EP.3-6 6月21日
皆さん、こんにちは!Time Bombです!
早いもので、昨日から連載8か月目に突入しました!
先月もたくさんの方に
『Abyss Trigger ーーSecret Xーー』を読んでいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
8か月目も、皆様に「この作品を読むことが楽しみの一つ」と思っていただけるよう、精一杯頑張っていきます!
引き続き、瑞葵たちの物語をよろしくお願いいたします。
そして、新作『Summer Friend』も昨日から連載を開始しました!
8月限定でお届けする、夏の物語です。
ぜひ、そちらもあわせて楽しんでいただけると嬉しいです!
目が覚めた瞬間、今日が何日なのか分かった。
時計を見るまでもない。
カレンダーを確認する必要もない。
身体の方が先に覚えている。
毎年この日だけは、目覚めた瞬間から胸の奥に鈍い重さがある。
まだ朝というには早すぎる時間だった。
部屋の中は薄暗く、カーテンの隙間から差し込むわずかな光だけが、静かに床を照らしている。
隣では誰かの寝息が規則正しく続いていて、本当ならそれだけで少し安心できるはずなのに、今日は何も心を落ち着かせてくれなかった。
来てしまった。
毎年、分かっていてもそう思う。
6月21日。
冬川照子が生まれた日。
そして、福本夏月として生きている今の自分が、いちばん強く揺らぐ日。
このまま目を閉じても、もう眠ることはできない。そうなることは最初から何となく分かっていた。
夏月はゆっくりと起き上がる。
胸のざわつきが治まらない。
息を整えようとしても、呼吸がどこか浅いままだ。まだ何も起きていないのに、身体だけが先に“その日”を迎えてしまっている。
ここにいたくなかった。
少しでもこの息苦しさから逃げたくて、夏月はベランダへ出た。
もう少しで7月ということもあり、早朝の空気もそこまで冷たくはない。
頬を撫でる風が、少しだけ心地よかった。
部屋の中にいるよりも、外の空気に触れていた方がわずかに息がしやすい気がする。
夏月(翼が好きだって言ってた場所……)
去年のことを思い出す。
たしか、あの夢を見た朝も、翼がベランダで話を聞いてくれた。
何を話したのか、どの順番で言葉を交わしたのかまでは曖昧なのに、翼がゆっくり抱きしめてくれたことだけは、今でも妙に鮮明に思い出せる。
あの時も、自分は救われていた。
夏月「はぁ………」
翼 「なーつーき」
夏月「え?」
振り向くと、起きたばかりの翼がいた。
寝癖が少し残っていて、完全に目が覚めきっているわけではなさそうなのに、それでもちゃんとここまで来てくれている。
夏月「え? なんで?」
翼 「今日はお父さんに会う日だろ? だから、いつもより早く目が覚めるんじゃないかと思って」
その答えに、胸の奥がじわりと温かくなる。
心配で、わざわざ起きてくれたのだ。
昨日のファミレスで話したことを、ちゃんと今日まで引きずって、気にしてくれていたのだと分かる。
夏月「ありがとう」
翼 「ここの景色、いいだろ」
夏月「うん」
夏月は手すりの向こうに視線を向ける。
朝焼けというにはまだ少し早く、街は白んだ光の中に沈んでいる。
ビルの輪郭も、道路も、遠くに見える車の流れも、まだ昼間ほどはっきりしていない。
その曖昧さが、今の自分の気持ちと少し似ている気がした。
翼 「ほら、あそこ見て」
翼が指さした先には、マンションの下を走る小さな人影があった。
よく見ると、それは瑞葵だった。
夏月「え?」
翼 「最近、瑞葵頑張ってるんだよ。 稔さんから体力がないって指摘を受けてさ」
夏月「そうだったんだ」
翼 「俺も付き合うって声かけたんだけどさ、早く追いつきたいからいいって」
夏月「そうなんだ。 知らなかった……」
瑞葵が早朝から走っている。
その事実に、少し驚く。
瑞葵はいつもどこか危なっかしくて、放っておけない印象の方が強かった。
だからこうして、誰にも言わずに、自分の足りないところを埋めようとしている姿を見ると、夏月の胸の中に小さなざわつきが起きる。
それは嫉妬とは少し違う。
