EP.3-5 本音の居場所
皆さん、こんにちは!Time Bombです!
7月最後の投稿です!
今月もたくさんの方々にAbyss Trigger ーーSecret Xーーを読んでいただき、本当にありがとうございました。
皆様の応援に支えられながら、今月も無事に連載を続けることができました。
改めて、7月の終わりに活動報告でもお礼をお伝えしたいと思っています。
そして、もう一つお知らせがあります!
7月31日の活動報告にて、皆様へご報告があります。
内容は瑞葵たちに関するものではありませんが、楽しみにお待ちいただけると嬉しいです!
引き続き、Abyss Trigger ーーSecret Xーー、そして7月31日の活動報告もよろしくお願いいたします。
放課後のファミレスは、学生たちでほどよく賑わっていた。
ガラス越しに差し込む夕方の光。
食器が触れ合う小さな音。
あちこちの席から聞こえてくる笑い声や、他愛もない会話。
そのざわめきの中で、翼と向かい合って座る時間が、今日は妙に特別に感じられる。
テーブルの上に広げたメニューを見ながら、夏月はようやく本当に翼と二人きりになれたのだと実感していた。
昨日は話せなかった。
話したくても話せなかった。
翼は任務のあとで疲れていたし、瑞葵もあんな状態だった。
だから仕方なかったのだと頭では分かっていても、心のどこかではずっと寂しさが残っていた。
だから今日だけは、照子に戻る日が近づいていることも忘れて、ただこの放課後の時間を楽しみにしていたのだ。
翼 「俺はこのバナナたっぷりのパンケーキにしよう」
夏月「私はパフェにしよう」
翼がメニューを閉じる。
それだけの何でもない動きさえ、今日は少しだけ近く感じる。
向かい合っているだけなのに、妙に落ち着かなくて、でも嬉しい。
そんな自分が少し恥ずかしかった。
夏月「大丈夫? 昨日も任務だったから疲れてない?」
翼 「俺は大丈夫だよ」
夏月「翼はタフだね」
翼 「まあ、おれはこの中で一番長くいるからな」
さらっと言う。
でも、その一言の中にどれだけの時間が詰まっているのか、夏月にはまだ全部は分からない。
まだまだ知らない翼がたくさんある。
もしかしたら、知らないところで一人泣いて、誰にも言えずに傷ついたこともあるのかもしれない。
任務の中で、自分たちには見せない顔を何度もしてきたのかもしれない。
もし、今後そういうことが起きた時、自分はちゃんと翼を支えられるのだろうか。
夏月はふと、そんなことを考えてしまう。
翼はいつも支える側にいる。
誰かの異変に気づいて、誰かの手を取って、誰かを見捨てずに立つ。
だからこそ、その翼が弱った時に、自分は何ができるのだろうと思った。
翼 「夏月?」
夏月「え?」
翼 「パフェ届いたよ」
夏月「あ、ありがとう……」
考え込んでいたことに気づいて、少しだけ頬が熱くなる。
翼はそれ以上追及しなかった。そういうところも、夏月にはありがたかった。
店員が注文したものをテーブルに置いていく。
翼の前には、見た目にも甘そうなバナナたっぷりのパンケーキ。
夏月の前には、背の高いグラスに盛りつけられたパフェ。
生クリームにアイス、色鮮やかなソース。
普段ならそれだけで少し気分が上がりそうなものなのに、今日はまだ心のどこかが緊張したままだった。
その空気を破ったのは、翼の方だった。
翼 「見たのか? あの夢を」
夏月「!」
言葉が出てこない。
パフェのスプーンに触れようとした指先が止まる。呼吸が一瞬だけ浅くなる。
翼はやっぱり気づいていた。
昨日は何も聞いてこなかった。
けれど、それは気づいていなかったからじゃなくて、聞ける状況じゃなかったからなのだと分かる。
