第28話:地獄の底の「再会」
「……はぁ。瀬戸さん、夜風が気持ちいいですね」
新居の広いベランダ。都心の夜景を一望できる特等席で、私は瀬戸さんが淹れてくれた温かいハーブティーを口にした。
かつてボロアパートの窓から見上げていた星は、いつもどこか遠くて冷たかった。けれど、今隣にいる瀬戸さんの体温を感じながら眺める夜空は、驚くほど優しく私を包み込んでくれている。
「山咲さん。……あまり身を乗り出さないように。風邪を引いたら明日の収録に響きますよ」
瀬戸さんはそう言いながら、私の肩にふわりとブランケットをかけてくれた。
過保護で、世話焼きで、私のことを誰よりも大切に思ってくれる最高の「管理者」。
「瀬戸さん。私、今が人生で一番幸せです。……だらしない私のままで、こんなに素敵な場所にいられるなんて、全部瀬戸さんのおかげです」
私が真っ直ぐに彼を見つめると、瀬戸さんは眼鏡の奥の瞳を少しだけ細め、私の頭を優しく撫でた。
「……君の素材が良かっただけです。……さあ、冷えないうちに中に入りましょう。……君の健康を管理するのも、私の最優先事項ですから」
幸せな熱気が充満する私たちの家。
だが、その光り輝く世界の真下――。
どん底という名の地獄では、全く別の景色が広がっていた。
◇
湿った空気と、油の臭いが充満する工事現場。
健二は泥に汚れた作業着のまま、力なく地面に座り込んでいた。
かつてのエリートサラリーマンとしての面影はどこにもない。不祥事で職を失い、莫大な賠償金を抱えた彼に残されたのは、日雇いの重労働だけで食い繋ぐ惨めな毎日だった。
「……クソ。なんで俺が、こんな……」
ひび割れた指先で、安物のパンを口に運ぶ。
その時、ふと見上げた街の巨大な街頭ビジョンに、見覚えのある銀髪の美少女が映し出された。
【琥珀ねね、大手飲料メーカー・アンバサダー就任! 新CM公開!】
画面の中で、眩しいほどの笑顔でコーラを掲げる『琥珀ねね』。
その横には、マネジメント担当として(顔こそ映らないものの)洗練されたオーラを纏った「誰か」が彼女をエスコートしている。
「……ちあき。……あいつ、あんなに……っ」
喉の奥から、血が混じったような呻きが漏れた。
かつて自分が「ゴミ」のように捨てた女。
掃除もできない無能だと、一円の価値もないと罵り続けた、あの女。
その彼女が、今や国中から愛されるスターになり、自分とは比較にならないほどの富と、そして自分には一生与えられなかった「真実の愛」を手にしている。
激しい後悔と、ドロドロとした嫉妬が健二の胸を焼き尽くす。
だが、彼にできるのは、ただ汚れた拳を地面に叩きつけることだけだった。
◇
その日の深夜。仕事を終えた健二が、家賃滞納で追い出されそうな駅前のボロアパートへと向かっていたときだ。
街灯の壊れた暗い路地裏で、彼は一人の女と、それを取り囲む数人の男たちの姿を目にした。
「待ってください! お金なら必ず返します! だから、これ以上は……っ!」
聞き覚えのある、けれどかつての艶やかさを失った、金切り声。
そこにいたのは、結衣だった。
別の男に乗り換えて逃げ出したはずの彼女だったが、その男にも裏切られ、今や複数の消費者金融から追われる身となっていた。
かつての「完璧な美貌」はストレスと不摂生で崩れ去り、着ている服も、どこかのリサイクルショップで拾ったような安物だ。
「……結衣? お前、こんなところで何してるんだ」
健二の問いかけに、結衣が弾かれたように振り返った。
かつて「運命の相手」と呼び合った二人が、最悪の場所で、最悪の再会を果たした。
「……健二さん? ……あ、あはは! なんだ、あんたもそんなに落ちぶれたのね! エリート気取ってたクセに、結局ただのドカタじゃない!」
「黙れ! お前が俺の金を使い果たして、不倫なんて持ちかけなきゃ、俺は今でも……っ!」
「あんたがちあきさんの価値に気づかなかったのが悪いのよ! ……ねえ、見た!? あの女、今じゃ億万長者よ! 私たちが泥水を啜ってる間に、あのズボラ女は贅沢三昧よ! ムカつくわ、殺してやりたい!」
「お前のせいで、俺はアイツを失ったんだ! ……返せ! 俺の人生を返せ!!」
二人は、通行人の冷ややかな視線も気にせず、野良犬のように激しく罵り合った。
だが、どれだけお互いに責任をなすりつけ合っても、失ったものは二度と戻らない。
その時、二人の頭上のモニターで、再び琥珀ねねのCMが流れた。
『みんな、今日も生きてるだけで偉いよ! ……ケフっ。あは、コーラうまっ!』
画面の中で、無垢に笑うちあきの声。
その一点の曇りもない多幸感が、地獄に堕ちた二人の心に、残酷なまでの「敗北」を突きつける。
足掻いても、叫んでも、もう彼女の視界に自分たちが映ることはない。
健二と結衣は、戦う気力すら失い、そのままゴミが散乱する路地裏に崩れ落ちた。
自分たちがドブに捨てた「幸せ」の巨大さを、永遠に続く絶望の中で噛み締めながら。
◇
一方で。
ベランダから部屋に戻った私は、瀬戸さんに抱き寄せられながら、ソファで幸せなまどろみの中にいた。
「瀬戸さん……。明日も、明後日も、ずっと私の隣にいてくれますか?」
「……当たり前でしょう。……君の管理は、一生終わらないと言ったはずです」
瀬戸さんの低い声が、最高に甘い子守歌になって私の胸を満たす。
だらしない私を、そのまま受け入れてくれる世界。
愛する人の腕の中という、最も安全な聖域。
私たちは、過去の亡霊が沈んでいく音など気づくこともなく。
ただ、輝かしい明日に向かって、静かに瞳を閉じた。
第28話をお読みいただき、ありがとうございます!
健二と結衣の「地獄の底での再会」……。かつてちあきを苦しめた二人が、お互いを罵り合いながら破滅していく姿に、最高の「スカッと」を感じていただければ幸いです!
幸せな新生活を送るちあき・瀬戸さんペアと、ゴミ溜めで争うクズカップルの対比。
これこそが「ざまぁ」の醍醐味ですね。
「二人の末路、メシウマ!」「瀬戸さんのブランケットがけ、尊い……」と思ってくださいましたら、
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皆様の星が、二人のウェディングへのカウントダウンを加速させます!
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