悔しさと、置いていかれるような感覚と、ちゃんと努力していることを知らなかった自分への戸惑いが混ざっていた。
翼 「だけど、俺は知ってたよ。瑞葵の頑張りを見ていたから」
その言葉に、夏月の胸が少しざわつく。
やっぱり翼は見ている。
瑞葵のことも、ちゃんと。
そう思った瞬間、心のどこかがひりつく。
けれど、その続きを聞く前に、その感情を言葉にすることはできなかった。
翼 「夏月も同じだよ」
夏月「え?」
翼 「俺は知ってるよ。 夏月が頑張ってるの」
夏月は一瞬、息を止めた。
翼 「瑞葵には冷たい態度取ってるって言いながら、なんだかんだ放っとけないところもあるってことも」
夏月「え?」
翼 「瑞葵が西横任務で怪我負った時に、夏月が色々、傷を隠すメイク手伝ってあげたんだろ?」
夏月「いや……まあ……」
思わず視線を逸らしたくなる。
そんなところまで見られていたのか、と思うと気恥ずかしい。
自分では隠しているつもりだった。
瑞葵に対して素直に優しくするのも、まだ少し照れくさいし、どこか悔しいと思ってしまう部分もある。
翼 「そういう、優しさが隠しきれてないところ、俺は好きだよ」
まっすぐに言われると、何も返せなくなる。
翼 「任務だってさ、夏月は体力的に不利なところがあっても、それを補おうと努力してるところとか」
翼 「俺はしっかり見てるよ。 毎日一緒にいるからさ」
その言葉は、静かだけど強かった。
見てくれていたのだ、と分かる。
自分の弱さも、頑張りも、ちゃんと。
ただ一緒に暮らしているだけじゃなく、ちゃんと“見ている”と言ってくれるのが、どうしようもなく嬉しい。
翼 「それに、俺は夏月がここに来てくれて良かったって本気で思ってる。 だから……」
翼はまっすぐ夏月の目を見た。
逃げられないくらいまっすぐな視線だった。
翼 「自分を責めすぎないようにな」
その言葉を聞けただけで、夏月は救われた気がする。
6月21日が消えたわけじゃない。
父に会う現実がなくなったわけでもない。
それでも、この朝にこの言葉をもらえたことで、ほんの少しだけ、胸を押しつぶしていたものが軽くなった。
夏月「ありがとう……」
今はこれしか言えなかった。
後で、もっとちゃんとお礼を言おう。
翼にも。
悠喜にも。
昨日からずっと、自分のことを気にかけてくれていたのだから。
そう思えるだけで、少しだけ自分を取り戻せた気がした。
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今日の朝食は、ご飯に焼き魚、味噌汁に昨日の煮物と、和食だった。
食卓に並ぶ湯気の立つ皿を見ていると、こんな日でさえ朝はいつも通りにやって来るのだと思い知らされる。
特別な日なのは自分の中だけで、世界は何事もなく進んでいく。
悠喜「柚木さん、おかわり」
悠喜はこれで四杯目だ。
さすがに見過ごせず、夏月は思わず悠喜を見つめてしまう。
悠喜「なんだよ?」
夏月「別に。 よく朝からそんなに入るなと思って」
悠喜「朝こそ食わねえと昼まで持たないだろ」
翼 「腹いっぱいで授業中寝てたら意味ないだろ」
悠喜「うるせえな!」
いつもと変わらないやり取り。
いや、もしかしたら翼と悠喜がそうしてくれているのかもしれない。
なるべく普段通りの空気を作ろうとしてくれているのかもしれない。
そう思うと、ありがたい反面、余計に申し訳なさも込み上げる。
それでも、この変わらなさに救われている自分がいた。
夏月「今日は八時に迎えに来てくれるらしいです。 お墓参りも行くので、夕方には戻ると思いますので」
晴翔「分かった。 迎えもいつでも行けるようにしとくから」
夏月「ありがとうございます」
晴翔の返事もいつも通りだ。
淡々としているのに、ちゃんと“迎えに行けるようにしておく”と言ってくれる。
その距離感がありがたかった。
朝食を終えると、翼たちは学校の準備をする。
悠喜「それじゃあ行ってくるから」
夏月「授業中寝ちゃダメだよ」
悠喜「眠気覚ましに連絡くれよ」
夏月「嫌だよ笑」
やっと少しだけ自然な笑いが出た。
悠喜はそれを見て、満足したような顔もせず、そのまま一人で先に学校へ行った。
たぶん、最後まで気を使ってくれていたのだろう。
