第3話:ビジネスパートナーとしての距離
「……え、うそ。……うそでしょ?」
配信終了のボタンを押した後、私はしばらくの間、モニターに表示された数字を凝視したまま動けなかった。
同時視聴者数、最大で 千五百人。
配信直後から増え続けるSNSのフォロワー数、そして鳴り止まない通知の音。
画面の中では、私の分身である銀髪美少女『琥珀ねね』が、最後にコーラを飲み干して「ケフっ」と可愛らしく(?)鳴らした瞬間のスクリーンショットが、驚くべき速さで拡散されていた。
「どうしよう……。私、なんてことを……」
炭酸の泡が脳から消えていくのと同時に、猛烈な「賢者タイム」ならぬ「絶望タイム」がやってきた。
初配信で何を話したか、断片的にしか覚えていない。
確か、不倫された話をボロボロ泣きながらして、元夫の脱ぎっぱなしのパンツがいかに腹立たしかったかを熱弁して、最後はコーラでゲップ……じゃなくて、可愛い音を出してしまった気がする。
「終わった。清楚系美少女モデルをあんなに汚して、瀬戸さんに怒られる……。違約金とか請求されたらどうしよう」
冷や汗が止まらない。
あんなに素敵なアバターを用意してくれた瀬戸さんに対して、私はとんでもない裏切りをしてしまったのではないか。
ブルブルと震えながら、私は通話アプリを立ち上げた。そこには、瀬戸さんからの「終わりましたね。通話できますか?」という短いメッセージが届いていた。
「は、はい……」
通話ボタンを押す指が震える。
スピーカーから聞こえてきたのは、いつもと変わらない、低くて冷徹なほど落ち着いた声だった。
『お疲れ様でした。山咲さん。……まずは深呼吸をしてください。心拍数が上がっているのが伝わってきますよ』
「瀬戸さん! ごめんなさい! 私、あんな……あんなめちゃくちゃな配信にしてしまって! アバターのイメージを壊しましたよね!? 今すぐ削除しますか? 謝罪動画出しますか!?」
パニック状態でまくしたてる私を、瀬戸さんの言葉が静かに遮った。
『落ち着いてください。なぜ謝る必要があるんですか? 配信は大成功です。……いえ、私の想像を遥かに超える最高の結果ですよ』
「……え?」
『現在、SNSでの反応をリアルタイムで分析していますが、ポジティブな意見が九割を超えています。「声とのギャップがすごい」「令和のリアルなサレ妻」「ズボラすぎて親近感が湧く」……。見てください、この数字を。君はたった一時間で、数千人の心を掴んだんです』
瀬戸さんが共有してくれた画面には、整理されたグラフやデータが並んでいた。
どのタイミングで視聴者が増え、どの発言でコメントが盛り上がったか。彼は配信中、私が泣き言を言っている間も、裏で冷静にすべての動きを記録し、分析していたのだ。
「でも、あんなにだらしない話を……。みんな、私のことを無能だって笑ってるんじゃ……」
『笑っている人もいるでしょう。ですが、それは侮蔑ではなく「共感」です。山咲さん、君は元夫に「だらしないから愛されない」と刷り込まれてきたようですが、それは間違いだ。完璧すぎる人間は、時に他人を疲れさせます。君のさらけ出した弱さは、同じように苦しんでいる人たちの「光」になったんですよ』
瀬戸さんの声は、どこまでも事務的だった。
感情に流されず、ただ事実を述べているだけのトーン。
それなのに、健二にずっと否定され続けてきた私の心の奥底が、じわりと温かくなるのを感じた。
『これからの運用について説明します。明日までに、アーカイブの切り抜き箇所を指定したスプレッドシートを送ります。君は、届いたファンアートへのリプライを……そうですね、まずは上位十人だけでいい。それ以上は、君のキャパシティを超えて部屋がさらに散らかる原因になりますから』
「う……。なんで部屋が散らかるってわかるんですか」
『君の性格なら、一つのことに集中すると周りが見えなくなるのは明白です。……それと、アンチコメントはすべて私がブロックします。君は一切見なくていい。仕事ですから、すべて私に任せてください』
瀬戸さんのマネジメントは完璧だった。
私が不安に思う隙さえ与えないほど、論理的で、迅速で、的確。
自分一人では到底処理できない情報の奔流を、彼は涼しい顔で――実際には顔は見えないけれど――すべて捌いてくれている。
「瀬戸さん……」
『何か?』
「本当に、ありがとうございます。私、瀬戸さんがいなかったら、今頃またコーラ飲んで泣き寝入りしてました。瀬戸さんは、私のヒーローみたいです」
ガラにもなく、少し感極まってしまった。
ネット越しの、名前すら知らないビジネスパートナー。
それでも、今の私にとって彼は、世界で唯一自分を肯定してくれる絶対的な味方に見えた。
少しの間、沈黙が流れた。
スピーカーの向こうで、瀬戸さんが小さく息を呑む音が聞こえた気がした。
『……ヒーローだなんて、大袈裟です。私はただ、君という素材の価値を最大化したいだけの、一人の編集者に過ぎません』
声のトーンは変わらない。
けれど、ほんの少しだけ、言葉の端が揺れたような気がしたのは、私の気のせいだろうか。
『今日はもう休んでください。コーラは一本までですよ。……では、おやすみなさい』
「あ、待って、瀬戸さ……」
私が呼びかける前に、プツンと無機質な音を立てて通話が切れた。
相変わらずの、ビジネスライクな壁。
一線を引いた、仕事上の付き合い。
私は、暗くなったモニターを見つめながら、ポツンと呟いた。
「……おやすみなさい、瀬戸さん」
胸の奥が、少しだけキュッとする。
これは、助けてもらった感謝の気持ち。
あるいは、頼りがいのあるプロへの尊敬。
そう自分に言い聞かせながら、私は散らかった部屋の真ん中で、幸せな疲れに身を任せた。
元夫に「無能」と言われた私が、今は誰かの「光」になろうとしている。
瀬戸さんという、見えない絆に支えられながら。
この時の私はまだ、仕事に徹しているはずの瀬戸さんが、通話を切った直後に顔を真っ赤にして、自分の机に突っ伏していることなんて、知る由もなかった。
第3話をお読みいただきありがとうございます!
配信の大成功と、それを支える瀬戸さんの「プロの仕事」回でした。
ちあきにとって瀬戸さんは、自分の弱さを価値に変えてくれた、まさに救世主のような存在ですね。
少しずつ縮まっていく(ようで、まだ壁がある)二人の距離感を楽しんでいただければ幸いです!
瀬戸さんの「仕事ですから」という冷たいようで温かいフォローにキュンときた方は……
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皆様の応援が、ズボラなちあきと世話焼きな瀬戸さんの物語を支える原動力になります!
次回の更新も楽しみにお待ちください!