翼 「ごめん、すぐに話を聞くことができなくて……」
夏月「いいよ。 翼も任務で疲れてたんだろうし、瑞葵だってあの状態だったからだし」
言いながら、自分でも少し早口だと思う。
大丈夫なふりをしたい時ほど、夏月は言葉が少しだけ硬くなる。
夏月「まだ誰にも話してなかったけど、例年通り6月21日に行ってくるから」
翼 「そうか……」
夏月「今年こそはと思ったけどダメだった」
最後に小さく笑いをつける。
いつもの癖だ。
重くしすぎないように、平気だと思わせるように、無理やり軽く見せようとしてしまう。
翼 「強がるなよ」
翼 「俺の前では正直になれよ」
その言い方はずるい。
まっすぐで、優しくて、逃げ道がない。
小さすぎる声で、夏月は「そういうの、よくないと思うけど……」と漏らした。
きっと翼にはちゃんと聞こえていない。
聞こえていたとしても、たぶん今は流してくれる。
それも分かっているから、こんな独り言みたいな反抗しかできない。
けれど、そう言われたら、少しだけ話したくなってしまう。
ずっと喉にひっかかっていたものが、少しずつ言葉になり始める。
夏月「瑞葵が……瑞葵が加入してからさ……色々気づいちゃったんだ。
私がさ……想像以上にお父さんを嫌いになれてないってことに……」
翼 「………」
翼は何も言わない。
急かしもしないし、否定もしない。
ただ、続きを待ってくれている。
その沈黙が今はありがたかった。
夏月「瑞葵が加入した時ね、私、嬉しかったんだ。仲間が増えたと思って」
夏月「でもさ、瑞葵と初めての四人で任務に行った時にさ、瑞葵だけ怪我を負わせちゃったじゃん。
あの時に、瑞葵はこのままだったらいずれ命を落とすと思った」
鮮明に思い出せる。
あの時の瑞葵の危うさ。
自分たちの連携の乱れ。
守り切れなかったという感覚。
四人になれば強くなると思っていたのに、現実はそんなに単純じゃなかった。
夏月「だから、私は瑞葵の加入に反対だったの」
翼 「瑞葵に対して思うことは仕方ないよ。 確かに、あの時は俺だって怖かったんだし」
翼のその一言に少しだけ救われる。
自分だけが狭量だったわけじゃないのだと思えるからだ。
夏月「それとさ、瑞葵が来るまでは三人で頑張ってたじゃん。
現場に何度も行くことで連携も取れてきてさ」
夏月「瑞葵が加入した直後の、最後の三人での任務覚えてる?」
翼 「覚えてるよ。 地下鉄での闇取引の現場のあれだろ」
夏月「そう。 大規模な任務に私たちも関わらせてもらって。
私たちのやることは、その任務全体から見たら小さいことだったと思う。
それでも、私なりに手応えは感じてたから」
あの頃は、自分たち三人が少しずつ“チーム”になれている気がしていた。
翼が前にいて、悠喜が横で支えて、自分もその中でちゃんと役割を果たせていた。
小さくても、自分たちの歩幅で前へ進めている感覚があった。
夏月「その時ね、悠喜も思ってたと思うの。 これで家族の元に帰れる時が早まったって」
悠喜は口には出さなかったかもしれない。
けれど、あの頃の悠喜には確かに焦りと希望が混じっていた。
成果を出せば何かが変わる。そう信じているように見えた。
夏月「……だから、瑞葵が悪いって言いたいわけじゃないの」
夏月「でも、瑞葵が来たことで、今まで見ないようにしてたものまで見えるようになっちゃった」
それは瑞葵の未熟さだけじゃない。
自分たち三人だけで積み上げてきたものの脆さも、時間がそんなに残っていないことも、自分が思っているよりもずっと父に縛られていることも。
全部、見えてしまった。
翼 「まあ、確かに瑞葵が加わったことによってゼロに戻ったとも思うけどさ……」