翼 「夏月、いつでも連絡していいからな」
夏月「ありがとう。でも授業はサボらなくていいからね」
翼 「分かってるよ。 行こうか、瑞葵」
瑞葵「うん」
翼と瑞葵も学校へ向かい、部屋の中は私一人になった。
あれだけ勇気づけてくれたのに、一人になった途端にまた怖くなってしまう自分に少し嫌気がさす。
さっきまでの安心は確かに本物だったはずなのに、それでも一人になると胸の奥がまたざわつき始める。
でも、今から支度をしないと迎えが来てしまう。
夏月は急いで準備にかかった。
服も、いつも着ていくようなシンプルなもの。
髪型も寝癖を直すだけの、カジュアルな感じに仕上げた。
どうせ冬川家へ行けば着替えさせられる。
だから最初から気合を入れる気にもなれなかった。
夏月「はぁ……そろそろか……」
柚木「夏月ちゃん」
夏月「はい?」
後ろを振り向くと、柚木が立っていて少し驚いた。
柚木「お迎えが来たみたい」
夏月「分かりました」
夏月は急いで玄関に向かい、スニーカーを履いた。
夏月「それじゃあ行ってきます」
柚木「それと……」
夏月「はい?」
柚木「今日は私は何も業務を入れてないから」
柚木は、いつもの無表情のまま淡々とそう言った。
けれど、その意味は十分すぎるほど伝わる。
何かあったらいつでも連絡してきて。
いつでも迎えに行くから。
そう言ってくれているのだ。
夏月「ありがとうございます。 行ってきます」
毎年、6月21日だけは、柚木は意識して業務を入れないようにしてくれている。
それを知っているからこそ、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
夏月(まだ私は恵まれてるんだもんね……)
そう思う。
ちゃんと待ってくれる人がいる。
帰る場所がある。
それだけで、本当は十分恵まれているはずなのだ。
エレベーターが一階に着くと、そこに松戸が迎えに来てくれていた。
松戸「夏月様、お久しぶりです」
夏月「松戸さん! 今年は松戸さんが迎えに来てくれたんですね」
松戸「お父様にお願いをいたしまして」
夏月「ありがとう……」
その一言だけで、少し肩の力が抜ける。
6月21日の迎えが松戸であることが、どれだけありがたいか夏月にはよく分かっていた。
松戸「立ち話も何ですし、乗ってください」
6月21日の流れは決まっている。
まずは冬川家に行き、服装を整える。
夏月がシンプルな服装にしたのも、どうせ冬川家で着替えさせられると分かっているからだ。
車に乗り込むと、静かなエンジン音が響く。
松戸「夏月様の方はどうですか?」
夏月「新しい仲間が増えました」
松戸「それはよかったですね」
夏月「良くは………ないかもだけど……」
松戸「なぜですか?」
夏月「なんかさ……」
口を開きかけて、やめる。
今ここで話し始めたら、きっと暗い話になる。
松戸を困らせたいわけじゃない。
今日これから向かう先のことを思えば、少しでも明るい方へ意識を逸らしていたかった。
松戸「…………」
松戸は急かさない。
ただ待つ。
それが余計に優しかった。
夏月「ダメダメ! なんか暗くなっちゃいます。 それより、お兄ちゃんはどうなんですか?」
松戸「………」
その沈黙だけで、十分だった。
夏月「やっぱり何かあったんですか? いつもマウント取るために私に電話をしてきたのに、今年は松戸さんからじゃないですか?」
松戸「苳也様から口止めをされております。 申し訳ございません」
冬川苳也――私の兄だ。
私と違って成績優秀で、運動神経もよく、部活ではそこそこの実績を残しているらしい。
父にとっても、周囲にとっても、自慢できる息子なのだろう。
そんな兄が、今年は自分から連絡をよこさなかった。
その事実が少し引っかかる。
夏月「分かりました。 私は兄のことについて何も知らないことにしておきます」
松戸「申し訳ございません」
夏月「松戸さんのせいではないですよ」
兄のことは気になる。
でも、それ以上に松戸にこれ以上の迷惑をかけたくなかった。
若手の執事である松戸に、これ以上踏み込ませるのは申し訳ない。
だから夏月はその気持ちを必死に飲み込み、最近の学校生活についての話へと無理やり切り替えた。
