EP.3-13 芽吹く勇気
皆さん、こんにちは!Time Bombです!
本日は一つ告知があります!
シルバーウィークということで、特別に連休中にもう1話更新します!
今回はゴールデンウィークのような追加エピソードではなく、そのまま本編を更新します!
更新日は9/22(火)の18時!EP.3-14を投稿します!
いつもより少し早く、瑞葵たちの物語の続きをお届けします!
シルバーウィーク中も『Abyss Trigger ーーSecret Xーー』をどうぞよろしくお願いします!
観客たちの視線が、自然と瑞葵へ集まっていく。
右手を上げたままの瑞葵の身体は、はっきり分かるほど震えていた。
強がってはいる。
けれど、その表情から緊張が消えていないのは誰の目にも明らかだった。
「お! いいね。 新参者かな!」
司会の女が面白がるように声を張る。
ゴン「いいよ。 やろうよ」
リングの中央で腕を回していたゴンが、にやりと笑った。
「それじゃあ、こっちへおいで」
瑞葵は喉の奥の渇きを飲み込みながら、ゆっくりとリングへ向かった。
途中でもえこが慌てたように腕を掴みかける。
もえ「ちょ、ちょっと本気?」
瑞葵「う、うん……」
もえ「お金ならもっと違う方法で稼げるのだってあるんだよ。 顔に怪我でもしたらどうすんの」
瑞葵「ありがとう。 でも、大丈夫」
口ではそう言ったが、自分でも何が“大丈夫”なのか分からなかった。
瑞葵 (やるしかない……)
守られるだけでは駄目だ。
もう、後ろで見ているだけじゃいけない。
自分も夏月たちに認めてもらいたい。
役に立てると思ってもらいたい。
その思いが、瑞葵をリングの中へ押し出していた。
ロープをくぐって上がると、リングの中央で司会の女が楽しそうに手を叩く。
「それじゃあ、両者まずは握手ー」
ゴンはずんずんと近づいてきて、瑞葵の前で立ち止まった。
近くで見ると、やはり大きい。
肩幅も、腕の太さも、自分よりひと回り上だ。
年齢もたぶん上だろう。
リングの上に立った瞬間、体格差がやけに生々しく見えた。
ゴン「かわいい顔してんじゃん」
瑞葵「え? あ、ありがとうございます……」
「君、顔はかわいいのに声は男よりね」
瑞葵(!)
心臓が跳ねる。
だがゴンはそのことには大して興味がないらしかった。
瑞葵より、早く戦いたくて仕方がないといった様子で、司会の女に顎をしゃくる。
ゴン「早くやろうよ」
「はいはい。 それじゃあ、いくよ」
乾いた金属音が、会場に鳴り響いた。
カーン、という音が耳に刺さる。
ゴン「へへへ、遠慮はいらないからね」
瑞葵「わ、分かりました」
ファイティングポーズを取ったものの、腕が重かった。
見た目からしてゴンは自分より年上だ。
おまけに身長もある。
体格差は、リングに立った瞬間から嫌でも分かる。
小柄な瑞葵に対し、ゴンは見るからに恵まれた体格をしていた。
脚も太い。
肩も強い。
真正面からぶつかったら、それだけで吹き飛ばされそうな気がする。
瑞葵(怖い……)
それでも目は逸らさない。
ゴンはすぐには動かなかった。
じっとこちらを見ている。
待っているのだ。こっちがどう出るかを。
瑞葵 (どうする。 どう動けばいいんだ)
緊張で頭の中が白くなりかける。
脳に血が上らないような、逆に熱が集まりすぎて思考が鈍るような、嫌な感覚だった。
それでも必死に考える。
瑞葵 (そういえば……)
以前のトレーニングで、稔が同じように動かなかった場面を思い出す。
あの時も、相手が来ると思って一瞬視線を泳がせた。
それだけで、稔は距離を詰めてきた。
足を取られた。
呼吸も、判断も、全部遅れた。
瑞葵 (それなら……)
やることは一つだ。
目を離さない。
視線を切らない。
余計なことを考えない。
ゴン「どうした? いかないの?」
観客からは「早く始めろ!」、「ビビってんのか!」と野次が飛ぶ。
けれど瑞葵は、それらをできる限り耳に入れないようにした。
今、自分が見るべきなのはゴンだけだ。
ゴンの肩。
腰。
足の向き。
拳の位置。
ゴン「はぁ……せっかく待ってあげたのにね」
その一言と同時に、ゴンが一気に距離を詰めた。
顔面へ向かって真っ直ぐ飛んでくる一発。
だが瑞葵は反応できた。
ほんの僅かに頭をずらし、紙一重でかわす。
ゴン「へえ、いいね」
すぐに次。
顔。
ボディ。
顔。
今度はリズムを変えて、左、右、下。
ゴンは連続で攻撃してくる。
瑞葵はそれをひたすらガードした。
腕に衝撃が走る。
肩に響く。
でも、受けられないほどではない。
稔とのトレーニングに比べると、ゴンのスピードは緩やかだった。
見える。
追える。
交わすのも、受けるのもまだできる。
しかも、稔の重い打撃を経験しているぶん、ゴンのパンチは見た目ほど重く感じなかった。
瑞葵(いけるかもしれない!)