翼は言葉を選ぶように、少し間を置いてから続けた。
翼 「でも、全部が無駄になったわけじゃないだろ。
三人でやってきたことも、瑞葵が来たことで見えたことも、どっちも本当だと思う」
夏月「悠喜もそうだけど焦ってるの。 もう来年には高校じゃん」
夏月「お父さんはね、私がここで成果を出せば戻すって言ってたの。だからさ……」
翼 「………」
重い沈黙が走る。
ファミレスの周りの席は相変わらず賑やかだ。
誰かが笑っている。
グラスの中で氷が鳴る。
店員が注文を運ぶ声も聞こえる。
それなのに、このテーブルの上だけ空気が違っていた。
夏月「それが遠くに感じてさ……」
声が少しだけ震える。
手を伸ばせば届くと思っていたものが、気づけばどんどん遠ざかっていく。
頑張れば近づけると思っていた場所が、瑞葵の加入と同時にまた曖昧になってしまったように感じる。
夏月「それとさ……」
翼 「うん………」
夏月「私を捨てたくせに……まだ私はあの人に、お父さんとしての愛情を求めているんだなってのも分かってさ……」
言葉にした瞬間、胸がひどく痛んだ。
認めたくなかったことだ。
父を嫌いになりたいのに、なりきれない。
切り捨てたいのに、切り捨てられない。
夏月「今年はお兄ちゃんじゃなくて執事の人から電話がきたんだけどさ、ホッとしたの。
私のこと、忘れてなかったんだって……」
翼 「……」
夏月「たとえ、それが家族としての愛情じゃなくて、ただ自分の好感度の利用だとしても……私は嬉しいって感情が出ちゃった。だからそれがすごい悔しい……」
涙が出そうになる。
でも、ここで泣きたくはなかった。
翼には迷惑をかけたくない。困らせたくもない。
何とか堪えようとするほど、喉の奥が詰まっていく。
こんなことを話したところで、解決なんかしない。
それでも今は、ただ受け止めてほしかった。
一人では抱えきれないくらいの寂しさと虚しさが、夏月の心にどんどんヒビを入れていくのが分かっていたからだ。
翼 「夏月は大人すぎるんだよ。 学校でもチームの中でも、冷静でいようとするし」
夏月「そんなことないよ。 今だってすごいわがまま言ってるし……」
翼 「夏月」
低く名前を呼ばれて、夏月は顔を上げる。
翼は席を立つと、夏月の隣に移動してきた。
向かい合っていた距離がなくなり、急に心臓がうるさくなる。
そして今朝と同じように、優しく頭を撫でた。
その手は穏やかで、押しつけがましくなくて、けれどちゃんと“ここにいる”と伝えてくる。
翼 「いいじゃん。 わがまま言ったって」
夏月「つ、つばさ……」
翼 「俺は好きだよ。 夏月が俺だけに正直な気持ちを話してくれるのは」
夏月 (ズルいよ……こんなの……)
そんな言い方をされたら、もう耐えられない。
胸の奥で張りつめていたものが、一気にほどけてしまいそうになる。
翼 「親を嫌いになれないのはしょうがないよ。 俺だって……そうだから……」
夏月「翼……」
翼が過去のことを話すのは珍しい。
悠喜ですら、翼の過去を知らないのに。
本人からこうして匂わせるようなことを言うのは、相当珍しいことだ。
それだけ、今の自分の話をちゃんと受け止めようとしてくれているのだと分かった。
翼 「ごめん。 これ以上は、どう声をかけてあげればいいか分からないや」
夏月「いいよ……気を使わなくて……」
翼 「そっか……」
翼が少しだけ身体を引こうとした、その瞬間だった。
夏月「待って!」
これ以上離れられたら、たぶんまた心が冷えてしまう。
これ以上言葉を続けたら泣いてしまいそうで、夏月は誤魔化すように翼の腕を掴んだ。
そして、そのままそっと自分の肩の方へ引き寄せる。