松戸「着きました。 夏月様」
夏月(いつ見ても豪邸だ)
外観はグレーを基調とした、ごく普通にも見える建物だ。
たぶんセキュリティを意識してのことだろう。
目立たないようにしているのに、敷地へ入った瞬間、その広さだけで異質さが分かってしまう。
間取りは7LLDDKK。
リビングは吹き抜けで、庭には噴水まである。
一般家庭とはかけ離れた広さと金のかけ方に、今でも時々現実味がなくなる。
ここが自分の実家なのだという感覚は、もうどこか曖昧だった。
夏月(一応、私も家族なんだもんね………)
松戸「夏月様。 大変申し訳にくいのですが、ここからは……」
夏月「分かってます。 照子でお願いします」
言い慣れた言葉のはずなのに、口にするたび心が少し削れる。
ここまでは夏月でいられた。
けれど、この門をくぐった先では“照子”として振る舞わなければならない。
松戸「申し訳ございません」
夏月「もう! 謝らないでください」
松戸が謝るたびに、余計に苦しくなる。
悪いのは松戸じゃない。
それなのに、自分の前で申し訳なさそうにされると、夏月まで居たたまれなくなってしまう。
松戸が車を止めると、中へ案内される。
風間「お待ちしておりました。 照子様」
出迎えてくれたのは、風間正之。
使用人のトップに立つ人だ。
夏月「お久しぶりです。 風間さん」
風間「早速ではありますが、着替えをするようご主人様から申されております」
夏月「分かりました」
風間に案内された部屋へ行くと、既にスタイリストが待機していた。
「冬川照子様でいらっしゃいますね。 早速ではありますが始めさせていただきます」
夏月「お願いします」
冬川家にとって、6月21日は特別な日なのだ。
今日のために用意された衣装が数着。
待機しているスタイリスト。
まるで誕生日を祝う準備のように見えて、その実態は“冬川照子”を整えるための儀式のようでもあった。
夏月はされるがままに、用意された衣装に着替え、髪を整えられていく。
鏡の中に映る自分は、少しずつ“福本夏月”ではなくなっていくようで気持ちが悪い。
夏月「はぁ……しんど……」
セットが終わると、スタイリストはその場を離れて次の現場へ移動したらしい。
静かになった部屋で、夏月は改めて全身を見下ろす。
夏月「確かに……かわいいけど……」
上は黒を基調としたワンピースで、スカート部分はグラデーションのデザインになっている。
これから病院とお墓参り、そして食事会。
動きやすさも重視された服なのだろう。
悔しいが、この日の自分は毎年よく盛れている。
誰もいないことを確認し、夏月は全身が映る鏡の前に立ち、その場でスマートフォンに写真を収めた。
これも毎年の恒例だ。
翼と悠喜にその写真を送る。
夏月(瑞葵にも送っとくか)
新しい仲間にも、その写真を送る。
少し照れくさい。
けれど、こういう時だけは“見てほしい”という気持ちが勝つ。
夏月「新しい仲間が増えて嬉しいよ……だけど……」
その続きは、自分でも上手く言葉にできなかった。
コンコン、とノック音が部屋に響く。
夏月「はい! どうぞ」
松戸「失礼します」
夏月「準備はもうできています」
松戸「ご主人様がお待ちです。 行きましょう」
夏月「分かりました」
リビングへ行くと、父と兄が待っていた。
二人ともスーツだ。
久しぶりに顔を合わせるはずなのに、その空間には再会らしい温度がまるでない。
夏月「お久しぶりです。 お父様にお兄様」
父「揃ったか。 風間、車を出してくれ」
風間「かしこまりました」
夏月(実の娘との久々の再会でも無視ですか……)
毎年のことだから慣れた、と自分に言い聞かせながら車に乗り込む。
それでも、胸の中では何ひとつ上手く整理できていなかった。
次回予告
「照子ちゃんが生きていることが、私にとっても救いなの」
命を救った医師。
感謝を語る父。
自慢の妹だと微笑む兄。
病院で繰り広げられるのは、誰もが涙する美しい家族の物語。
けれど、その中心で笑う夏月だけが知っていた。
――これは、感謝という名の演劇だ。
そして墓参りへ向かうはずだった帰り道、
父から告げられたのは、まったく予想していなかった予定だった――。