その一瞬だけ、希望が頭をよぎる。
ゴンが連続攻撃で前のめりになった隙をついて、瑞葵は腹部へ向かって拳を突き出した。
鈍い感触。
ゴンの体が大きく揺れる。
片膝が床につきかけ、会場の空気が一瞬だけ止まった。
「おー! これはすごい。 ゴンちゃんに一発入れたぞ!」
司会の女が興奮したように叫ぶ。
さっきまで瑞葵を笑っていた観客の一部が、今度は面白がるように歓声を上げ始めた。
「やれんじゃん!」
「ルーキーいいぞ!」
「ゴンちゃん押されてんじゃん!」
リングの熱が、一気に自分へ向く。
瑞葵はファイティングポーズを崩さず、視線をゴンから外さなかった。
ゴンの顔から一瞬だけ余裕が消えている。
さっきまでの笑みは消え、目の奥に苛立ちと警戒が混ざった色が浮かんでいた。
瑞葵(よし! このまま押せば……)
そこで、はっとする。
違う。
今回の目的は勝ち負けじゃない。
リングの向こう。
ゴンの後ろ。
その先には厨房裏がある。
夏月のために時間を稼ぐこと。
それが一番の目的だ。
もしここでゴンに勝ってしまったら、次の挑戦者がすぐ現れなければ試合は終わる。
それでは意味がない。
ここは、なんとしてでも試合を終わらせてはいけない。
ゴン「うるさい!」
ゴンの怒号ひとつで、会場は一気に静まり返った。
ゴン「いい気になるなよ」
ゴン「そんなにこいつに期待してるなら、潰してやるよ」
そう吐き捨てると、ゴンは司会の足元に置かれていたパイプ椅子をひったくる。
瑞葵「え! ちょっとこれって」
「ルール無用だから、なんでもありだよ」
司会の女は肩をすくめるだけだった。
その軽さに、背筋が冷える。
ゴンはそのままパイプ椅子を振り回し始めた。
狭いリングの中でそんなものを使われれば、避けるだけでもかなり神経を削られる。
瑞葵はなんとか一歩ずつ下がり、身をひねり、椅子の軌道から逃れる。
だが、その間にも観客の空気は変わっていく。
さっきまで自分を持ち上げていた歓声が、徐々に不満混じりの野次へ変わっていった。
「また逃げてんのかよ!」
「つまんねー!」
「やる気あんの?」
会場そのものが、瑞葵の時間稼ぎを許さない。
「ちょっと、ルーキー!」
ついに司会の女から声が飛ぶ。
「逃げてばっかじゃつまんないよ。 勝つ気がないなら降りな。 次、回せないでしょ?」
瑞葵(そうは言ったって……)
目的を言えるはずがない。
ここで時間を稼ぎたいから、なんて言った瞬間に全部終わる。
その時だった。
司会の方へ一瞬だけ意識を取られたその隙に、ゴンがパイプ椅子を思い切り振り抜いた。
瑞葵「うわ!」
瞬時に身を捻って直撃だけは避けた。
だが無理な体勢でかわしたせいで、前かがみに大きく崩れる。
その一瞬の乱れを、ゴンは逃さなかった。
背後から一気に覆いかぶさる。
うつ伏せになった瑞葵の背中へ、ゴンは迷いなく跨った。
瑞葵「っ……!」
そこから体勢を入れ替えられる。
仰向けにされた瞬間、身体がぞっとした。
逃げなきゃいけない。
そう思うのに、体格差がありすぎて上手く抜けられない。
ゴンの腕が首に絡む。
息が詰まる。
瑞葵「グッ………あっ………」
さらに、ガラ空きになった腹へエルボが落ちてきた。
瑞葵「グハ!」
鈍い痛みが腹の奥をえぐる。
けれどゴンは止まらない。
一発。
もう一発。
さらにもう一発。
仰向けのまま拘束されているせいで、腹筋に力を入れることもできない。打たれるたびに、内臓が揺さぶられるようだった。
