第21話:直接対決! 縋り付くクズ男
嵐の前の静けさ、という言葉をこれほど痛感した夜はなかった。
瀬戸さんがお泊まりを始めてから数日。私の部屋には、彼が用意してくれた最新の機材と、そして彼自身の気配が満ちている。
「山咲さん、今日はもう部屋の奥で休んでいなさい。……何があっても、私が許可するまで出てきてはいけませんよ」
瀬戸さんの声は、いつになく低く、冷徹だった。
彼は玄関のドアを見据えたまま、一歩も動かずに立っている。その背中は、どんな嵐からも私を守り抜く鉄壁の盾のように見えた。
私は、彼の言葉に従ってクローゼットの横に小さく座り込んだ。
怖い。けれど、瀬戸さんが扉の前にいてくれる。その事実だけで、私は震える指先を自分の胸に当てて、深く呼吸をすることができた。
――ドンドンドンドン!!
突如として、アパートの薄いドアが激しく叩かれた。
心臓が跳ね上がる。かつての私なら、この音だけで呼吸ができなくなっていただろう。
「ちあき! 開けろ! そこにいるんだろ! 俺だ、健二だ!」
聞き慣れた、けれど今や不快感しか呼び起こさない濁った声。
健二の叫び声が、静かな夜のアパートに響き渡る。
「おい! 隠れてこんな贅沢しやがって! あの高級機材はなんだ! お前、どこでそんな金を手に入れたんだよ! ……どうせ悪いことでもしてるんだろ、俺が元の鞘に収まってやるから、その金をよこせ! それが夫だった俺への誠意だろ!」
◇
ガチャリ、と。
瀬戸さんが静かにドアの鍵を開け、扉を外へと押し広げた。
「……ッ、ちあき! やっと……え、誰だ、お前」
勢い込んで踏み込もうとした健二が、玄関先に立つ長身の男を見て、言葉を失った。
瀬戸さんは、知的な眼鏡の奥で氷のような瞳を光らせ、健二を見下ろしていた。
仕立ての良いシャツを着こなし、清潔感と圧倒的な知性を漂わせる瀬戸さんと。
酒の臭いをさせ、髪はボサボサ、借金に追われて顔をやつれさせた健二。
そこには、一目でわかるほどの「残酷な格差」が存在していた。
「……山咲ちあきさんの代理人です。夜分に騒音を撒き散らすのは、近所迷惑ですのでお控えいただけますか?」
「だ、代理人ぃ? ふざけるな、お前、ちあきの新しい男か! アイツは俺の所有物だ! 俺がいないと何もできない女なんだよ! その女が稼いだ金は、実質俺の金なんだ!」
健二は瀬戸さんの圧倒的なオーラに怯みながらも、必死に虚勢を張って怒鳴り散らす。
瀬戸さんは、そんな健二を汚いゴミを見るような目で見つめ、手元にあったタブレットを操作した。
「……真壁健二さん。現在、あなたは不倫相手とのトラブルにより多額の債務を抱え、勤務先でも不祥事が発覚して退職勧告を受けているようですね。さらに、山咲さんのご実家への執拗な接触は、法的にストーカー行為として立件可能です。……この場で警察を呼びますが、よろしいですか?」
「な、なんだと……なんで、そんなことまで……」
瀬戸さんの冷徹な論理攻めに、健二の顔が急速に青ざめていく。
彼は、目の前の男が自分とは住む世界が違う「本物の有能」であることを、ようやく理解し始めていた。
◇
論理で勝てないと悟った健二は、今度は情けないほどに崩れ落ちた。
玄関の床に這いつくばり、開いたドアの隙間から部屋の奥に向かって叫び始める。
「ちあき……! ちあき、悪かった! 俺にはお前しかいないんだ! あの女には裏切られた、俺を本当に愛してくれたのはお前だけだったんだ! この男に騙されるな、俺たちの愛を思い出してくれ! 頼む、助けてくれよぉ!」
かつての私なら、この「泣き落とし」に絆されていたかもしれない。
自分を必要だと言ってくれる言葉に、自分の価値を見出そうとしていたから。
けれど、今の私は違う。
私は、部屋の奥からゆっくりと立ち上がり、瀬戸さんの隣へと歩み寄った。
瀬戸さんは私の肩を優しく、けれどしっかりと抱き寄せ、その体温で私を支えてくれた。
「……瀬戸さん。少しだけ、話をしてもいいですか?」
私の静かな言葉に、瀬戸さんは一瞬心配そうに私を見たが、私の瞳にある強い光を見て、小さく頷いた。
「……わかりました。私がついていますから」
私は、床に這いつくばる健二を見下ろした。
かつてあれほど怖かった、私の世界のすべてだった男。
それが今、あまりにも惨めで、醜くて……何より、隣にいる瀬戸さんに比べて、あまりにも「どうでもいい存在」に見えた。
「健二……」
私の呼びかけに、健二が希望を見出したような卑屈な笑顔を見せる。
私は、瀬戸さんの温かい腕の力を借りながら。
あの日、炭酸の泡と一緒に飲み込んだすべての感情を込めて、唇を開いた。
第21話をお読みいただき、ありがとうございます!
ついにクズ夫・健二との直接対決! 瀬戸さんの圧倒的なハイスペックぶりによる「公開処刑」回でした。
這いつくばって泣きつく健二と、それを冷静に見下ろす瀬戸さんの対比……スカッとしていただけましたでしょうか。
「瀬戸さんの論破、最高!」「ちあき、よく前に出た!」と思ってくださいましたら、
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