。
だが、ソファに寝そべってスマートフォンを眺めていた結衣は、顔を上げることすらしない。
「えー、健二さんが捨ててよ。私、今日はネイルサロンに行って疲れてるの。……爪を傷つけたくないって、前も言ったでしょ?」
「……お前、飯はどうするんだ。仕事で疲れて帰ってきて、今日もスーパーの弁当か?」
「文句ばっかり。そんなに言うなら、健二さんが作ればいいじゃない。私、健二さんにお金があるから一緒にいるのよ? 家政婦になるために不倫したわけじゃないんだから」
結衣はそう言い放つと、プイと横を向いた。
不倫をしていた頃の彼女は、いつも完璧に着飾り、健二の話を「すごいですね」と微笑んで聞いてくれる女神のような存在だった。
だが、いざ一緒に暮らし始めてみれば、結衣はちあき以上に家事をせず、それどころか健二の年収を自分のブランドバッグや美容代として使い果たす、恐るべき浪費家だったのだ。
「……ちあきなら、こんな時でも……」
健二は、言いかけて言葉を飲み込んだ。
かつての妻、ちあき。
だらしなくて、頼りなくて、俺がいなきゃ何もできない無能だと思っていた女。
だが、彼女がいなくなった今の家は、掃除は行き届かず、食事は冷えた惣菜ばかり。結衣からは毎日、さらなる贅沢を要求される日々。
健二は、散らかったリビングのソファに深く沈み込み、激しい焦燥感に襲われていた。
何かがおかしい。
完璧な女性を選んだはずなのに。
無能な妻を切り捨てて、幸せを掴んだはずなのに。
彼が今手にしているのは、ちあきがいた頃よりも遥かに不自由で、殺伐とした「地獄」のような日常だった。
◇
翌日。
私は、瀬戸さんに勧められた最新式の空気清浄機を部屋に迎え入れた。
スタイリッシュなデザインの機械が、私のボロアパートの中で場違いなほど輝いている。
「ふふ、これでホコリ対策もバッチリ! 瀬戸さん、褒めてくれるかな」
私は鼻歌を歌いながら、新しい機材のセットアップを始めた。
だらしない私を、そのまま受け入れてくれる世界がある。
否定するのではなく、導いてくれる最高のパートナーがいる。
収益という「実績」を手にした私の足取りは、今までになく軽かった。
もう、あのマンションに帰りたいなんて一ミリも思わない。
私は、私のままで、トップへと駆け上がってみせる。
幸せの加速とともに、第一章は静かに、けれど確実に、最高のフィナーレへと向かい始めていた。
第7話をお読みいただきありがとうございます!
ついに手にした初収益。ちあきの「成り上がり」が実感を伴ってきました。
一方、元夫・健二側は、完璧だと思っていた不倫相手との生活がボロボロに……。自業自得の展開が始まっています。
だらしないままで、誰かの光になる。
そんなちあきの姿を、これからも瀬戸さんと一緒に見守っていただければ幸いです!
「ちあき、よく頑張った!」「健二側の地獄が最高!」と思っていただけましたら、
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