瑞葵(く、苦しい……いたい……)
吐き気が込み上げる。
呼吸もうまくできない。
目の前がじわじわ滲む。
それでも。
それでも、ここで落ちるわけにはいかなかった。
瑞葵(気を失ったら終わりだ……)
夏月が必死に頑張っている。
頼りない自分のせいで、夏月一人が危ない場所へ入っている。
今ここで自分が落ちたら、その時間すら奪ってしまう。
瑞葵(なんとしてでも耐えなきゃいけない)
大声で威嚇するように息を吐き、少しでもゴンを怯ませようとする。
けれど、ゴンはまったく怯まない。
むしろ楽しそうに、さらに腹へ肘を落としてきた。
ゴン「ほら、どうしたの? さっきの勢いは?」
観客が笑う。
その笑い声が、頭の奥で嫌に響いた。
ここでは、耐えることすら見世物になる。
痛がるのも、苦しむのも、全部誰かの退屈しのぎだ。
それでも、時間を稼がないといけない。
夏月が戻ってくる、その瞬間まで。
ただ、その一つだけを頭の中で繰り返しながら、瑞葵は歯を食いしばった。
首に回された腕は外れない。
腹に落ちてくるエルボのたびに、身体の奥が軋む。息を吸おうとしても上手く入らず、喉の奥でひゅう、と掠れた音が鳴るばかりだった。
それでも、目だけは閉じない。
閉じたら、そのまま意識まで落ちそうだった。
ゴン「ほら、どうしたの? さっきはもっと元気だったじゃん」
楽しげな声だった。
周りからも笑い声が飛ぶ。
「もう終わりじゃん!」
「ルーキー弱っ!」
「かわいい顔してその程度かよ!」
さっきまで歓声を上げていた観客たちは、もう飽き始めていた。
それが分かる。
だからこそ、ここで倒れたら終わる。
試合も。
時間稼ぎも。
夏月が動く時間も。
瑞葵 (まだ……まだ……)
腕を動かそうとしても上手く力が入らない。
拘束を外すには、少なくとも腰をずらす必要がある。
だがゴンの体重と腕力が、それをまったく許さない。
それでも諦めるわけにはいかなかった。
首を少しでも守ろうと顎を引く。
腹への衝撃を逃がそうと、ほんの僅かに体を捻る。
小さな抵抗だった。
焼け石に水みたいなものだ。
それでも、何もしないよりはましだった。
瑞葵(稔さんなら……)
不意に、トレーニングルームでの稔の言葉が頭をよぎる。
――恐怖を理由に目を逸らすな。
――それじゃ守れない。
今の自分は守れているのか。
守れてなんかいない。
ただ押さえつけられているだけだ。
でも、目は逸らしていない。
苦しくても、痛くても、ここで気を失わないことだけは諦めていない。
ゴン「しぶといな!」
苛立ったようにゴンが吐き捨て、また腹へ強い一撃を落とす。
瑞葵「ッ……!」
視界が白く弾けた。
胃の奥が大きく波打つ。
さっきから込み上げていたものが、いよいよ抑えきれなくなってきていた。
喉の奥が熱い。
口の中に酸っぱい液がせり上がる。
瑞葵 (だめだ……)
吐きそうになる。
でも、ここで吐いたら。
そんな考えが一瞬浮かんだ時、リングの外、観客の向こうに見慣れた姿が見えた。
瑞葵(夏月……!)
夏月だ。
姿勢を低くしたまま人混みを抜けて、リングの方を見上げている。
顔色は悪い。
けれど、その目だけははっきりとこちらを捉えていた。
戻ってきた。
その事実だけで、胸の奥に残っていた最後の力がかすかに燃えた。
しかし、再び腹部に強烈なエルボが落ちる。
瑞葵(やるしかない!)