夏月「じゃあ、少し……わがまま聞いてよ……」
翼 「分かった……」
翼は驚いた顔を見せなかった。
拒みもしない。
ただ、静かにそこにいてくれた。
夏月はその体勢のまま、ゆっくり翼の方へ顔を近づける。
幸い、座った席は一番端の目立たない席だったため、周りは翼と夏月に気づいていない。
学生たちのざわめきが、逆に二人だけの空間を守ってくれているみたいだった。
夏月「嫌じゃない?」
翼 「嫌じゃないよ」
翼の温もりを感じる。
ほのかに香る翼の匂い。
肩越しに伝わる体温。
少しだけ早い鼓動。
全部が現実だと分かるのに、どこか夢みたいにも感じた。
もしかしたら、父を嫌いになりきれない理由のひとつに、ここへ来て翼と出会えたことがあるのかもしれない。
それはすごく皮肉だ。
でも、そう思ってしまうくらいには、翼の存在が大きかった。
夏月(翼のことが好き……。 翼がいてくれるなら、きっと大丈夫だ)
そう自分に言い聞かせる。
本当に大丈夫かどうかなんて分からない。
それでも、今はそう思っていたかった。
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「ありがとうございました」
二人はファミレスを後にして、自宅へ戻る。
外に出ると、夕方の空気は少しひんやりしていた。
帰る頃には、ちょうどトレーニングへ向かう時間になるだろう。
夏月「ありがとう。 今日は」
翼 「元気になってくれて良かったよ」
夏月「それと……もうひとつ……」
翼 「うん?」
夏月「任務……忘れてた……」
翼 「そういえば……」
翼も少しだけ苦笑する。
ついさっきまで心の重さに意識を奪われていて、任務のことが頭の隅に追いやられていた。
夏月「どんな任務なんだろう……」
翼 「瑞葵も以前と比べて強くなったから大丈夫だよ」
夏月「それは翼とだからでしょ? なんかあった時、私だけで助けてあげられる自信ないよ」
言いながら、自分でも分かる。
また一人で背負おうとしていることに。
翼 「ほら! そこだよ」
夏月「え?」
翼 「また、一人で背負おうとするところ」
夏月「だって……」
翼 「大丈夫。 瑞葵は強くなってる。俺が保証するよ」
夏月「つばさ……」
翼 「俺のこと、信用できない?」
夏月「そういうの! ほんとズルい!」
翼は無邪気な笑顔を見せる。
時々見せるかわいいところが、夏月の心をまた騒がせる。
かっこいいだけじゃない。
こういう隙みたいなものがあるから、余計に好きになってしまうのだと思う。
翼 「危なっかしいところもまだあるけど意外と、助けてもらう立場になるかもよ」
夏月「それはない。でも……」
夏月は少しだけ息を整える。
さっきまでの苦しさが、完全に消えたわけではない。
6月21日も、6月22日の任務も、何も終わっていない。
それでも、ひとりで抱え込んでいた時よりはずっとましだった。
夏月「私、頑張るね」
夏月(翼はすごい。 昨日まで胸の中を埋めていた憂鬱が、嘘みたいに少し軽くなっていた)
翼 「急ごう! トレーニング間に合わないから」
夏月「うん」
翼はそっと手を差し出す。
夏月はそれに応えるように、その手をぎゅっと握り返した。
二人で、悠喜と瑞葵たちの待つマンションへ急ぐ。
6月21日はまだ消えていない。
任務だって待っている。
それでも今だけは、少しだけ前を向ける気がした。
次回予告
「今日だけは、“福本夏月”ではいられない──」
6月21日。
冬川照子として生きる一日が、今年も始まる。
父との再会。
兄との沈黙。
そして待ち受ける、冬川家という現実。
夏月は再び、自分の過去と向き合う。




