第29話:瀬戸さんの正体、あるいは「お屋敷」の洗礼
「……はえ? 瀬戸さんの、ご両親に、ご挨拶……?」
新居のふかふかのソファに寝そべり、一・五リットルのコーラをラッパ飲みしていた私は、瀬戸さんの言葉に、持っていたボトルを落としそうになった。
喉を通る炭酸が、一瞬だけ止まる。
「はい。正式に婚約した以上、一度私の実家へ顔を出しておくのが筋というものです。……ちあきさん、その口元のコーラを拭きなさい。……だらしないですよ」
瀬戸さんはそう言いながら、手際よく私の口元をティッシュで拭い、落ちそうになったボトルを回収した。
いつもの、過保護で完璧な「管理者」の仕草。
けれど、今日の彼の表情は、いつになく真剣だった。
「ひいいいっ! 無理です、無理ですよ瀬戸さん! 私のこんな……脱ぎっぱなしの靴下を瀬戸さんに拾わせてるような女が、瀬戸さんのご両親に会うなんて! 不敬罪で打ち首にされちゃいます!」
「……極端な想像はやめなさい。……ありのままでいいと言ったでしょう。君をそのように教育……いえ、管理してきたのは私なんですから」
瀬戸さんは、どこか意味深な微笑みを浮かべた。
私はその時、まだ知らなかった。
「瀬戸さん」という、今まで仕事のパートナーとして呼んでいたその名が、どれほど重い意味を持っているのかを。
◇
数日後。
瀬戸さんが用意した、見たこともないほど高級な黒塗りの車に揺られ、私たちは都内の閑静な高級住宅街へと向かっていた。
私は瀬戸さんに選んでもらった、上品な薄紫色のワンピースを着て、ガチガチに緊張していた。
「……ねえ、瀬戸さん。さっきから通る道、門構えが全部お城みたいなんですけど。……瀬戸さんの実家って、もしかして……」
「着きましたよ。……山咲さん、背筋を伸ばして。……顔が引き攣っていますよ」
車が停まったのは、歴史を感じさせる重厚な石造りの門の前だった。
広大な敷地の中に佇む、和洋折衷の美しい大邸宅。
門柱に刻まれていた名前を見て、私は三度見し、そのまま魂が抜けそうになった。
『瀬戸内』
「…………せ、瀬戸内!? あの、日本最大の広告代理店とクリエイティブ界を牛耳る、あの瀬戸内一族!? 瀬戸さん、本名『瀬戸内さん』だったんですか!?」
「……言ってませんでしたか。……仕事では煩わしいので、苗字を縮めて名乗っていただけです。……さあ、降りなさい。両親が待っています」
私は、震える足で車を降りた。
有能すぎる編集者だとは思っていた。
私をトップVチューバーに導く手腕は、確かにプロのそれだった。
けれど、まさか彼が、本物の「クリエイティブ界の王子様」だったなんて。
◇
通されたのは、何畳あるのかも分からないほど広い、静謐な応接間だった。
そこには、瀬戸さんをそのまま数十年後にしたような、厳格そうな父親と、着物を見事に着こなした上品な母親が座っていた。
私は緊張のあまり、挨拶の途中で噛み倒し、瀬戸さんの後ろに隠れるようにして震えていた。
完璧主義で知られる瀬戸内一族。
だらしない、掃除もできない、元サレ妻の私が受け入れられるはずがない。
「……一。……お前が、そこまで入れ込んでいる女性が、この方か」
父親の低い声が響く。
私は「終わった……」と目を閉じた。
だが、その瞬間。私の肩を、瀬戸さん……いえ、一さんの強い手が抱き寄せた。
「はい。……父上、母上。私が一生をかけて管理し、愛し抜くと決めた女性、山咲ちあきさんです。……彼女は、世間一般の基準から見れば、確かに『だらしない』かもしれません。掃除も満足にできず、油断すればすぐに部屋を散らかす」
「瀬戸さん! 親の前で暴露しないでくださいよぉ!」
私が小声で抗議すると、一さんは私の頭を軽く撫で、さらに言葉を続けた。
「……ですが。その不完全さこそが、今の私……そして、効率ばかりを追い求めてきた瀬戸内一族に必要な『光』なのです。彼女の出す声、彼女の笑う姿は、何十万という人の心を救っている。……そして何より、私自身が、彼女を甘やかし、世話を焼くことに、これ以上のない幸福を感じています。……彼女の価値は、私が一生をかけて保証します」
部屋が、静まり返った。
私は、一さんの言葉の熱に、涙が出そうになった。
だらしない私を、「価値がある」と言い切ってくれる。
こんな立派な両親の前で、私の欠点ごと愛していると宣言してくれる。
すると、それまで無表情だった父親が、ふっと口角を上げた。
「……ふん。一が、これほど感情を露わにするとはな。……山咲さんと言ったか。……この息子は昔から可愛げのない、精密機械のような子供だった。……それを、これほどまでに『人間』に変えてくれたのがあなたなら、我々に文句はない。……息子を、よろしくお願いします」
「え……。あ、はい! よろしくお願いします!」
「……ちあきさん。一に掃除をさせるのは、瀬戸内家の伝統みたいなものですから。……遠慮なく、これからも彼を使い走らせてくださいね」
母親が優しく微笑み、場が一気に和やかになった。
瀬戸内家の人々は、冷徹な一族などではなく、むしろ瀬戸さんを立派に育て上げた、温かい「管理者」の家系だったのだ。
◇
帰りの車内。私は緊張の糸が切れて、座席に深く沈み込んでいた。
「ケフっ……。……あー、緊張したぁ……」
私は、瀬戸さんが用意してくれていた冷たいコーラを一口飲み、小さく震える音を漏らした。
炭酸が脳に回り、心地よい多幸感が体を包み込む。
「瀬戸さん。……あ、もう一さんって呼んだ方がいいのかな。……ありがとうございました。私、本当に幸せです」
「……今まで通りでいいですよ。……君を、私の家族として認めてもらえて、私も安心しました」
瀬戸さんは、運転しながらも、左手で私の手を優しく握った。
「瀬戸さん……。私、瀬戸さんの奥さんになる実感が、今、すごく湧いてきました。……私、もっともっとだらしなくなっちゃうかもしれませんけど、覚悟してくださいね?」
『……はいはい。……君のだらしなさは、世界中で私一人だけが許容します。……だから、一生私の隣で、笑っていなさい』
瀬戸さんの横顔が、街灯の光に照らされて赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
エリート一族の王子様。
そんなハイスペックな彼が、世界で一番大切にしているのが、私という「だらしないサレ妻」だという事実。
過去の絶望は、今、本物の「物語」のような幸福によって、完全に塗りつぶされた。
私たちは、夜の街を駆け抜けながら、これから始まる「最高のウェディング」への階段を一歩ずつ、確かに登り始めていた。
第29話をお読みいただき、ありがとうございます!
瀬戸さんの驚愕の正体……まさかの名門・瀬戸内一族の御曹司でした!
完璧主義の一族だからこそ、だらしないちあきが「癒やし」として受け入れられる展開、いかがでしたでしょうか。
一さんの「彼女を管理することが私の幸福」という宣言、最高に「てぇてぇ」ですよね!
これで家族の公認も得て、障害は何もなくなりました。
「瀬戸さんの王子様っぷり、もっと見たい!」「ちあき、本物のシンデレラだ!」と思ってくださいましたら、
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皆様の星が、二人のウェディング配信を豪華に彩る炭酸になります!
よろしくお願いいたします!