もう、まともに反撃できる力は残っていない。
それでも、このまま一方的に潰されるわけにはいかなかった。
瑞葵は首を無理やり捻り、ゴンの顔へ向かって込み上げていたものを一気に吐き出した。
ゴン「いやあああぁぁあああ!」
拘束していた体から、ようやく力が抜ける。
その隙を逃さず、瑞葵は残った力を振り絞って身体を捻り、拘束から抜け出した。
肩が軋み、腹に激痛が走る。
それでも倒れたままではいられない。
ゴン「てめえ! 殺す!」
瑞葵「うわああああああ!」
瑞葵は声を荒げ、拳を握りしめてゴンへ突進した。
拳はゴンの腹部へ直撃する。
だが、体力の尽きた今の瑞葵の一撃は、ゴンにとってほとんど痛みになっていなかった。
その代わりに、ゴンの拳が瑞葵の頬を真正面から打ち抜く。
視界が大きく揺れた。
リングの照明がぐにゃりと歪む。
身体から一気に力が抜けていくのが分かった。
起き上がろうとしたはずなのに、指一本まともに動かない。
ゴン「終わり?」
瑞葵は答えられない。
声を出す力すら残っていなかった。
「はーい、ここでストップ! 勝者、ゴンちゃーん!」
司会の女が高らかに叫ぶ。
歓声が響く。
けれどそれは、勝負の決着を喜ぶ声というより、“やっと終わった”という空気に近かった。
ゴンは満足そうに両手を上げる。
観客たちはまた好き勝手な声を飛ばしている。
「結局こうなるんじゃん!」
「最初だけだったな!」
「顔はかわいかったのにねー!」
そんな声が、遠くで鳴っている気がした。
リングの床は冷たい。
視界はぼやけて、音も少し遅れて聞こえる。
身体は重く、腹の奥は焼けるように痛い。
それでも、意識が完全に落ちる前に、ひとつだけ思った。
瑞葵(……間に合ったかな……)
その時、リング脇へ近づいてきたコロシアムのスタッフが、倒れた瑞葵の腕を乱暴に掴んだ。
「次の試合の邪魔だからどかして」
床を引きずられそうになった、その瞬間。
夏月「私が引き取るから、この子に触らないで」
低い声だった。
けれど、ぴたりと空気を止めるような鋭さがあった。
スタッフが顔を上げる。
そこには、リング際まで来ていた夏月が立っていた。
いつもの冷静な顔に見えるのに、その目だけがひどく冷えている。
「は? なんだ、お前」
夏月「聞こえなかった? 私が引き取るって言ったの」
夏月はリングへ上がると、スタッフの手を乱暴に振り払った。
そのまましゃがみ込み、瑞葵の肩へ手を添える。
呼吸はある。
意識は薄いが、完全には飛んでいない。
腹部に強いダメージを受けているのは見て分かった。マスクの奥の顔色もひどく悪い。
夏月 (……バカ)
心の中でそう吐き捨てる。
けれど、その言葉は怒りだけではなかった。
自分のわがままで、こんなところまで追い込んだ。
その事実の方が、ずっと重くのしかかっていた。
ゴン「なに、その子の知り合い?」
ゴンがリングの端から面白そうに声をかけてくる。
夏月は顔だけを上げて、ゴンを見る。
夏月「……そうだよ」
ゴン「ふーん。 なら持って帰れば? もう動けなさそうだし」
悪びれた様子もない。
この場所では、勝った者が正しく、負けた者はただ片づけられるだけなのだと、改めて思い知らされる。
夏月はそれ以上何も言わなかった。
言ったところで意味がない。
今はここで騒ぐより、瑞葵をこの場から連れ出すことの方が先だ。
夏月は瑞葵の腕を自分の肩へ回し、なんとか立たせようとする。
瑞葵「……なつ、き……」
掠れた声が、耳元でこぼれた。
夏月「喋らないで」
思った以上にきつい声が出た。
けれど今の瑞葵には、それ以上余計な動きをしてほしくなかった。
「おいおい、ルーキーに優しいじゃん」
観客の誰かが茶化すように笑う。
夏月は無視した。
そんな声に構っていられる余裕なんて、もうどこにもなかった。
リングを降りる。
視線が刺さる。
観客の間を抜けるたび、笑い声も、茶化しも、全部が耳に届く。けれど振り返らない。
気にしたら負けだと分かっていた。
今はただ、瑞葵の身体がずり落ちないよう支えることだけに集中する。
出口へ向かう頃には、会場の興味はすでに別のところへ移り始めていた。
誰かがゴンに次の勝負をけしかけている。
司会の女もまた、新しい煽り文句を叫んでいる。
さっきまで瑞葵がそこで潰されかけていたことなんて、もうどうでもいいらしい。
最後まで、最低な場所だった。
次回予告
「ごめん……私が泣くなんてダメなのに……」
任務を終えた、西横の夜。
傷ついた瑞葵の隣で、夏月の張り詰めていた感情がこぼれ出す。
「認めてもらいたい」
その気持ちを抱えていたのは、夏月だけではなかった。
初めて知る、瑞葵の本当の想い。
二人きりだからこそ交わせた言葉が、少しずつ二人の距離を変えていく――




